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能登出身の仙人-1
陽 勝
1.伝奇などが語る陽勝
1) 今昔物語が語る陽勝
「陽勝、修苦行成仙人(苦行を修めて仙人となること)語第三」 (訳者:畝源三郎、拙い訳でお恥ずかしいですが)
2) 宇治拾遺物語が語る陽勝
「千手院僧正仙人にあふ事 105」 (訳者:畝源三郎、拙い訳でお恥ずかしいですが)
3) 本朝神仙伝が語る陽勝
『本朝神仙伝』「10−11」及び「10−12」 (訳者:畝源三郎、拙い訳でお恥ずかしいですが)
4)『本朝法華経験記』が語る陽勝(予定)
5)『元亨釈書』が語る陽勝(予定)
6)『日本高僧伝要文抄』 巻1「陽勝伝」(予定)
7)『陽勝仙人伝』が語る陽勝(予定)
2.陽勝をしった経緯
私が、この陽勝僧正のことを初めて知ったのは、夢枕獏著の『陰陽師−飛天ノ巻』の「陀羅尼仙」の話の中においてである。話のもとは、『今昔物語』だという。『今昔物語』は、以前筑摩文庫で読んだことがあるが、この話は載っていなかったので、つい今まで知ることはなかった。能登の人で俗姓が紀氏であることまで、明記してある。
北陸の仙人というか、超人のような活動をした人としては、泰澄が有名であるが、空を飛んだというようなこのような仙人が能登にもいたなどとは思いもしなかった。(ただし、泰澄の従人で仙人であった 臥行者 も能登島出身であった。飛鉢の呪法である。)
陽勝は、架空の人物かもしれないが、それでもこれは私のホームページに紹介しなければなるまいと考えた。そこで、図書館へ行って調べたところ『今昔物語』の巻第十三に載っていることがわかった。まだ他にも陽勝僧都のことが載っている本はないかと調べたところ、『本朝神仙伝』(11)、『宇治拾遺物語』(8の7)、『本朝法華験記(大日本国法華経験)』(巻中ノ題43)、『陽勝仙人伝』、『元亨釈書』、『高僧伝要文抄』(巻1、陽勝伝)などに載っていることがわかりました。
つまり同じ北陸出身の泰澄や、役行者、久米老人などに次ぐ、有名な仙人であることがわかったのです。
それで、それらの本には日本語訳はなかったが、語句の注釈が一部あったので、つたない訳ではあるが、自分で訳してみることにしたのです。
3.陽勝の横顔
辞典などに載っていた彼についての説明は、次の通りである。
仏道の勤修と仁恵の心厚い平安時代初期の仙僧である。生没年は、貞観10年(868)ないし11年(869)の生まれとあり、没年は八十余年とだけ記述があり、はっきりしない。
天台宗の僧侶であり、俗姓は、紀氏という。その母が、日光を呑む夢を見て懐妊したといい、能登の国に生まれた。生まれつき聡明で、一度聞けば忘れることはなく、元慶3年(879)、11歳の時、比叡山に登り、西塔の勝蓮華院の空日律師に、師事した。後に同じく西塔にある宝幡院に住したという。(とある史料では、空日律師とは、別の史料にみえる玄日のことであり、玄日も、陽勝と同じく能登の出身で、巨勢氏の出身と書いてある。ということは、同郷の先輩を頼ったということか?)
以後、陽勝は俗世を逃れて大和の国・吉野へ入り、夏は金峰山に篭り、冬は牟田寺に下って修行。穀物を絶って粟一粒で過ごし、八十余歳でついに仙人となった。
その通力で父の臨終を知り、その居宅の上に飛来して法華経を誦するなど、自由に空中を飛行したことなどが、上記の『本朝神仙伝』、『宇治拾遺物語』、『本朝法華験記(大日本国法華経験)』、『元亨釈書』など記載されている。ちなみに陽勝は、2枚の翼をその身にはやし(ただし本朝神仙伝などでは翼はなかったと記載されてもいる)、香煙に乗って飛んだといいます。その他慈悲の心厚く、衣なき人には自分の服を脱いで与え、飢える人には自分の食べ物を与え、害虫にまで自分の地を吸わせたと書かれております
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以上がだいたいのプロフィールです。詳しい内容は、1.の「伝奇が語る陽勝」の各タイトルをクリックして、それぞれの話ををみてください。
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