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●高野線の電車
南海6000系
アメリカ・バッド社の技術及びライセンスの提供を受けて東急車輌が製作したオールステンレス車体を持つ。
同期生として東急7000系、京王3000系、試作車の国鉄キハ35 900番台が挙げられる。
オーバークオリティな造りなのか保守の良さなのか、製造後40年を経た今日でも眩い輝きを放つ車体に疲れは見られない。
冷房改造・更新時にS形ミンデン台車(一部標準ミンデン・↓参照)に履き替えて今日に至る。
制御器は1C8M化されてユニット化された7000系と異なり1M方式のまま。 (昭和37年)
(対象物周辺のみ総天然色・画像明るさ補正) |
サハ6614
6000系の冷改・更新と同時期に廃車が進行していた1001系より電装解除・仕様変更の後、流用された標準ミンデン台車を装着。
サハ6611〜6622がこの台車を履いている。
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モハ6005(左)/6001(右)
違いががおわかりいただけるだろうか。初期のグループ(〜6008)は貫通扉の窓寸法が大きく、ガラスの支持方法もHゴムとなる。
更にモハ6001/6002は運転席/助手席窓の寸法が6000系製造直前の形式である1521系を模した、寸法の小さいものとなる。
製造当初はHゴム押さえであったが、更新時に金属押さえに改造された。内装において吊り革の本数が少ないことと
屋根上のランボードの高さがやや高い点は変化が無い。
サハ6610
増備途中における3→4両化、付属2両編成誕生という流れの中で、雑多な組成で登場した編成の向きを統一する際に方転(cT→Tc)されたクハ6901形のうち、
需給の関係でサハ6801形となった車両。乗務員室は閉鎖・機器撤去を施されたのみで、他社に見られる客室化改造は受けていない。
新性能車で、先頭車からの改造に伴い車籍も中間車となったのは、10000系及びこの6610号車となる。
6113F | 2連増結車があった頃。8連急行 | 最終運転日 ヘッドマーク付き |
南海6100系
こちらも本線用7100系との双子車であるが、6000系とは異なり、登場はこちらの方が後となる。
7000系に対する7100系と同じく、6000系の車体を両開き4扉、一段下降窓に変更した車輌といえよう。
冷房装置搭載時の重量増加に対しては、当系列の設計時から搭載する予定、後々には新製時より冷房搭載となった為、
重量増加を見込んで設計された台車(PIII-709/710形)を装着。よって台車の換装もなく90年代に入って車体及び機器の更新工事を受けた。
PIII台車が原因とされる高速走行時の懸念や、他の6000系列との併結運用ができないことで車両運用の冗長性に問題があり、
廃車発生品のS形ミンデン台車(6300系の項目参照)に換装の上、新形式6300系への改番となった。
以後、全車が台車交換を行い、2009年7月のさよなら運転をもって、6100系としての運転は終了した。(昭和45年)
6100系・台車
南海線では過去のものとなったパイオニア台車 (対象物周辺のみ総天然色・画像明るさ補正)
今は消滅した4連口の未更新車 | 6200系として製造された6連口は2014年現在、更新工事が施工されていない |
南海6200系
石油危機の頃に増備が計画された車輌。世相を反映して6000/6100系に対してややコストを落としたとされる車輌。
前面は加工が容易な平らな顔つき、1M方式の超多段VMC制御器をやめてMM'方式かつ多段MMC制御器となった為か、
中間車にM車を集約する形となり、なんば方の先頭車がモハ→クハとなる。高性能通勤車では例外※を除くと初めての事例となる。(昭和49年)
(排障器拡大) |
南海6200系(6521〜)
6200系には、容姿が酷似した兄弟車が存在した。8000系と呼ばれるその車輌は、6200系が抵抗制御を用いていたのに対し、
当時の最先端であったAVFチョッパ制御を採用。位置付けとしては試作車に近いものであり、当初4両、後に中間車を増備して6両1本のみの存在だった。
長きにわたって高野線の異端児的存在であったが、制御装置及び補機の経年劣化、保守部品の調達、故障による長期休車など問題が多くなり
2000年に抵抗制御に改造され、最も近い形式である6200系に編入。同時に内装も更新されて現在に至る。
形式は6200系とはいえど、流用された(6100系用と言われる)制御器やその他諸々の関係から、他の6200系と完全互換とは言えない存在。
依然、異端児であることに変わりはない。 (昭和50/52年 平成12年改造)
補器の二重化で4連単独での運用も可能となった | 抵抗制御・HSCブレーキの6000系とも併結できる(後ろ4両) |
南海6200系(更新車)
2009年より、6200系にも更新工事が行われることとなった。走行機器はIGBT-VVVFインバータ制御に、電動機は200Kwの3相かご形誘導電動機に積み替えられ、
車内も化粧板や床材を一新すると共にバリアフリー対応工事と袖仕切りパイプの追加などが行われている。
南海6200系(編入車・50番台)
2013年より、少数派である8200系にも更新工事が施工された車両がお目見えしている。走行機器は6200系同様IGBT-VVVFインバータ制御に換装され、
過剰であったMT比を最適化する為になんば方から3両目のモハ8200形が電装解除され、2代目サハ6851形が誕生している。
車内は6200系同様、化粧板や床材を一新すると共にバリアフリー対応工事と袖仕切りパイプの追加などが行われているが、非常通報装置の壁への埋め込みなど
改良となる仕様変更が行われている。
2+2の4連運用 |
南海6300系
主として6100系の台車を換装した形式。パイオニア台車からS形ミンデン台車への換装・併結対応改造を経て、
晴れて他形式(6000/6200系)と同様の性能、そして併結を可能とさせた。同時に形式も変更され、編成通しで末尾の番号が揃えられた。
台車は泉北高速100系、そして本線用7100系の非更新車の廃車による捻出品が大部分を占める。
南海8200系
高野線での車輌運用の上で山線に続いてネックとなる準山岳区間。
列車本数も少ないこの区間で必須となる抑速回生ブレーキのもしもの失効を抵抗器にて補償できるように床下艤装に余裕が持てる界磁チョッパ制御を採用。
更に南海では初となる軽量構造のステンレス車でもある。6連3本のみの所帯であるために遭遇率は決して高くない。
右写真の8705×6は本線用の兄弟車・9000系登場後の増備車となり、所々に9000系との共通項を持つ。
機器及び車体の更新工事を経て、6200系に編入される。 (昭和57年)
2003年改正以前の6+2の8連急行。 | 2003年5月改正直前の姿。 | 南海線から移籍した車両は側灯が嵩上げされたまま |
南海1000系
高野線でも1000系が活躍している。当初は狭幅車体の1次車のみが運用されていて、一時は6連3本、2連2本の所帯を持っていたが、
2003年5月末のダイヤ改正にて南海本線に1003Fと1032F、1033Fが転属。2005年10月の高野線改正で1032×2がリターン。
後々、狭幅車は全て高野線に移動し、保安装置及び機器更新における車両不足を補うために、更に広幅車である1004Fも移籍した。
ちなみに1001FはなんばパークスPRラッピング、1002FがIC乗車券の広告ラッピングを纏っていることがあった。 (平成4年)
1002F(1次車) 美容専門学校のPR車輌。 ラッピングは1000系の6連口限定で施されていた。 広告契約期間が満了し、この後Minapitaラッピングに貼り替えられ、 現在は標準色となっている | 1004F 新製より長きにわたって南海線所属であったが、 高野線での車両不足を補うために移籍した。 |
南海2000系
言わずと知れた高野山のヌシ。従来の車輌とは一線を画したデザイン&スタイリング。
17M2扉車体の全電動車。南海初のVVVFインバータ制御、いかなる条件でも安定した制動性能を得る為の鋳鉄製ブレーキシュー(先頭車のみ)
電気機関車の重連を思わせる地響きと轟音。それでありながら車内の静粛性と乗り心地はなかなかのもの。
製造時期により車体や車内アコモが細かく変更されているのも特徴と言えよう。4連車と2連車があり、フレキシブルな増解結で4連〜8連を組成する。(平成2年)
南海2300系
元来は、山線ワンマン化に際して、保安の上で2連での運行ができない2000系を補完する為に登場した車系。
山線の合理化を見込んで、2000系を1Mワンマン対応化したような車両になるところに、高野山の世界遺産登録と創業120周年という要素が合わさって、
このようなデラックス車両になってしまった。赤い顔と大きな窓とグレードの高い車内を持つ。
その車内アコモとして特筆されるのは赤い2+1列の転換クロスシートが特徴。屋根上に備わった2基の集約分散式冷房装置と共に、
JR西日本の車両に採用された部品とよく似ている。
2005年10月のダイヤ改正より、橋本以南の区間においてワンマン運転が開始され、専属車両となったため
橋本以北へは入場回送や臨時列車以外で入線することはなくなってしまった(平成17年)
南海11000系それまで「H特急」と呼ばれていたなんば−橋本間のビジネス特急を「りんかん」の愛称と共に再出発させる時に登場した系列。
高野線の特急専用車としては始めてと思われる20M車体を持つ。平坦線、準山岳線用だが、全電動車の強力組成。
◆車体色等々に関して…登場時は本線特急「サザン」と同様のCI色・シルバーメタリックで登場したが、31000系登場時に旧南海色と取れる「こうや」色にお色直しされたのは周知の通り。
同時に30000系列と併結出来るように機器も改修されている。(平成4年)
南海30000系
高野山方面への特急「こうや」、そして橋本までのビジネス特急「りんかん」として運用される。モータは21000系等とは異なり、
平坦線用車輌と同等の物を使用している。31000系登場に伴い、併結運用をこなせるようにスカートを欠いて連結器等を装備した。
同時にリニューアル工事も実施されている。(昭和58年)
南海31000系
高野線特急の冬季運休を解消するためにに誕生。併結運用時の利便性を考慮した貫通型前面を持つ。モータは7100系の発生品、制御器はズームカーの物…と発生品を巧みに使用している 。
この系列の誕生により「りんかん」の8連運用が開始された。 (平成11年)
南海コ11/21形
電車で極楽橋まで辿りついたら今度はケーブルカーの出番。568.2‰に果敢に挑む。1521系無き今、営業車で日立製作所製の車輌はこの車両のみとなった。 (昭和39年)
※ 6000系の3→4連化における組み替えによる需給関係か、なんば方先頭がcT、高野山方先頭がMcという変則2連が存在する。
水間鉄道の電車に進む
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