このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

吉原村の広さ



「西讃府志 巻之二十六」によると、

吉原村
 東西十五町三十間、南北八町六間、・・・

碑殿村
 ・・・東西十三町南北五町、・・・

とある。当時吉原村と碑殿村とは別の村であったから、吉原村はどこまでの範囲であったのだろうか。
本村・十五丁・三井之江・曼荼羅寺辺りが含まれていたか?

1丁(町)=60間≒109.1m、1間≒1.82mだから、吉原村の広さは、
 東西十五丁三十間≒1691m
 南北八町六間  ≒ 884m
である。

縮尺は正確ではないが、吉原町の絵図に上記の長さを概略で書き込むと、次の赤い矢印となる。
南北は随分と狭かったことになる。
十五丁の住所は古くは、「大字吉原、字吉原」であったとも聞くから、「十五丁」という地名は吉原村の東西の長さに由来するものではなかろうか?

十五丁の意味

<元の絵図は「よしわらの里」(S58.3.3, 吉原小学校 制作)より>






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