このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 越後街道4 (津川町 / 三川村)


撮影日:H14.10.19&14.10.26

 鳥井峠(49号線の登りは緩やかで、分りづらいが、手前に県境の看板あり)から、
 新潟県だ。

 栄山の一里石
 49号線・県境の鳥井峠を過ぎ、見返橋を過ぎて、
 2つ目の右カーブの左手に、ある。
 (よほど注意して左手を見ていないと、見逃します)

 谷間で、一里塚を作るスペースが無く、石を置い
 た。谷側の旧道は廃道になり、ここに、移された。

 程なく津川町に着く (って、栄山集落も津川町です)。津川は、会津の米を
 大阪に、瀬戸内の塩を会津に運ぶ河湊として栄えた。

 江戸時代の湊・大船戸(おおふなど)(→)も、痕跡程度
 残されている。



 明治18年、船運の利を認めた
 福島県令・三島通庸が、少し
 下流に、新湊・新河戸(しんこうど)
 (←)を造った。

 (トンネルを出て、川を渡る直前、右(東)に少し戻るとある)

  ”麒麟山(写真正面)遊歩道” から、ここが見下ろせる。
  こちら。

  津川町には狐火伝説が
 伝わっている。近年、
 旧代官屋敷跡に、
 多目的ホール・食堂の
 「狐の嫁入り屋敷」(→)が
 造られた。

 伝説や祭「狐の嫁入り行列」をジオラマで、
 紹介している。
  この祭りを、取材してきました。こちら。

  津川の宿場町を出て、諏訪峠を登る。

諏訪峠越後街道の難所。石畳の道。
 高原が爽やか!
道路地図(マピオン)
1/2.5万地図:津川
ルート

 諏訪峠 
  海抜は、520m弱(越後街道では最高、青坂峠 490m弱、束松峠 420m強)
  が、積雪が多く、越後街道 最大の難所であった。

 49号線・津川町付近(トンネル手前)から、
 諏訪峠が見える。
 (写真左1/3、赤く紅葉した稜線の、鉄塔(電波
 塔?)が見える所。手前は麒麟山(山城)。)

 只見川を渡って直ぐ、左(南)に曲がる。道なりに進むと、津川温泉保養
 センター&きつねの里(特産物販売)と、
 石畳の越後街道(→)が、見えて来る。

 (新潟側は会津街道と呼んでいる。まだ会津領だが・・)
 道の下の方は、杉林の中、キレイな石畳だ。
 (近年の整備だ!)
 
 こちら津川側の街道は、
 林道に5つに寸断されている。

 (←)上(分岐点よりは大分下)
 方は、広葉樹の中だが、
 30cm位の石がゴロゴロで、
 少し足場が悪い。

 (←少しだけ色調調整しました。)

 車で、道なりに行くと林道になる(減速して交差可)
 うねりながら登る道を進むと、柳新田集落を過ぎ、
 街道と林道の分岐点に至る。

 (←)分岐点には、とても小さい
 案内板がある。(写真左、ススキ
 の穂の下あたり)
左に曲がる。
 (10/26でも、分岐点付近は紅葉絶頂に1〜2週早かった。
  この欄の写真は、画像上で紅葉調に調整した)

 峠への道は、コンクリートで舗装してある。
 (峠に、電波?塔と、左手に送電線中継地?有るため)
 
 しかし、道は狭く、枝が張り出している。軽自動車
 でも、両側の窓をたたかれる位だ。

 つまり、運悪く対向車が来たら、
 かなりバックしなければならない。

 峠手前で 、白・赤・青と不揃いの実を見つけた。
 ノブドウ。実は余りキレイでない。 

 エビズルの方が、実が黒く葡萄っぽい。葉裏・葉脈上に赤茶の
 毛あり。ヤマブドウの葉は、直径20cm位ある。

 峠(↓)についた。道は、ススキの草原を、行地に向かって、下り始める。
 車で降りるのは、危険そうだ(バックさえ出来ないかも)。
 (少し北側で)振り返ると、津川町が
 見える。左中央が麒麟山。手前は?。

 ススキの間を、少し歩いて降りると、緩やかな起伏の、広い草原が
 あった(↓)。 風が、爽やかだった。


 草原付近には、紅葉もあったが、花(↓)も少しあった。
 枯れて変色したオオイタドリ( 福島街道 参照)も、たくさんあった。
エゾアジサイだと思うが、
今は10月末だ!??
 もう終わった花だが
 円錐状の花序で、枯れた
 装飾花も、少し残ってた。

 
 ノリウツギ(糊空木)
 花期は、7〜9月
 樹皮から和紙を作る糊を
 とった。根もパイプの材料

 分岐点に戻り、行地に向かって、林道を走った。程なく、舗装が終わる。
 30cm以上の岩がゴロゴロし、川状にえぐれてる所もある。ミニ・パジェ
 以上は必須だ。RVRはキビシイかも(ジャッキがあればO.K.)。

 林道の峠っぽい所に、看板があった。”この先は国有林である。無断で
 通って、事故っても知らん”と書いてあった。しかし、三川側は、小石を
 敷いた砂利道で、比較的、良い道だった。

 途中で見つけた、”クサギ”は、銚子の口で見たのより強い赤だった。

 坂を下り切ると、行地で、越後(会津)街道(遊歩道)と合流する。 
(←)行地側
 街道入口。
 すぐ、道幅
 が狭くなる。

 軽トラの"わだ
 ち"が深い。
 農地が終わっ
 たら、更に、
 狭い道だろう。

三川側の行地集落入口に
街道の案内板がある。
三川村では「殿様街道」と呼ぶ。

 *c.f.
 諏訪峠から西の街道に関して、津川町役場の人は「車の走行は不能」、
 三川村役場の人は、「車で通り抜け可能」と言う。軽トラックやジムニー
 なら不可能ではないかも知れない。しかし、対面交差は、ほとんど不可
 能、路肩も弱そうだ。峠下の平原では、ツゲ等の木を踏まざるを得ない。

 ハマっても、誰も、助けに来てくれない。
 林道にして、あのヒドサだ。
 はっきり、”車両進入禁止の遊歩道”と銘打った方が、良い。

 津川温泉から諏訪峠経由して行地まで、歩程 7km、標高差 400mチョイ
 (津川温泉と行地はほぼ同じ海抜 110m位))だ。歩いて3〜4時間。休憩を入れ
 て、ゆっくり歩いて、5時間位だろうか?後は、温泉(津川温泉 or
 三川温泉)に入浴し、チョット、一杯・・・だけよ! 良いんでないかい?
 
 行地集落から、小山を越えて、新谷集落で、(三川村・白川から来た)県道
 14号線と合流する。県道14号線を北西に進む。

 会津藩西端、口番所も置かれた赤谷集落を通り、新発田市に至る
 飯豊山は、近すぎて、反って見えない。

・・・・・・

越後街道から少しはずれた所にも、
三川村の見所は一杯です 。     
  少しだけ、見てみました。こちら  

  将軍杉
 
    SL
 
 越後街道(1611年以前)(古街道)取材時、
 尾登集落の写真に、もう少しインパクト欲しいな〜、と思い、
 SLを走らせてみました。

 それで、少しだけ、SLに嵌りました。
 デジカメですが、そうそうたる一眼レフに伍して、頑張ってきました。

  サムネイル付き一覧表はこちら。




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