このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
江戸時代「水茎の岡」
<江戸時代の記録>
−「金毘羅参詣名所図會」弘化4年 暁 鐘成著(翻刻版 S55,歴史図書社)より −
水茎の岡
曼荼羅寺より三町計り西にあり、西行法師寓居の旧墟なり。今尚草庵あり、西行上人の像を安す。
山里に浮世いとはん友もがな悔しく過し昔し語らん 西行
山里を人来る世とは思はねど問るヽ事を疎くなりゆく 同
山里の秋の末にと思ひしが苦しかりける木枯の風 同
水茎の岡の湊
同所の麓まで昔海にして前にいふ筆の海などいひ、且つこれを水茎の岡の湊とて諸船の泊りしなるべし。
水茎の岡
小町、能因は歌の徳をもて雨をふらせ、貫之と此の聖はふる雨を晴せし妙あり。其のほか聖人 生涯の間の歌の奇瑞挙て数ふべからず。
西行上人 五百年忌に 連翹やその昼(望?)の日としほれけり 胡及
−「現代語訳 日本の古典9
西行・山家集
井上靖」より −
(編集人:佐藤 昭 [編集委員:井上 靖、円地文子、尾崎秀樹、山本健吉]、1981.7.31、学研発行)
「西行法師像」(江戸時代初期、伝・土佐広周筆、神宮文庫蔵)
ここには「江戸時代初期」(1603〜)の作と書かれているが、土佐広周は室町中期(1470年頃)の人である。150年もずれている。何かがおかしい。
こちらは、白洲正子著「西行」(新潮文庫、H8.6.1発行)にある西行法師像である。鎌倉時代(1185〜1333)となっている。上記は模写か?
「西行像」(鎌倉時代、MOA美術館蔵)
西行庵
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