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鹿島鉄道の存続運動は何故挫折したのか?

−鹿島鉄道廃止問題を『総括』する−



TAKA  2007年02月25日




  
何故「頑張れ」が「ありがとう」に変ってしまったのだろうか?


 ※本文は「 交通総合フォーラム 」「 TAKAの交通論の部屋 」のシェアコンテンツです。


 「鹿島鉄道」と言えば関東地方のローカル線の中でも、田舎の感じの風情・旧型で多種の気動車群等で鉄道マニアには人気の有る路線ですが、輸送密度1000人/日以下と言う低い輸送量が災いして、赤字による1979年の関東鉄道からの鉾田線分離による鹿島鉄道設立以来経営は赤字基調・乗客は減少傾向で苦しい経営の元で経営されてきました。
 実際現在の鹿島鉄道は、元々鹿島参宮鉄道として独立運営していた鉄道が1965年に同じ茨城県の常総筑波鉄道と対等合併し茨城県南部を統括する鉄道会社として成立した関東鉄道が、「赤字」を理由に1979年に筑波線→筑波鉄道・鉾田線→鹿島鉄道として分割して成立した鉄道です。しかし同じ分社化した路線でも僅か8年で1987年に筑波鉄道が廃止になったのに対し、鹿島鉄道は「関東鉄道からの内部補助」と「百里基地燃料輸送」を経営の支柱として運営されてきて、今まで何とか存続が図られています。
 しかし2002年の「百里基地燃料輸送廃止」以降収入の柱の一つを失った事で急速に存続問題が浮上し、この時は沿線高校・中学の生徒会を主体とする「かしてつ応援団」と言う学生運動が茨城県を動かし「5年間の補助」を勝ち取り取りあえずの存続の道筋を付けましたが、補助期限が切れが見えた昨年又存廃問題が浮上し「かしてつ応援団」の努力も虚しく今回「関東鉄道による支援打ち切り→路線廃止届けの提出→2008年3月末での廃止」が遂に決定してしまいました。

 私自身「ローカル線廃止問題」に関しては以前から興味が有り弊サイト「TAKAの交通論の部屋」でも色々と取り上げて居ますが、特に鹿島鉄道に関しては昨年2月の初回訪問以来 日本鉄道省特別賞 を受賞した「 かしてつ応援団 」と言う学生の運動が「地方ローカル鉄道の存続に如何に寄与してきた」と言う稀有な事例に驚き非常に興味を持ち「 かしてつを救うことができるのか? 」等色々文を書くと同時に検討を加えてきました。
 その鹿島鉄道が(有る意味想定の結果と言えますが・・・)遂に廃止されるという事で、私も感慨深い物が有り「もう一度『総括』をしたい」と思ってはいましたが、偶々 交通総合フォーラム で御馴染みの和寒様が「鹿島鉄道を訪問しませんか?」とお誘いを受け偶々時間が空き一緒に鹿島鉄道を訪問する事が出来たので、和寒様が訪問記「 地域拠点になれず策もなし〜〜鹿島鉄道ラストラン 」を書かれているので、私は「かしてつを救うことができるのか?」以来の鹿島鉄道を中心とした「ローカル鉄道存続問題と鉄道存続への市民活動」に関して取り上げてきた問題への「総括」として、今回この文を書く事にしました。
 地方ローカル鉄道の廃止問題に関しては今「地方の衰退の一例」として取り上げられる事が増えてきています。先日もTV東京ガイアの夜明けで「 住民の足を守れ〜消えゆくローカル線 再生への闘い〜 」でローカル線廃止問題について取り上げられましたが、今ローカル線廃止問題に関して世間での注目は高まりつつある有ると言えます。その中で「何故鹿島鉄道は廃止されたのか?」「何故かしてつ応援団の願いは適えられなかったのか?」世間の注目を集める中で、しかも特徴的な「かしてつ応援団」と言う学生の運動に関して「日本鉄道省特別賞受賞」や「 国土交通省ベストプラクティス集 での採用」などその活動が「公的な御墨付き」を得た運動実績が有りながらの路線廃止と言う現実が、色々な事を示していると考えます。その事について「かしてつ存廃問題への『総括』」として纏めて見たいと思います。

 TAKAの交通論の部屋「鹿島鉄道廃止問題の記事」
 ☆ 「かしてつ」を救うことが出来るのか?  ☆ 『募金活動』だけで赤字地方鉄道を存続させる事は出来るのか?

 TAKAの交通論の部屋「ローカル線廃止問題の記事」
 ☆ 近年のローカル線の廃止問題について考える  ☆ 「ローカル線廃止」の「ドミノ倒し」は止まるのか?

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 ☆ 何故鹿島鉄道は廃止されたのだろうか?

 では何故鹿島鉄道は廃止に迫られたのでしょうか?鹿島鉄道の存廃運動に失敗に関して分析・研究・総括をするに当り、その大前提となる「鹿島鉄道の現状」と「鹿島鉄道廃止の要因」を分析する事は当然必要なことであり、もしこの要因を乗り除く事が出来れば存続をさせる事が可能で有ったと思いますし如何しても取り除けなければ「廃止は必然」と言う事になります。先ず其処を分析してその要因に対して如何なる対処をとったのかを見る事が重要で有ると考えます。

 (参考資料:鹿島鉄道の主要指標)
年度営業キロ輸送人員定期客貨物量輸送密度職員資本金営業収益営業費用営業損益
94年27.2km1360千人834千人55千トン100百万円483,494千円529,026千円-45,532千円
97年27.2km1185千人711千人54千トン869人/日43名100百万円433,538千円493,681千円-60,143千円
01年27.2km946千人549千人678人/日45名100百万円265,460千円413,722千円-148,262千円
04年27.2km843千人605人/日30名100百万円224,867千円286,729千円-61,862千円

 ※上記数字は「数字で見る鉄道2003(01年度)」「数字で見る鉄道2006(04年度)」「鉄道ピクトリアル96年4月増刊号「関東地方のローカル鉄道」(94年度)」「年鑑日本の鉄道2000(97年度)」から引用(一部は引用資料から算出)しています。(04年度の定期通学人数のみ「年鑑日本の鉄道2004」から算出根拠資料を引用しています)
 ※空欄は「01年・04年の鹿島鉄道貨物量→貨物輸送廃止・それ以外の所→上記資料にデーター無し」を示しています。

 ・老朽化している過剰な設備がもたらす「ムダ」

 先ず感じるのは「何故こんなに車両が多いのだろう」と言う点です。前に「 鹿島鉄道の保有車両 」として車両について纏めた事が有りますが、今回の訪問でも石岡駅隣接の機関区をホームから見ながら写真を取りましたが、昼間と言う事も有り複数の車両が留置されていましたが、その姿を見ると鹿島鉄道の保有車両の多さを改めて感じさせられました。
 しかもその車両の内新鋭のKR-500系以外の、キハ714系・600系・430系に関してはどれも車齢が50年以上経過しており、人間ならば「働き盛りをチョット過ぎたぐらい」と言えますが鉄道車両として見ると明らかに老兵ですし、キハ600系にいたっては「日本最古の気動車」であり「戦前生まれの年寄」としか言い様の無い車両です。(私の父親より年寄で有る・・・)
 これらの車両は博物館としてなら保存価値の有る車両ですが、営業車両として考えると余りに老兵過ぎてメンテ部品に苦労するはずですし、メンテの手間・費用的にも大きな負担になっているはずです。又旅客サービス的にも非冷房は論外ですし(戦前生まれのキハ600系を冷房化しているのも驚きだが・・・)アコモディーションも大幅に劣ると言えます。


石岡機関区に留置している鹿島鉄道気動車(殆どが旧型の「老兵」である事が分かる)

 加えてKR-500系も最新鋭とは言えない物の車齢約18年の比較的新型であり、車両数や設備レベルから見ても本来は主力車両としてフル稼働していても可笑しくは有りませんが本年2月の訪問日も昼間KR-500系が2両動いているのに対し旧型車両が2両動いていてKR-500系が石岡で2両昼寝をしている状況でした。
 現在鹿島鉄道では運行の殆ど大部分が単行運転ですし、昼間で半分近くの車両が昼寝をしていると言う事は朝ラッシュ時の運行を考えても9両もの大量の車両は要らなかったのではないか?と考えさせられます。少なくとも昼間半分近くの車両が昼寝をしていると言う事は経営的に見て極めて効率が悪いということになります。
 メンテで効率の悪い旧型車両を多数持っていてしかも稼働率が悪いという事は経営的に大いなるムダを抱えている事になります。この様な例は「旧型電車の博物館」と言われた高松琴平電鉄と同じ状況で有ると言えます。高松琴平電鉄はコトデンそごう破綻に起因して民事再生法を申請し実質的に破綻しましたが、「鉄道事業の収益力が弱く設備投資が行われておらず合理化が遅れている」と言う点から見ると、この両社は似たような状況に有ると言えます。比較的外的環境に恵まれている高松琴平電鉄は再生しましたが、外的環境の厳しい鹿島鉄道は廃止に追い込まれてしまいました。
 輸送人員・沿線人口等の外的環境の厳しい鉄道に関しては「ギリギリまでの合理化」は存続のためには絶対条件です。鹿島鉄道の場合2002年の貨物廃止後公的補助を受けながら合理化を進め人員を3分の2まで減らしましたが、それ以外の設備の合理化投資・ムダの廃棄等が全く進んでいないと言うのが鹿島鉄道の状況で有ると言えます。これでは厳しい環境下ではなかなか生き残る事は難しいと言う事ができます。これが鹿島鉄道の生き残れなかった大きな要因で有ると言えます

 ・鉄道としては絶対的に少ない利用客数

 もう一つ廃止に至った決定的な要因として挙げられるのは「絶対的に少ない利用客数」と言う事が上げれると思います。私自身は鹿島鉄道には昨年2月の土曜日昼間と本年2月の平日昼間の2回しか訪問したことが無いので極めて狭小な一部分しか見て居ませんが、それでもその乗った数回の乗車機会で座席に溢れての立ち客を殆ど見ませんでした。この状況は一部を切り出しただけですが、実際は日常的な利用状況で有ると言えます。
 其れは上記表の統計数字に表れていると言えます。近年10年の94年→04年の10年間で利用客数が1360千人→843千人と言う様に517千人(38%)も減少しています。その結果今や輸送密度は605人/日であり、この数字は旧国鉄の特定地方交通線一次転換路線のレベルの数字です。この数字ではとてもでは有りませんが鉄道として生き残る事は厳しいと言えます。
 実際問題として「昼間で単行車両でロングシートで空席が有る」程度の輸送量と言う事は、実際乗っていても何時も10名〜30名程度の乗客しか居ないと言う状況を示していると言えます。これではバスで十分に運べるレベルの輸送量としか言えません。この様な輸送量しかないのに単独でインフラを占用する為に設備面で高コストな鉄道を維持するのは非常に困難で有ると言えます。その様な側面から考えれば「鉄道廃止→バス転換」は残念ながら「必然」と言わざる得ません。


平日昼下がりの鉾田行き車内 @小川高校下(利用客が少なく「鉄道マニア」を差し引いたら利用者はほとんど居ない)


存続活動のメインの学生も鹿島鉄道を利用しているのだが・・・ @東田中

 加えて致命的な打撃は需要の太宗を占める「通学需要」が減少していると言う事です。実際定期客は94年→01年で285千人(約34%)減少と言う様に大幅に減少しています。統計の数字は定期客と言う一括りなので通勤客と通学客の比率はどうなっているかは不明ですが、多分道路交通が発達している鹿島鉄道沿線地域である事を考えると通勤客は殆どが車に転移している可能性が高いと推察できますので、この減少分の大部分は沿線の中学・高校への通学客であると予想できます。
 今世間では少子高齢化が進んでおり中高校生の人口は減少傾向にあるのは全国的な傾向です。それに加えて地方では人口その物の減少がかなりのスピードで進んでおり、人口の基調としての低年齢層の減少と地方の衰退による過疎化の進行により全体的なパイが減っている状況では有りますが、それでも全国的人口及び沿線人口の減少よりはるかに早いペースでの、定期客が2割〜3割の減少と言うのは鹿島鉄道存続に取り致命的な状況であると言えます。(参照: 鹿島鉄道利用者の状況
 確かに今回の乗車時に東田中駅で中学生が乗車している姿を目撃しましたし(近隣の運動公園or石岡商業高校に用があったのか?)、東田中駅では駅利用の学生相手の軽食店「 おやつ処 いちけん 」が有るほどですから、「学生相手の店が有る」と言う事から考えてそれなりの学生の利用客は存在していると言えるのでしょうが、それでも今の鹿島鉄道では「朝ラッシュ時のごく少ない列車が2両編成でそれ以外は単行運転」と言うバスに毛の生えた程度の輸送力しか提供しないでも十分輸送できるほどの利用客しか居ません。
 利用者が減少しつつある状況の中で、非悪的収益性の高い普通利用客も減少しているのに加えて、「地方ローカル線最後の需要の拠り所」と言えて割引率が高く単価が安いが固定収入が入るのだけが取り得である通学客まで減少してしまうと、幾らなんでも鉄道は存続できないと言えます。

 このような利用客減少の状況では鉄道輸送のメリットである「大量輸送」の能力を生かすことが出来ません。鉄道事業はインフラ産業ですから定額の投資が継続的に無いと事業継続が困難になる特質が有ります。その投資をひねり出すにはそれ相応の利用者が有り収入が無いと経営を存続できません。
 その中で鹿島鉄道は「利用客減少→収入減少→設備投資が出来ない→合理化できず収支悪化&設備悪化でサービス低下→余計客は来ないし経営も苦しくなる」と言う「負のスパイラル」に突入してしまっていると言えます。実際鹿島鉄道は利用客が減少してしまい、今や「 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施行令 」による「特定地方路線」に該当すると同時に、所謂第一次特定地方交通線と言う分類に入る「選定対象線」の基準にも該当する路線であると言えます。
 旧国鉄ですら維持する事が出来なかった「究極のローカル線」と言える「第一次特定地方交通線」レベルの鹿島鉄道を一民間鉄道が維持できる筈が有りません。又これが第三セクター等公的セクターが加入する経営形態であったとしても「第一次特定地方交通線転換の第三セクター鉄道」の大部分が赤字に苦戦している状況である事から考えて、現在の鹿島鉄道レベルの輸送量の鉄道を維持すると言う事は極めて困難であると言う事ができます。その点で言えば鹿島鉄道は逆に「今まで良く生き残ってきた」と言う事が出来ます。
 只鹿島鉄道の経営に関して「もう少し改善の余地は無かったか?」と言えば「改善の余地は有った」と言う事が出来ます。2002年の貨物廃止時の騒動以前に支援を求める事でより安定した経営基盤を強化する事も出来たでしょうし、又2002年の補助受け入れ時に自治体と協議をして保有車両の更新による保有車両減少による合理化を図る事も出来たでしょうし、補助を受けなくても単純に旧型車両の廃車による保有車両の削減を図る事も出来たと思います。それらの延命の方策も打たずに只漫然と経営して補助を受け入れて経営してきたと言う鹿島鉄道の姿勢にも問題はあると思います。
 しかしそれらの「鹿島鉄道の経営姿勢の拙さ」と言う問題が有るにしても、それは「問題の根本に影響を与えるもの」では無い枝葉末節の問題であると言えます。今の鹿島鉄道レベルの輸送実績では如何なるマジックを使っても「奉仕・寄付や無制限に補助金を注ぎ込む経営」と言う様な常識はずれの運営が行われない限り運営は出来ないと言えます。その様に考えれば「鹿島鉄道の廃止」は必然であると言わざる得ません。鹿島鉄道の置かれた状況はその様な状況であると言えます。


☆ 鹿島鉄道存続に関しての市民運動について考える

 その様な極めて厳しい状況の中で何とか踏みとどまり運営されてきた鹿島鉄道ですが、2002年の貨物輸送廃止後存廃問題が浮上した時以来、鹿島鉄道の存続を訴えて幾つかの市民運動が活動していましたがその中心として活動してきたのが、沿線中高校の生徒会が中心となって結成された「学生運動」とも評する事ができる「 かしてつ応援団 」と、イマイチ内容が分からない形でしたが市民活動的に運営されている「鹿島鉄道を守る会」です。
 この2つの団体による存続運動は、正しく中高生の「学生運動」と一般の人々による「市民運動」に大別され一連の鹿島鉄道の存続運動を行ってきましたが、その両者の活動内容・活動への評価は全く相反する物となっています。しかし2002年以降鹿島鉄道の存廃に関して市民運動特に「かしてつ応援団」の果たした役割は大きい物が有ったと言えます。
 此処では鹿島鉄道の廃止問題について『総括』するに辺り、前では「廃止は必然」とした鹿島鉄道について、市民運動・学生運動は如何に活動してきてどの様に影響を与えてきたのか?検討して見たいと思います。

 ・「自分達の足の確保」と言う視点から地域交通を考え支えようとした「かしてつ応援団」

 先ずは「鹿島鉄道存続問題」の存在を全国区にしたと同時に、今までは極めて珍しかった「学生による鉄道存続運動」を形にして「日本鉄道省特別賞」を受賞し国土交通省からは「ベストプラクティス集」に取り上げられ、実質的に「国土交通省と言う御上の公認の活動」にまで成長した「かしてつ応援団」の活動です。
 確かに「かしてつ応援団」の活動の目的は「鹿島鉄道の存続」で有った以上、最終的な結果が「鹿島鉄道の廃止」で有った以上結果だけを見れば「かしてつ応援団の運動は失敗だった」と言う事が出来ます。活動の内容と評価は素晴しい物が有るとしても結果は冷徹で有る以上その結果は直視しなければならないと言えます。
 しかし活動の内容を見る限り、2002年の貨物廃止に伴う突然の存続問題浮上時には殆ど前例の無い中高生による鉄道存続運動である「かしてつ応援団」を立ち上げ、茨城県や沿線自治体へ運動を繰り広げ5年間の期限付きながら補助を引き出して「取りあえずの延命」を勝ち取ったと言う成果と、最終的には決定的な乗客増・収入増には結びつかず存続への切り札には成らなかった物の駅の美化等の活動を行い学生を中心に「鉄道を大切にする気持ち」を地道に広げて行き、鹿島鉄道と「かしてつ応援団」を全国区の知名度にしたと言う事は「かしてつ応援団の成果」として率直に評価して言いと思います。


鹿島鉄道存続運動最大の主役「かしてつ応援団」提供のラッピングトレイン

 又「かしてつ応援団」の考え方も、自分達に取り身近な「通学の足の確保」と言う視点で物事を考え、鹿島鉄道存続が絶対だと言う考えで「競馬馬」の様にのめり込む訳でなく、通学の足としての公共交通が確保される事が絶対であると言う、中高生の学生運動でありながらしっかりした考えで物を見ており、その考えは今までの活動の端々に見る事ができます。
 実際「かしてつ応援団」HPを見れば其れを端々に感じますが、「かしてつ応援団」の活動は昨年3月の廃止問題浮上以来、 ブルーバンドプロジェクトかしてつ祭り 等を開き、鹿島鉄道に注目を集めさせる様な活動を行いながら存続へ向けての努力は行ってきたと言えます。
 加えて「自分達の通学の足を確保する」と言う視点の下で活動したからこそ、何とか存続について知事・関東鉄道等に訴えながら廃線が決定する直前・直後から「鹿島鉄道廃止に関する公聴会開催・廃止決定時の代替交通機関についての説明会開催」を訴えたり、廃止決定直後には「 代替バス内容の早期開示・地域公共交通対策協議会設置 」等を訴えるなど、具体的方策は明示していなくても学生の足ともの有る地域の公共交通へ意見を反映させる方策を訴えるなど、鉄道onlyだけでなくもっと広い視野で自分達の足となる地域交通の有り方を考えていた点等は評価できると思います。

 只肝心な通学需要が減少傾向にあり、通勤定期客こそ下げ止まった物の最後まで通学需要客を下げ止まらす事が出来ず、日立電鉄の時の様に「存続運動をしても利用していないでは無いか!」と橋本茨城県知事に否定される程ではなくても、知事に定例会見で「 今のように利用して居ないのでは存続は難しい 」と言う発言をさせてしまう状況を改善できなかったのは惜しかったと思います。
 確かに鹿島鉄道を間接的に支援するイベントに関しては積極的に行われたとは思いますが、通学の実需を増やす事で自分達の主張を数字で裏付できなかったのは残念で有ったとは思います。しかし中高生に其処まで望むのは酷かも知れません。
しかし将来からの評価に対しての正念場はこれからかも知れません。今後とも地域に取り最低限の公共交通は必要な物です。今回の鹿島鉄道廃止後もバスと言う形で公共交通は残されます。その段階で今後とも地域の公共交通の活性化の為に今の様な活動を維持できるか?と言う所が大切で有ると思います。その点に関しては「かしてつ応援団」の今後の頑張りに期待したいと思います。

 ・「大人たちの市民運動」は本当に鹿島鉄道存続を考えていたのか?

 その様に「中高生の学生運動としてみれば賞賛できる活動」であった「かしてつ応援団」に対して、大人の存続活動はどんな感じだったのでしょうか?鹿島鉄道存続問題で大人の存続運動として行われていた活動として「 鹿島鉄道を守る会 」と「 鹿島鉄道再生存続ネットワーク 」があります。
 これらの団体に関しては過去にTAKAの交通論の部屋で「 鹿島鉄道存続の為の運動「かしてつ応援団」「鹿島鉄道を守る会」について 」「 『募金活動』だけで赤字地方鉄道を存続させる事は出来るのか? 」と言う2つの文章でそれぞれを取り上げていますが、その時にはどちらの団体に関しても否定的な見方をしましたが、実際の活動としては如何だったのでしょうか?

 先ずは鹿島鉄道を守る会ですが、この団体正直言って「存続運動へ何をしたのか分からない」と言う事が出来ます。鹿島鉄道を守る会のHPを見ても、前回取り上げた昨年2月以降に「具体的に何を活動したのか」と言う内容が殆ど出て居ません。実際鹿島鉄道関係で存続支援の為に行われたイベント等に名前は出てきますが「かしてつ応援団」が前面に出ていたのに対して、明らかに消極的であり「活動しているのか?」と言われても致し方ない状況で有ると言えます。
 確かにHPの内容は色々と書いてあり、「かしてつ応援団」「ブルーバンドプロジェクト」のHPでも「鹿島鉄道とその存続問題は 《鹿島鉄道を守る会HP》をご覧ください」と書いてあり、存続活動のアピールに対しては一応の努力をしている事は認められます。しかし実際の活動に関しては何も見えて来ず前の時に書いた「誰が会長でどのような会の概要か出ていない」と言う状況は変化無しですし「幾ら探しても「理念」「ビジョン」が見当たらない」と言う所も相変わらずと言う状況です。しかも今やHPを見ると「 廃線への日々 」で色々な事を取り上げていますが書いて有るのはボヤキばかりです。具体的活動が見えないのにボヤキばかりでは・・・「かしてつ応援団」のHPの内容と比較すると天と地の差で有ると言えます。
 この様な「顔の見えない市民運動」が大人の活動であり、一般市民の支持を受けられる活動なのでしょうか?私は「NO」であると考えます。今まで鉄道存続問題の市民活動に関して言えば色々な市民運動が有りましたが、「存続運動に汗をかかないと支持を得られない」「一般市民に顔が見えないと何も動かない」と言うのは今までの市民運動の多くの挫折の歴史で得られた「教訓」であると言えます。その教訓を生かさないで活動してきた鹿島鉄道を守る会は「本当に地域交通の中での鹿島鉄道存続を願って活動してきたのだろうか?」と疑いたくなります。


鹿島鉄道存続運動の片方の主役「鹿島鉄道を守る会」「かしてつブルーバンドプロジェクト実行委員会」提供のラッピングトレイン


 続いてもう一つの運動団体で有る「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」の運動ですが、先ずこの団体が出来たのは昨年の9月でしたが、この時期は正しく存続運動が存廃が決まらずに居た物の廃止への流れが決定的になりつつあり、正に「廃止へ向けて押し切られようとする時期」で有ったと言えます。
 この組織はその主体となり始めた「存続再生基金」でメンバーこそ「地元の名士や地元NPO代表」を集め地域全体での活動を表明し「2億円の募金」と言う高い目標を掲げて「存続再生基金」への募金受付を行いましたが、昨年12月11日段階で約2240万円と10分の1しか集まらず実質的に失敗しています。
 加えて昨年11月の鹿島鉄道対策協議会による「 鹿島鉄道線運行事業者募集 」に岡山電気鉄道との提携を協議中と言うのを売りにして応募した物の、 TV東京ガイアの夜明け で丁度鹿島鉄道存続再生ネットワークと両備グループのやり取りを放送していましたが、鹿島鉄道存続再生ネットワークは両備グループに支援要請に訪問していたが、両備グループは現地調査をして「地元の反応は薄く、地元一体の支援を受けられない」と判断して鹿島鉄道継承の新事業体に支援をしないことを決めた内容が放送されていました。
 このテレビの中で両備グループ小嶋代表が「沿線の方たちがなくては困るという気持ちで(存続)運動をされていくかどうかが大切」と言っていましたが、正直言ってTVでも沿線住民の集会が放送されていましたが、鹿島鉄道を守る会にしても鹿島鉄道存続再生ネットワークもその小嶋代表の言葉に応えた活動をしていたか?と考えれば「NO」であると言えます。
 結局鹿島鉄道存続再生ネットワークと言う「俄か造り」の組織は其処までの活動が出来なかったと言う事ができます。その点から考えれば鹿島鉄道存続再生ネットワークと言う急に出てきた「根の張っていない組織」が最後の段階で「(俄か造りの)引受事業主体」として立候補するような状況になった瞬間に「大人たちの存続市民運動」は大失敗で有った事が証明されたと言えます。

 正直言えば前に述べてきた鹿島鉄道の現状を考えれば両備グループが支援を断念したのは当然であると考えます。けれどもその様な支援を断念する状況にまでなってしまったのは、大人の市民運動が余りに広まらなかったと言う点に尽きると思います。
 確かに茨城県や沿線自治体も消極的姿勢であり、最後の事業者公募時にも提示した支援の金額が少なく「存続活動実施のアリバイ作り」の公募で有ったと思われても仕方ない姿勢で有ったと思います。両備グループが手を上げず茨城県や沿線自治体が消極的姿勢に終始したのも鹿島鉄道の現状が旧国鉄「第一次特定地方交通線」レベルと言う状況から考えれば有る意味致し方ないと言えます。
 しかし存続への活動と言う意味では本来中高生が「かしてつ応援団」で盛り上げた素地が有ったのですから、大人の市民運動はその素地を受けてもう少し上手いやり方が有ったと思います。実際2002年に補助金を勝ち取り今まで運動の前面に立ってきた「かしてつ応援団」のサイトに今年3月の廃止届け提出後から「今度は大人の出番だと思う」「9月以降は「大人の出番」」と言う言葉が散見される様になります。つまり廃線問題が現実化した段階で「学生運動では限界」である事を中高生が自覚して、「此処からは力を持つ大人が前面に立ってほしい」と言うシグナルを送っていた事になります。
 此処まで状況が揃えば「鹿島鉄道存続運動が何故失敗したのか?」と言う事が明らかになったと言えます。つまり存続運動に対して大人が余りにも愚かで中高生の学生運動である「かしてつ応援団」から上手くバトンを受け取って活動を盛り上げられなかった事に有ります。この失敗は他の路線での存続運動における市民活動の失敗よりかもはるかに重い失敗で有ると言えます。なんせ一度は成功し日本鉄道賞特別賞を受け国土交通省ベストプラクティス集にまで取り上げられた学生の運動を無残にも潰してしまったのですから・・・。この意味の重さを考え今後の市民運動に生かして行く事が、鹿島鉄道存続問題の学生運動と市民運動の『総括』として極めて重要なのでは無いでしょうか?


☆ 取り巻く環境が厳しい地方ローカル線が未来に向けて生き残るには何が必要か?

 此処まで鹿島鉄道存続の失敗に関して「置かれている状況」と「学生運動・市民運動の状況」を分析すれば、「なぜ鹿島鉄道が廃止されたのか?」と言う事は明らかで有ったと言えます。要は一言で言えば「鹿島鉄道は鉄道として存続できる最低ライン以下に有った」から存続する事ができなかったと言えます。
 ではその「存続できる最低ライン」は何処に有ったのでしょうか?それは近年の民鉄ローカル鉄道の「存続と廃止」の事例の中で輸送密度を基準にして分類をしてみれば有る程度明らかになると言えます。

 「近年の民鉄ローカル線の『存廃と輸送密度』の関係」
路 線 名神岡鉄道くりはら田園鉄道鹿島鉄道加越能鉄道日立電鉄京福電鉄(福井)名鉄美濃町線南海貴志川線
輸送密度62人/日198人/日605人/日1,237人/日1,394人/日1,438人/日2,339人/日3,112人/日
状  況廃  止廃  止廃  止第三セクターで存続廃  止第三セクターで存続廃  止和歌山電鉄で再生
 ※上記表の輸送密度は「数字で見る鉄道2006(04年度)」「年鑑日本の鉄道2004」「 鹿島鉄道対策協議会資料 」から引用しています。

 これを見れば生き残る為には「最低限1,000人/日」の輸送密度が無いと存続する事は難しいと言う事が分かると思います。しかも旧国鉄「第一次特定地方交通線」レベルの輸送密度2,000人/日以下で有る場合、第三セクターと言う厚い補助が行われるスキームで無ければ鉄道としての存続は厳しいという事がこの表から見ると分かります。これがもし「民間事業者運営・自治体定額補助・上下分離」スキームで有る場合、輸送密度が2,000人/日を超えていないとなかなか存続は難しいと言えます。
 只歴史を振り返ると、旧国鉄「第一次特定地方交通線」の第三セクター転換時には輸送密度1,000人/日以下の路線も第三セクターで鉄道として存続した路線もありますが、それらの路線は比較的良かった景気と言う環境と特例として「転換交付金」「5年間の1/2赤字補助」と言う補助スキームが有ったからこそ存続できたのであり、地方の景気も低迷し補助スキームが厳しい現状では、旧国鉄「第一次特定地方交通線」の「輸送密度三ケタ」レベルでは残念ながら生き残る事は厳しいということが出来ます。

 この状況を鹿島鉄道に当てはめれば、鹿島鉄道が如何に存続するのに厳しい状況で有ったかは明らかで有ると言えます。少なくとも存廃問題が浮上した鉄道では民鉄だけでなく第三セクター鉄道でも鹿島鉄道レベルで生き残った鉄道は有りません(高千穂鉄道→休止・504人/日 のと鉄道能登線→廃止・766人/日)そう考えると鹿島鉄道の輸送密度605人/日と言う輸送量では残念ながら生き残るのは非常に厳しいと言えます。
 その上鹿島鉄道の場合、運行者公募の条件で「 経営支援・近代化補助合わせて5年間6.5億円の補助 」が有る旨が発表されていますが、この補助は鹿島鉄道の置かれている状況から考えると充実した補助とは言えません。輸送密度で3,112人/日の南海貴志川線の場合「 10年間で8億2千万円の運行費補助 」が約束された上で運行者が公募されています。確かに補助の総額では鹿島鉄道の方が手厚いですが、輸送密度から見れば経営環境は極めて厳しい・5年間しか保証されていない・近代化補助分まで含むと言う点から考慮すると、此れだけの補助では鹿島鉄道に新運行事業者を公募しても、鉄道運行経験が有るという点で事業継承の実現性の高い既存民間鉄道事業者から応募する会社が現れる可能性は低いと言う事ができます。


「未来へ走れ!」と言っても、50歳の老兵相手に言うのは余りにも酷では? @小川高校下


 まして鹿島鉄道の場合、車両・設備の老朽化がかなり進んでいます。車両に関しては前にも述べた様にKR-500系4両が車齢18年で有りますが、それ以外の車両5両は車齢50年以上が経過しており車両的には運行形態で削減ができるにしても1両〜2両に関しては早急な更新が必要な状況であり、インフラ設備もPC枕木化等も進んでおりそれなりのレールも使われては居ますがバラストが痩せており早急な補充・更新が必要な状況です。又駅舎も老朽化が進んでおり「かしてつ応援団」によるペインティングが行われていますが、提供されているサービスレベルはきわめて低い状況に有ると言えます。その為に数億円以上の設備投資が必要で有る事は明らかです。
 これは「未だ車齢が全車40年未満(設備更新後約10年)」であり「3箇所の変電所のうち2箇所は未だ竣工後40年未満(約60年経過の伊太祁曽変電所の更新は和歌山県が補助を約束済み)」と言う大手民鉄による運営のおかげで、比較的新しいインフラを使う事が出来る南海貴志川線(→和歌山電鉄)の状況と比べると、極めて厳しい状況に有ると言えます。
 確かに「沿線の市民運動の熱意の差」等が要因として有ったとしても、それ以上にこの様な「インフラのレベルの差」が有ったからこそ両備グループは貴志川線に関しては応募を行い鹿島鉄道に関しては応募を断念したのだと思います。それだけ鹿島鉄道の場合運営の為の基本的条件が劣っていたと言えます。

 この様に検討して見れば鹿島鉄道に限らずローカル鉄道が生き残る為には何が必要か?明らかで有ると言えます。
 先ずは絶対的な要件としての「輸送需要の存在」と言う問題です。輸送距離・沿線人口・潜在需要・環境・ネットワーク等検討に値する色々な要件が有りますが、それらを加味しても最低限輸送密度で1,000人/日以上つまりは旧国鉄「第一次特定地方交通線」選定基準の半分以上は無いと鉄道として維持する事は極めて難しい言う事です。
 正直言って輸送密度が1,000人/日以下の場合はバスに転換して、運行本数の増加と路線網を稠密化で利便性を向上して地域の公共交通を維持・確保するほうが社会的には効率的で有ると言えます。それが1,000人/日〜2,000人/日の場合はバス転換or鉄道維持で各種の状況に応じてケースバイケースで検討すべきでしょう。只この場合鉄道を維持する場合民間鉄道として維持するには極めて難しいので、第三セクター化or公営化等極めて厚い補助を与える事で路線維持を担保しないと路線維持は困難で有ると言えます。これが輸送密度2,000人/日以上になると、輸送量的に鉄道で維持する事は比較的容易で有ると言えます。この様な場合「設備投資への補助or上下分離・欠損金への定額補助」等の補助が有れば民間企業で路線を維持する事は努力をすれば可能で有ると考えます。
 その上で「インフラレベルが有る一定以上必要で有る」と言う点です。路線存廃問題が発生する前に有る程度継続的に投資がされており、将来も継続的に一定の投資を行えば鉄道を維持できるレベルに有る場合、当然の事ですが鉄道として維持できる確率は高くなります。ローカル線の場合インフラレベルが劣って施設・車両等が老朽化している場合が多いですが、その様な場合数億円〜10億円以上の投資が必要になります。そうなると路線維持へのハードルは高くなると言えます。例えば輸送密度が1,394人/日で廃止された日立電鉄・2,339人/日で廃止された名鉄美濃町線の場合、路線存続に対して「インフラレベル(特に軌道関係)の劣悪さ」が足枷になった可能性が多いと言えます。実際事故で休止の鉄道を再生したえちぜん鉄道の場合と言う 113億円の基盤整備 と言う巨額の費用を投じてインフラ施設を再生してます。こうなると輸送密度が有れど鉄道で維持する効果に疑問が生じ鉄道廃止と言う選択が現実化します。
 それらの「実際の輸送量」「最低限のインフラレベルの資産の継承」が有って初めて「鉄道存続」と言う問題が具体化すると言えます。幾ら市民運動が頑張ってもこれらの収入と支出の根本で足枷が有る場合、鉄道を維持する事は非常に困難であると言う事が出来ます。そのハードルをクリアして初めて「鉄道」の存続が検討できると言う事が出来ます。

 地方の最低限の公共交通は全国で絶対維持されなければなりません。それが地方の維持・地域住民の格差是正の為には絶対必要であり「最低限」の交通手段維持の為に国・都道府県・市町村が税金を投入しても地域に保証を与え万難を排して絶対支えなければなりません。しかしそれはあくまで「最低限の公共交通」であり、地方ローカル線・地方バス路線が輸送力・輸送効率的に「最低限の公共交通」では無い場合も多数有ります。鹿島鉄道の様に「バスで十分運べる」場合は何も税金を投じて鉄道を維持するよりその税金を投じてバス転換してサービスレベルを向上させたほうが社会全体の効率性を考えると効率的で有る事は誰が見ても明らかです。
 其れは正しく鹿島鉄道でも当てはまる事で有ると言えます。社会の合理性で考えれば鹿島鉄道存続は「次善の策」であり一番大切なのは「地域の公共交通を維持する」と言う事です。あくまでも「鹿島鉄道存続」が目的ではなく「地域公共交通の維持」が目的なのです。その事を考えて「地域に取り最善の事」を継続的に行う事がローカル線だけではなく地方の公共交通が「未来に向けて生き残る為に必要な事」で有ると言えます。

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 今回前回の訪問から約1年ぶりに鹿島鉄道を訪問しましたが、正直言って1年前に「 かしてつを救うことができるのか? 」で危惧した事が現実となったのだな!と改めて感じさせられました。その時には「輸送密度が678人/日しかなく年間約1.5億円の赤字を出す(鹿島)鉄道の存続の社会的合理性を提示する・存続のための巨額の費用を集めるスキームを作り実行する」事ができなければ「かしてつ応援団」が頑張っても鹿島鉄道は維持できないと結論で述べていますが、正しくその様になってしまいました。
 私は正直言って市民運動に関しては極めて否定的です。日立・岐阜等「市民運動の敗北の歴史」を見てくれば、市民運動が如何に社会に訴えかけて社会を動かす活動をすることが出来ないのか!と言う事は分かると思います。それが社会の中で極めて限定された人たちの運動でその限定した人たちの「敗北」であれば「自業自得」で済ませるだけで良いと思います。
 しかし鹿島の場合上述の様に検討した様に存続には極めて厳しい状況・環境の中で、「かしてつ応援団」と言う中高生の学生運動が此処まで盛り上げてきた中で、大人が無為無策で何も出来ずに敗北をしたのは極めて意味が大きいと言えます。社会的に評価されている中高生の学生運動に対して、大人の市民運動が何も応える事が出来ず、存続運動に敗北をしたらあっと言う間に活動が消極的になり未だに中高生が必要な「最低限の公共交通維持」に向けての意見反映等の運動すら行えず、中高生の「かしてつ応援団」が「代替バスの説明会開催・地域公共交通対策協議会開催」と言う主張を行っている状況です。

 この様な現状を見れば「何故鹿島鉄道存続の市民運動が敗北したのか?」と言う事に対して「回答は出ている」と言う事が出来ます。大人の市民運動が余りに愚か過ぎて日立・岐阜の失敗を繰り返し、全国的評価を得ている中高生の学生運動「かしてつ応援団」の活動に泥を塗り、潰してしまったのです。このことの意味は非常に重いと言えます。正直言えば「こんな市民運動ならやらない方が良い」と言う事が出来ます。今回のこの様な大人の市民運動は「失敗であった」と感じるのは私だけでしょうか?
 諺では「愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ」と言いますが、やはり市民運動とて自分達だけの考えで動くのではなく「成功の歴史・失敗の歴史」に学ばなければなりません。ローカル鉄道の存続運動では色々な要素が有るにしても「高岡・福井・和歌山」と言う身近な成功例が有るのです。それらの活動に学ぶ所は非常に多いと言えます。それらに学び上手くアピールする市民活動を行えば、厳しい状況に有れども存続を達成することが出来る可能性が高まる事も有ったかも知れません。その可能性を今回鹿島では中高生の学生運動「かしてつ応援団」が広げたにも関わらず「大人の市民活動」が摘んでしまったと言えます。今後鉄道の存続運動を市民団体が行うに当り「この歴史」に学ぶべきであると考えます。
 今回昨年2月の段階で「結果の予想は出来ていた」と言えども、改めてその「悪い予想」が当たってしまい実際に惨敗の上で廃止になる状況を見ると、改めて中高生が行った努力を思い起こすと極めて暗然とした気持ちにされます。今や市民運動は「存続運動の癌」なのかもしれません。何とかその状況を打破しないと今の地方の公共交通の厳しい状況を改善することができない可能性も出てくるのではないでしょうか?




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