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文久3(1863)年、
8・18の政変
で長州藩などの尊王攘夷過激派を京都から排除した後、
会津・肥後・薩摩など諸藩の周旋で、佐幕派の会合が連日のように開かれていました。
同年10月10日、
祇園
の一力亭での会合に、新選組局長として招かれた近藤は、
意見を求められ、「朝幕一致して攘夷をおこなうべきである」と論じています。
一力亭の幕末期の主人・杉浦治郎右衛門は、尊皇家だったので、勤王の志士たちも
よく出入りしたそうです。
一力亭(いちりきてい)
京都市東山区花見小路通四条下ル東側
一力とは「万」の字を一と力に分けたもので、万屋(よろずや)・万亭などとも呼ばれています。
赤前垂れの店と呼ばれる古い格式のある祇園の茶屋で、竹田出雲の浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」の
七段目「一力茶屋の場」の舞台として有名です。
以前は、玄関は四条通りに面していたそうですが、現在は花見小路通りに面しています。
一力亭は、現在も「お茶屋」(茶葉を売る店とか喫茶店という意味では決してないですよ!)として
営業されていますが、なにぶん格式高い店なので、
島原の輪違屋
同様、「一見さんお断り」の店で
あります。
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