このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

早春の東北2003年その3

翌日、列車の走行音で目を覚ます。明るくなって外を見て
みると、なんとすぐ下に線路があるではないか。部屋の窓
を開け、三脚を取り出すと部屋の中で撮影の準備(笑)。
朝食前に、通過する列車を鯵ヶ沢の町、海と一緒に撮影。
意外にもホテルはよい撮影地だった。

今日も国道101号線に沿って進む。雨は降っていないも
ののあいにくの曇り空。目標は岩木山をバックに五能線を
撮ることであったが、朝少し見えていた岩木山も今は完全
に雲の中であった。「これは無理かな・・・」と思いながらも
「時間がたてば回復するかも」という期待があった。今日も
なぜか洋服の専門店に立ち寄り、妻と娘はそこで買い物。
(苦笑) その間に天気の回復を待つ。半分期待したまま
国道101号を離れ、五能線鶴泊方面へ向かう。皮肉にも
天気は回復するどころか、雨が降ってきた。鶴泊駅に近づ
くころには雨は雪に変わった。しかし、まもなく列車はやって
くるので、鶴泊駅の撮影後、近くの線路際に立ち、列車を
撮影した。前回の北海道に引き続き、雪の中を走行する
列車の撮影となってしまった。時刻表を見ると反対方向の
列車もまもなくやってくる。場所を替え、国道の脇から田園
地帯を走る列車を撮影。晴れていればその向こうには、
雪化粧をした岩木山が見えるはずであった・・・。
さらに川部方面へ向かうが、天気は一向に回復する気配を
見せず、雪まじりの雨が降ったりやんだりしている。途中、
板柳町のふるさとりんごセンターで昼食をとり、りんごジュー
スなどを買った。「町民還元用」のりんごジュースが妙に
興味をひいた。さらに川部方面へ向かう。雨はやんだものの
岩木山はすそ野すら見えない。実はここでの岩木山をバック
に入れた写真は一つの目的だったために、なんともあきらめ
きれない気持ちであった。「鉄道の旅」という雑誌の「五能
線」の写真が目に焼きついてしまっていて、「あの写真を撮り
たい!」 これが今回の東北行きの一つのきっかけともなっ
たのに・・・。


近くのインターチェンジから東北自動車道に乗り、青森市内
へ向かう。「三内丸山遺跡」が目的地。三内丸山遺跡は
青森インターからすぐ近くのところで、土曜日だったが天気が
あまりよくなかったせいか、人はそんなに多くなかった。上映
されているビデオを見ている人もうちの家族のみ。上映が終
わると遺跡のある外へと出た。相変わらずの寒さ。一回春の
気候を体験してしまった体にはこたえる気候だ。しばらく歩い
ていくと、黄色いジャケットを着た説明員の方に呼びとめられ
た。「説明には1時間ぐらいかかりますがお時間あります
か?」 あとは今日の宿泊地である青森市内のシティホテル
に行くだけだったので、時間は十分過ぎるぐらいあった。
この三内丸山遺跡は野球場の建設のために掘り返された
らしい。が、発掘していくと今までの縄文時代の常識だった
ことが次々と覆されていき、保存されることになったらしい。
それにしても5000年も前の人々があの大きな柱をどのよう
に立てたのか。そして、この地に1000年も定住したという
こと。驚くことが多かった。学校の歴史の授業で言葉としては
聞いているが、それを実際に見て感じるのはやはり現地に
行かなければならないのだろう。小学生の息子にはよい
刺激になったようだ。息子はまた行きたがっていたので、
今回撮れなかった五能線と岩木山と合わせて、また来るの
だろう・・・きっと。


このあと、この説明員の方といろいろ話をするうち、まもなく
閉園時間になるのでそのあと青函連絡船「八甲田丸」や
「青森操車場」へ案内してくださるとのこと。なんともご親切
な方であった。これが東北の人のあたたかさなのだろう。
しばらくして、車で先導されて八甲田丸へ向かう。青函連絡
船はご存知のように青函トンネル開通に伴いその任を終え
たが、八甲田丸はそのまま繋留され保存されていたのだ
った。しかし、第3セクター方式によるその会社も破産し、
どこかへ売却されていくとのこと。もう、この青森の地で
青函連絡船をみることはできなくなるので、その前にぜひ
写真に撮っておいたほうがよいとのご配慮であった。実際に
八甲田丸の近くへ行くと、高校時代に初めて北海道へ渡った
時のことが鮮明に思い出された。ずっと昔のことだが、確かに
この場所から北海道へ渡り、そして、北海道から戻ってきた
のだ。次に青森の操車場へ向かう。残念ながら列車は夕刻
ゆえにほとんど出払っており、残っていなかったが、夜の
帳がおりた寂しげな操車場を見ることができた。ここで
説明員の方と別れ、宿泊するホテルへ向かう。
ホテルは先ほどの八甲田丸のあるところからそんなに離れて
おらず、青森駅からも近い場所にあった。

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