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西行法師の四国上陸地はどこか?


 
西行法師の讃岐上陸地点はどこか?
  「増補 西讃府志」には




「讃岐名所歌集」 赤松景福著兼発行、昭和3年3月24日 上田書店発売 (S58.8.10復刻版、丸山学芸図書)には




「山家集」には、

「みの津と申す津につきて、月のあかくてひびのてもかよわぬほどに、とおく見えわたりけるに、みずとりのひびのてにつきて、といわたりけるを
    しきわたす月の氷をうたがいてひびのてまわる味の村鳥」

と書かれていると、「西讃府志」にも書かれているにも拘わらず、

「ひびは備前である。讃岐ではない。また三野津は乃生津のことだ。」

としているが、 赤松景福説 は強引に事実を ねじ曲げ すぎていないか? 書いていることが無茶苦茶である。


三野津と日比の位置関係


三野津から日比まで直線距離で35km以上離れている。鳥がそんなに向うまで飛んでいくのが見えるはずもなく、また弥谷寺のある山も正面にあり、日比方面は見通せない。「写実主義」の西行が空想で鳥の飛んでいく先を想像して詠むとは思えない。
さすがに赤松景福もそれは遠すぎると感じている。そこで西行の「山家集」を無視して、三野津ではなく乃生津のことだといいだした。乃生なら少しは距離も縮まるが、それでも日比まで9kmぐらいある。鳥が飛んでいくのを見通すには遠すぎる。それに第一、坂出王越の「みを坂」へ上陸したというのは撰集抄にしか書かれてなく、この撰集抄はフィクションであると目されている。

もっとも、赤松景福よりも前に、もっとあきれたことを言っている人がいる。
  「西行は先づ備前児島の日比より三豊郡なる三野津に上陸した。恰もこの時は夜中であった。皎々たる月に輝く詫間湾の絶景に思はずもみとれてゐた時、遙日比(岡山県)の彼方に水鳥の飛廻はれるを見て」詠ったとしている。(「讃岐通史」曾川壽吉著、T15.6.28 上田書店発行より)
いやはやあきれ果てる。いくら月明かりとはいえ、遠く35km先で飛ぶ水鳥が見えるわけがない。

次の写真は現在の高瀬川下流域である。当時はもっと広く湾入していたのであろう。 当時の三野津港 はどこにあったか不明であるが、現在の「三野津」という地名は、この写真の地点から更に1kmほど上流(写真では右手方向)にある。だが、そこまで内陸にいかなくても、既にこの写真で日比の手(日比の方向)はこの写真の正面にある山の向こうだ。こんな風景を見て西行さんが、「日比の手を水鳥が廻っている」と詠むだろうか? これではせいぜい、「山の手廻るカラスの群れ」である。西行は日比の手を詠んだんだ、と主張する御仁のお顔が見てみたい。ましてや、西行が三野津に着いて詠んだといっているのに、それを否定するなど、もってのほかの思い上がりである。


高瀬川に群れる水鳥たち


やはり解釈としては、詫間湾の西岸にあったのであろう三野津に上陸して、東の湾を眺めたら、ちょうど月が湾の向うに昇っており海面が反射でキラキラ輝き、こちらの岸から向う岸までキラキラと光が敷き渡され、湾には魚を獲るための細い枝がたくさん立っている周りを水鳥が周回して飛んでいる、とみるのが写実的である。

「山家集の研究 西行辞典」 の「こ」から歌の解釈を抜粋すれば、

・14 しきわたす月の氷をうたがひてひゞのてまはる味のむら鳥
          (岩波文庫山家集110P羇旅歌・新潮1404番)
・しきわたす
 敷き渡す、ということ。月の光が海面をあまねく照らしている光景のことです。
・月の氷
 月光を氷のように見立てて、冴え冴えとした光景であることを強調しています。
・ひびのてまはる
 魚の捕獲などのために渚近くの浅い海に木材や竹を立て並べますが、その仕掛けのことを「ひび」といいます。「ひびのて」の「て」は仕掛けに用いる用材を指します。
・味のむら鳥
 マガモより小さい「ともえ鴨」のことだと言われています。「村鳥」の文字を使うこともありますが「群れ鳥」のことです。
  ・(14番歌の解釈)
 「月光が海面に煌くと、遥か一面に氷を敷きつめたかと疑って、味鴨の群れは水面には降りずにひびの手のまわりを旋回するばかりである。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「ひび」をネット検索すると
ひび【竹かんむりに洪】
 1.ノリやカキの養殖で、胞子・幼生を付着させるために海中に立てる竹や粗朶(そだ)。
 2. 浅海に柴(しば)や竹簀(たけす)などを立て並べ、一方の口から入った魚が出られないようにした仕掛け。
となっている。 (1.の「海苔ひび」は江戸時代に始まったようだから、西行時代にはまだない。従って、2.の漁労用のひびと解釈される。)

三野津を乃生津に捻じ曲げてでも日比の地に結びつけるとは横暴が過ぎる。何か魂胆あるいは悪意でもあるのか。歌人の資格はない。

「山家集金槐和歌集 日本文学大系29」風巻景次郎校注、S36.4.5 岩波書店発行 より






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