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「ローカル線廃止」の「ドミノ倒し」は止まるのか?

−近年のローカル線廃止問題について考える−



TAKA  2006年11月25日


  
ドミノのように倒れていくローカル線 左:名鉄岐阜市内線 中:日立電鉄 右:鹿島鉄道


※本記事は「 TAKAの交通論の部屋 」「 交通総合フォーラム 」のシェアコンテンツとさせて頂きます。

 前にもTAKAの交通論の部屋・交通総合フォーラムで「 近年のローカル線の廃止問題について考える−ローカル線廃止の根底に有る物は何か?− 」等ローカル線廃止問題について色々と述べてきましたが、またひとつローカル線が消えようとしています。「 かしてつ応援団 」などでその存続運動に注目が集まっていた鹿島鉄道の廃止が濃厚になって来ました。
 11月19日の「 鹿島鉄道対策協議会 」では鹿島鉄道㈱による鉄道運営継続を断念し、新たに11月27日からの2週間で「 鹿島鉄道の運行事業者を募集 」する事になりました。来年3月には廃止する旨の届けが出ている鹿島鉄道で、約一週間後に運営者公募開始→二週間の期間で募集→その後一週間で決定というのは、今から次の運営者の当たりがついていない限り「努力のアリバイ造りの公募」であり、「同時に代行バスの運行方法についても検討する」と言うことに加え、定額の欠損補助は出すがインフラの所有もせず上下分離型式も取らないと言う地方自治地帯の消極性から考えて、実質的には「廃止の方向で進む」と言う事で間違いないといえます。

 近年地方ローカル鉄道の廃止が止まりません。昨年〜来年の範囲で見ても私が今記憶から引き出せるものだけでも「名鉄岐阜市内線・日立電鉄・西鉄宮地岳線(一部)・神岡鉄道・くりはら田園鉄道」等々の廃止が現実になったり予定上に上っています。この後にも廃止が提議されている鉄道も有り、今や「ドミノ倒し」とも言えるこのローカル線廃止の流れは止まりそうに有りません。
 しかしもう一方で立派に再生した地方ローカル線も有るのもまた事実です。廃止が提議されながら新しい経営主体で存続が決まったローカル鉄道と言えば「 万葉線三岐鉄道北勢線富山ライトレール ・えちぜん鉄道・わかやま電鉄」等々があり、これまた数多いと言うことができます。
 このように見れば「ドミノ倒しの波」に巻き込まれ倒れてしまう会社も数多い中で、「地獄の淵からの生還」を果たす会社も又数多いと言う事ができます。この様な「廃止と存続」と言う「明と暗」を分ける差は何処から出てくるのでしょうか?今回はこの様な「地方ローカル線存続問題の明と暗」から近年のローカル線廃止問題について考えてみたいと思います。

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 ☆先ず明暗を分けるのは「需要の大小」と「経営の効率性」であるのは明らか?
 
 先ずこの「廃止と存続の明暗」を分けたものは一体なんだったのでしょうか?私は「需要の大小」であったと考えます。一般的にいえば需要量は収入に比例します。収入が多ければより原価をカバーしやすくなり赤字になる可能性が低くなり、赤字に成らなければ民営鉄道として運営のメリットが有る事となり、廃止になる可能性は減る事となります。
 加えて収支の上では「経営の効率性」が重要であることは明らかです。旅客が長い距離に料金単価の高い優等列車で乗ってくれる幹線であれば別ですが、一人当たりの乗車距離がそんなに長くなく距離当りの客単価の低い地方ローカル鉄道の場合、同じ利用客数であれば運営コストの低い短い路線のほうが経営収支的には楽である場合が多いと言えます。
 例外があるにしても一般的に考えればこれらの要素がローカル線廃止の場合、廃止or存続と言う「天と地」を分ける要素になることが多いと考える事ができると思います。この要素について以下の表で考えてみたいと思います。

 「各鉄道の1日当たり乗降客数の総和」
鉄道名○富山港線×鹿島鉄道×神岡鉄道×くりはら鉄道○貴志川線×揖斐・美濃町線×日立電鉄○三国芦原・越前本線
乗降客数7,112人7,049人251人1,873人14,187人16,613人21,242人21,563人
利用者数3,556人3,525人126人937人7,094人8,037人10,621人10,781人
営業距離7.6km27.2km19.9km25.7km14.3km37.1km18.1km53km
 ※参考サイト「 ポンコツ・鉄道レポート 乗降者数総覧 」他 利用者数は総乗降客数の半分で計算(小数点以下四捨五入) ×印→廃止・○印→存続

 こう見ると「なぜ廃止になったか分かる路線」「なぜ存続されたか分かる路線」がそれなりに見えてくると言えます。×印の廃止路線の中で神岡鉄道・くりはら田園鉄道の2路線はあまりにも利用客が少なく「バスでも赤字」と言うレベルの輸送しか行っていません。ですからある意味鉄道として機能していなく「廃止」となって当然といえます。そしてこの2鉄道ほどではない物の鹿島鉄道も似た様な状況にあるといえます。
 又○印の路線の中で南海貴志川線は路線距離の割りに利用客が有り、富山港線(富山ライトレール)は利用者数は少なくても距離が短いので効率的経営の余地はあり(そのためLRT化で花開いた)残っても可笑しくない路線であると言えます。
 そうなると問題は「存続の可能性が高い」感じに見える路線です。つまりそれなりの利用客がいてそれなりの距離でありながら「存続」「廃止」の明暗が法則に逆らって分かれてしまった路線「名鉄揖斐・美濃町線、日立電鉄、京福三国芦原線・越前本線」です。この三路線は1勝2敗と言う感じになり京福だけが「えちぜん鉄道」として存続していますが、ここには大きな明暗を分けたものが存在します。それは「存続への意思と行動」です。

 ☆存亡の瀬戸際に立った地方ローカル鉄道が生き残るには「決断と投資」が必要?
 
 その様なボーダーライン上の鉄道が存続するとなると、そこに必要なのは「決断と投資」であると言えます。しかし逃げ出そうとする鉄道事業者に当然前向きな「決断と投資」を求める事は出来ません。そうなるとその「決断と投資」は地方自治体に委ねられる事になります。つまり「地方自治体に積極的に鉄道を残す決断とそれを生かすための投資を行うことが出来るか?」と言う点に地方ローカル鉄道の存亡はかかっていると言えます。
 今までのローカル線廃止問題の経過を見ると、廃止問題で一番あえなく挫折したのは名鉄揖斐線・美濃町線と日立電鉄です。これらの鉄道は一応存続に向けての検討が行われはしたものの、廃止届が提出されてからは「是々非々」と言う雰囲気で検討が行われた後比較的安易に廃止が決定されています。これらの鉄道は確かに「市街地・地域の流動の実体と合っていない」「設備老朽化が著しく大規模な投資をしないと立ち直れない」と言う大きなマイナスがあったのも事実です。しかしそれ以上に今からその経過を振り返ると明らかに「地域(自治体)に鉄道存続への強い意志がない」と言う点に廃止への道をたどった原因が有ると言えます。
 それに対して生き残った3社に対しては、方法こそ「第三セクターLRT・上下分離の上運営者募集・第三セクターでの運営」と異なっていますが、何処にも言えることは沿線関係自治体が存続へ向けて「決断し金を出し投資をした」と言う点にあるといえます。

 「各鉄道への補助内容」
鉄道名具体的補助内容
富山ライトレール 富山市→運営第三セクターの設立・上下分離方式の採用・総事業費のうち13億円を補助
えちぜん鉄道 県→基盤整備に113億円を支出 沿線自治体→運営第三セクター設立・10年間で31.2億円の損出補填
わかやま電鉄 県→用地取得費を補助金支給・大規模修繕へ2.4億円支出 沿線自治体→鉄道用地保有・10年間8.2億を上限に欠損補助し運営者募集

 これだけの補助はかなり大きいと言えます。加えてこの3鉄道で採用している方法が「 上下分離方式 」です。つまり線路等のインフラ資産は公共財として自治体が責任を持ち、実際の運行に関しては補助を与えた上で運営主体に責任を持たせると言うやり方です。
 つまり地方ローカル線の廃止問題にぶち当たった時に安易に廃止を考えず、考えた末に公共交通への自己の責任を「インフラ整備+一定の欠損補助」と言う費用拠出で果たし、その上で新たな運営主体に委ね運営主体自己の責任の下で採算性の合った鉄道事業を営んでもらい、それにより地域の公共交通維持と言うスキームを確保すると言う道を選び、その結果が「地方ローカル線の存続」と言う結果をもたらしたと言えます。
 この様な「地方ローカル線再生の成功例」は富山ライトレール・えちぜん鉄道・わかやま電鉄だけでなく、近鉄が廃止し沿線自治体が旗を振り三岐鉄道に移管され運営される事になり、大規模な設備投資でナローゲージの軽便鉄道をリストラクチャリングをしている「 三岐鉄道北勢線 」にも言える事で、近年のルーかる線再生の模範的事例と言う事が出来ます。

  
地方ローカル線再生の成功例 左:三岐鉄道北勢線 右:富山ライトレール

 この点から考えると「鉄道として機能しない」レベルと言う最低限以上のレベルにありながら廃止問題に直面する各鉄道は、(当然ですが)自助努力では存続することが出来ずにその運命を「廃止と言う名の滅亡」もしくは「白馬の騎士による救済」に委ねるしかない状況の中で、「白馬の騎士」と言う名のスポンサーに唯一成れる地方自治体の「決断と投資」が地方ローカル線を救うには必要な条件であると言う事ができます。

 ☆今や市民運動の効果は限定的なのか?

 地方ローカル鉄道の存続に「投資と決断」が必要なのは前述の通りですが、あくまでその決断をする「白馬の騎士」は地方自治体でなければ担い切れる物ではない事は過去の存続の前例を見れば明らかであると言えます。
 その様な「地方自治体の重要性」が明らかになったのと比例して、その力の限界を露呈したのは「市民運動」で有ると言えます。
 市民運動自体は近年で言えば高岡の万葉線存続への RACDA高岡 の役割の大きさや、存続の成功事例である和歌山でのNHKテレビ「 ご近所の底力 」での放送に起因する「 貴志川線の未来を作る会 」の活動による貴志川線の和歌山電鉄としての再発足・福井えちぜん鉄道の存続とえちぜん鉄道に出資まで行った「 ROBAの会 」の活動等成功事例も存在しました。
 しかしそれ以上に、和歌山電鉄での「存続成功」を最後に、直近では岐阜・日立と存続活動の失敗とローカル線廃止と言う「存続への市民活動の失敗例」が多数出て居る状況になってしまい、まして「学生による存続運動」でありしかも「一度は県に補助を出させて延命を果たした」上に「日本鉄道賞特別賞」まで受賞した「かしてつ応援団」を擁していた鹿島鉄道の存続問題も、結果的に存続が絶望的とまで言える状況になってしまい、今や「市民運動による存続運動」は完全に苦しい状況に追い込まれていると言えます。
 その原因は「稚拙な戦術の為に一般に支持を拡げる事が出来なかった」と言う点に有ると言えます。岐阜の場合岡山の活動家が参加し市民運動はそれなりに動き、岡山電気軌道が事業継続に色気を出すまでは持っていけましたが、地域の総意と自治体の考えを動かすことが出来ず廃止になってしまいましたし、日立の場合高校生が「かしてつ応援団」を真似た「日立電鉄線維持存続をもとめる高校生徒会連絡会」をつくり活動をした物の付け焼刃の活動で地域全体に拡げる事が出来ず存続に挫折し、鹿島の場合は高校生の「かしてつ応援団」が中心となり活動を盛り上げ、一時は地域自治体の欠損補助を勝ち取り当座の存続を果たしその為に「日本鉄道賞特別賞」まで受賞しましたが、地域全体の大人の市民活動が廃止直前の本年後半の「鹿島鉄道存続再生ネットワーク」による『存続再生基金』募金運動までは目立った運動が行われず高校生の活動をフォローすることが出来ず、運動自体は「かしてつブルーバンドプロジェクト」等々で盛り上がった物の最終的には「廃止までのファイナルカウントダウン」と言う状況にまでなってしまいました。
 この様に廃止になってしまった鉄道でも「存続に向けた市民活動」は行われていましたが、残念ながら存続を果たすことが出来ませんでした。なぜこの様になってしまったかと言えば究極は「地域・自治体を動かすだけのビジョンを示すことが出来なかった」と言う一点に尽きると思います。岐阜の場合は岡山からの助力があった段階でプランが公表された後複数の所から 事業計画 等が公表され、現在でも沿線のショッピングモール運営会社が主体となり「 路面電車エンジェル基金 」などを作っていて廃止後の再生に向けた動きもありますが、日立の市民運動ではそのような具体的な動きはほとんどなく、鹿島鉄道の場合も「鹿島鉄道対策協議会」で鹿島鉄道㈱による鉄道運営継続を断念「鹿島鉄道の運行事業者を募集」と言う動きが決まってからの極めて短い期間で「 鹿島鉄道存続再生ネットワーク 」が「新会社を設立の上運行事業者に応募」と言う付け焼刃的行動しか行えていません。
 正直言ってこの様な「付け焼刃」的な存続運動では世の中の支持を得ることは出来ません。特に鹿島鉄道の存続運動の場合に言えることですが、「鉄道施設を保有する」「第一種鉄道事業者」が運行事業者の募集の条件になっているにもかかわらず、運行実績もなく鉄道事業の経験者でもない人たちがたかだか数ヶ月で「会社を作り、運行経験者を集め、鹿島鉄道と資産譲渡の交渉を行い、来年4月1日から運行開始」と言う事がを出来るとは誰が信じられるのでしょうか?又鹿島鉄道の鉄道資産は帳簿上では「鉄道事業固定資産422,712千円」と言う評価になっています。これだけの資産をまだ出来ていなくて資金的裏づけが「 約2200万円の存続再生基金 」しかない団体に行うことが出来るのでしょうか?それだけでもこの市民団体の行動の現実性に大いなる疑問があると言えます。

  
「けなげな市民運動」や「募金活動」では地方ローカル鉄道は維持できない? 左:かしてつ応援団のPR活動 右:岐阜の「路面電車エンジェル基金」のポスター

 要はこの様な「世間一般常識」から見ると「非現実的」と取られてしまう様な市民活動では、実態の社会・経済経済の中で運営されている物を代替する事は所詮困難であると言う事が出来ます。「鉄ヲタ」間での議論ならいざ知らず、その様な社会的に見て非現実的な内容の運動で市民の支持を集めることも出来ませんし、社会を動かすことも出来ません。
 市民団体の運動がローカル鉄道存続の成功に寄与した高岡などの例を見ると、「地に足が着いた活動」「行政・地域との上手い協力関係」「現実的と捉えられるビジョン」が有ったからこそ存続活動が成功し、数千万単位の募金を集めローカル鉄道存続に一定の寄与を果たす事が出来たのです。その成功の事実を学ばなければ上手くはいかないでしょう。
 しかしながらその様な成功例でも、実際存続に大きな力を発揮して資金の大半を出しその後の運営に大きな力を果たした「白馬の騎士」は地方自治体です。市民団体は「白馬の騎士」を呼ぶ事は出来ても実際の行動の大半を担うだけの力は残念ながら無い、そのことを自覚の上「如何に白馬の騎士を引き出すだけの世論を作り」「白馬の騎士が出てきたら如何にしてサポートするか」と言う点に活動の重点を置くべきでしょう。「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」では有りませんが、市民団体がその力を知りその中で最善の行動を行い、限定的な影響力を発揮することが必要であると言えます。

 ☆では「地方ローカル線のドミノ倒し現象」を防ぐには何が必要なのか?

 以上の様に「地方ローカル線の廃止・存続」と言う問題に関しての「成否を分ける要素」を見てきましたが、そこから「地方ローカル線の存続に必要な物」が見えてきたと考えることが出来ます。果たして地方ローカル線の存続に必要なものは何なんでしょうか?以下において結論に変えて「地方ローカル線の存続に必要なもの」について考えてみたいと思います。

 ◎先ずは「需要・公共性」の点から取捨選択をする事

 先ず言える事は「今あるローカル線すべてが必要な路線ではない」と言う点です。鉄道とは「大量輸送機関」であり、中〜大量の輸送をする場合は効率的に運営が出来るが、中〜少量の輸送をする場合は「一般鉄道→新交通システムやLRT等の軽鉄道→バス」と言う順でその輸送量に適合する交通システムは変化すると言うことです。
 その様な場合「鉄道であるのは非効率」であるのに鉄道として残すと言うのは、他の公共交通機関の能力とのバランスや地域性や公共性の側面からの例外を除いて好ましい事ではありません。バスで適当な輸送量しかないのに鉄道を残して空気輸送をするのは、無駄としか言う事は出来ません。その様な場合は廃止すべきであると考えます。
 この視点で今まで廃止された路線を検討してみると、バスで代替可能なレベルの輸送量(単純に考えてバス1台に30名を載せたとして1日15時間*毎時4往復=運行本数120本*30名=3,600名程度ならばバスで十分と言える)の路線具体的に言えば神岡鉄道・栗原田園鉄道・鹿島鉄道・富山港線は、只単純に考えれば「鉄道として存続しておく価値は無い」「バスに変えたほうが良い」鉄道であると言うことが出来ます。
ただしこの視点は一概には言えるものではありません。実際富山ライトレールのように普通鉄道からより効率的なLRTに変えるという選択肢もありますし、富山ライトレールの様に効率運行が出来て利便性が高いLRTに転換する投資をしたら利用者が大幅に増えた約2,000人/日から5,200人/日に倍以上増えたと言う例もありますが、実際は沿線人口と言う名の潜在的需要が無い場合は富山ライトレールの様には上手くはいきません。
 その様な「潜在需要」等を総合的に勘案しつつも、一般的に言えば地域特性・公共性・需要量等から考えても「鉄道としてふさわしくない路線」と言うのは地方には多数存在していると言えます。その様な路線に関しては「ドミノ倒しの様に廃止」と言うのは致し方ないといえます。その様な「社会的役割を終えた路線」は除外した上で地方ローカル線の存続問題は考えるべきであると言えます。

 ◎続いては公共性の側面から「存続の価値が有る鉄道」に対して補助スキームを考える事

 その様に「鉄道として存続価値の無い路線・存続価値の有る路線」を取捨選択した後、此処でもう一つの色分が出来ると言えます。自主独立で運営する事が出来る鉄道であるか、自主独立では運営できないかの選択です。つまり新幹線・都市間輸送幹線・大都市近郊路線以外のJR・民鉄・第三セクター路線いわゆる地方ローカル路線の中で、経常黒字を出している路線を先ずより分けるべきです。実際に特に中規模都市の近郊鉄道を中心に自立できる路線は存在していますが、これらの路線は今の段階で黒字なのですから基本的に補助は不要であり、鉄道会社と協力して間接的な利用促進を計る事及び大きな設備投資時に補助を行う事で十分その鉄道を維持できると言えます。
 問題は存続価値の有る路線で有りながら経常黒字を出す事が出来なく、どのような形であれ経営に問題を抱えている鉄道です。この様な鉄道に対してはその持っている公共性と経営状況の両面から望ましい補助スキームを考える必要が有ると言えます。
 具体的には「(1)営業黒字を出せるが減価償却費等で赤字に転落する鉄道」「(2)営業段階で赤字だが整ったインフラを持っている鉄道」「(3)営業段階で赤字で加えてインフラの脆弱さ・老朽化からインフラへの投資も必要な鉄道」と言う三つの分類に分けた上で、その中で公共性の有る鉄道の再生を図るスキームを公的セクターの間で作るべきであると言えます。具体的には下記の表の様なスキームを組むべきであると考えます。

 「ローカル鉄道の分類毎の好ましい補助スキーム」
補助の必要な鉄道の分類具体的補助内容
(1)営業黒字だが、減価償却費等で赤字に転落する鉄道上下分離で営業と所有を分離した上で、採算の範囲で使用料を徴収する
(2)営業段階で赤字だが、整ったインフラが有る鉄道(企業の活力を殺がない範囲で)営業赤字の一定範囲を欠損補助する
(3)営業段階で赤字で、インフラ投資も必要な鉄道使用料無料の上下分離+一定の欠損補助or上下分離の第三セクターの運営へ代替する

 一番大切なのは、民営企業の活力とノウハウを生かしながら、公的セクターが地方鉄道を生かす為にサポートをする事で有ると言えます。民営鉄道自体は「運営の効率性」と言う意味で必要な事で有ると言えます。しかし鉄道は公共交通で有る以上は公共性の側面で物を見ることも必要で有ると言えます。その点から考えると民間活力を殺がない程度の地方公共交通維持の為の補助は必要では無いでしょうか?
 実際地域に貢献できて、採算性にも未だ努力の余地が有り、加えて公共性の側面から見て存続の価値が有りそうな鉄道が廃止される例も存在していると言えます。その様な鉄道に対し民営鉄道事業者が採算性改善の努力を惜しんで単純に廃止を主張する例も存在します。しかし現状では「需給調整規制の撤廃」が行われた結果「事業からの退出」が容易になってしまった為、この様な赤字でも公共性が高く有用な鉄道の運営者が退出する事を止められなくなりました。
 その様な「努力が足りなく民間企業のエゴで公共性の高い鉄道が廃止される」と言う好ましくない事例を増やさない為にも、一定のルールに基づいた大枠の補助スキームの例を作り、公的セクター・鉄道事業者・市民の協議を経て公共性の高い鉄道を残す事が出来る様な条件を作り、「赤字」を理由にした安易な退出を防ぐ様にすべきでしょう。それが地方鉄道維持に必要で有ると言えます。

 ◎結局一番大切なのは「白馬の騎士」である地方自治体が存続への意思を持つ事?

 しかしながらこの様な状況毎の補助スキームを作って、例え国が主体的に有る程度の予算補助を決めるなどで積極的になったとしても、其れが生かされるとは限りません。それは廃止問題を意識してタイミングよく「LRTに関する補助」を打ち出して援護射撃をしたのに生かされなかった岐阜の例が示していると言えます。
 その様な可能性が有ることを考慮して、地方ローカル線の維持に一番大切なのは地方の公共交通に対し直接的に責任を持つべきである地方自治体を存続に向けて動かし、実際に「白馬の騎士」として補助を出させたりインフラを保有させる事です。最終的に地方公共交通維持に一番責任の有る地方自治体が動かなければこの問題は動きません。
 それに対し、富山ライトレールに対する森富山市長の様に地方の首長がビジョンを持ち主導権を持ちリーダーシップを発揮して行動する場合や、北勢線の様に「バスに転換して道路交通に委ねると道路容量が破綻して問題になる」と言う認識が地域の自治体全体に有りそれに基づいて鉄道維持に動くと言う様な認識が有れば問題は有りませんが、実体問題として「只何の気なしに考えて「廃止にしようか〜」と言う気分でビジョンを持たずに廃止」と言う例も考えられます。
 その様な「地方自治体に存続への意思が乏しい」場合で、まして住民は「存続を願い」社会全体でも「公共性が有る」のに廃止されるような場合、如何にして「地方自治体に存続への意思を持たせるか?」と言う事及び「如何に地方自治体に金を出させるか?」が「地方ローカル線維持」に対して必要で有ると言えます。
 この様な時にこそ市民団体の活動が重要になります。市民団体が積極的に活動し、世間と地方自治体にビジョンを示し、同時に民意が「地方ローカル線存続」に有ることを示し、地方自治体を「地方ローカル線存続」に動かさなければなりません。

 今市民団体の運動は一部において「ビジョンを示す」「地方公共団体を動かす」「募金等で金を集める」等の積極的な動きをする団体が出ています。具体的に言えば万葉線とRACDA高岡の様な関係を見れば、「好ましい市民団体の行動」と言うのが明らかです。「口も出すが手と金も出す」と言うのが理想的市民運動で有ると言えます。
 しかしこの様な素晴しい成功例が有るにも関わらず、必ずしもこの成功例が反映されているとは言えないと言えます。特に言えば「市民団体が運動をしても拡がりを見せられず、地方自治体も動かせない」と言う例が散見されます。その点に関しては戦術を考える必要が有ると言えます。
 私が考えるに地方ローカル線維持への市民団体の活動には「地方ローカル線存続だけでなく地方全体の交通の有り方を示すようなビジョンを示す」「廃線問題が出ると雨後の筍の様に出てくる団体でなく、真の意味で地域に根ざした活動を行う」「より効率的な民意の反映方法と地方自治体を動かす方法を考える」と言う必要が有ります。
 具体的には「総合的な交通のビジョンを示せるブレーン」の存在と、穏便な「署名」などによる民意の表現でなく、「請願」等の地方自治体への拘束力を持った民意の表現を行う為の地方議員等の動いてくれるブレーンを持つ事が重要で有ると言えます。市民団体が市民と融合し社会的に力を持つにはこの様な「情報発信力」と「権力への影響力発揮手段」が必要です。そうすればより確実に市民団体が地方自治体に影響力を発揮できると言えます。
 地方自治体とて失敗する可能性は十分有ります。その場合ミスを衝くだけであれば「デモ行進をする市民団体」で十分ですが、社会とも密接にかかわり複数の社会的組織を動かさなければならない「地方ローカル線存続運動」ではその様な「社会と対決的な市民団体」や「ヲタク的な市民と遊離した市民団体」では社会を動かす事はできません。
 地方自治体が主体的に動いてくれる場合は良いのですが、主体的に動かない場合には民意が「存続」に有る場合は、(和歌山の様に)マスコミにアピールしたり民意を反映すべき地方議会を動かしてでも存続に向けての活動を行うべきです。その意味においては「存続のカギ」は「地方自治体の動き」で有る事は当然ですが、その動きを後押しする為にも「市民団体の建設的な行動」も合わせて必要で有ると言えます。

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 今回鹿島鉄道の動きに触発されて、この様な「ローカル線の存続問題」について書きましたが、私個人としては近年の「ドミノ倒し的地方ローカル線廃止」に関しては、正直言って内心忸怩たるものが有ります。
 確かに冷静に見れば近年廃止されているローカル鉄道の大部分は「淘汰されて然るべき鉄道として成立が困難な鉄道」で有る事は否定できません。その点から考えれば経済・社会的には資源の有効な配分が成されている事になり、その点から考えれば今の事象を否定する事は残念ながら出来ません。
 しかし世の中それだけで物事を見ることは出来ません。有る意味特に深刻なのは岐阜・日立・鹿島と続いている「市民運動による存続運動の敗北」です。RACDA高岡の活動の貢献が大きいと言える万葉線の存続事例以後、市民運動に「ローカル線存続」に関する「完全な成功事例」は無いと言えます。(和歌山の場合はマスコミ効果が大きかったと言える)
 その様な「(市民団体に取っては)敗戦の歴史」の中で感じる事は、「急に出てくる付け焼刃的な活動」「市民の真意と乖離したヲタク的活動」「戦略・戦術を持たない稚拙な行動」で遭えなく敗北して行く姿です。これは好ましい事では有りません。
 これは岐阜でも鹿島でも感じたことです。過去にTAKAの交通論の部屋では岐阜の廃線後の市民活動に関しては「 路面電車の復活は市街地活性化に寄与するのか? 」と言う一文を書き、鹿島鉄道の廃線問題に関しては「 「かしてつ」を救うことは出来るのか? 」と言う一文を書いていますが、特に鹿島鉄道の話で10ヶ月前に拙文の中で危惧した『「鹿島鉄道を守る会」に幾ら探しても「理念」「ビジョン」が見当たらない、理念もビジョンもなく汗もかかない市民運動では大願を成就させる事はできない』『鹿島鉄道存続問題と「かしてつ応援団」に必要なのは、社会を納得させるだけの存続事由を見出して、存続の為のスキームを提示してあげる事が出来る「参謀」と必要な費用を集める事が出来る「リーダー」です。それが無いと本年3月末の廃線届出と来年3月末の廃止と言うカウントダウンが進む存続問題の中で「かしてつ応援団」は迷走するだけになる』が的中しつつある事に、極めて複雑な気持ちを抱きます。

 この様に今まで岐阜・日立・鹿島を見て感じた結論は「市民団体はローカル線存続運動の主体たり得ない」と言う点です。少なくとも今までもたらされた結果を見る限りこの結果を誰も否定できないでしょう。
 それに対して「革命的変身」を遂げて、ローカル鉄道の存続と変身に成功したのが、富山ライトレール・三岐鉄道北勢線です。これらの路線に関しては成功の要因は「インフラ投資による近代化」に有ると思いますが、この2つに共通するのは「市民運動が主役でなく地方自治体が主役で作り出したローカル線存続」で有るという点です。特に富山における「コンパクトシティ」構想に基づいて森富山市長がリーダーシップを発揮しその一環として富山港線のLRT化を進め今日では「黒字達成」と言う成果がでるまでになっています。この成果は岐阜・日立と比較して極めて対照的で有ると言えます。
 この様な事例から考えて私的に地方ローカル線存続問題に関しては「市民団体は主役たり得ない」「やはり主役は地方自治体である」と言う考えになり、昨今の「地方ローカル線廃止のドミノ現象」を見るにつけその感じを強く持つようになり今回この様な一文を書く気持ちになりました。
 しかし将来的な事を考えると実際は「地方自治体に頼る一本足打法」も又危険な物であると言えます。究極的に言えば地方公共交通を地方自治体の資金投入で維持しインフラ改善を行っても、究極は地方ローカル線の利用者はその沿線住民で有るので、その沿線住民の支持を受けなければ将来に渡り地方ローカル線を維持する事は出来ません。
 そう考えると地方ローカル線維持に一番確実な選択は「地方自治体と地域住民の協業」で有るべきな事は明らかです。又最終的に地域住民による需要と利用実績が重要になってきます。その事から考えても「市民団体が地域の支持を得て地方ローカル線に利用客を維持・開拓しその存在意義を明らかにした」上で地方公共団体と協力して地方ローカル線の維持・レベル向上を図ると言うのが最善のパターンです。(その点鹿島鉄道では運動の中心となっている「かしてつ応援団」が利用客集客に貢献できず 通学定期客がH15年387千人→H17年300千人と2割近く減少 しているのは、存続活動への発言力だけでなく存続そのものに対して致命的である)
 現在は殆ど達成する事が出来て居ないこの理想形を演出する事が出来れば、今後の地方ローカル鉄道維持に関して大きなプラスとなり、公共性の高いローカル鉄道の「廃止のドミノ倒し」を防ぐ特効薬になると言えます。今までの例で言えば万葉線とRACDA高岡が近いと言えますが(それでも存続決定後活動が低調に見えるのは気になるが・・・)将来的にこの様な地方公共団体と市民団体の形態が全国的に広がる事が理想で有ると言えます。
 その様な「理想的な地方ローカル線維持のスキーム」が出来ることを期待して、今回この一文を認めました。一度廃止した鉄道の復活は極めて至難で有ると言えます。ですから「地方ローカル線廃止」と言う中でも、社会的に有用な鉄道の廃止が起きるという事は好ましい事では有りませんし、将来に禍根を残す事になります。
 その中で過去に幾つものローカル鉄道の廃止が行われてきました。我々はその状況を分析し、失敗からは学び繰り返してはなりません。そうしないと将来も同じ事を繰り返す事になります。その様な事が今後起きないことと同時に社会的に有用な効果の有る地方ローカル鉄道が今後とも生き残る事を祈りつつ、今回記述を終わりにしたいと思います。





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