このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西行法師の四国上陸地はどこか?


 
西行法師の讃岐上陸地点はどこか?

三野津港について


  「三野津湾干拓史(三)」H4.5.1 片山義隆著には、
大昔の三野津湾の海岸線として、次の太線のように描かれている。


この根拠として、
「大昔の三野津湾がどのような湾であったか、詳しい資料はないが、大昔の三野津湾は、昭和三年(1928)陸地測量部により測定された地図の標高五米の線と推定される。この海岸線には、当時の庶民の生活が思い出される数々の遺跡や地名が残っている。(吉津・大見村史、詫間・高瀬町史)」
として多くの地名を挙げている。(以下省略)

同著には寿永年間の海岸線の推定図も付いている。大昔より少し海が後退しているが、まだまだ三野津付近は海であったことになる。この少し前に西行法師が三野津の港に着いた筈である。





この図によれば、西行が上陸した三野津港から見える東の海はごくわずかの範囲であるが、そんなに対岸が遠く離れていないからこそ、
   「しきわたす月の氷をうたがひてひゞのてまはる味のむら鳥」という情景が出来たものと考えられる。
多度津港 から振り返ってみた写真のように、「敷き渡す月の光」と見えるということはそんなに遠くはない風景を詠んだからであろう。


更に時代は降って、戦国時代の海岸線の推定絵図が「香川県三豊市 三野町の山城 仁尾町の山城 (西讃の山城 第2巻)」山本祐三著 に描かれている。



戦国時代になってもまだ三野津湾はかなり海が入り込んでいたことになる。




西行庵  正面   全景   内部   江戸時代の記録   歌碑   生木大明神   滞在期間

善通寺   曼荼羅寺   出釈迦寺   禅定寺   人面石   鷺井神社   東西神社
我拝師山   天霧山   七人同志   片山権左衛門   乳薬師   月照上人   牛穴   蛇石
トップページへ


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください