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宮田の法然堂
正面奥が西光寺法然堂
法然堂
法然堂正面の額
「元祖」とはまるで饅頭屋のような・・お寺には似合わない?
六字名号碑 「寒くとも袂にいれよ西の風・・・」の歌
西 暦 | 和 暦 | 法 然 | 親 鸞 |
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1204 | 元久1 | 比叡山、専修念仏停止を迫る | |
1205 | 元久2 | 興福寺奏状(専修念仏停止を要求) | |
1206 | |||
1207 | 建永2 | 2月、後鳥羽上皇が熊野詣の留守中に、上皇の女房たちが法話を聞いて出家したのは法然の弟子による密通のせいだとする噂に上皇が激怒して、法話をした住蓮・安楽房ら4名処刑、上皇より念仏停止の断が下り、法然と親鸞ら弟子7人は流罪、法然75歳 →承元の法難(建永の法難とも) 法然は四国へ、親鸞は越後へ | |
承元1 | 12月、法然、赦免、摂津まで戻る。 | ||
1208 | |||
1209 | |||
1210 | 承元4 | 法然、まだ摂津に滞在中 | |
1211 | 建暦1 | 法然、入洛の許可。京に入り、吉水に戻る。 | 11月、親鸞、流罪より5年後、勅免の宣旨。しかし冬季豪雪で越後から京へは戻れず |
1212 | 建暦2 | 1月、法然、京都東山大谷で死去、享年80歳 | (多数説)11月常陸国、日野左衛門、親鸞を泊めず。改心して枕石寺建立 |
1213 | |||
1214 | 建保2 | 親鸞、赦免より3年後、東国布教のため信濃国善光寺から上野国佐貫庄を経て常陸国へ向かう。(その前に一旦京へ帰ったか?) | |
1215 | 省略(各地に草庵を結んでは布教) | ||
1216 | 健保4 | 親鸞、大山の草庵(茨城県城里町) | |
(少数説)11月、常陸国、日野左衛門、親鸞を泊めず | |||
1217 | 〜 | 親鸞、約20年間東国で布教 |
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