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旭川2002年12月その2


定刻を10分ほど遅れて旭川を出発。今日は和寒まで行ったあ
と、普通列車で戻り、塩狩周辺で撮影する予定だった。「スー
パー宗谷」を撮りそこなった今となっては和寒まで行く用事も無
くなってしまったわけだが、塩狩に停車する列車を旭川で待っ
ているよりは、一駅戻った方が時間的にも早い。
列車の中で完全防寒の装備をととのえる。しかし、その格好で
は当然のごとく車内は暑すぎるわけで・・・。

列車は「永山」「比布」に停車のあと、「蘭留」を通過。いよいよ
塩狩峠にさしかかる。

「塩狩」を通過の際に、よいポイントを探すが、予想通りほとん
どが雪の壁となっており、なかなか厳しい状況。(写真は塩狩
峠に差し掛かる前のもの)

まもなく和寒に到着。切符を運転手さんに渡し下車する。先ほ
どと同じく、外へ出ると妙に涼しい気持ちよさ。予想に反して陽
も出ている。冬の弱弱しい日差しだが。手持ちの気温計でも0
度を少し下回る程度だった。上り普通列車までも大して時間
が無いので、駅周辺だけを少しぶらつく。和寒は北海道では
大きな方の町だと思う。駅周辺には商店がかなりあり人通りも
あった。駅の前に国道が走っているために車の行き来も激しい。

和寒駅

ほどなく、列車はやってくる。和寒駅を出発するとずっと登り勾
配だ。塩狩駅に到着。当然のごとく他に降りる人はだれもな
く、整理券と運賃を運転手さんに渡し、下車する。降りた瞬間、
先ほどの和寒とは気温がだいぶ違うことに気づく。陽も出てい
ない。一駅違うだけなのにこれほどまでに違うとは。万が一の
場合の避難所となる駅舎を確認。和寒駅はストーブがあった
が、ここにはない。それでも外と比べればずいぶん暖かい感じ
がした。

塩狩駅はあの有名な「塩狩峠」の舞台となったところ。近くに
作者の三浦綾子記念館があるが、冬季は開館していない。

塩狩駅

一息ついてから撮影場所を探すが、先ほど列車から見たとお
り、なかなか撮影に適した場所は見当たらない。線路を歩い
て行く以外に道も無く、さらに雪も深く。結局、完全防寒、雪対
策の格好を武器に軌道に入らないように、腰近くまでの雪をか
きわけ進む。するとホームから数十メートルのところにポイント
があり、そこに少しのくぼみがあった。すかさずそこで撮影の
準備にとりかかる。息子は少し離れたところで雪で遊んでい
る。雪が降ったり止んだりしているが、時折陽もさす。まずまず
のコンディション。気温計はマイナス10度をさしていた。しか
し、その後急激に温度も下がってきた。時間がたつとさすがに
冷えてきたのか、息子は駅舎に退散してしまった。

自分はそういうわけにもいかず、カメラをマフラーでぐるぐる巻
きにし、雪や寒さから保護しながら列車を待つ。来た!!雪煙
をあげながら列車はやってくる。が、通過した瞬間、その雪煙
をかぶることは、考えればわかることだが、考えていなかった・
・・。カメラのレンズにも雪が付着してしまう。しかし、さすがに
北海道のパウダースノーはブロアブラシで飛ぶのだった。

1本列車が通過すると少し時間があく。完全防寒といっても長
時間屋外にいるとさすがに冷えてくる。自分も駅の待合室に
退散。しかし、待合室の中もマイナス3度。それでも外に比べ
ればずいぶん暖かい。先ほど和寒で買ってきた缶コーヒーを飲
もうとしたが凍っていた。完全に凍ってしまったわけではない
ので、プルタブをあけて飲む。こんな寒い中で飲むアイスコーヒ
ーもなかなかおつなものだ。(笑) 撮影の時以外は自分自身
も待合室に避難した。3時を過ぎるぐらいになると薄暗くなって
くる。これが冬の北海道だ。暗くなってくるとますます寒さも厳し
くなってきた。

ここで無理をしては残りの旅が台無しになるので、16:43発
にて旭川へ戻ることにする。この列車はこの駅で下り列車と交
換するので、その交換シーンが撮りたかったのだが、また別
の機会にすることにする。

列車の中は暖かく、急激に眠気が襲ってくる。うとうとしている
うちに旭川に到着した。旭川駅からホテルまでは徒歩で行くこ
とになるがメインの通りの歩道は雪が無く、湯気が上がってい
る。どうやら路面の下に温水を流して温めているようだ。それ
にひきかえ、車道は完全な圧雪アイス状態で、車線や横断歩
道が見える場所はない。
この日は名物の旭川ラーメンを夕食として食べる。ラーメン屋
の店主の方が言っていた。「こんなに寒いのは何年ぶりだろう
か・・・」(汗)                 

                             



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