このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

早春の東北2003年その4

ホテルの窓からは青森市のシンボルである
ベイブリッジを一望できた。時間によりライト
アップの色も変わるなかなか美しい景観で
あった。
もう一つのシンボルである、青森観光物産
館「アスパム」もライトアップされていた。


翌朝は晴れていたが寒い朝だった。朝食を
済ませると時間を待ち「アスパム」に向かう。
徒歩5分といったところか。建物は「青森」の
最初の文字「A」をかたちどったものだそう
だ。中へ入り展望台へ登ってみる。365度の
景観を楽しむことができる。晴れてはいるが
岩木山方面は雲がかかっている。あくまでも
岩木山は見せないつもりか・・・(苦笑)
海の方を見ると北海道へ旅立つ船が出たと
ころであった。北海道方向はすっかりと晴れ
北海道そのものも見えている。
2階で青森の工芸品などを見学したのち、
1階へ降り、地酒などを買う。
大体青森県内で売っているものはすべて
ここにあるようだ。昨日立ち寄った「板柳
ふるさとりんごセンター」で作られている
りんごジュースもあったが、「町民還元用」
はなかった。買っておいて正解だったか。

ホテルの部屋に戻り、荷物をまとめチェック
アウト。今日は青森から宮城まで戻る。ほと
んどが車での移動となりそうだ。東北道青森
インタチェンジより高速に乗り、走りだす。す
ると右前方にうっすらとではあるが岩木山が
顔を出した。途中のPAに立ち寄り、しばらく
岩木山を眺める。本当だったらこれをバック
に五能線を撮るはずであった。さぞかし絵に
なっただろう・・・。今日は長い距離の移動が
あるので、撮りに行く時間はない。仕方なく、
再び東北道を東京方面に向けて走りだす。
南に向かうにつれ、天気もますますよくなって
きた。近隣の山はすっきりと見えることができ
た。地方の高速道路を走っているといつも
思うことなのだが、実に走りやすい。道路が
きれいでさらに交通量が圧倒的に少ない。
青森県を離れ岩手県に入っていく。実は
ひそかな期待があった。岩木山がだめなら
岩手山をバックに東北本線を。途中、岩手山
SAに立ち寄り昼食をとりながら岩手山を眺め
る。すっきりくっきりという感じには見えないが
なんとか写真に撮ることはできそうだ。右の
写真は八幡平のあたりか。

滝沢インターで降り、国道4号線を東北本線
好摩駅方面へ北上。程なくポイントに到着。
肉眼では比較的よく岩手山を臨むことができ
るが、写真に撮るとこういう状況はなかなか
難しい。どうにかこうにか、貨物列車を含め
3本の列車を撮影。次の目的地は盛岡市内。
南部鉄器のなべを買うことにあった。
立ち寄った南部鉄器の工房のすぐそばに
銀行らしいが、とても古い建物を見つけた。
確か広島の原爆ドームも被爆するまえは
このような建物だったはず。盛岡の人たちに
は毎日見慣れている光景だろうが、初めて
に人間にとってはとても新鮮なものに映る。

南部鉄器を購入したあとは、盛岡南インター
から再び東北自動車道に乗り、ひたすら
最後の宿泊地、宮城県の秋保温泉を目指す。
秋保温泉は以前にも訪れたことがあるが、そ
の時の宿がすばらしく、また立ち寄りたいとい
うことで最後の宿泊地としたところだ。
仙台南インターで東北自動車道を降り、日が
暮れる前には到着。「伝承千年の宿 佐勘」
というところで、代々伊達家の湯守をしていた
ようだ。最後の温泉を楽しむ。特に「川原の
湯」という文字通り川のすぐ近くの露天風呂
が最高だった。そんな露天風呂に息子と
二人だけの貸切状態。ついていた。
ロビーの近くに古文書やら鎧兜やらが展示
してあったが、その中に、1593年にこの宿
が火災で全焼したおりに、その当時のご主人
が高野山まで行ってもらってきた火を絶やさ
ずに今日まで燃やし続けているという炭火
があった。その歴史を考えるとき、気が遠く
なるようななんとも不思議な感じがした。

朝、朝食後準備を整えチェックアウト。今日は
ただ東京へ帰るだけだ。夕方から娘が用事
があるということで、遅くなることができなか
ったため、どこへも立ち寄らずにひたすら
走り続けるのみであった。途中のPAやSAで
休憩を取りながら、高速道路を走り続けた。
途中で、まったく同じ車を見つけた。実は
まったく同じ車を見るのはまだ2回目であった。
そう、私の車は日本では人気がなく、あまり
走っていない。向こうも意識したのか、ずっと
前になり後ろになり走っていた。埼玉あたり
まで来ると気温が全然違っていた。東北道か
ら外環道に入り、一般道に降りる。出迎えて
くれたのはところどころの桜のトンネルだった。
                     (完)

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