このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

column 8 〜二輪車と四輪車〜

 日本国内を走っている車のほとんど全てが、二輪車と四輪車に分けられる。一昔前までは「ミゼット」のような三輪の車もあったが。それはさておき。
 現在の日本において、二輪と四輪が同じ道路を共有して走っているにもかかわらず、これらは平等には扱われていない。不当に扱われているのはもちろん二輪車だ。
 私は18歳のとき、当時の中型二輪免許を取得した(今の普通二輪免許)。普通免許を取得したのは、それから約5年半ほど後だ。二輪免許しかなかった5年半で、私は実に4万㎞を越える距離をバイクで走った。この間、無事故無検挙(無違反ではない)で走り抜けている。自分の運転技術が優れているとは思わないが、それでも4万㎞走っただけのものは持っている、と思っていた。
 しかし普通免許を取ろうとしたとき、私が受けた講習の内容は、免許を何も持っていない人とほとんど同じモノだった。普通免許持ちが二輪を取るときには学科はほとんどないというのに。なぜ、「道路について」などという学科をうけなくてはならないのだろうか。理解に苦しむ。
 さらに、教習の方法にも疑問がある。最近の教習所では、二輪コースが別に分けられている。コース上で二輪車と四輪車が一緒に走ることはあり得ない。これでは一般道路に出たときに、二輪車の走りが想像出来ないではないか。このようなドライバーを育てる日本の教習制度は、どこか間違っているとしか考えられない。
 私が二輪免許を取った教習所は、二輪と四輪の混合コースだった。四輪の前で右折しようとしてエンストを起こして焦ったり、坂道発進を失敗したトラック(大型免許もやっていた!)が坂を下りてきてパニック寸前に陥ったりすることが何度もあった。それだけに、「四輪に気をつけなくては!」という気持ちは最初から持っていたし、同じコースで四輪を取った人も、「バイクに気をつけよう!」と思っていたに違いない。
 そもそも、四輪車中心に作られた交通体制が、「道路の主役は四輪車」「バイクは四輪の下に位置するもの」という四輪ドライバーの奢りを生み出しているのではないだろうか。それが、明らかに二輪いじめとも言える「幅寄せ」などの行為につながっているのではないだろうか。
 二輪車は、どこへ行っても冷遇されている。高速道路を使うときは、4人乗った軽自動車と同じ料金を払わされる。本線に入ると、「免許か生命か」の選択を迫られる制限速度の違い(二輪は80㎞、自家用車は100㎞)に苦しめられる。少しでも左端に寄って走っていれば、車線変更もせずに追い抜いていく四輪車……。同じ「自動車」の仲間とはとても思えない待遇である。
 ざっとあげただけでも、二輪がいかに冷遇されているか判るだろう。完全な平等とまでは言わないが、せめて恐怖心なく公道を走れる程度には待遇を改善して欲しいものである。
 もっとも、二輪車の中でも「排気量」という「ランク」分けがされており、それによって不当な扱いを受けているものもあるのだが……。(№9参照)

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