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「兵どもが夢の跡」 鹿島鉄道廃止後の姿は?
−路線廃止後の鹿島鉄道の現状を見る−
TAKA 2007年08月02日
「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉が奥の細道の中で平泉で奥州藤原氏の栄枯盛衰を偲んで読んだ歌ですが、交通関係で「兵どもが夢の跡」という言葉から連想するのは「廃線跡」です。その廃線跡と言えば近年地方ローカル線の廃止が進んでいますが、本来は好ましくない物のその「廃線跡」が本年3月関東に新たに出来てしまいました。本年3月31日をもって廃止された「鹿島鉄道」です。
鹿島鉄道
は本年3月31日を持ち石岡〜鉾田間全線が廃止され、グループ企業の関鉄グリーンバスにより
代替バスが運行
されています。代替バスに関しては
路線
的にはほとんどの駅をカバーし
運行本数
もかなり多く、傍目から見ると鉄道と比べても「廃止でも利便性は落ちないな?」と言える公共交通が維持されていると感じました。
しかし廃止までの鹿島鉄道の状況に関しては色々聞こえて来る物の、廃止後の代替バスの状況は「ブームが過ぎた後」と言う状況の中で「世の常」として聞こえてきません。果たして「廃止後の鹿島鉄道と代替バスの状況はどの様に成っているのか?」心の中に「引っかかる物」が残っていました。
その中で状況を探る機会を待っていたのですが、丁度タイミング良く小美玉市の食品工場に仕事で訪問する機会があり、本当は「フレッシュひたち→代替バス→常陸小川からタクシー」「フレッシュひたち→石岡からタクシー」「端から車で行く」と言う3通りの行動パターンで迷っていたのですが、荷物の都合もあり車で行く事になり、その帰り7/24の16:30〜18:30の間で今回の仕事の経路上の常陸小川だけでしたが、訪問することが出来て「鹿島鉄道のその後」と「代替バス」の状況を駆け足で外側からでしたが見る事が出来ました。果たして「廃止後の鹿島鉄道と代替バス」如何になっていたのでしょうか?
TAKAの交通論の部屋「鹿島鉄道廃止問題の記事」
☆
「かしてつ」を救うことが出来るのか?
☆
『募金活動』だけで赤字地方鉄道を存続させる事は出来るのか?
☆
鹿島鉄道の存続運動は何故挫折したのか?
交通総合フォーラム「鹿島鉄道廃止問題の記事」
☆
地域拠点になれず策もなし〜〜鹿島鉄道ラストラン
(和寒様) ☆
鹿島鉄道の最期
(エル・アルコン様)
* * * * * * * * * * * * * * *
☆ 既に「過去」に成りつつある鹿島鉄道の存在
先ずは3月31日で廃止された鹿島鉄道の状況を見てみたいと思います。
3月31日の廃止まではネット上でも色々な方が「鹿島鉄道廃止」について取り上げていましたが、廃止後如何なっているかは注目を浴びない事もありなかなか取り上げられないでいます。斯く言う私も廃止後一度も訪問しておらず人の事は言えませんが、今回上述の様にたまたま仕事で現地を訪問する事が出来たので、石岡〜常陸小川間と言う「鹿島鉄道の限られた区間」ですが、見る事が出来たので先ずは鹿島鉄道廃線跡の様子を見てみたいと思います。
この区間の鹿島鉄道廃線跡は国道355線に沿って走っています。特に玉里〜四箇村間はほぼ完全に平行していたので、仕事で小美玉市に向かう途中国道の車窓から並行する鹿島鉄道の線路から踏切が無くなっている事などが見る事が出来ました。廃止後の一連の動きに関しては「
鹿島鉄道を守る会
」のHPでも詳しく出ていますが、先ずは私の撮ってきた鹿島鉄道の各駅の写真をご覧ください。
左:更地の常陸小川駅跡と代替バス乗り場 右:草叢に沈みつつある四箇村駅
左:駅名盤・待合室撤去が進みつつある玉里駅 右:
駅至近の甘味処
も未だ残る東田中駅
左:線路撤去が始まった石岡南台駅 右:ホームや機関区まで綺麗サッパリ撤去された石岡駅
今回は廃止から約4ヵ月後の訪問でしたが、驚くべきは常陸小川・石岡の両駅の撤去のスピードの速さです。常陸小川は完全に更地になっていましたし。石岡も機関庫等の建物も事務所以外は全部更地になっておりホームの撤去も行われていました。流石にこれには驚きました。廃止して約4ヶ月(厳密には3ヶ月と20日強)で此処まで綺麗さっぱり解体が進むとは・・・。今までの解体工事の経験から言えば常陸小川は1ヶ月強有れば解体・整地も出来るでしょうが、石岡はその倍以上掛かるでしょう。将来の事を考えれば「資産価値の大きい土地」ですが「土壌汚染の危険のある土地」であり解体に並行してその様な対策工事も行わなければ成らないでしょう。そこまで考えるとこの解体工事の速さは驚かされます。廃止を打ち出した段階から用地利用が決まっており廃止が決定した本年年頭より工事準備を進めていた?と疑いたくなる手際の良さです。
又石岡・常陸小川程でもないにしても石岡南台では線路の撤去が進んでおり、玉里では上り方向の待合室の撤去が行われていました。それに対して四箇村・新高浜・東田中の各駅では駅名板等の最低限の撤去は行われていましたが、それ以外の駅施設の撤去は行われておらず、「何時電車が来ても可笑しくは無い」感じでした。又前回
和寒様と最後の訪問した時
に東田中駅の傍に有った「甘味処」は東田中駅廃止後も未だ現存していました。
基本的には「資産価値の高い所から積極的に解体を進めている」と言う感じが強くしました。傍目から見る限り手際が良すぎる感じです。しかし現実問題として鹿島鉄道はメイン事業の鉄道事業を廃止したのに「
493百万円の短期借入金・133百万円の未払金
」を抱えており、メイン事業が無くなり事実上の廃業に近い状況(
今の会社概要には「賃貸業」と書かれている
)に追い込まれた以上、一刻も早く有利子負債を返済したいでしょうしその原資は資産売却しかありません。しかも今は地価も昔よりかはマシな状況ですし、鉄などのスクラップ価格も上昇しております。27.2kmの鉄道のレールをスクラップと言えばかなりの価値になります。(レールの価値を概算すると27.2km*2本*1000=54400m*40kg/m=2,176,000kg/1000=2,176トン*
スクラップ価格約30,000円
=6528万円)これならいくら撤去費が掛かっても「早いうちにレール当の鉄くずは撤去」と言うことに成りかねません。
昔第一次大戦の好況時に鉄道敷設に購入したレール・機関車を転売して利益を出したが、肝心要な鉄道は作られずに会社が解散したと言う例を聞きましたが、廃止後の鹿島鉄道の状況も似たような状況であることは間違いなさそうです。撤去費が掛かれどもレールは高値で売却できますし、レール・車両等のスクラップだけで数千万円の収入は確保できます。又石岡駅跡地は「鹿島鉄道最大の資産」として売却が期待できますし、石岡南台駅跡地は再造成の上宅地として販売も期待できます。又国道355号線に面している玉里・新高浜・四箇村駅用地はロードサイド店舗の用地として賃貸・売却できる可能性も有ります。
その様に考えれば「値段が良い内に早く撤去売却だ!」と急ぐ理由も理解できます。ある意味鹿島鉄道が存続して新事業主体に「低価格で譲渡だ」と言う事になると関東鉄道グループは「撤去・売却による純収入>新会社or自治体への資産売却」と言う事態になり「素直に廃止してくれた方が助かった」と言う自体が発生していたかもしれません。この様な「速い速度での撤去活動」にはその様な「裏」が有るのではないか?と考えさせられてしまいました。
☆ 鹿島鉄道代替バスの運営状況は?
さて次は代替バスの運行状況です。代替バスに関しては本当は石岡or常陸小川で車を置いてバスに乗ろうかと思ったのですが、小川では駐車場が無く石岡では上手く時間が噛み合わず、仕方なく車からの観察だけになってしまいました。
又訪問したのが平日夕方であり当初は「通学の利用が見れるかな?」と思ったのですが、よく考えてみると学生はこの時期「夏休み」であり(社会人生活が長くなり加えて家庭を持たないと「夏休み」など忘れてしまう・・・)通学需要が部活以外ほとんどゼロと言う日であり、観察するには好ましい日であるとは言えませんでした。
その様な「好ましくない状況」ではありましたが、タイミング悪く乗れなかった代替バスを追いかけて、前の各駅の写真を取りながら国道355号線を小川〜石岡〜小川〜石岡と1往復半代替バスの利用状況等を見ながら車で移動してみました。
左:石岡行き代替バス@玉里 (7/24 17:00頃) 右:石岡南台方面に左折する石岡行き代替バス@石岡商高 (7/24 17:00頃)
左:鉾田行き代替バス@国府4丁目交差点 (7/24 17:30頃) 右:左:鉾田行き代替バス@石岡駅 バス乗り場 (7/24 18:40頃)
この日は夕方17時〜18時30分頃の間で国道355号線を行ったり来たりしましたが、その間に石岡行き2本(石岡17:20・18:00着)・鉾田行き2本(石岡17:30・18:20発)の合計4本のバスを見る事が出来ました。
確かに鹿島鉄道輸送の太宗で有った学生輸送が無い夏休みと言う大きなハンデがあるのは事実ですが、これらのバスで一番乗っていたのは石岡18:20発の鉾田行きで写真に有るように石岡発車段階で10名前後の客が乗る程度であり、それ以外のバスは石岡17:30発のバスを見た段階で数名の乗車であり、それ以外の石岡行きの上りバスには2〜3名の乗客がいる状態でした。又一部のバス(石岡17:20着バスで小川〜石岡商高前・石岡17:30発バスで国府4丁目〜玉里中山間)ではバスの後ろを付いて走りましたが、石岡17:20着バスで田木谷で1名降車・石岡17:30発バスで石岡商高で2名乗車が有っただけでその他での乗降は有りませんでした。
少なくとも今まで2回鹿島鉄道に乗りましたが、その時でも似たような乗車率の時・所は多数ありました。しかし今回はいくら夏休みで学生需要が大幅に減少していると言えども比較的通勤需要の多いと予想される夕方〜夕ラッシュ時です。その時間に始発地点の石岡で特に下りで数名〜10名程度しか乗車客が居ないと言うのは、今後の鹿島鉄道代替バスの前途の暗さを示すものであると言えます。
ましてや鹿島鉄道時代から「需要の根源」であり、今も沿線には多くの住宅・事業所・公共施設等がある石岡〜常陸小川間でこの寂しい状況です。少なくとも運行頻度は今までの鹿島鉄道の時と見劣りしなくバス停が増えたので相対的な利便性が上がった事は前にも述べましたが間違い無い事であると言えます。それなのに人口の比較的多い地域でこの様な寂しい乗車状況では沿線の人口密度・商業集積が格段に落ちる常陸小川〜鉾田間では一体どの程度の利用率なのでしょうか?多分ほとんどのバスで「空気輸送」であろう事は容易に予想できます。
この様な状況では今後継続的に鹿島鉄道の代替バスが運行されることで公共交通が維持されていますが、その維持自体が非常に危なくなっているのでは?と感じます。その今回見た代替バスの状況はその厳しい状況を如実に示していると言えます。
☆ 果たして「鉄道からバス」へ変わって公共交通は維持できるのか?
今回鹿島鉄道の廃止後の状況とその後の代替バスの運行状況を見てきましたが、今回見るにつけて「この地域の公共交通はきわめて厳しい」と言うことを感じさせられました。確かに鹿島鉄道は「鉄道として経済的存続可能レベル以下」に有った事は間違い有りません。特に常陸小川〜鉾田間に関しては「鉄道としては惰性で生きている路線」としか言い表せない路線であったと言えます。その点で私は「鹿島鉄道の廃止は残念ながら致し方ない」と感じていました。
その点鉄道の様なインフラ負担を抱えないバスでの運行は「地域の公共交通を守る」と言う点で「何とか最低ラインを維持できる物」として評価できると共に地域の公共交通の軸を守ると言う意味でも大切にしなければならないものです。実際「鉄路」と言う限られた所しか走れない鉄道に比べて、一定以上の幅員の有る道路が有れば何処でも走れて何処にでもバス停を作れるバスは、柔軟性という点でも比較的人口密度が低く広がって存在する地域では、バスは公共交通として相応しいツールと言えます。
しかし現実問題として、鉄道廃止後も代替バスへの旅客の転移は上手く行っていないようです。6/21毎日新聞記事「
代替バスへ、乗り換え率は4割 運行系統見直しへ
」によると『5月22日に全便調べたところ、1日の乗客は876人、定期券の利用者が449人、定期外利用者が427人。定期利用者の78%が通学定期・鹿島鉄道線の05年度の輸送実績は1日当たり2125人で、定期利用者が1195人の56%(うち通学定期が70%)、定期外利用者が930人で44%・鉄道からバスに乗り換えた人の割合は41.2%・バスの区間別の利用比率は、石岡−小川68%、小川−玉造12%、玉造−鉾田20%』(『』内は毎日新聞記事より要約引用)との事で、鹿島鉄道廃止で代替バスに公共交通利用客は転移せず、ほかの交通機関に転移してしまった事は明白であると言えます。
実際今回の訪問時、並行国道の国道355号線の交通量がかなり多く夕方だった事もあり特に上りは国道6号線と合流する石岡駅近くの山王原交差点から玉里駅周辺まで車が連なる混雑をしており、同時に下りも混雑まで行かなくても車がかなり多い状況で、代替バスには影響は少ない様では有りますが確実に道路は混雑していると言えますし、ロードサイド店の集結具合からこの地域の人口と車保有数はかなりになると言えますし、その様な自動車人口が鹿島鉄道廃止でバスでなく車に逸走したであろう事は鉄道からバスへの転移率が4割程度と言う数字から見れば明らかです。
加えてこの日18時過ぎに石岡駅東口に車を置き西口のバス乗り場の状況を見に行ったのですが、東口のロータリーにはキス&ライドと思しき人たちの車が10台近く停まっており、丁度石岡駅に着いた中距離電車から跨線橋を越えて来た人のうち10名近い人がロータリーに停まっている車に乗って消えていく姿を見る事が出来ました。この時に見た西口バスロータリーの代替バス鉾田行きの乗客がやはり10名程度であった事から考えて、鹿島鉄道から逸走した人たちがキス&ライドと言う「形の変わった自動車利用」にも移っていった可能性も大きいと言えます。その様な点から見ても鹿島鉄道代替バスからの利用者の逸走は公共交通としての代替バスの存続を左右するほど深刻な状況にあるとも言うことが出来ます。
左:混雑する国道355号線@東田中〜玉里 (7/24 18:20頃) 右:実態はパーク&ライド・キス&ライドが主流?@石岡駅東口駅前広場
左:代替バスもフリー切符等を売り出しているが・・・@常陸小川 右:果たして高校生の願いの様に皆乗ってくれるのだろうか・・・@石岡商業高校前
この様な状況に対して、運営者の関鉄グリーンバスとて「フリー切符の販売」等の販売促進の努力をしています。しかし一番最初の常陸小川駅跡の写真や上の石岡商高前のバス停の写真に有る「代替バス乗り場」を見れば明らかな様に、バス停には「屋根もベンチも無い」状況です。これでは「利用しやすい公共交通機関」とは言えません。先ずは「利用しやすいバス」を目指してその様な「最低限の施設整備」が必要であると言えます。
加えて鹿島鉄道の代替バスが走る国道355号線沿線には大型スーパー・飲食店・専門店等の大型ロードサイド店舗が数多く存在します。代替バスはその前を通過していく訳ですが、バス利用の活性化にこれらの店と組んでの利用促進策が出来るのではないでしょうか?例えば「ロードサイド店前にバス停を置き、バスでの来訪客に帰りのバス代を店で負担する」などの方策を採れば、鉄道時代に出来なかったきめ細かいサービスであり、又店の方もバス沿線の比較的多い地域から「足の無い人たち」を集客できるメリットも有るでしょう。この様な「ソフト面での対応策」も必要でしょう。又例えば石岡でJRと接続しており対東京輸送の軸となっていますが、同じ関東鉄道で
水戸〜石岡〜東京線と言う高速バス
を運行しています。例えば石岡駅から高速石岡バス停まで高速バスと接続が取れる便だけ延長運転して、同じグループ会社運行を生かして代替バス⇔水戸・東京への割引券を販売し対東京・水戸輸送の一助にする等、(有用性は別にして)バス活性化の方策は考えれば幾つか出てくると言えます。
しかし問題は「これらの主張をする市民団体が事実上存在しない」と言う点です。今この様な要望を出す市民が殆ど居ない状況にあるといえます。「
かしてつ応援団
」の後進の「
代替バスなどに関する生徒会の連絡会
」が「バス停へ屋根を付ける為の募金」運動を行うと鹿島鉄道廃線時に公表してますが、上の写真の石岡商高バス停に「代替バス利用促進」を訴える石岡商業高校生徒会によるポスターが有りましたが、実際の所そのポスター以外に学生の運動が始まった気配は有りません。まして他の「鹿島鉄道存続問題」を取り上げた市民活動は音沙汰なしです。これでは自治体・運営者に改善策を市民から提示する方法が無いと言うことを意味します。
この状況で「鉄道からバスに変わって公共交通は維持出来るのか?」大いに疑問であるし、きわめて厳しい状況に有ると言えます。鹿島鉄道存廃問題に関しては市民活動で注目を浴びながら「廃止」と言う結果になってしまいましたが、今回は「誰にも注目されず」「本当に公共交通が必要な人の声が届かず」静かに代替バスが「利便性低下を伴う縮小均衡」と言う負のスパイラルに入っていると言えます。この状況は公共交通の存続に取りきわめて危険であると言えますし、この状況で「公共交通は維持できるか?」と問われれば「NO」と言うしか出来ない状況に有ると言えます。
* * * * * * * * * * * * * * *
この様に今回「鹿島鉄道のその後」を見る事が出来ましたが、まさしく今の状況は「公共交通の危機」であると言うことが出来ます。この状況では残念ながら代替バスとて何時まで持つか分かりません。
実際上記で引用の毎日新聞記事では「
代替バス事業の収支状況の見込みは厳しいものと予想され、運行系統の見直しなどに早急に取り組んでいく
」との代替バス運営者の関鉄グリーンバスのコメントが出ています。この状況で「運行系統の見直し」と言う事は「増発による利便性向上で乗客増を狙う」形での運行系統見直しは有り得ません。次に待っているのは「減便・系統縮小」と言う利便性低下の策であり、其処から起きるのは「より逸走の乗客の逸走」と言う不の縮小循環でしか有り得ません。
その負の縮小循環の行き着く先は、間違いなく「公共交通の消滅」です。鉄道が廃止された時には頻度が変わらず停留所が増えたバスで公共交通が維持されました。しかし次には「公共交通の消滅」しか有りません。その崖の下への転落への「崖っぷちの危機」の状況が今の鹿島鉄道代替バスの状況であると言えます。その意味では今の状況は「利用率」と言う形で沿線住民の意見が示されていて、代替バスが関鉄グリーンバスと言う民間事業者で運行されている以上、その苦しい経営状況から「何時撤退しても可笑しくない」と言う公共交通消滅への危機的な状況に有ると言えます。
この状況を認識した上で、鹿島鉄道廃止の時に市民活動が主張していた様な「地域の公共交通による足の維持」の為に本当の意味で立ち上がらなければならない時期であると言うことが出来るかもしれません。
その意味では鉄道が廃止された上で最後の砦たる代替バスが利用客減少で危機に瀕している今こそ、地域の公共交通のシビルミニマムを維持する為に「
代替バスなどに関する生徒会の連絡会
」に発展解消した筈の「
かしてつ応援団
」や「
鹿島鉄道を守る会
」「
鹿島鉄道存続再生ネットワーク
」等の市民活動が、代替バスと言う「地域に残された最後の公共交通の維持」の為に立ち上がるべき時期なのでしょう。
実際この様な「公共交通の真正の危機」に立ち上がらなければ、今まで活動していた各種市民運動は「本当に地域の公共交通を考えていた」のではなく「只単純に鉄道を懐かしむヲタ的発想だった」と言う事になってしまい、「
鹿島鉄道の存続運動は何故挫折したのか?
」で私も論述し又「
鹿島鉄道の最期
」でエル・アルコン様も指摘した様に、鉄道存続を訴えていた各種市民団体の活動の質が問われる事態になると思います。
鹿島鉄道存続を訴えた市民活動が只単純に「鉄道を残そう」と言うヲタ的発想であれば鹿島鉄道が廃止された段階で活動はおしまいでしょう。しかし真に「公共交通の必要性を訴える」のであれば今が勝負所でしょう。その点を含め市民活動・地域住民両方に「本当に公共交通が必要なのですか?」と言う事が今旧鹿島鉄道沿線では問われていると思います。又その意味は今後の地域の有り方・公共交通のあり方を問う非常に重い物では無いでしょうか?
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