このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
「王越の西行庵」
西行法師の讃岐上陸地点はどこか?
インターネットに諸説の書き込みがある。
「讃岐の風土記 by 出来屋」によると、
○坂出市王越・青海地区の史跡
一説によると、西行は日比渋川の浜から坂出王越の乃生の港に着き、鎌刃(かまのは)越えで白峯御陵北側の青海地区に入り、稚児ヶ岳を目指したといいます。 坂出市王越出張所のすぐ上に西行庵があり、また、青海地区にある向井の荒神社には西行が腰掛けたという西行の岌掛石(おいかけいし)があるそうです。
「讃岐の西行−坂出市王越町−」によると、
入讃した西行は、善通寺吉原付近に庵居して空海の遺跡を巡った後、眞尾坂(みをさか)に庵を結んでいる。庵は坂出市王越出張所の辺りにあったらしく、 出張所脇の坂を少し登ったところに記念碑(写真)が建っている。
(注:現在の王越出張所は、道路をはさんで反対側を少し高松寄りに進んだところの王越小学校跡に平成24年4月に移転しているので場所に注意。「西行庵」と「みを坂」の碑は旧王越出張所の上にある。)
坂出市作成の「西行法師の道 - 坂出市」によると、
西行庵(西行の腰掛松、みを坂の林)
この地で西行が仮住まいをしたという伝説から,西行庵が建てられています。現在,坂出市旧王越出張所のすぐ裏手にありますが,かつては少し下の池のそばに建てられていたといいます。 二本の松が立ち並び,うち一本が大きく池を覆っていたそうで,地元ではこの松を西行の腰掛松(笈掛松)と呼んでいたと伝えられていますが,今はその姿はありません。みを坂の林の碑が建っています。
これが西行庵らしいが、周囲にはここは「薬師堂」との表記しかない。
薬師堂の内部
みを坂の碑
右端の最初の行の一番下に「草杖」と彫られているが、雨月物語「白峰」原文は「草枕」である。
薬師堂の下方にあるこの池辺りにかつての西行庵はあったのだろうか?
王越西行庵マップ
薬師堂から道路をはさんで反対側にある池の周りを廻って更に南へ狭い道を登っていくと、鎌の刃峠への道がある。
道は狭く軽トラ用の農道程度なので、普通車で登ると戻るのに苦労します。
西行の道として整備が進んでいるようだ。
記念碑が建っているが西行とは関係なし
「増補
西讃府志
」によると、
撰集鈔曰、過にし仁安の比西國はるばる修行つかまつり侍りし次に、讃州見を坂の林といふ所にしばらく住侍りき、深山邊のならの葉にて、庵り結ひて、・・・
と書かれている。
「國譯全讃史」には
坂出市は、西行が王越へ上陸して、鎌の刃峠を超えて、青海町の
笈掛石
で一休みしてから、白峰御陵へと登って行ったとしているようだ。
西行庵
正面
全景
内部
江戸時代の記録
歌碑
生木大明神
善通寺
曼荼羅寺
出釈迦寺
禅定寺
人面石
鷺井神社
東西神社
我拝師山
天霧山
七人同志
片山権左衛門
乳薬師
月照上人
牛穴
蛇石
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