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健論時報
  2000年8月  


■動物保護を僭称する文化侵略を許してはならない
 国際捕鯨委員会(IWC)年次総会、開催される(7月3日)
 報道によると、3日午前、国際捕鯨取締条約(ICRW)に基づいて設置されている国際捕鯨委員会(IWC)の第52回年次総会が、オーストラリア・南オーストラリア州州都のアデレードで開会した(35ヶ国参加)。「食文化の尊重と資源の有効利用」を訴える我が国等捕鯨国と、「クジラは保護されるべき動物」とする米英豪等反捕鯨国が対立しており、7年前に制定された「改訂管理制度(Revised Management System, RMS)」の改訂を巡って駆引きが行われる。大会の冒頭、我が国政府代表は、昨年12月、適法に操業中の我が国調査捕鯨母船「日新丸」(7575総トン)に対して過激派環境保護団体「 グリーンピース 」がその所有船「アークティック・サンライズ」号を使って暴力的妨害行為を行い、母船に追突する過激な阻止行為に出たことを指摘。同団体の参与(オブザーバー)資格剥奪を求め、ノルウェー・カリブ海諸国が賛成したが、アメリカ、ニュージーランド等の反捕鯨国が「有罪が立証されるまでは無罪と推定する」等として反対し却下された。大会で南太平洋禁猟区(「サンクチュアリ」=聖域化)設定を提案している(その後、総会で否決)オーストラリアのヒル環境大臣は、開会挨拶で「この会議には自然環境を守り、管理する責任が課せられている。世界の海洋生物は人類による過剰な利用で深刻な局面に直面している」「絶滅を免れた種については、ニ回目のチャンスを与えられるべきだ」と演説し、資源の回復状況に関係無く捕鯨反対の立場を続けることを明らかにしたという。
 元来、鯨類資源の持続的利用を目的としたIWCが「反捕鯨国の牙城」に変質して久しいが、近年では、反捕鯨国の提出する政治的意図を持った仮説に対して、我が国調査捕鯨船団がサンプリングした科学的データを以って辛抱づよく反論しているため、一時期に比べて「反捕鯨」の傾向は弱まっているという。もっとも、依然として米英豪などの反捕鯨国(及び、米英らが多数派工作のために加入された第三国)が多数を占めており、議決は我が国に常に不利になっている。「高等動物であるクジラがかわいそう」といった主張を繰り返している反捕鯨国・団体は、我が国の国際捕鯨取締条約第8条第1項に基づく調査捕鯨(及び、8条2項に基づく捕獲鯨類の加工・販売)にも強硬に反対しており、現地(豪州)では日本の調査捕鯨反対を訴えるテレビCM(捕鯨漁師がクジラの標的に対して重機関銃を乱射する、というもの)まで流されている。
 しかし、こうした反捕鯨国の主張が極めて不当であることは言うまでも無い。ヒル豪環境大臣の発言でも明らかなように、我が国の科学的証拠によって鯨類資源の回復が証明され、「資源の枯渇、絶滅の危険」を論拠としていた反捕鯨国の主張が崩壊した昨今、彼らは「資源の回復に関係無く、とにかく禁止」というイデオロギッシュな反対論を唱えるばかりであり、対話可能性を失った観すらある。反捕鯨国の(特に我が国に対する)反対キャンペーンが大きな矛盾と錯誤に満ちていることは、①伝統的に捕鯨を行ってきた沿岸少数民族の捕鯨を認めていること、②我の商業捕鯨はクジラ全体を利用する効率的なものだったのに対して、資源枯渇の張本人である彼は鯨油獲得のみに奔走して肉類を利用せず、徒に個体数の減少に貢献していたこと、③我の捕鯨を倫理的に批判しておきながら、彼自身の肉食(陸上動物、魚類を問わず)については何等の反省も示していないことから既に明らかであり、これほど一見明白な、わかりやすすぎる文化侵略はあまり例があるまい。肉牛など食用を第一としているならともかく、例えば牧畜や住居に対する影響を防ぐためという理由でカンガルーの射殺を定期的に行っているオーストラリアに、果たして調査捕鯨に反対する倫理的資格があるのであろうか。「自然環境を守り、管理する責任」を云々できたものではあるまい。
 これらの誤謬と偏見に満ちた反捕鯨国の主張に対して、我が国は、国際会議でこれらの動物保護を僭称する偽善的な主張を徹底的に論破するとともに、欧米メディアに好意的な扱いをしてもられるように(あるいは、みずから情報発信力をつけるように)努力しなければならない。

■選挙管理内閣の任期延長だ
 第2次森内閣、発足(7月4日)
 報道によると、4日、特別国会での首班指名選挙を受けて、自民・公明・保守の与党三党による第2次森義朗内閣が発足。また、衆議院では議長・副議長選挙が行われ、議長には綿貫民輔氏(自由民主党)が、副議長には渡部恒三氏(無所属の会)が指名された。閣僚人事では、宮沢喜一大蔵大臣、河野洋平外務大臣、堺屋太一経済企画庁長官らが再任。公明党からは引き続き続 訓弘総務庁長官が入閣したが、保守党の二階俊博運輸大臣は扇 千景同党党首と交代し、扇党首は建設大臣・国土庁長官となった。
 今回の組閣では、2001年1月の中央省庁再編に伴い年末に内閣改造が予定されていることから、短命の「つなぎ」内閣との評価が為されているが、残念ながらその感を拭えない閣僚人事であった。森首相初の「自前」の内閣だったとはいえ、外務・大蔵・経済企画の主要閣僚は小渕内閣時代のままだし、公明党との兼ね合いから続総務庁長官も「自前」ではない。しかも、同党の創価学会との関係から「法務、自治、文部」の宗教法人関係閣僚のポストを遠慮した公明党は今回、法務・外務・厚生・沖縄開発・環境の総括政務次官を得ており、「名を捨てて実をとった」形になっている。「つなぎ」ぶりを最もよく表わしていたのが扇保守党党首の建設大臣就任で、当初文部大臣と伝えられていた扇氏の処遇は労働大臣などに転々としたあと、最終的には中尾元建設大臣の収賄事件ですっかり人気の無くなった建設大臣を押し付けられた格好だ。本人も不満を漏らしており、適材適所とは言い難い人事だったのではないだろうか。結局、この第2次森内閣も、今年夏の九州沖縄サミットと来年夏の参議院選挙までの、期間の長い「選挙管理内閣」あるいは「つなぎ内閣」になったのではないだろうか。

■改革派保守の結集を望む
 「21世紀クラブ」、会派届を提出(7月5日)
 報道によると、第42回衆議院総選挙で自民党公認が得られず無所属で立候補し当選した議員ら9人(後に10人)が、院内会派「21世紀クラブ」を結成し会派届を提出した。今後、同会議員は自民党への復党を視野に入れ「閣外協力」をしていくことになるという。これらの議員および無所属の中村喜四郎元建設大臣、藤波孝雄元官房長官らを加えると、自民党は単独過半数(241議席)を回復することになる。
 「21世紀クラブ」を結成した各議員は「自公保」連立の選挙協力でワリを食った人々なのだが、森田健作氏を含めて、何故今になってまた自民党への復党を希望するのかわからない。無論、支持基盤となっている県議会、市議会との兼ね合いもあるのだろうが、この際、改革派保守として自由党へ合流してはどうだろうか(そうすると、自由党は公明党を抜いて比較第3党となる)。

■「手続適正」に名を借りた二重基準を許してはならない
 国際捕鯨委員会第52回総会、閉会(7月6日)
 報道によると、オーストラリア・アデレード市で開催されていた国際捕鯨委員会(IWC)の第52回年次総会は6日、2002年の総会開催地を日本の山口県下関市に決定して閉会した。今回の総会では、我が国等が提案した商業捕鯨再開(沿岸捕鯨)の要求が13年連続で否決され、IWCが感情的捕鯨反対国に支配されている状況を打破することは出来なかったが、その一方で、我が国の条約に基づく調査捕鯨を事実上停止に追い込む「南太平洋クジラ聖域(サンクチュアリ)案」も日本、中国(はじめて反対)を含む反対多数で否決され、捕鯨国への支持がわずかに広がった。同委員会のギャンベル事務局長は、「IWCが商業捕鯨解禁へ向けた動きにある」との考えを示したという。
 ところで、報道によれば、一部の環境保護団体は、南太平洋サンクチュアリ決議案の採択に際して、我が国が政府開発援助等を武器にドミニカ共和国等に圧力をかけ、「票を買った」と非難しているという。全く以って説得力を欠く感情的な批判と言わなければなるまい。現に、日本代表関係者の談話にもあるように、今回の決議案では我が国から多額の経済支援を受けている発展途上諸国の中にも反対票を投じた国があった。付言すれば、かつて商業捕鯨禁止を目指して米英ら反捕鯨国は、経済・政治上の協力を対価にそれまで捕鯨とは縁も縁も無かった第3国をIWCに加盟させ、反対票を水増ししていたが、こうした行為に対して環境保護団体から抗議があったという話は聞いたことが無い。今回の一連の批判が「手続適正」に名を借りた二重基準に基づくものであると断言できる所以である。

■不安定な「核の時代」を見据えるべきだ
 アメリカ国防総省、NMDミサイル実権に失敗(7月9日)
 報道によると、米東部時間の8日未明日本時間8日昼に実施した国家ミサイル防衛National Missile Defenseシステムの通算三回目となる迎撃実験に失敗したという。今回の迎撃実験では、カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地から発射された実験用の「ミニットマンⅡ」型大陸間弾道弾(ICBM)を、約7000キロ離れた南太平洋のクェゼリン島から発射された迎撃ミサイルで迎撃するというもので、ミサイルの二段目の推進装置の切り離しができず、標的の弾頭を攻撃する撃墜体(KV、Killer Vehicle)が出なかったために失敗した。実験の失敗で、今年秋に予定されている2005年配備計画の決定にも影響が出るという。
 とはいえ、今回の実験は、なるほど「国防総省に大きな衝撃」(『朝日新聞』7月9日付け朝刊)を与えたかもしれないが、NMDの本質的な失敗ではない。そもそも、弾道ミサイル防衛(BMD、Ballistic Missile Defense)計画の一つを構成するNMDは、米ソ東西冷戦時代の戦略防衛構想(SDI、Strategic Defense Initiative)に由来するものであり、G・ブッシュ政権の「限定的攻撃に対する全地球的防衛」(GPALS)に継承され今日に至っている(詳細は、本誌 1998年10月号「戦域ミサイル防衛」 参照)。その本質は、爆薬ではなく物理的力により弾道弾を直接破壊する技術であり、つまりは如何にKVをミサイルにぶつけられるかというところにある。その点、今回の実験失敗は、あくまでミサイル第二段の切り離し(切り離し信号の受信)のところでおきたものであって、NMDの根本的失敗とは言い難いのである。加えて、アメリカの軍事技術力と20年以上に及ぶ研究の資産を以ってすれば、はじめの数回の失敗は避けられないにしても、最終的には開発に成功することは疑い無い(かつて、一体誰が人類が月面に降り立つと予想したであろうか)。現在指摘されている「おとり弾頭の識別方法」も、やがては確立されるであろう。
 今回の実験失敗を受けて、NMDに反対するロシア、中国は一層中止圧力を増しているという。中露が中止圧力をかけるのは、自国にNMDと同種のシステムを開発する能力が無く(TMDレベルでは、ロシアがS-300V地対空ミサイルを開発したが)、このままでは、アメリカは本土に対する核攻撃を防御できる一方、中露両国はその本土に一方的に核攻撃を受ける立場になり、「恐怖の均衡」が崩れるかもしれないという懸念があるためである。しかし、冷戦終結後大量破壊兵器の流出が続き、技術の向上と相俟って、一定程度の工業基盤を持つ国であれば、今後は(アメリカの銃社会の如く)「(潜在的に)誰でも核を持てる国際社会」が誕生する可能性は高く、特に核拡散防止条約(NPT)非加盟国においてしかりである。その代表例が北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)だが(一片の南北首脳会談で北朝鮮の能力を低く見積もるのは禁物である)、北朝鮮の場合、アメリカに1発でも核ミサイルを落とすことが出来れば、高度に工業化・都市化し民主政体をとるアメリカには甚大な損害を与えることが出来る一方で、アメリカの場合、世論の目もあって先制核攻撃は出来ない上に、農業国で相対的に貧しく独裁体制をとる北朝鮮に1発の核ミサイルを打ちこんでみても、その被害は相対的には少なくて済む。ここに、中小核保有国に対する核抑止力の不均衡が存在するのであり、故にアメリカが在外米軍部隊と同盟国を守るTMDや本土を守るNMDを開発しているわけである(現に、米共和党のブッシュ次期大統領候補は、NMDよりも更に雄大なミサイル防衛構想を提唱している)。「核使用の敷居」が相対的に低くなった今日、こうした「中小国の核兵器」にどのように対処するのかの解決策を提示しない限り、中露(及び、NMDに反対の姿勢をとる過激派NGO「グリーンピース」や『朝日新聞』)の単純な「軍拡助長論」的NMD批判は、無責任の謗りを免れない(この兵器の重要性を考えれば、「実験費用約105億円が無駄になった」等という批判は到底正当とは言い難い)。

■公務員も必要な分野は増員すべき
 政府、国家公務員の定員削減計画を閣議決定(7月18日)
 報道によると、18日午前に開かれた閣議において、政府は、来年1月の中央省庁再編後の国家公務員定員について、10年間にわたる削減計画を定めた。同計画は平成23年3月までに、現行定員84万691人から「25%の純減を目指し最大限努力する」と明記しており、前半の5年間については新規増員を除き5.13%、4万3130人を削減する(独立行政法人移行分も含む)。この他、郵政事業公社化によって約30万人が削減される。
 なるほど、確かに中央省庁再編に伴い省庁の数が減った結果、公務員定員もまた削減されるのは時代の流れなのかもしれない。中央省庁改革基本法でも、10年間で10%の削減が謳われており、今回の削減計画はそれを一層進めるものである。しかし、もしこの定員削減が、行政の効率化やスリム化と無関係に目的を誤った「削減のための削減」として強行されるのであれば、それは厳しく批判されなければなるまい。
 今回の計画で削減割合が最も多いのは農林水産省の10.2%(4275人)であり、次いで外務省の6%316人)、経済産業省(旧通商産業省、旧経済企画庁)の6%740人)となっている。また、削減数では、総務省(旧総務庁、旧自治省、旧郵政省)の1万5541人(5.1%)が最も多く、次いで文部科学省(旧文部省、旧科学技術庁)の5766人(4.1%)、農林水産省4275人、国土交通省(旧運輸省、旧建設省、旧国土庁)約3700人・高度経済成長時代を経た21世紀の新たな行政のあり方(地方分権、規制緩和等)を考えれば、農林水産省や経済産業省といった「経済官庁」がその定員を厳しく削減されるのも当然であろう。
 しかし、例えば、「小さな政府」であろうと「大きな政府」であろうと、「国の外交を司る」という任務は決して変わることの無い外務省の定数が、何故6%も減らさなければならいのだろうか。1997版『行政機構図』(総務庁行政管理局発行)によれば、外務省の定員は僅か5005人(人事院編『公務員白書』平成10年度版によれば、35人減って4970人)であり(但し、在外公館に3054人が配置されているが、この中には各省出向者や防衛駐在官も含まれている)、大蔵省国際金融局(142人)、文部省学術国際局(137人)、農林水産省経済局国際部(128人)、通商産業省通商政策局(240人)・貿易局(376人)を加えても6028人に過ぎない。特殊法人や外郭団体等もあって単純な比較は出来ないが、これに対して、例えばアメリカ国務省は1万5605人(1998年9月30日現在)の職員を抱えており(他に通商代表部の職員もいる)、我が国の世界に占める外交的重要性を考えれば我が国の外交官数がなお不足していることは明らかであろう。一般職ではないが(今回の計画には含まれていない)、先の「新防衛計画の大綱」では、我が国防衛兵力の戦後史的経緯を考えず(元来、「基盤的防衛力構想」の下で我が国自衛隊兵力は冷戦時代にあっても低水準で推移しており、大規模な軍事力を持っていた欧州諸国や米ロ両国の「戦後軍縮」とは事情が異なったはずである)、「スリム化・コンパクト化」の美名の下「別表」の削減が行われ、一方で部隊の近代化(陸自で言えば機甲部隊、空中機動部隊の整備、海自で言えば水陸両用戦兵力、海上航空力の整備、空自で言えば空中給油機、長距離輸送機の整備)等は一向に進んでいない。結局、「はじめに削減ありき」の考え方で行われたことのツケが今、防衛庁・自衛隊に回ってきているのである。
 必要性が低下した経済官庁は大幅に減らす。一方で、「事後チェック」機能を果たすために必要な人員(例えば金融庁)や、政府が「大き」かろうと「小さ」かろうと重要な外交・国防を担当する外務省・防衛庁(その意味では、経済官庁は統合したり外庁に縮小する一方で、防衛庁は国防省に昇格させる必要もあろう)、(司法行政は最高裁の管轄で、これまた今回の削減計画とは直接は無関係だが)裁判所の裁判官や検事は増やすといった、当たり前の「是々非々」の態度こそが必要なのではないだろうか。

■米兵犯罪に感情的になる前に←NEW!
 クリントン米大統領、サミットの日米首脳会談で米兵不祥事を陳謝(7月22日)
 報道によると、九州沖縄サミットのため沖縄を訪問しているアメリカのクリントン大統領は22日、森義朗首相との首脳会談で米海兵による女子中学生準わいせつ事件に触れ、「兵士の犯罪については申し訳ないと思っている。フォーリー駐日大使や沖縄の米軍司令官も謝罪したが、私もお詫びしたい。(私にとっても)苦痛であり、恥ずかしく思っている」と述べ、陳謝したという。
 沖縄米軍基地問題では、既に決定した米海兵隊普天間飛行場の移設問題についても、移設条件として沖縄県が打ち出した「15年期限問題」でも「進展」は無く、度重なる米兵の犯罪を受けて、21日には、米空軍嘉手納空軍基地の周囲を2万7000人(主催者側発表)の「人間の鎖」で覆う抗議行動が行われた。そして、テレビの中で紹介される沖縄県民の多くは、米軍基地の整理・縮小・廃止を何度も訴えている。
 しかし、沖縄米軍基地問題は、正に「基地周辺住民の生活環境に配慮する」という原点に立ち戻って、その解決策を考える必要がある。沖縄振興策を論じる経済評論家が指摘するように、沖縄は我が国の他、中国、台湾、フィリピンといった東アジア地域諸国に近接しており、東アジア地域における中継点として絶好の地理的条件に恵まれているが、これは同時に、沖縄が軍事的にも又絶好の地理的条件に恵まれていることを意味している。日米安保体制の下でアジア地域における安定に貢献しようと欲する限り、沖縄は日米両軍にとって重要な位置を占めており、仮に日米が軍事力において対等であった(そして我が国が憲法上の制約を克服した)としたならば、沖縄にはもっと多くの自衛隊兵力が配備されていたことであろう。特に冷戦終結後、日米安保体制が対ソ対中防衛から「東アジアの平和と安定」の維持へと性格を変えた(「日米安保共同宣言」)ことからすれば、沖縄の軍事的重要性は増しこそすれ減ることはあるまい(米空軍三沢基地などは、冷戦が終結した今となっては返還の対象になってもよさそうなものだが、同基地には対レーダー攻撃を行うFー16戦闘機部隊が駐留しており、最近ではイラクの「飛行禁止地帯」監視任務に出動している)。かつて、フィリピンがスービック米海軍基地とクラーク米海軍基地の提供を廃止したとき、南シナ海における米海軍のプレゼンスが失われた結果、南沙諸島の領有権問題が一気に再噴出し、海賊も横行した。今、沖縄から米軍基地を撤去してしまえば、同様の緊張が台湾海峡や東シナ海・朝鮮半島地域で生まれるのであって、これは我が国やアメリカのみならずアジア諸国全体にとって好ましくない事態に他ならない。つまり、沖縄米軍基地の撤去を叫ぶことは、即ち日米安保体制の解消を、更には東アジア地域の不安定化容認を主張するのと同義であり、それは政府・国民の大多数としても到底受け入れ難い以上、結局基地周辺住民の生活環境は一向に改善されないのである。
 では、どのようにして沖縄米軍基地問題を解決すべきか。これについては、既に本誌1998年5月号「 普天間基地問題は原点に立ち戻れ 」で詳述しているが、要点のみかいつまんで説明すると、私は、地元住民は、政治的要求たる「日米安保の廃棄」(基地の前面撤去は日米安保実質廃棄を意味する)ではなく、一土地使用者としての米軍当局に周辺住民に迷惑をかけるような行為を止めるよう申し入れ、主張すべきであると考える。これは、ちょうど、迷惑行為を繰り返す高校生の被害を地元高校に訴えるのと同じことであり、極めて現実的な方策である(具体的には、飛行訓練の削減、緊急車両の横断等)。何故ならば、如何に周辺住民といえども、他人が自己の所有する土地で事業を行うことに対して口を挟む権利は無いのであって(例えば、あなたの隣家がパン屋をやろうがクリーニング屋をやろうが、お隣さんにしてみればあなたに文句を言える筋合いは無いのと同じである)、それが出来るのは、その事業によって周辺に具体的な被害が発生している場合に限られるべきだからである(それに、米軍基地は原子力発電所とは異なり事故で爆発したりしない)。また、米兵の犯罪行為にしても、無論犯罪それ自体は憎むべき行為ではあるが、それを以って東アジアにおける米軍のプレゼンスを全否定するような反応のし方は、長期的なリアリズムを欠く感情論ではないだろうか(3万人もの海兵が駐留していれば、さすがに数名が不祥事をおこすのは防げない)。

■問題を先送りしては国交は「正常化」しない←NEW!
 野中自民党幹事長、拉致問題・領土問題の棚上げを示唆(7月29日)
 報道によると、自由民主党の野中広務幹事長は27日、東京都内で行った講演の中で、対ロシア平和条約交渉、対北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)との国交正常化交渉について、「(北方領土問題や日本人拉致問題を棚上げして)前提を設けずに進めるべきだ」とする見解を表明したという。政権与党の重職を担う政治家として、極めて不見識な発言という他ない。
 そもそも、我が国とロシアとの間では、西暦2000年までに「平和条約を締結するよう全力を挙げる」とした橋本龍太郎首相、ボリス・エリツィンロシア大統領による1997年11月の「クラスノヤルスク合意」があり、事実、我が国外交当局はその実現に向けてこの3年間努力を重ねてきている。現在、プーチン大統領が政権の座についてロシア側は、国際的な合意である「クラスノヤルスク合意」を軽視し、またしても「領土問題の先送り」を求める姿勢を明らかにしているが、我が国としては9月に予定されているプーチン大統領の訪日で事態打開を図ろうとしている。前日のバンコクにおける日ロ外相会談でも、我が国の河野洋平外相が「領土問題の先送りは認められない」との基本姿勢をロシアのイワノフ外相に説明したばかりである。野中幹事長が予め「北方領土放棄」を外交政策として掲げ、国民的合意を獲得したのであればともかく、こんな大事なときに、ロシア側の主張に一方的に迎合するかの如き発言をするようでは、国益を擁護すべき政治家として失格であろう。
 北朝鮮に関しても同様である。一体、「拉致」と「国交」を切り離すこの政策に、国民のどれだけの賛同があるのであろうか。いや、そもそも、北朝鮮と国交を正常化し、友好善隣関係を樹立しようということに賛成の国民がどれだけいるのであろうか(私自身は、今後50年以内に南北朝鮮が韓国主導の下で統一されるであろうことを考えれば、「戦後補償」等と称して多額の賠償金を取られ、しかも友好関係を築いてみても何等利益の無い北朝鮮との国交正常化は有害・不要であると考えている)。最近の北朝鮮側の外交攻勢を見て「バスに乗り遅れるな」といった論調も聞かれるが、むしろこういう時こそ、一時の熱狂と情熱を排して、冷静かつ長期的な視野を持った外交を進めるべきではないのだろうか(そして、朝鮮半島情勢を冷静に見つめれば、そこには去年と変わらず、巨大な軍事力が蓄積され、不安定な状態が続いていることは明らかである)。かつて、同じように「バスに乗り遅れるな」との掛け声の下ナチス・ドイツとの三国軍事同盟を締結し、結果として我が国の名声と国力とをどん底まで落とした経験を忘れてはなるまい。
 かつて北朝鮮は、我が国領土に工作員を上陸させて、我が国の無辜の国民を誘拐した。またソ連は、我が国との中立条約を躊躇することなく破って参戦し、北方領土を不法占拠するという破廉恥な行為に出た。これらの問題が解決せずして、どうして両国間の「国交」が「正常化」されようか。

■「学問の自由」を守る気概を求めたい←NEW!
 麗澤大学、藤井厳喜氏を非常勤講師解任(7月31日)
 報道によると、麗澤大学は7月28日、外交評論家で同大学国際経済学部非常勤講師の藤井厳喜氏を交替させ、事実上解任したという。これについて麗澤大学は、「本学非常勤講師の交替について」と題する文書の中で次のように述べている。
 「平成12年7月17日産経新聞朝刊で報道された本学非常勤講師の交替の理由は、以下のとおりであり、本学は学問、言論の自由を尊重していることについて、皆様のご理解をいただきたいと思います。
 6月14日、同非常勤講師が担当する政治学の講義を受けていた中国人留学生から、国際経済学部長に、同講師の講義での発言及び態度を改善していただきたい旨の「お願い」が出されました。その要旨は次の3点です。
 (1)講義の中で、「支那」という言葉を使用している。中国人には侮蔑と感じる言葉である。
 (2)南京大虐殺等、中国の歴史の事実を歪曲して発言している講義が数々ある。
 (3)中国を蔑視する機関紙を授業で配布している。
 国際経済学部では、同講師と留学生の双方から何度か事情を聴取するとともに、両者の懇談の場も設定いたしました。その結果、(3)の配布資料については、同講師自身が不注意であったことを認めました。(2)の南京問題については諸説があり、自由な研究論議に待つべきものとなりました。(1)の「支那」という言葉について、両者の主張は平行線をたどり、同講師は「シナ」は現代用語であり、差別・侮蔑語ではないので講義での使用は止めないと主張されました。
 本学においては、これまでの歴史的経緯(昭和21年7月、各大学、高等専門学校長あて文部省通達《支那の名称を避けることについて》等)、今日の社会通念に従って、再三にわたって同講師に講義の中で「支那」(シナも同様)を使用しないでいただきたい旨、お願いをいたしました。しかしながら同講師からは、重ねて「シナ」という言葉の使用は止めないとの回答を得ました。
 そこで本学では、今日、差別用語を出版、報道等において使用しないのと同様に、明らかに侮蔑と感じる言葉の使用は教育上好ましくないとの判断から、残念ながら同講師に今後の授業の担当を外れていただくことを決定し、その旨をお伝えいたしました。このように、今回の問題は、学問の自由、言論の自由とは、全く別の問題であります。
 従って、7月17日付け産経新聞で報道された「『南京大虐殺』批判の講義 留学生抗議で中止」という事実はなく、新聞社に対し正しく報道するよう申し入れたところであります。なお、本学においては、当然のことですが、学問、言論の自由を尊重し、その環境を十分に保障しており、教員は優れた業績をあげ、学生も勉学にいそしんでおります。」
 この大学側の文書からは、藤井氏解任の理由は専ら「シナ」(支那)という用語法に問題があったためということになるが、果たして「シナ」は差別用語なのだろうか。そもそも「シナ」の語はかつての国号「秦」に由来するものであり、英語の「
China」、仏語の「Chine」と由来を同じくする。戦前、大陸に派兵された陸海軍の部隊は「支那派遣軍」「支那方面艦隊」という正式名称であったし、「シナチク」(メンマ)、「シナそば」(ラーメン)、「東シナ海(英語名はEast China Sea)」、「インドシナ半島」は現在でも使用されている。言わば、「日本」に対する「Japan」の如きものである。無論、「支那」の用語を嫌った中華民国は建国直後、我が国に対して「Republic of China」の訳語に「支那共和国」ではなく「中華民国」の語を使うよう要請し、我が国外務省もこれに応じているが、これは外交儀礼の一種である。少なくとも、我が国の庶民生活においては、差別語でも何でもなかったのが事実である(戦前「中国」といえば中国地方のことを指していたという)。
 思うに、中国人留学生達が「シナ」という言葉を差別的に感じるのは、その言葉それ自体が差別的だからではなくて、そもそも日本人の多くが、戦前戦中中国(支那)及び中国人(支那人)そのものに対してある種の敵国意識を持ち(もっとも、戦争を戦っていた以上、一種の敵愾心を持つのはやむを得ないが・・・)、「支那」という言葉を発していたからではないのだろうか。逆に言えば、中国人留学生にとっては、対中差別意識を持った人間の発言であれば、「支那」を使おうが「中国」を使おうが、同様に差別的に聞こえるであろう(あるいは「秦人」とでも表記すればよいのだろうか)。
 勿論、我々が中国人(大陸だけでなく、台湾も含む)と友好関係を樹立したいと欲するのであれば、(「支那は差別語」という誤解を解くよう説得するとしても)相手方の欲する呼び方で呼ぶことも必要であろう。「『中国』とはシナ中心の中華思想の現れ」として批判するむきもあるが、凡そ世界の諸民族は「自国が1番」という国名を称しているものであり、「お互い様の面」もある(「ヨーロッパ」「アジア」「スリランカ」もそうだし、他ならぬ「日本」もまたそうである)。ただ、それはあくまで「好ましい」という範囲の問題であり、これを「発するべからざる差別語」として糾弾するのは、行き過ぎであろう。少なくとも、学生側に、教員の辞職を請求できる権利があるわけでは無い。これに関して麗澤大学は、「今回の問題は、学問の自由、言論の自由とは、全く別の問題であります。」としているが、ある教員の授業が適切かどうかは学生に評価させることは困難だし、それを「思想の自由市場」に任せる、大学当局は介入しないというのが、正に「学問の自由」の意味するところではないのだろうか。


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製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
 
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