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対テロ武力行使に参加せよ
〜米国同時テロ攻撃事件を受けて〜

中島 健

■1、はじめに
 9月11日、アメリカ合衆国はイスラム原理主義過激派と見られる組織による同時テロ攻撃を受けた。同日現地時間午前8時45分頃、まずニューヨーク州ニューヨーク市中心部にある「世界貿易センター」第1ビル(110階建て超高層ビル)に対して、ハイジャックされたアメリカン航空機が激突。同ビル上部が火災に見舞われた。また、9時3分には同第2ビルにも大型旅客機が衝突。この衝撃で第1ビルは47分後に到着した消防隊員、警察官らを呑み込んだまま倒壊し、第2ビルも約1時間半後には倒壊した(この影響で、周辺の複数の高層ビルも倒壊または倒壊の危険に晒された他、マンハッタン島南部が立入禁止区域に指定され、ジウリアーニ市長は非常事態を宣言)。一方、首都ワシントンでは、ポトマック川を挟んで対岸にあるペンタゴン(米国防部)に1機の旅客機が激突。衝撃で建物の一部が崩壊し火災が発生した。更に、ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市の東に、同様にハイジャックされたと見られるもう1機のユナイテッド航空が墜落・炎上した。

 

煙を上げる世界貿易センタービル(左)とマンハッタン島(右)
左は9月11日午前10時20分、右は9月15日午後6時10分撮影。
右写真は手前が真北で、右側がハドソン川、左側がイースト川。

 この事件を受けて、全米で民間航空機の飛行がほぼ3日間に渡り禁止された他、ニューヨークの金融街やワシントンの官庁街では職員らが一斉に退避。ニューヨーク証券取引所も一週間にわたって閉鎖された。また、この時テロ攻撃の目標は米大統領にも向けられ、ホワイトハウス(大統領府)、キャンプ・デービット(大統領別荘)、エアフォース・ワン(大統領専用機)が標的となったとの情報があったため、ブッシュ大統領は事件発生後直ちにはワシントンに戻らず、核シェルターのある空軍基地に退避する事態となった。事件には日本人も巻き込まれ、9月18日の時点で24人以上が行方不明となっているという。かく言う私自身、実は事件当日ニューヨーク市の事件現場から3キロのマンハッタン島内に滞在しており、数日中には世界貿易センタービルの展望台を見学する予定だったので、危うく事件に巻き込まれるところであった。混乱は現在も続いており、市内では浮き足立った市民らによる通報で90件以上の爆弾騒ぎがあった他、主要な施設の警備が極度に厳しくなっている。

■2、危機感を共有出来ていない日本
 世界経済の中心都市の一つニューヨークを機能不全に陥らせ、19人の実行犯で5000人以上の死者・行方不明者を出した今回のテロ攻撃事件で、アメリカのブッシュ大統領は、「これは合衆国に対する戦争行為である」との強い調子でテロを非難。「国家非常事態」を宣言して首謀者と見られるオサマ・ビン・ラディン氏と同氏を保護しているとされるアフガニスタンのタリバーン政権に対する報復軍事攻撃を準備した他、外交当局が隣国パキスタンに接近し軍事攻撃の際の便宜供与を求めた。アメリカ議会も与野党結束して臨時予算400億ドルを認め、上下両院で大統領に武力行使を容認する決議案を採択。アメリカ世論も今回の事件を「テロ事件」としてよりも「対米軍事攻撃」として捉えており、新聞やテレビでは「It's war」「America under Attack」といった見出しが並び、世論調査でも9割近い米国民が報復軍事行動を支持した。こうした動きは世界、特に先進諸国の間にも広がっており、NATO(北大西洋条約機構)やANZUS(米・豪・ニュージーランド三国条約)は今回の事態に対して集団的自衛権を発動してアメリカを助ける旨表明。同盟国ではないインドが軍事基地提供を表明した他、ロシアやパキスタン、イランですらアメリカの対テロ行動支持を表明した。無論、各国毎に濃淡はあるものの、今やほぼ全世界がテロを非難し、テロと闘うアメリカを支持する姿勢を示しているものと言えよう(テロを非難していないのは北朝鮮ぐらいであろう)。

 

煙を上げるマンハッタン島(左)と攻撃を受ける前のペンタゴン(国防部庁舎)(右)
左は9月15日、右は9月3日に撮影。左写真は右が真北。

 ところが、こと我が国に関しては、今回の事件に対していまいち危機感を共有できていないように思われる。事件直後に開催された安全保障会議で決定された対応策も、最初の項目に「在留邦人の保護」を掲げ、「対テロ対策」は5番目に過ぎなかったし、ロシアですら全国民に半旗を掲揚し弔慰を示すよう求めたのに、我が国では首相官邸の国旗が半旗になることも無かった。マスコミも、事件を「大惨事」として捉えてはいるもののどことなく「他人事」のような報道であり、内容もアメリカの報道各社よりも経済情報に主眼が置かれ、事件の日本の景気に与える影響ばかりが強調されていたように思われてならない。事件発生後3日目には、国内で早くも危機管理体制強化やアメリカの軍事報復を支援することに対する反対意見が報道されはじめているのである。
 例えば、14日の報道によれば、村井 仁・国家公安委員会委員長は記者会見で、与党内から自衛隊に在日米軍基地の警備ができるよう 自衛隊法 の改正を検討する声が挙がっていることについて、「治安維持や米軍の警備は、一義的には警察が任に当たる。今、警察が全国の米国関連施設の警戒を強化しており、何が不足なのか。何で自衛隊が出なければならないのか、正直分からない」等として、否定的な見方を示したという。だが、これは今回のテロ攻撃事件の実態や重大性に対する認識を欠落させた、あまりにも平和ボケした見解と評する他ない。ブッシュ大統領も言明したように、これはアメリカという国家と大規模なテロ組織(亜国家)との戦争状態なのであり、自らの生命の危険(自殺)を覚悟して強烈な意思の下に攻撃をしかけてくる彼らテロリストはまさに軍人なのであって、平時の法秩序の範囲内で治安を維持する警察作用では到底これを防ぎきれるものではない。拳銃しか携帯していない日本の警察官は、 警察官職務執行法 の定めるところにより、正当防衛か緊急避難( 刑法第36条、第37条 )の場合でなければ相手に危害を加えることはできず、それに違反すれば「殺人罪」すら適用されてしまうのである。この事件が極左暴力集団やオウム真理教のような国内騒擾事件などではなく、「21世紀の新たな戦争の形態」であることを正しく認識していれば、「治安維持には一義的には警察があたる」等という発言は出てきようはずもない。村井委員長の発言は国内治安維持を担当する警察庁の事務当局の見解を代弁したものとも取れるが、そうであるとすれば村井委員長は解任に値すると言わなければなるまい。
 また、これを機会に有事法制の整備を加速させるべきとする議論に対して、公明党の坂口力厚生労働相は、「どうしたら(有事を)予防できるのかの議論が重要だ。何か起こったからすぐに改善するという、慌ただしい改革はふさわしくない。十分に議論し、可能性があるのかないのか、冷静に判断しないといけない」と、「拙速を戒める意見」を述べているという。だが、この見解もまた、戦後半世紀に亘って安全保障問題を論議する際に何度も提示されてきた主張であり、問題の本質を歪曲するものでしかない。無論、そうした予防策を議論することも必要だが、それは現在の我が国が有する外交・内政の諸手段によって十分に達成可能である。しかし、国民の生命と財産を守る政府としては、予防策に加えて万が一にも被害が生じた場合の備えを十分しておくことが肝要なのであり、そしてそうした「備え」は我が国においては(絶無とは言わないが)なお極めて不十分なままである。坂口厚労相は有事法制論議を「慌ただしい改革」と表現するが、この議論は戦後半世紀以上にわたってずっと議論に議論を重ね、そして議論の段階からほとんど前進していなかった問題であり、「拙速」どころか「怠慢」を戒めるべきである。坂口厚労相はまた、「(我が国に対する同様のテロの)可能性があるのかないのか、冷静に判断しないといけない」と言うが、厚労相は既にオウム真理教による化学兵器を使った地下鉄サリン事件や北朝鮮の不審船事件をお忘れらしい。また、この発言からは、「日本に対するテロ攻撃は可能性が薄いから、有事法制は整備すべきでない」といったニュアンスが読み取れるが、今後アメリカがインド洋上の艦隊からアフガニスタンに向けて報復攻撃を行うようなことになれば、それらの兵力の中継点として在欧米軍以上に活用されるであろう(そして、アメリカよりも遥かに無防備な日本の)在日米軍基地を抱える我が国が標的となることは十分に想定され得る事態である。
 更に、長野県の田中康夫知事は14日、今回のテロ攻撃に対する米国の報復措置を強く支持した小泉首相を「深い憂慮をいたします」と批判。「日本の多くの旅行者や海外居住者への危害が限りなくゼロに近くなるような手だてをしたうえでの発言なのか」と指摘し、事件の悲惨さについては「私たちはこれまで、中近東やアジア、アフリカなどに(同じような悲惨さを)与えてきたのではなかったのかということを冷静に考えねばならない」「その考えに立てば『報復』などという言葉で対処しようとはならないと思う」等と語り、今回の事件を国民国家概念溶解の一つの象徴であるとの見解を示した。しかし、こうした見解は、国際政治の現実から逃避した観念的な空理空論という他ない。これまで、我が国政府が「多くの旅行者や海外居住者への危害が限りなくゼロに近くなるような手だて」を講じようとすれば「憲法違反だ」と非難し、これを阻止せんとしてきたのは一体どこの誰だったのか。「国家の枠組みで対処できない」とすれば、イスラム過激派に対して、武装した非政府組織(NGO)による反撃を加えろということか。田中知事は「国家という概念が、中近東やアジア、アフリカなどに(同じような悲惨さを)与えてきた」とし今回の事件を「国家という概念を越えた出来事」と表現するが、テロによる攻撃にせよ国権の発動たる戦争にせよ、それに対処する枠組みとしての「国家」はなお唯一の有効なものであり、事件の原因を国民国家に求め報復に反対するのは論理の飛躍である。
 死者11人、重軽傷者約5500人の被害を出した「地下鉄サリン事件」が起きても犯人に破防法(破壊活動防止法)を適用出来ない我が国の体たらくに鑑みれば、以上のような反応もあるいは驚くに値しないのかもしれない。13日、ブッシュ大統領を「強く支持」し「必要な援助と協力を惜しまない」と表明した小泉首相は、14日の参議院予算委員会(閉会中審査)では「日本に出きることには制約がある」として、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更には踏み切らない姿勢を示した他、「悲惨な無差別テロ事件は、決して許されないもの」と言っていた社民党の土井党首は「日本で、ここぞとばかりに有事法制や集団的自衛権、憲法改正の議論が出てきている。日本政府が悪乗りしては、取り返しのつかないことになる」等と政府の姿勢を批判。民主党も当初鳩山代表が示していた「強い支持」を後退させ、新法制定を批判した他、「核兵器の廃絶をめざすヒロシマの会」なる市民団体は13日、アメリカにテロに対する報復を止めるよう求めたという。
 恐らく、我が国においてこうした反応が出てくる背景には、戦後平和主義の弊害ということの他に、日本人の深層心理が影響しているのであろう。即ち、我が国が実は半世紀前、今回の攻撃を行ったテロリスト達と同様に、欧米を中心とする秩序に挑戦をした国であ(その意味では、「第二のパールハーバー」という表現も実はあながち間違いではないのかも)、戦後表層的にはアメリカ的価値観を受容しながら、心の中ではなお独自の屈折した感情を暖め続けてきた日本人としては、どこかアメリカに全面賛成できない心持があるのではないだろうか。しかし、今回のテロ事件の実行犯と半世紀前の我が国とでは、「アメリカに挑戦した」と言っても内容や方法が全く異なるし(真珠湾攻撃は正規軍による米軍事施設を対象とした攻撃)、アメリカも半世紀前と今日とでは性格が変わっている。そうした心理のせいか、我が国の中には今回のテロ攻撃の原因をアメリカの中東政策に求める見解や、我が国にイスラム世界とアメリカとの仲介役を期待する見解もあるが、いずれも妥当とは思われない。報道されているところによれば、ウサマ・ビン・ラディンが対米テロを決意した直接の原因は湾岸戦争当時の米軍サウジアラビア駐留だと言われているが、それでは当時、国際社会はイラクの不法なクウェート侵略に、サウジアラビアに軍隊を駐屯させることなく対抗できたのであろうか。「聖地を異教徒が踏みにじった」等というラディンの主張は犯罪者の不当な言い掛かりに過ぎず、その主張を真剣に考慮すること自体馬鹿げている。また、後者の見解についても、ラディン側の主張する「対米ジハード」(アメリカ対イスラム)の構図に乗って議論を進めており、狂信的テロリストの屁理屈を擁護することにしかならない。

倒壊した世界貿易センタービル
9月10日(事件の前日)、撮影。

 今回の事件で阪神大震災(警察庁の調べで死者5502人)以上の国民の死者を出したアメリカは、これまでの「米兵の損害を極限する」という立場をかなぐり捨てて、旧ソ連ですら撤退を余儀なくされたアフガニスタンに地上軍を派遣(一説には、戦術核兵器の使用も検討されているという)することも視野に入れており、国際社会支持の下、大規模な報復軍事行動が長期間に渡って行われることは明白である(もっとも、旧ソ連軍アフガン侵攻に対してはアメリカを含む周辺国が反共イスラム勢力に軍事援助を行い、これが旧ソ連軍の正規軍を苦しめたが、今回のタリバーンはそうした援助の道が断たれており、「必ず泥沼化する」とまでは言い切れないだろう)。NATO、ANZUS、OAS(米州機構)も集団的自衛権の発動を決定し、同盟国でもないロシア、インドですら基地提供を申し出た中で、同盟条約を持つ我が国が基地提供以上の支援策を示さなければ、このままでは我が国は永遠に「テロ撲滅に消極的な国」の烙印を押され、湾岸戦争に続いて「2001年日本の敗北」を経験することになるのではないだろうか。ましてや、今回の事件では、我が国も又自国民の生命・財産も被害を受けた被害当事国であって、決して「第三国」などではないのである(その意味では、一部の反戦軍事専門家が言うような「アメリカの事件に無関係な日本が巻き込まれてる」といった表現は事実として誤っており、そこに事実を無視してでも我が国の危機管理体制整備を阻止せんとする政治的意図が見え隠れする)。

■3、テロ組織に武力を行使せよ
 このように我が国は、世界各国とも歩調を合わせ、アメリカのアジアにおける同盟国として、またテロの被害国として、今回の事件の首謀者らに対して断固たる態度を表明する必要がある(単なる対米支援ではない)。また、前述したように、今回のテロを企画した組織は言わば「軍事力のみによって存在する亜国家」であって、一般的な外交交渉のように軍事以外の手段を使って譲歩を引き出すことは出来ない以上、直接的なテロ対策としては第一に軍事力の行使(威嚇による交渉を含む)しか考えられない(「テロの温床となる貧困の解消」といったことは、軍事力行使の後で検討されるべき課題である)。「断固たる態度」を口先だけで表明しつつ、「憲法上の制約がある」として何もしないというのは、事実上テロに屈服することを意味する。「報復軍事行動が更なる報復を呼ぶだけ」との一見賢く聞こえる反対論もあるが、さりとて報復しなければそれはテロ行為に敗れたことを内外に宣言するに等しく、報復して相手方を殲滅するか、報復の可能性をちらつかせて身柄の引渡しを求める以外に直接の解決方法は無いのである。報道によると、この問題について自由民主党の加藤紘一・元幹事長は「自衛隊機がパキスタンに行けるのかとなると、物理的にも憲法上もできない」「一番大切なのは精神的な支援」等と語って直接支援に否定的な見解を示したというが、加藤元幹事長のような対応では、結局「日本はテロを容認している」としてアメリカ世論の激しい批判に晒されるだけであろう。社会民主党の土井たか子党首も「戦争になるなら我が国は協力も参加もできないことをはっきりさせるべきだ」と主張しているというが、土井党首はこの発言を以って自らが凶悪なテロに屈服したこと、ラディン一派同様世界から(ロシアや中国からも)孤立したことを自覚すべきである。
 となれば、我が国としては、単に 日米安全保障条約 に基づいて在日米軍に基地を提供するという消極的な協力(この程度の協力は、インドやパキスタンですら行おうとしている)だけでなく、アメリカの対テロ軍事作戦に直接的・積極的に関与しなければならない(現在政府で検討されている医療・物資協力や経済的協力は当然のことであり、「積極的支援」とは言えない)。この問題に関して小泉純一郎首相は17日、「憲法の範囲内でできるだけのことはすべてしなければいけない」と語ったが、発言に「憲法の範囲内」と付け加えることでテロ撲滅の正面に立つつもりが無いことを事実上明かにしている。また、政府・与党は既に 周辺事態法 と類似する新法の制定に向けた検討作業に入っているが、数日以内にもアメリカの報復行動がはじまろうとするときに臨時国会の論戦(驚くべき事に民主、共産、社民の野党3党は法改正に批判的で、特に社共両党は「報復は更なる報復を呼ぶ」として軍事行動には参加すべきでないとの態度を17日示した)を続けている暇があるとは思えないし、新法でも認められるのは「武力行使と一体化しない活動」、即ち「テロとは真正面から向き合う必要の無いもの」に限られる。一部報道では、この新法は「国民の理解を得るため」時限立法とする案も出ているというが、アメリカのラムズフェルド国防長官が語ったように、今回の「テロに対する戦争」は長い時間を要する、いつ決着したと言えるのかどうかも判定しづらいものであり、時限立法などでは到底不十分という他ない。第一、別段悪い事をしているわけでもないのに、新法を時限立法として事が終われば廃止してしまうというのはおかしな事である
 では、具体的には、我が国は一体如何なる協力が出来るのであろうか。
 最もよい方法は、政府が憲法解釈を改め、 現行憲法 の下でも集団的自衛権の行使が許されるとして軍事作戦に参加。アメリカと一体となって武力行使に踏み切ることである。そもそも我が国における議論では集団的自衛権を個別的自衛権と大きく違うものとして捉える傾向があるが、国連憲章第51条が認めた自衛権は国連安全保障理事会が機能するまでの間行使される自力救済権であり、その行使の態様に「集団的か、個別的か」の違いがあるに過ぎない。また現実問題として、今回の事件に関連して我が国が軍事力を行使することが憲法平和主義(特に前文)の思想に反するとは思えないし、相手がテロである以上、この武力行使は「国際紛争を解決する手段」ですらあり得ない。もし我が国が積極的なテロ対策に動かなければ、我が国は国際社会で「汚名ある地位を占める」ことにもなりかねない。無論、実際問題として、我が国自衛隊はトマホークのような対地攻撃ミサイルを有しておらず、アメリカのように洋上から海軍機や巡航ミサイルでアフガニスタンを空爆する事は困難だが、それでも公海における商船の臨検や武器輸送、戦闘救難作戦、米軍輸送船の護衛といった「武力行使と一体化した」任務には十分参加可能のはずである(我が国は、NATO諸国のように日頃から米軍との共同訓練を積んでいるので、その分協力しやすい)。憲法解釈の改正は政府主導で可能であり、小泉首相の政治判断一つで実現し得る。一部野党が懸念するような「アジア諸国の憂慮」も、今回の事件に関しては何等問題にはなるまい(我が国自衛隊のベンガル湾での活動を「軍国主義の復活」と批判するのは、如何にも滑稽無套である)。

トマホーク巡航ミサイル
イントレピッド海洋・航空・宇宙博物館にて撮影。

 次に、もし残念ながら憲法解釈の改正が困難ということになれば、 周辺事態法 又はこれに代る新法を制定して対応する道がある。またその際に、「インド洋を航行する我が国商船を護衛するため」と称して護衛艦をインド洋に派遣し、武力行使には参加しないもののアラビア海でプレゼンスを示すことが出来ればなおよいだろう。今回のテロ事件を一種の刑事事件として考えれば、それに対処するためとの名目で自衛隊を派遣することも考えられる(警察作用については「警察比例の原則」が適用されるが、今回のテロの首謀者とされるオサマ・ビン・ラディンらは軍隊なみに武装している以上、自衛隊を投入してもこの原則に反しないと考える)。 周辺事態法 の適用について政府は「インド洋や中東を含むということは想定されない」として適用を否定しており、今回の事件でも福田康夫官房長官は「(アフガニスタンは)周辺事態からはちょっと外れている」とコメントしている。しかし、 同法第1条 は「周辺事態」を「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」と定義しており、「周辺事態は地理的概念ではない」以上、海を隔てた隣国であるアメリカ合衆国におけるテロ攻撃を「周辺事態」と看做すことも出来なくは無い。少なくとも、今回のテロ攻撃事件が「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態」であることは間違い無い以上、 周辺事態法 を適用することも十分根拠があるものと言えよう。
 この点政府は9月19日、①国連安保理決議に基づいて行動する米軍に対して、医療・輸送・補給等の支援活動を行うため自衛隊派遣に必要な措置を早急に講じる、②インド、パキスタンに対する緊急経済支援、③国内の米軍施設など重要施設警備強化のための 自衛隊法 改正、④情報収集のための自衛隊艦船の派遣(イージス護衛艦「きりしま」を派遣。 防衛庁設置法第5条第18号 による)、⑤出入国管理に関する国際協力、⑥自衛隊を含むアフガン避難民支援、⑦経済システムの混乱回避のための措置、の7点の「当面の措置」を発表し、特に①については、「米国において発生した国際テロリズムに対処するため国連安全保障理事会決議及び国連憲章25条の規定に基づく米国に対する協力に関する法律」を制定。 周辺事態法周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律 、平成11年法律第60号)では出来ない武器・弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機への給油・整備も含めて後方支援を行う他、「海上自衛隊支援艦隊(仮称)」を編成して大型輸送艦とこれを護衛する護衛艦、対潜哨戒機をインド洋に派遣するという。従来の我が国政府からすれば相当思い切った措置で、仮にこれらの措置が完全に実施されれば高く評価し得るものだが、新法が今回の事件に適用を限定した特例法としているところに疑問が残る。「テロ対策のためには武器弾薬の輸送が出来るのに、朝鮮半島有事では一切できないといのは不自然だ」という声も上がってこよう。
 その他の手段としては 国連平和維持活動PKO協力法 、国際緊急援助隊派遣法や 自衛隊法第100条の8 (在外邦人の輸送)などによる自衛隊の派遣が考えられるが、いずれも停戦合意の成立等「平時」を想定した派遣であり、今回のような事態に相応しいのは 自衛隊法第100条 ぐらいしかない。また、その他の手段としては捜査・情報協力や経済制裁等の非軍事的手段も考えられるが、ハワード・ベーカー駐日米大使は「資金援助はいらない」と発言しており、それらのみでは湾岸戦争当時と同様の批判を受けることは明白である。

※参考・国連憲章第25条
 「国際連合加盟国は、安全保障理事会の決定をこの憲章に従って受諾し且つ履行することに同意する。」

■4、万全の国内テロ対策を
 最後に、今回の事件を教訓として、国内におけるテロ対策の一層の強化を図る必要がある。既に、政府・与党内では、自衛隊の部隊によって在日米軍基地を警備させるべく法改正に向けた動きが見られるが、こうした法改正では、在日米軍基地の他に主要官公庁や原子力発電所といった重要施設の警備にもあたれるような制度が盛りこまれるべきである。既に空港における警備体制は強化されているが、警備を担当している空港公団の警備員は丸腰であり(これは中央省庁も同じ)、必ずしも十分とは言えない(警備員が丸腰なのは、原発も同様である)。現行法上、内閣総理大臣がスクランブルした航空自衛隊の戦闘機にハイジャックされた旅客機を撃墜するよう命じることができるのかわからないが、我が国でも同様の事態が生じたときに備えてこうした面でも法整備を進めておかないと、撃墜命令を出した首相や実際に撃墜した自衛官が殺人罪で起訴されかねない。
 テロは、それが宗教団体であれ国際イスラム教原理主義組織であれ、国家・社会に対する直接の脅威である。そして、こうした脅威に対して万全の備えを用意することこそが、「政治」に課せられた第一の課題であろう。特に、我が国においては、戦後半世紀にわたる「平和ボケ」状態の結果、先進諸国の中でもことにテロ対策・組織犯罪対策が遅れた国であると言われている。小泉内閣の掲げる「聖域なき構造改革」は主として経済構造に関するスローガンであるが、首相にはぜひその改革努力を国防・治安の分野にも注いで頂き、日本を「普通の国」に変えていってほしいものである。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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