このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
3日目
ホテルの部屋から旭川の町の夜景。真っ白の雪の 道路にイルミネーションが映える。3日目は当初の 予定では、旭川駅より富良野線に乗り、美瑛から 美馬牛周辺を歩く予定であった。そして、美瑛から 空港へバスで戻るというプランだったが、雪と重い 荷物を背負って、さらに息子のことを考えるとちょっと 無謀かという気がしてきた。前もってインターネットで 調べたところ、旭川市内から車を借りて、空港で返す というのはこの時期にはできないということになって いたが、車でもさほど危険はなく走れることがわかっ たので、朝食後だめ元で昨日の営業所にきいてみた ら、空港返却もできるとのこと。あっさりと昨日と同じ車種 (だったが違う車だった)を借りることになった。身支度を 整え営業所へ向かう。 | |
手続きのあと美瑛方面へ向かい車を走らせる。市内は かなり雪が降っていたが、途中青空が広がった。しかし、 晴天も長くは続かず、美瑛駅に着くころにはまた激しく 雪が降り出した。 美瑛駅 | |
ひととおり写真を撮ったあと、地形図に従い線路際の道 を進む。美瑛は最近の北海道らしい小奇麗な町並みだ。 市街地を抜けると、この時期には真っ白の雪原が広が る。ところどころで風景の写真を撮りながら、雑誌にあった 踏切のポイントに到着。その雑誌の写真は秋のものだった が真っ白な雪景色というのもなかなかきれいだ。天気も よくなってきた。気温はマイナス5度ほどだったが、連日の 寒さに比べるとかなり暖かく感じる。 | |
下り線、上り線、1本ずつ撮影のあと美馬牛駅へ行ってみ る。歩くはずだったところを逆方向に車を走らせる。かなり の距離があった。「車を借りてよかった・・・」と思った。 線路を歩いていけばさほどでもないのかもしれないが、 何しろ美瑛は「丘の町」だ。その丘を迂回するように道路が 走っている。アップダウンを繰り返しながら道路は再び 踏切を渡り、美馬牛駅に到着した。 美馬牛駅 | |
駅前は小さいながらも商店もある町であった。駅の待合室 にもストーブが焚かれていて暖かい。駅から先ほどの踏切 に戻る途中に美馬牛小学校があった。前もって知っていた ことだが、この小学校がなんともメルヘンチックであった。 美瑛の丘に映えるつくりをしていた。 | |
再び踏切に戻り、上り列車を待つ。列車がやってきた。 通過する際に、雪煙をかぶる。最初に塩狩で撮影中に 雪煙をかぶってから、何回雪煙をかぶっただろうか。 つまり、撮影の回数だけ雪煙をかぶったことになる。その 最初に雪煙をかぶったときから、雪煙をかぶるたびに同じ 「におい」を感じた。それが何だったのか大して気にもとめ なかったのだが、このときにその「におい」に気づいた。 確認するために撮影を終えたあと、近くの雪がたまったと ころに行き、そこの雪を頭からかぶってみる・・・。そのにおい こそが「雪のにおい」だったのだ。多分、今までにもそのにお いを嗅いだことがあったのだろうが、意識していなかったため に感じることがなかったのだろう。雪には「におい」がある のだ。 | |
場所を少し移動し、さらにもう1本の下り列車を撮影し、今回 の列車の撮影はすべて終了。まだ少し時間があるので、夏 には観光客でいっぱいになる美瑛から北美瑛に広がる丘の 方に行ってみる。さすがにこの時期観光客はいない・・・と 思ったが、なんとバイクで旅をしている人を見かけた。上には 上がいるものだ。雪がだんだんと強く降り出す。誰もいない 真っ白の雪原となった丘。そして、そこに寒さに耐えるように 立っている木々。「パッチワーク」のような夏の景色とは対象 的な「モノクロ」の世界。 | |
雪が激しく降っている。外へ出て、深呼吸してみる。今までは わからなかった「雪のにおい」がする。雪のにおいをじっくり 味わってから国道へ出て、旭川空港へ戻った。レンタカーの 営業所で返却の手続きをしたあと、空港ロビーへの送迎を 断り息子と二人歩いてみた。最後の旭川の「寒さ」を楽しむ。 到着時に「マイナス20.1度」と表示されていた電光掲示板 を見に行く。現在は「マイナス9.2度」の表示。その前で 息子と交替で記念写真を撮る。すると、どこかほかの地方か ら年末年始をふるさと、旭川で過ごすために帰ってきたと 思われる若い女性が「撮りましょうか?」とバスを待つ間、空港 ロビーで待っていたところをわざわざ外へ出てきて声をかけて くださった。「こちらへ帰られたのですか?」「いえ、これから 東京へ帰るんです。」という答えに対し「まあ、こんな寒いとこ ろへよくいらっしゃいました。」と。確かに寒いが、暖かい心で 生活している、そんな北国の人たちだと思った。 |
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