このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
「水茎の岡の西行庵」
右端の石碑の3面に渡って次の3つの歌が刻まれている。(他の石碑は墓である。)
3首とも「全讃史」の「水茎の岡」および「筆の海」の項に収載されている。
山さとに うき世 いとはん友もがな くやしく過ぎし むかしかたらん 西行上人
「善通寺市史」では「山さとに うき世 いとわむ友もがな くやしくすぎし 昔かたらむ」となっている。
水くきのおかの みなとの浪よりや ふて(=筆)の海てふ 名にそ立らん 為家卿
(注:白字は文字不明箇所)
為家は藤原定家の子でしょうか。
あまぎりあひ ひかた吹くらし 水莖の 岡のみなとは波たちわたる 讀人不知
(彫りが浅くて読めないため、左の写真は彫りの溝を黒く写真加工しました。)
(白字は万葉集巻第七及び全讃史では「に」)
拓本を採ってみました。「岡のみなとに」と読めます。
(ご参考) ひかた(日方):日のある方から吹く風。夏の季節風
(地方により、西南や東南の風をいう。)
みずくき(水茎):筆跡、手紙。「岡」の枕詞
あまぎりあひ(天霧相)は万葉集では「あまぎらひ」と読んでいる。
西行庵前の歌碑の隣にあるのは個人の墓か?
明治四十四年八月念二没 (念二=22)
大覺院芳興居士
俗名 勝俟小一 廿歳
(西行庵の入口に新しく建てられている歌碑とその額)
西行が い保里せし跡 希典が うえしホルトの繁り居り今 中河与一
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