このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「七仏寺(乳薬師)」


 
芋畑古跡
月見よと芋の子どもの寝入りしを
   起しに来たが何か苦しき  西行上人


西行法師の歌碑

H12.12.24 H26.2.25



-「香川の伝説」(編著者:香川県小学校国語教育研究会・香川県国語教育研究会、S54.7.1, 発行:日本標準)より-

  明月の夜の西行法師

ずっとむかしのことである。西行法師(1118〜90年)は、弘法大師(774〜835年)のあとをしたって讃岐(香川県)に来て、三井之江(善通寺市)のあたりにいおりをつくって 住んでいた。
その日は八月の十五日で、美しい夜であった。西行は、弘法大師が歩いたであろう七仏寺(善通寺市)のあたりのいなか道をさまよいながら、人の世の無常を考え続けていた。
あれだけ勢いをほこっていた平家も、水にうかんだあわのように消えてしまった。この讃岐まで兄頼朝の命を受けて命がけの戦いを続けた義経もまた、頼朝に殺されてしまったではないか。栄えるものはいつかほろびる。これが人の世の常なのか。
こう思うとき、ついこの間、サクラの木の下で別れた友だちがなつかしく思い出されてきた。西行は、別れにあたって作った歌を口ずさんでいた。

  笠はあり その身はいかに なりぬらん あは(わ)れはかなき 天が下かな
(友だちのよく使っていた笠は、今もサクラの木にぶらさげられている。しかし、その友だちは今どうしていることであろうか。この世の中はとてもはかないものだなあ。)

月はいよいよ明るく、虫の音がしみとおるほどだった。西行はふと足をとめた。そこには、月の光にうき出るようにイモの葉が緑こく続いていた。
西行は、すたすたとイモ畑に入っていった。
「ひとつお接待(道にお茶などを用意して、四国八十八か所に参るお遍路さんにさしあげること)になるかな。」
西行は、月の光の中でイモをほりはじめた。.土の中から、サトイモがころころところがり出てきた。土のめぐみを手にした西行は、無心なえみをたたえて、月を見上げていた。

そのとき、
「こら、イモぬすっとめ!」
畑の持ち主がとんできた。
「うちのイモをぬすむなんて、けしからん。」
「ああ、すまんこっちゃ、すまんことをした。今夜はイモ明月じゃ(八月十五日の夜、イモを月にそなえるからいう)イモをそなえて月見をしたことがなつかしくてなあ。つい、お接待をいただくつもりじゃったのだ。ゆるしておくれ。」
「ああ、そうじゃったんか。お坊さん、ひとつ、歌を作ってくだされ。イモをさしあげるけん。」
すると、西行は次のような歌をよんだ。

月見よとイモの子どもの寝入りしを
起こしに来たが何か苦しき
(イモの子どもが寝入っているので、月を見なさいと起こしたが、人の畑のイモだから、何 だか心苦しい。)

百姓は喜んで、西行にイモをほってあたえた。山も野も、月の光がみんなを同じ色に包んでいた。西行と百姓は人の世の悲しさ、苦しさを忘れて、いつまでも野にたたずんでいた。


四国新聞 にこんなものが出た。


この人の書く記事は事実無根 のところがあるので、話半分に聞かないといけないが、どうしてこれが西行の石像といえるのか。
虚像のデマがでっち上げられていく過程を目の当たりにするようである。マスメディアがこんなデッチアゲをするとは許されることではない。
「冗談も苔むすと歴史になってしまうのだ」と書いているが、その真犯人はこの記者本人ではないか。
おまけに、この歌碑の上部には「芋畑古跡」と彫られているのであるが、どうやらこの新聞記者はこれを「芋畑右江」と読み違えたようだ。(「金毘羅参詣名所図會」弘化4年 暁 鐘成著 でもこの碑をちゃんと「芋畑の古跡」と読んでいるのに、なぜ事実歪曲しようとするのか。)
(字の崩し方は幾通りもあるが、参考までに;跡=、 江= :電子くずし字字典より)

もっとも、この歌碑は三井之江からここに移設されたが、旧道沿いに建っており、当時国道11号線はなかったから、たまたまこの歌碑を右手へ行くと三井之江の中心部に至る。
この歌碑が三井之江から移設されたものであるなら、「西行の石像」としているこの地蔵尊もそのとき三井之江から一緒に移設されたとでもこの新聞記者はいうのだろうか。
(もうここまで来るとこの新聞記事のシリーズは近隣地域で悪名高くなり始めているのがもれ聞こえてくる。)
明石氏こそ、事実無根や虚偽を並べ立ててそれを正しい歴史であるかのように曲解してしまおうとする張本人ではないのか。ウェブで同氏を検索すると、同氏が醜聞に関わった記事まで書かれている。

翌週の新聞コラムに訂正記事が出た。読み間違いというレベルの低いことだけ訂正して、肝心の内容についてはまだ主張しており、反省の色もない。



それにしても吉原の西行庵を目の敵みたいにしてこき下ろすのは、新聞記者だけではなく、玉泉院を正当化したい輩が入れ知恵しているのではなかろうか。


乳薬師  七仏寺お堂   芋畑   大池   江戸時代の七佛薬師   江戸時代の芋畑古跡

善通寺   曼荼羅寺   出釈迦寺   禅定寺   西行庵   人面石   鷺井神社   東西神社
我拝師山   天霧山   七人同志   片山権左衛門   月照上人   牛穴   蛇石
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