このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


〜思いでの航路シリーズ Ⅱ〜
淡路フェリー
(須磨〜大磯)
(平成10年4月5日航路廃止)
淡路島・大磯港にて 富喜鶴丸

 神戸市西部の須磨港と、花の町として知られている淡路島の東浦町の大磯港を45分で結ぶ航路。明石海峡大橋の開通により廃止された。
 4月5日午後3時半に大磯港に到着。岸壁にはブラスバンドが並び、大きなカメラを抱えた報道陣が徘徊していた。
 6時発の最終便の切符を購入。待合所はすでに航路廃止セレモニーのために改装されており、併設のドライブインも営業を終えている。間もなく消えゆく航路の哀愁が、港のあちこちから漂ってくる。これもまたフェリーが持つ悲しい運命なのか。
 港から見える本州四国連絡道路を、一般車両が走り始めた。いよいよ大橋の開通だ。「海のハイウェイ」のコピーで宣伝していた淡路フェリーが、明石海峡大橋という「高速道路」によって廃止に追い込まれるというのも、皮肉なものだ。
 5時45分頃、いよいよ乗船開始。「最後だから記念に取っておきな」切符回収の兄ちゃんのイキな計らいで、乗船券が手元に残る。船の前まで進んだが、セレモニー絡みでなかなか船に乗り込めない。やっと開いた通路の両脇には、報道陣と一般人が入り乱れてカメラを構えている。かつて無いくらいに注目されているせいか、運転も慎重になってしまう。いつもよりもゆっくりと船内に入っていく。
最後の出航
 旅客デッキは、すでに人で埋め尽くされていた。普段は立入禁止の船尾の作業区域も、最終便に限って解放。そこから何本もの紙テープが投げられる。なかには続けて失敗する人もいて、笑いがわき起こる。船と陸との間に張られた紙テープは、恐らく百本を越えていただろう。
 午後6時。ひときわ長い汽笛を残して、最終フェリーは大磯港を出航した。ブラスバンドの演奏と、多くの人に見送られて。船に絡みついた紙テープが、風に吹かれてはためく。まるで船自身が港に向かって手を振っているようだ。
 船内売店はすでに閉鎖されている。自動販売機も売り切ればかりが点灯している。淋しげな様子が、そこここにかいま見ることができる。数少ない販売機のメニューの中からコーヒーを選ぶ。さすがにこれだけはまだ暖かく、おいしくいただくことが出来た。
 出航して間もなく、明石海峡大橋が見える。車はすでに走っているのだろうが、距離があるので確認は出来ない。
大磯行き最終フェリー
 中間点付近で、須磨発の最終フェリーとすれ違う。甲板でいくつものフラッシュが光る。向こうのフェリーでもフラッシュが光るのが見える。ひときわ長い汽笛が交歓される。すでにあたりは薄暗く、人影までは確認できなかったが、それでも大きく手を振った。向こうでも恐らく、何人もの人が手を振っていたのだろう。姿は見えなくとも、その光景がハッキリと目に浮かんできた。
 6時45分。ついに須磨港に入港。港内駐車場には当然のことだが、乗船待ちの車はいない。最後の客を送り出すだけの役割となっていた港は、淋しげに見えた。
 切符とカーネーション、数枚の写真、そして思いでを残して、淡路島への「海のハイウェイ」はその姿を消した。小さな船で、大きな旅を感じさせてくれた、淡路フェリー。最後の汽笛が泣いているように聞こえたのは、私だけでは無かっただろう。
 さようなら、そしてありがとう。橋は残り、船は消えゆくとも、私だけはこの航路のことを決して忘れはしない。今日のこの思いでとともに。
 島への思いと、島の期待を背負い、数多くの人とモノを運び続けた34年。長く、そして短い航路の生涯は、人々の記憶に刻み込まれるであろう。

34年の長きにわたり
淡路と神戸を結び続けた
海のハイウェイ 淡路フェリー
いま
架け橋に全てを託し
その役目を終える
Thank you very much
and
Long goodbye
海のハイウェイ 淡路フェリー


MEMORIAL data

運航開始昭和38年7月4日
運航区間須磨港(20km)/神戸ハーバーランド(25km)〜大磯港
所要時間45分(須磨〜大磯)
65分(神戸〜大磯)
運賃大人……540円
バイク(750cc未満)……950円
乗用車(4m未満)……3,540円
乗用車(5m未満)……4,420円

平成10年4月5日 明石海峡大橋開通により航路廃止



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