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作り損ねた国々
 

  アトランティス、大カプリ   ニューアトランティス   アバロニア、タルガ   ローズ島   
  ミネルバ共和国   アバコ   アゾレス諸島    
 「俺も独立国を作って国家元首になりたい!」と思ったら、どうしたらいいでしょう?
基本的に、どこかの国が領土の一部(または全部)に対する領有権を放棄してくれて、そこで独立宣言をすればいい。植民地はそうやって独立したのですが、見 ず知らずの外国人に頼まれて、領土を放棄してくれる奇特な国があるとは思えません。一九世紀ならロシアがアメリカへアラスカを売却したように、金で領土を 売買することもよくありましたが、今の時代ではまず無理。

もう一つの方法として、まだどこの国にもなっていない土地(無主の地)を捜してそこに住み、領有宣言をすればいい。ただし南極は、南極 条約で領土主権、請求権の凍結が取り決められているからダメ。19世紀までは それに近いことをやった人 もいましたが、宇宙ロケットやら偵察衛星が飛び回っている現代に、どこの国にも発見 されていなかった無人島が存在するとも思えない。

ならばいっそのこと、公海上に自分で新しい島を作って独立宣言をしてみたら・・・そう考えて実践してみた人たちがいます。


アトランティス(黄金島) サンゴ礁を破壊してはいけません

アトランティス大陸といえば今を去ること1万年以上も前に世界最大の繁栄を誇り、一昼夜でブクブクと海に沈んでしまったという伝説の国 だが、ここで言うアトランティスとは、それとはまったく関係なくフロリダの沖合に出現した人工島。もっとも、最 後にはブクブクと海に沈んでしまった運命は同じです。

フロリダ沖の暗礁に人工島を作って独立国にしようと考えたのはウィリアムT.アンダーソンという人で、1962年にマリーナやダイビン グ、釣り、カジノなどのレジャー施設を作る構想を発表したが、アトランティス・デベロープメントという会社が権利を取得。フロリダ州や内務省に法律に関す る問い合わせたところ、「アメリカの領海外のことは管轄外」という回答を得たので、とりあえず5万ドルをかけて暗礁に調査用のプレハブ建築物を4つ建てた (うち3つは翌年のハリケーンで倒壊)。

アトランティス・デベロープメント社では、面積8ヘクタールの人工島を建設して、アトランティスもしくは黄金島という独立国を作り、リ ゾートやカジノに加えて、オフショアの金融センターを開設する計画で、浚渫工事を始めたが、アメリカ政府から「珊瑚礁に回復不能な損傷を与え環境を破壊し た」と工事差し止めの訴訟を起こされ、さらに米軍からも航行の障害になるとクレームがついた。結局、司法では1953年に成立した大陸棚外土地法 (OCSLA)によって、州の海域の大陸棚(沿岸3マイル)の外側の海底については連邦政府の管轄権が確立されているとして、工事差し止めを認める判決を 下したため、工事は中断。やがて建築物はすべて海中に没してアトランティス計画は泡と化した。

大カプリ共和国 アトランティスのライバルを目指したが・・・

アトランティス建国計画に対抗して、ルイス・レイが率いるAcme Contractors Incという会社が人工島を作って建設しようとした国。珊瑚礁に600m×150mの島を築く予定だったが、やはりアメリカ政府に訴えられて着工前に頓挫 した。

ニューアトランティス カリブ海の藻屑と消えた竹造りの国

アーネスト・ヘミングウェイといえば、代表作『老人と海』で有名なアメリカの小説家で、1961年に亡くなったが、その弟レスター・ヘ ミングウェイも作家で、61年に『兄ヘミングウェイ』という本を書き、ベストセラーになった。レスターがその印税でジャマイカの沖合6マイル(9・ 7km)のカリブ海に人工島を作り、1964年7月4日に独立を宣言したのがニューアトランティスという国だ。

この人工島はブロックと竹のやぐらの上に鉄道の客車を載せたもので、面積は8フィート(2・4m)×30フィート(9・1m)ほど。レ スターがニューアトランティスを「建国」したのは、ここを彼が率いるNGO・国際海兵隊員の本部にするためで、海洋についての調査研究やジャマイカでの水 族館建設、漁業資源の保護を目指し、資金を集めるために切手も発行した。

ニューアトランティスの国民は、当初レスターとその家族など6人だったが、その後国民を増やして65年に大統領選挙を実施し、レスター が大統領に当選した。レスターはアメリカのジョンソン大統領にニューアトランティスで発行した切手を送ったところ、返事が来たので「わが国がアメリカに承 認された」と喜んだ。もっとも国民たちは人工島に住んでいたわけではなく、ニューアトランティスはたびたびメキシコ人の漁民に占拠され、人工島は間もなく 嵐で倒壊してしまったらしい。


アバロニア 鮑と伊勢海老の水産立国 

カリフォルニア南部のコルテス海で1969年に、とある会社が作ろうとして失敗した独立国。サンディエゴの沖合110マイル(約 180km)の珊瑚礁に、コンクリートを積んだ全長100メートル弱の貨物船2隻(もともと第二次世界大戦の時に使われた軍の輸送船だったらしい)を沈 め、ここを「アバロニア」という独立国家の領土として独立を宣言しようとしたが、荒波のために予定より水深の深い場所で船が沈んでしまい失敗した。

アバロニアは一体どんな国家を目指していたかと言うと、アワビと伊勢海老(ロブスター)の輸出による水産立国だった。コルテス海にはアワビや伊勢海老がたくさん生息しているので、その海の真ん中に独立国 を作って領海も宣言し、周辺一帯のアワビや伊勢海老を独占。さらにダイバーをたくさん「国民」として雇ってそれらを捕り、いかなる国の税金もかからない水 産加工工場を作る計画だったようだ。そういえば、アワビは英語でアバロンだから、アバロニアとは「アワビの 国」という意味ですね(笑)

結局、船は深い海の底に沈んでしまうし、乗組員からも犠牲者が出るしで、アバロニア独立を計画していた某水産会社は多額の負債を抱えて 散々な目に遭ったうえ、アメリカ政府からも「コルテス海の大陸棚は1966年11月にアメリカの外洋の大陸棚と宣言済みだ」と訴えられそうになった。泣 きっ面に蜂とはこのことだが、結局アメリカ政府はこの会社が再びコルテス海に独立国を作ろうと目論まないことを条件に、訴訟を起こさないことにした。

タルガ 4つの島からなるリゾート天国

これもある会社がカリフォルニア南部のコルテス海に作ろうとしたが、立ち消えになった国。やはり人工島なのだが、こちらの計画ではメキ シコから船で岩を運んで珊瑚礁に積み上げ、長方形の岸壁を作ってそのなかに周囲の海底を浚渫して集めた泥を入れ、面積8ヘクタールの「オーロラ島」を作 り、これをタルガ国の首都とする。さらに近くに(1)リゾート地のトリアンナ島、(2)自由貿易都市のボナベンチュラ島、(3)農園のビラ・デ・パセ島を 順次建設して、4つの島を橋で結んで「Taluga-Isla Nova De Edward Mario De Sarro」という名で総称させる予定だった。総工費は1300万ドル以上、オーロラ島の建設に2年、4つの島すべての完成に14年を見積もっていた。

着工に先立って、タルガの弁護士がアメリカ政府へ手紙を送り、「島の建設工事に対するいかなる干渉も、侵害にあたる」と通告したが、逆 にアメリカ政府から「コルテス海の大陸棚は1966年11月にアメリカの外洋の大陸棚だと宣言済みであり、許可なきいかなる工事も違法である」と警告され て、着工を断念。計画は沙汰闇になった。
 
ローズ島 自由な利用が自由な利用を妨げる・・・と爆破された国

イタリアといえば、国内に バチカン市国サンマリノ共和国 と言うミニ国家を抱えた国だが、サンマリノの入口にあたる港町・リミニの沖合11kmの海上 に出現したのが、ローズ島なる国。この国はジョルジオ・ローザというイタリア人が領海外300メートルの地点にある浅瀬に作った人工島で、面積400平方 メートル。ローザは1964年から島を作り始め、翌年嵐で失敗したものの、再度奮起して島を完成。1968年6月24日にローズ島として独立を宣言し、 ローザが大統領に就任して5人の大臣を任命した。国名の由来はローザさんが作ったからローズ島なのではなく、「海上の花園」を目指して命名したのだとか。 そのため制定された国旗には薔薇が描かれていた。

ロー ズ島には売店とレストランがあり、カジノを作る構想もあった(※)。また郵便局を作ってオリジナルの切手を販売し、法定通貨を「ミル」と決めたが、紙幣や コインの発行までは至らなかった。ローズ島の公用語はエスペラント語で、正式名称は「インス ロ・デ・ラ・ロジョ」ということだが、果たして「国内」でどれだけエスペラント語が使われていたのかは不明。ただし切手はエスペラント語で表記されてい た。島にはローザ大統領や大臣たちは居住せず、ピエトロ・ベマルディニという人が島を1年間賃借してたった1人で住んでいたという。

※「ナイトクラブも作った」という話もあるが、島で夜通し騒いでいたためそう思わ れただけらしい。また大きなアンテナを立てたため「海賊放送局を作った」との噂も流れた。
公海上とはいえ自国の目と鼻の先に出現した「独立国」を、イタリア政府は「カジノで稼いだ金を脱税しようというつもりだ」と決めつけ、独立宣言とともに警 察のボートを島の周りに配置して「海上封鎖」を実施、55日後にはイタリアの武装警官と税務調査官が上陸して占拠した。ローザ大統領はイタリアによる「軍 事侵略と主権侵害」を非難するとともに、「イタリア政府は公海の利用の自由を定めたジュネーブ公海条約に批准しており、公海での利用は自由なはず」と主張 したが、イタリア政府は「公海上に構造物を作ることによって、他者の自由な利用を妨げている」と反論。結局イタリアの最高裁は人工島の取り壊しを命じる判 決を下し、1969年にイタリア海軍によって島は爆破された。

島を失ったローザ大統領は大損失だろうと思いきや、独立とともに島の所有権を謎の財団に 1億リラで売却していたらしい。その後、ローザ大統領は国名をローズ島共和国(エスペラント語で「レスプビリコ・インスロ・ロジョ」)と変 えて亡命政府(?)を作り、切手を販売し続けた。ローズ島の残骸は、1990年頃までリミニ 沖合に残っていたとか。


ローズ島の旗

番外:シーランド公国 

イギリスの北海沖合の人工島で1967年に建国。ここはまだ存在しているので「作り損ねた国」ではありませんね。詳しくは こちら を見てください。




ミネルバ共和国 誰も使っていない南太平洋の岩礁に目を付けた企業活動の理想郷

トンガの地図

い くら領海外といっても、先進国(特にアメリカ)の大陸棚に人工島を作ったところで、既存の国家権力が管轄権を言い出してウルサイ・・・ということで、それ なら弱小国の岸から遠く離れた岩礁を乗っ取ってしまえばいい!という発想で作られた国が 1972年に独立を宣言したミネルバ共和国だった。

ミネルバはトンガの東南400kmほどにある南北2つの岩礁で、いずれも高さは1〜2メートル。中央部は礁湖で満潮になると大部分が海 面下に没するという場所。そのためここで座礁する船は数知れず、1829年に座礁した捕鯨船の名前からミネルバと命名された。たまにトンガ人の漁民が訪れ るほかは利用されていなかったが、1960年には日本の漁船が座礁し(乗組員は仲間の漁船が救助)、62年にトンガからニュージーランドへ向かうボクサー たちを乗せたトゥアイカエパウ号が座礁。この時は乗員乗客17人が3ヵ月にわたって岩礁に取り残され、結局筏を組んで1週間がかりでフィジーへ脱出したと いう。

さて、ここに独立国を築こうとしたのは、「あらゆる国家権力からの干渉を排した自由な企業活動のユートピア作り」を目指したリトアニア 生まれのユダヤ系アメリカ人マイケル・オリバー(※)率いるフェニックス財団(もしくは Ocean Life Research財団)で、1971年8月に上陸。フィジーから運び込んだ土で、常時海面上に顔を出す160ヘクタールの土地を確保するべく工事を始め た。

※後に年老いたマイケル・オリバーが語ったところによると、オリバーはかつてナチ スの強制収容所でファシズムの恐ろしさを実体験したが、移住したアメリカも結局は「自由主義」という名のファシズムであり、政府が人間の生活のあらゆる面 に干渉しようとしていることを実感。そのため政府に干渉されないユートピアの建設を決意した・・・とか。
そして1972年1月19日にミネルバ共和国の独立を宣言した。独立声明によれば、ミネルバ共和国の成立は、高額の税金や暴動、ドラッグ、および犯罪から 逃がれるための新天地を探し求めた結果であるとともに、世界的な人口増加に対処すべく海洋における生態的均衡や環境保全、および研究を促進する存在にな る・・・と高尚な意義を謳っていた。また具体的な施政方針としては、あらゆる商業活動に対する政府の干渉を一切排し、所得税や関税もなければ、福祉や対外 援助もないという国家を目指すが、ミネルバ共和国を拠点に経済活動をしようという個人は年間1人当たり50〜100ドル、企業は150〜500ドルの負担 金を自発的に払えば、司法サービスを受けられる(払わなければ受けられない)という仕組みで、タックスヘイブン(租税回避地)や商品の原産地表示地の法的 な ベースとしての利用を呼びかけた。

ミネルバ共和国をタックスヘイブンなどで利用しようと言う「国民」の大部分は、実際にはミネルバに住むことはないと思われたが、同時に ミ ネルバ共和国ではマリンスポーツや釣りなどの観光、さらに軽工業の誘致も目指していて、それらで働くトンガ人やフィジー人の外国人労働者を居住させる予定 で、警察の設置が準備された。また記念切手やコインも発行され、2月にはモリスC.デイビスを大統領に選出した。

ミネルバの地図。南 の岩礁には日本の難破船も
ミネル バ共和国では、世界中の国々に国家としての承認を求めて親書を送ったが、外交関係を結びましょうと返事が来 たのはたった1通で、東ティモールの飛び地・ オエクシ のスルタンからだった。しかもその 「スルタン」は偽者 で、ニュージーラン ドの切手マニアが架空の切手を作るために勝手に僭称しているだけだった。つまりはどこの国からも承認されなかったということ。承認はされなかったが、周辺 の国からは非常に目障りな存在だったわけで、フィジー、トンガ、ナウル、西サモアとクック諸島自治政府は、オーストラリアやニュージーランドと対応を協議 した結果、トンガの漁師がミネルバの岩礁を利用したことがあるという「実績」を根拠に、トンガが領有権を主張したらどうだ?ということになった。

デイビス大統領
こうして6月に、トンガの軍人数人と囚人20人 を乗せた船がミネルバに上陸し、ミネルバの国旗を引きずりおろして一時占拠した。デイビ ス大統領はさっそくトンガで王様との会見を求めて拒否されたが、王様も自らヨットに乗って、ミネルバ上陸の様子を見物していたらしい。トンガ人が引き揚げ た後、7月には本音ではミネルバの領有権を主張したかったフィジー軍が占領するというアクシデントが起きたが、7月15日にトンガ政府が正式にミネルバ岩 礁の領有権を宣言して、フィジーもこれを承認した。 

ミネルバ共和国側はトンガが何世紀もの間、岩礁を放置してきたことを批判して「これまでの20万ドルの投資がパーになる」と国連に提訴 する構えも見せていたが、結局それもできず、翌年には財団によってデイビス大統領は「クビ」になってしまった。1982年にデイビス元大統領に率いられた アメリカ人グループが再びミネルバ岩礁を占拠する事件が起きたが、3週間後にトンガ軍によって追い払われている(※)。

※その後、2003年になってミネルバ共和国の後継者と自称するグループがアメリ カに出現。ミネルバ公国と改称して亡命政府を作り、リーダーのカルバン王子は台湾政府を訪問 するなどの「外交活動」を行っているが、フェニックス財団とは直接関係ないようだ。一方、ミネルバ岩礁を巡っては、フィジーが再び領有権を主張して 2005年に国連海洋機構へ提訴。トンガが反論すれば、ミネルバ公国も提訴したりで未だにゴタゴタが続いている。



ミネルバ共和国の旗

ミネルバ共和国硬貨の販売(?)広告  PDFファイル(英語)
Principality of Minerva  自称「ミネルバ公国亡命政府の公式サイト」ですが、いつの間に共和国から公国になったの?(英語)




アバコ 独立反対!の白人に金と武器を渡して始めた独立運動

バハマの地図

無人の岩礁を占拠したところで、周辺諸国がグルになってしまうと独立国を作るのは無理。それなら発想を転換して、住民がいる島で独立運動を起こせば、正々堂々と独立国が作れるぞ!というわけで、ミネルバ共和国で失敗 したマイケル・オリバー率いるフェニックス財団が介入したのがバハマからのアバコ独立運動だった。

バハマはマイアミの沖合にある国で、約700の島々で構成されているが、アバコ島はその中でもアメリカ寄りに位置する人口1万人足らず の島。バハマはもともとイギリス植民地で1973年7月に独立したが、住民のうち85%は黒人で、15%が白人という構成。アバコ島に住む白人(イギリス 人の子孫)たちの間では、大英帝国に対する帰属感と黒人主導の政府に対する不安から、バハマ独立に反対する声が広がり、イギリスの女王や国会へ「アバコ島 はイギリス植民地のまま残して欲しい」と嘆願書を送ったが拒否されていた。

そこで第二の アンギラ島 を目指せと、バハマからのアバコ島の分離独立を目指してAIM(アバコ独立運動)が結成されたが、これにマイケル・オリバーが目を付けた。バハマ独立1ヵ月前 にAIMへ資金援助することで手を結び、新聞を発行してアバコ島の分離独立を宣伝するとともに、民兵を組織。傭兵プロのチャック・ホール氏を指揮官に雇 い、アメリカのジョージア州で軍事訓練を行う計画を立てた。

こうしてバハマが独立すればアバコ島では分離独立を目指して武装蜂起する準備が進められていたが、直前になってチャック・ホールは日 和って逃亡。アバコ島の白人たちも本番前にエネルギーを使い果たしてしまったようで、アバコ島の独立計画は失敗に終わった。


アバコ島が独立したら使う予定だった旗




アゾレス諸島 革命反対!の白人が米軍基地を守れと独立運動

アゾレス諸島の地図

少数派の白人を煽ったところで独立国を作るのはしょせん無理。それならほとんどが白人の 島で独立運動を起こしてしまえと、マイケル・オリバー率いるフェニックス財団が次に目を付けたのが大西洋に浮かぶアゾレス諸島だった。

アゾレス島は15世紀にポルトガルが発見。当時は無人島だったがポルトガル人の入植が進み、ヨーロッパとアメリカとを結ぶ船の補給拠点 として発展し、第二次世界大戦後にはアメリカ軍の航空基地が建設された。

さて、イギリスやフランスの植民地が次々と独立する中で、ポルトガルは植民地の独立を一切認めず、 アンゴラモザンビーク 、ギニアビサウなどアフリカの各植民地では独立を求めるゲリラと果てしない戦争が続いていた。国 家予算の半分が軍事費につぎ込まれ、植民地からの撤退を進言した参謀総長や参謀次長は解任され、秘密警察が言論を取り締まる独裁政権のやり方に軍も国民も 嫌気が差し、1974年4月の無血クーデター(カーネーション革命)で左翼政権が誕生。国内の民主化や主要産業の国有化とともに植民地の独立が承認され た。

こうして75年までにアフリカの各植民地は次々と独立したのだが、それまで独立運動が起きていなかったアゾレス島でもアゾレス解放戦線(FLA)が登場し、ポルトガルからの独立を主張し始めた。最初は数人の若者グループ で、道端でゲリラ的に「FLA]と落書きする程度だったが、運動資金を求めるFLAにフェニックス財団が接触。FLAは75年春頃からビラを配布するなど して急速に勢力を拡大し、6月には数千人が暴動を起こして放送局や空港を占拠するまでになり、マディラ諸島とあわせて大西洋アゾレス共和国の樹立を宣言した。

アゾレス諸島の独立運動に参加したのは中産階級層や裕福な農民たちで、彼らは社会主義を掲げた左翼政権によって農地が国有化されてしま うことや、島の経済を支えていた米軍基地が撤去されてしまうことを恐れていた。アメリカもポルトガルがNATO(北大西洋条約機構)を脱退してソ連軍に基 地を提供する可能性を懸念していたため、CIAを通じてアゾレス独立派を支援していた。

結局、左翼政権は金融機関などを国有化しても農民の土地までは没収せず、「アゾレス独立運動はアメリカの陰謀だ」と非難しながらも、 NATOからは脱退しなかった。76年にはアゾレス諸島はマディラ諸島とともにポルトガルの自治地域となり、一定の自治権を得たことで独立運動は収束。ア メリカ政府も目的を達することができたが、フェニックス財団はといえば、何の成果も挙げることができずに終わった。


FLAの旗。白頭の鷲(アメリカの象徴?)に守られるアゾレ ス諸島の9つの島々

その後・・・

土壇場になって白人を煽ったところでいきなり独立運動を起こすのはしょせん無理。それならも とから独立運動を起こしている先住民に資金援助して、傀儡国家を作ってしまえばいい!と懲りないフェニックス財団が次にターゲットとしたの が、英仏共同統治領ニューヘブリデス諸島、現在のバヌアツ共和国だった。ここでは1975年 末から80年にかけてナグリアメル連邦タ フェア国ベマラナ共和国など、南と北で同時多発的に独立運動が繰り返された のだが、その顛末は こちら を見てくださいね。

「あらゆる国家権力からの干渉を排した自由な企業活動のユートピアを建設する」というマイケル・オリバー氏の壮大な目標は未だ実現して いないのだが、とりあえずオリバー氏は南太平洋の楽園が気に入ってしまったようで、現在もバヌアツで元人食い人種の皆さんたちと仲良く暮らしていると か。。。。

なお、2000年には国家が崩壊状態のソマリアを舞台に、 フリードニア公国 称する「謎の国際組織」が傀儡国家を作ろうとしていたと騒ぎになったこともありました。
 
 

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