このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
トップページ > 不定期刊・きょうのトピックス > 不定期刊・きょうのトピックス2014年(平成26年)分 >2014年(平成26年)の「重大」ニュースを斬る
2014年(平成26年)の「重大」ニュースを斬る(2014年〔平成26年〕12月31日公開)
振り返れば今年もいろいろなことがあった。腑に落ちないこと、腹が立つこと、嬉しいこと、驚かされたことなどいろいろあったが、そこでこの「不定期刊・きょうのトピックス」では2014年(平成26年)最後の企画として今年の重大ニュースを斬ることにした。但し、ここで取り上げる重大ニュースは本サイトの内容に沿ったもの、すなわち中国地方の地域・ラジオ・道路に関係したものであり、広く知られたものは取り扱わない。その点を踏まえた上でこのページをご覧頂きたい。
なお、取り扱ったニュースは地域編とラジオ編は3個、道路編は4個とした。また、順位は付けないことにした。その点はご理解頂きたい。
地域編
広島県安芸郡府中町が日本で最も人口の多い町村に
(概要)
今年1月1日、盛岡市のベッドタウンとして人口が増加していた岩手県岩手郡滝沢村が市制施行し、滝沢市が発足した。2010年(平成22年)10月1日実施の国勢調査によると人口が5万人を超えていた町村は六つ(岩手県岩手郡滝沢村〔5万3,857人〕・埼玉県南埼玉郡白岡町〔5万272人〕・千葉県山武郡大網白里町〔5万113人〕・石川県石川郡野々市町〔5万1,885人〕・愛知県愛知郡長久手町〔5万2,022人〕・広島県安芸郡府中町〔5万442人〕)あったが、広島県安芸郡府中町以外の町村はこれで全て市制施行したことになり(注1)、結果広島県安芸郡府中町(以降安芸郡府中町と記載するものとする)が日本で最も人口の多い町村になった。安芸郡府中町も2010年(平成22年)以降市制施行を検討していることが報じられているが現在のところ全く進展していない。
(コメント)
なぜ安芸郡府中町が市制施行を志向しているのになかなか実現できないかについては既に
こちら
で触れているのでここではあえて繰り返さないが、安芸郡府中町の和多利義之町長は市制施行に向けて努力は続けているとのことである(今年1月1日付及び12月25日付中国新聞朝刊による)。強硬路線に走らないことは評価できるのだが、一方では「市制施行を言い出す時期が遅すぎたのではないか」とか「いつまで時間をかける気なのか。次の国勢調査が迫っていることが分からないのか」とか「強硬的な態度をとって広島県や広島市の譲歩を引き出すべきではないのか」とか「広島市との合併を望む方も少なくないのにその声は全く無視するのか」といった考えを持つ方も少なくない。
市制施行を目指すことを表明してから4年。事ここに至っても進展を見ないところを見ると私は安芸郡府中町の市制施行は事実上不可能になったのではないかと考えたくなった。そもそも広島市に取り囲まれた時点(注2)で市制施行は事実上困難になっていたのだが、それでも市制施行を目指そうと考える和多利町長の姿勢はどのように府中町民に映っているのだろうか。中国新聞など広島県内の報道機関は全くといって良いほど府中町民の思いを伝えないが、「もういい加減に市制施行は断念しろ」とか「市にならなくても良いから独立を保って欲しい」とか「広島市に譲歩を迫った上で合併論議を再開すべきだ」という声があってもおかしくはないと思うし、そういう声があることは伝えて欲しいと思う(これは何についても同じ。平成の大合併しかり、大阪都構想しかり…)。更に記すなら(そこまでしなくても…と思う方は多いことだろうが)現状を快く思わない方は何らかの合法的な行動を起こしても良いのではないのだろうか。このままではどうにもならなくなることに早く気付くべきことを私は訴えたいのである。
私は広島市と安芸郡各町(海田・熊野・坂・府中各町)の合併論議は近い将来必ず再燃すると見ているが、実は来年以降注目すべき動きがいくつかあるのである。それは下表に記した通りであるが、その結果如何では何らかの動きがあるかもしれない。果たして今後どうなっていくのか。これからも注目していきたいと思う。
年月 | 予定される動き |
---|---|
2015年(平成27年)4月 | ・広島県議会議員選挙実施。 ・広島市長選挙実施。 ・広島市議会議員選挙実施。 ・熊野町議会議員選挙実施。 ・坂町議会議員選挙実施。 |
2015年(平成27年)10月 | ・国勢調査実施。 |
2015年(平成27年)11月 | ・海田町長選挙実施。 |
2016年(平成28年)5月 | ・府中町長選挙実施。 |
2016年(平成28年)9月 | ・府中町議会議員選挙実施。 |
2016年(平成28年)11月 | ・熊野町長選挙実施。 |
2017年(平成29年)1月 | ・坂町長選挙実施。 |
2017年(平成29年)3月 | ・海田町議会議員選挙実施。 |
福山市が市内唯一の有人離島・走島にある教育施設を来春をもって全て廃止することを表明
(概要)
今年10月7日、福山市は市内唯一の有人離島・走島にある教育施設、すなわち福山市立走島幼稚園・福山市立走島小学校・福山市立走島中学校(いずれも福山市走島町)を来年3月末をもって廃止することを表明した。走島は福山市南部の景勝地・鞆の浦の南東約6kmの瀬戸内海に浮かぶ島であるが、主力産業が漁業しかないことなどから瀬戸内海に浮かぶ他の多くの島々と同じく過疎化が進み、 福山市教育委員会の公式サイト によると今年5月1日現在の福山市立走島幼稚園の在園幼児数は1人、福山市立走島小学校の在学児童数は1人、福山市立走島中学校の在学生徒数は3人といずれも福山市内の市立幼稚園・市立小学校・市立中学校それぞれで最少になっていた。しかも福山市立走島小学校の在学児童と福山市立走島中学校の在学生徒はいずれも来年3月に卒業することになっており、もし1人だけの福山市立走島小学校の児童が福山市立走島中学校に進学すると3年間ずっと1人で中学生生活を送らざるを得なくなることや児童がいなくなった福山市立走島小学校は1人だけの福山市立走島幼稚園の在園幼児( 福山市教育委員会の公式サイト によると現在4歳児クラスに在籍している)が入学してくる2016年(平成28年)春まで1年間事実上休校状態になることなどから福山市立走島幼稚園の廃園と福山市立走島小学校・福山市立走島中学校の廃校を決めたものと思われる。
(コメント)
福山市では離島振興の観点から2012年(平成24年)4月1日から走島町以外の福山市内に住んでいる児童の福山市立走島小学校への転入学と走島町以外の福山市内に住んでいる生徒の福山市立走島中学校への転入学を認めていた。それにどれだけの方が関心を持ち、応じたかは分からないが、福山市立走島幼稚園の廃園と福山市立走島小学校・福山市立走島中学校の廃校を決めたということはさしたる効果はなかったということになるのだろうか。
福山市としては万策尽きたから福山市立走島幼稚園の廃園と福山市立走島小学校・福山市立走島中学校の廃校を決めたということになるのだろうが、無論問題がないわけではない。挙げられることとしては次のようなものがある。
・島民の間には他にやり方があったのではないかとか福山市の他地域からの福山市立走島小学校・福山市立走島中学校への転入学制度がさしたる効果がなく終わったのは福山市の宣伝不足に原因があったのではないかという声があること。
・走島に移住するのに子供の教育問題が障害になる恐れがあること。
・走島に住む子供は本土にある学校に通わざるを得なくなるが、通学費用がかさむこと(注3)。
・地域の象徴たる教育施設がなくなったことで過疎化が更に進展したり地域社会が維持できなくなったりする恐れがあること。
・教育施設の跡地利用が進まない恐れがあること。
・福山市立走島幼稚園の廃園と福山市立走島小学校・福山市立走島中学校の廃校を契機に福山市が市立小学校・中学校の統廃合を推進する恐れがあること。
特に私が危惧しているのは福山市が市立小学校・中学校の統廃合を推進する恐れがあることである。背景には過疎化・少子化で児童数または生徒数が減少していることや1960〜1980年代の人口急増期に建設された公共施設の老朽化が進んでいること、学校の耐震化工事が進んでいないこと(注4)などがあるのだが、私は次に挙げる理由から慎重に臨んで頂きたい(というよりできることなら実施しないで頂きたい)と考えているところである。
・地域の象徴たる教育施設がなくなったことで過疎化が更に進展したり地域社会が維持できなくなったりする恐れがあること。
・他地域でも知られている地域の年中行事(注5)が開催できなくなる恐れがあること。
・学校がない地域への移住を躊躇(ちゅうちょ)させたり断念させたりする恐れがあること。
・統合先の学校への通学費用がかさむ家庭が増えること。
・交通事情が良くないのに統廃合を強行すれば児童または生徒の安全が確保されない恐れがあること(注6)。
福山市として教訓にすべきは広島県府中市(注7)や下関市の例であろう。広島県府中市は2008年(平成20年)に中心部の小学校・中学校について、2009〜2010年(平成21〜22年)に西部・協和地区の小学校・中学校について統廃合を実施したのだが、府中市諸毛町に住む児童・生徒は統合先の学校に行くのに高い崖の上を通る道(広島県道383号篠根・高尾線。その部分は異常気象時通行規制区間に指定されている)を通らなければならなくなったし、府中市協和地区(注8)に住む児童・生徒は地区内にあった学校が全てなくなったために遠距離通学を強いられることになった。また、下関市は市内の市立小学校・中学校の適正規模・適正配置を検討し、2008年(平成20年)に答申を公表したのだが、市民が反対した上に2009年(平成21年)に市長が交代したことから学校の統廃合はあまり進んでいない(注9)。現在福山市になっているところでも学校の統廃合への反対運動が起きたところ(注10)や反対運動の末撤回(当面存続)という結論を得たところ(注11)もあることを考えれば軽々しく学校の統廃合を口に出すべきではないということは分かっているのではないかと思うのだが、果たしてどのようになっていくのであろうか。今後に注目したい。
中国地方6番目の市立四年制大学が2016年度(平成28年度)に発足することが決定
(概要)
今年12月、山陽小野田市にある山口東京理科大学(山陽小野田市大学通一丁目)が2016年度(平成28年度)から山陽小野田市に移管され、山陽小野田市立山口東京理科大学に改称することが明らかになった。山口東京理科大学は1987年(昭和62年)に東京理科大学山口短期大学(1987〜1996)として開学し、1995年(平成7年)に現在の名称に変更されたのだが、少子化や理系離れなどにより定員割れが続いており、今回の公立化が企図されたようである(公立化後も東京理科大学〔東京都新宿区神楽坂一丁目〕との関係は維持するとのこと)。中国地方の市立四年制大学としては6番目となるが、私立四年制大学の市立化による発足は今回が初めてとなる。
(コメント)
山口東京理科大学改め山陽小野田市立山口東京理科大学発足後の中国地方の市立四年制大学は下表の通りになる。
※大学の所在地の地名は現在のものを記している。
※中国地方唯一の市立短期大学である倉敷市立短期大学(倉敷市児島稗田町)についても四年制大学への移行を検討しているとの報道があったが現在目立った動きはない。
県名 | 大学名 | 所在地 | 開学年 | 設置学部 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
岡山県 | 新見公立大学 | 新見市西方 | 2010年 (平成22年) | 看護学部 | 新見公立短期大学(新見市西方。1980〜)のうちの看護学科(3年制)と地域看護学専攻科(1年制)を四年制大学に再編して発足。中国地方にある市立四年制大学では唯一前身となる短期大学も存続している。 |
広島県 | 広島市立大学 | 広島市安佐南区 大塚東三丁目 | 1994年 (平成6年) | 芸術学部 国際学部 情報科学部 | 中国地方にある市立四年制大学では唯一前身校を持たない。 中国地方では唯一の政令指定都市または都道府県庁所在地が運営する市立大学である。 |
尾道市立大学 | 尾道市久山田町 | 2001年 (平成13年) | 経済情報学部 芸術文化学部 | 尾道市立女子専門学校(尾道市長江二丁目。1946〜1950)→尾道短期大学(尾道市久山田町。1950〜2004)を再編して発足。 開学当時の名称は尾道大学だったが、2012年(平成24年)に改称。 | |
福山市立大学 | 福山市港町二丁目 | 2011年 (平成23年) | 教育学部 都市経営学部 | 福山女子短期大学(福山市北本庄四丁目。1963〜1974)→福山市立女子短期大学(福山市北本庄四丁目。1974〜2012)を再編して発足。 福山女子短期大学→福山市立女子短期大学の跡地も北本庄キャンパスとして活用されている。 | |
山口県 | 山陽小野田市立 山口東京理科大学 | 山陽小野田市 大学通一丁目 | 2016年 (平成28年) | 工学部 | 東京理科大学山口短期大学(山陽小野田市大学通一丁目。1987〜1996)→山口東京理科大学(山陽小野田市大学通一丁目。1995〜2016)を山陽小野田市に移管して発足。 敷地の一部は宇部市に属している。 2017年度(平成29年度)薬学部設置予定。 |
下関市立大学 | 下関市大学町二丁目 | 1962年 (昭和37年) | 経済学部 | 下関商業短期大学(下関市貴船町三丁目。1956〜1966)を再編して発足。 |
昭和時代には下関市立大学しかなく、平成時代に入ってから各地に開学したことが上表からうかがえるのだが、6校中4校までが短期大学を前身にしていることを考えるとこれまでは短期大学ではいろいろ限界が生じること(注12)が四年制大学への移行の主たる理由であった。しかし、今回の山口東京理科大学の山陽小野田市への移管は私立大学でもいろいろ限界が生じることが背景にあったようである。もしかしたら今後もこういう動きは出てくるかもしれないが、一方では経営破綻した大学もあることを思うと慎重に臨むべきであろう。
更に地方自治体が運営する大学になるだけに地域住民に親しまれる存在になることや地域住民と大学(学生)との融和を進めること、東京理科大学との関係は維持されるものの学生に失望されないようにすること、そして運営する自治体が財政事情の悪化に直面した時にどのようにするのか考えることなども課題になってこよう。山口東京理科大学改め山陽小野田市立山口東京理科大学は山陽小野田市中心部からも宇部市中心部からも離れたところにある大学ではあるがどのようにこの課題を克服していくのかが今後注目される。
ラジオ編
radiko新サービス開始も温度差が鮮明に
(概要)
今年4月1日、有料ではあるがradikoに参加している大半の都道府県域民間ラジオ放送局の番組を日本全国で聴取できるサービス「radiko.jpプレミアム(エリアフリー聴取)」が始まった。中国地方では山陰放送ラジオ(BSS、米子市西福原一丁目)と中国放送ラジオ(RCC、広島市中区基町)、広島エフエム放送(HFM、広島市南区皆実町一丁目)がradikoに参加していたが、いずれもradiko.jpプレミアムに参加した。しかし、山陰放送ラジオと広島エフエム放送は完全参入だったのに対し、中国放送ラジオはradiko.jpプレミアムで配信する番組を広島東洋カープの公式戦中継と月曜日夜の自社制作番組「ラジプリズム」に限定し、その他の番組は対象外とした。今年8月20日未明に発生した広島市北部での集中豪雨災害を契機に枠を拡大したがそれでも全放送時間の半分程度であり、完全参入には至っていない(注13)。
また、今年12月1日には山陽放送ラジオ(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)がradiko及びradiko.jpプレミアムに参加し、ようやく中国地方にある都道府県域民間ラジオ放送局8社のうちの4社がradiko及びradiko.jpプレミアムに参加した。しかし、残る4社、すなわち山口放送ラジオ(KRY、周南市徳山)とエフエム山陰(愛称:V-air。松江市殿町)、岡山エフエム放送(岡山市北区中山下〔なかさんげ〕一丁目)、エフエム山口(FMY、山口市緑町)の参加のメドは依然として立っていない。
(コメント)
中国放送は
公式サイト
できちんと広島東洋カープの公式戦中継と「ラジプリズム」しか対象にしていないと断っていたのだが、そのことを知らずに中国放送ラジオの番組をradiko.jpプレミアムで楽しもうとしたところそれがかなわず「どうなっているのか?」とか「配信する番組を限定しているのならそのことをきちんと説明しろ!! 目立たないところにそのことを書かれても困る」と思った方は少なくなかったことであろう。中国放送のこのやり方に不満を持っている方も少なくないと思うのだが、中国放送としては広島東洋カープあっての放送局であるという考え(注14)から配信番組を限定したものと思われる。ただ、中国放送に対して枠の拡大を求める声が寄せられていることや残念な災害を契機に枠を拡大したことから私はいずれ完全参入に踏み切るのではないかと考えている。
一方、山陽放送ラジオのradiko参入については聴取者に不満を抱かせる問題がいくつか起きている。radiko参入と同時に新たな平日朝の自社制作のワイド番組を始めたことや何の説明もなく日曜日早朝に放送休止時間を何度も設けたことがそれであるが、「皆様お待ちかねのradikoに参入するのだからそれくらいのことは我慢してくれ」という考えなのだろうか。山陽放送ラジオについては「他の都道府県に住んでいる方に親しんでもらえるような番組がない」とか「自社制作のワイド番組が短命のものが多い。対抗局の岡山エフエム放送には開局時から続く自社制作のワイド番組が二つもあるのに…」といった苦言があるのだが、radikoに参入した以上は、そしてその際に聴取者に我慢を強いるようなことをした以上は長期的視野に立ち、他の都道府県に住んでいる方に親しんでもらえるような番組を作ることが望まれる。
ラジオ関係のサービスは中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送などすぐに注目されなくなり、結果廃れたものが多い。それに比べればradikoは対応する機器があまりにも多いので中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送のようにはならないと思われる。しかし、未参入放送局がまだまだ多いことなど課題は多い。放送局とradikoを運営している会社(radiko〔東京都港区新橋二丁目〕)双方の更なる努力が求められるが、果たして今後どうなっていくのだろうか。
中国地方で初めての中波放送局のエフエム電波を用いた中継局の設置決定
(概要)
今年11月5日、中国総合通信局(広島市中区東白島町)はNHK松江放送局(松江市灘町)から申請があったラジオ第一放送隠岐(おき)中継局の予備免許を付与した。島根県隠岐郡には今までNHKの中波放送の中継局はなく、松江本局の電波(1296kHz)を受信していたのだが、海外電波との混信で夜間におけるラジオ第一放送の聴取が困難になっていた。そこで隠岐中継局については中国地方で初めてエフエム電波(79.4MHz)を用いることになった。中波放送についてエフエム電波を用いた中継局が設置されるのは中国地方で初めてのことになる。
また、民間中波放送局のエフエム電波を用いた中継局、いわゆるエフエム補完中継局の周波数割り当てが総務省によってなされた。中国地方にある民間中波放送局の本局のエフエム補完中継局の割り当て周波数は下表の通りである。
放送区域 | 放送局名・略称・所在地 | 割り当て周波数 (単位:MHz) | 備考 |
---|---|---|---|
鳥取県 島根県 | 山陰放送ラジオ (BSS、米子市西福原一丁目) | 92.2 | 本社は米子市にあるがなぜか送信場所は鳥取市または松江市になっている(本社の位置からすれば松江市になるべきなのだろうが…)。 |
岡山県 | 山陽放送ラジオ (RSK、岡山市北区丸の内二丁目) | 91.4 | |
広島県 | 中国放送ラジオ (RCC、広島市中区基町) | 94.6 | |
山口県 | 山口放送ラジオ (KRY、周南市徳山) | 92.3 |
4社のうち中国放送ラジオと山口放送ラジオがエフエム補完中継局の導入を早速決定し、今年12月1日に難聴解消支援事業の補助金交付が決定した。早ければ来年前半にも中国放送ラジオと山口放送ラジオの番組がエフエム放送でも楽しめるようになる。
(コメント)
中国地方は鳥取県・島根県・山口県が日本海に面しているために鳥取県・島根県・山口県では海外電波との混信が生じやすい。「放送区域内にいても地元の放送局が受信しにくい」とか「韓国語や中国語、ロシア語の放送しか入らない」とか「日本海に近いところにある親戚の家のテレビで大韓民国のテレビ番組が見られる」といった話は日常茶飯事である。山陰放送ラジオが中国放送ラジオ・広島エフエム放送に次いでradikoに参入したのもこういう事情があったからである。
しかし、これまで中国地方にある中波放送局がエフエム電波を用いた中継局を設置することはなかった。全国的に見ても民間放送局3社・日本放送協会3局(注15)だけである。費用面で実現が難しいことや他の中継局を受信するという選択肢があることが主たる理由である。そんな中でNHK松江放送局が島根県隠岐郡でエフエム電波を用いたラジオ第一放送の中継局を設置したのはNHK松江放送局のラジオ第一の中継局は(
こちら
をご覧頂ければよく分かるのだが)山間部の多い石見地方(島根県西部地方とも言う。大田〔おおだ〕・江津〔ごうつ〕・浜田・益田各市及び邑智〔おおち〕・鹿足〔かのあし〕両郡を指す)に集中しており、島根県隠岐郡で受信できるのは松江本局だけだったことや日本放送協会もインターネットでラジオ第一・ラジオ第二・エフエム3波を再送信しているがまだ試行段階であることなどが考えられる。島根県隠岐郡に中波放送の中継局を設置したほうが良かったのでは…という声もあるが受信範囲や費用の問題を考えれば難しかったのだろう。
一方、来年にも中国放送ラジオと山口放送ラジオで導入されることになった民間中波放送局のエフエム電波を用いた中継局、いわゆるエフエム補完中継局は都市部での受信困難対策や海外の電波との混信対策、地理的・地形的問題による受信困難対策、災害対策を目的に民間中波放送局47社全てについて総務省が90.0〜95.0MHzの範囲内で周波数を割り当てたものである(90.0〜108.0MHzにしなかったのは日本の社会情勢を考えれば今後多数のラジオ放送局が開局する可能性がなく、枠拡大の必要がなかったことや99.0〜108.0MHzについては地方ブロック向けマルチメディア放送用に転用することになったことが考えられる)。中国放送ラジオと山口放送ラジオが早くも手を挙げたのはどちらも本局が海のそばにあり(中国放送ラジオ…江田島市沖美町美能、山口放送ラジオ…周南市大津島)、災害時に本局が使えなくなることを想定したことが考えられる(中国放送ラジオの場合は更に広島市中心部における高層建築物の増加もあったのだろう)。中国放送ラジオの放送区域である広島県、山口放送ラジオの放送区域である山口県とも最近大きな災害(集中豪雨)に見舞われていることも早期の決断を後押ししたのだろうが、問題はないわけではない。それは90.0〜95.0MHzに対応したラジオ受信機があまりなく、もし本放送を開始してもエフエム電波で聴く人は少数にとどまる恐れがあるということである。今後90.0〜95.0MHzに対応したラジオ受信機は製造・販売されることであろうが、それが遅れた場合、中波ステレオ放送やエフエム文字多重放送と同じ結末が待ち構えていることは考えておくべきであろう。また、エフエム電波は飛ぶ範囲が狭いことから放送区域全体に拡大することが困難ということや本局以外でも海や川のそばに中継局を設置しているところ(注16)の災害対策も考えなければいけないこと、福山市中心部のように中継局を設置する場所でもめる恐れがあること、そして中波放送のエフエム放送完全移行に至る恐れが生じることなども課題になってこよう。エフエム補完中継局がどのようにラジオを変えていくのか、今後も注目していく必要があるように感じる。
世良洋子・元中国放送アナウンサーが中国放送ラジオの人気番組「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」を降板
(概要)
今年も惜しまれながら担当していたラジオ番組を降板する方は多数いたが、その中で最も大きかったのは中国放送ラジオの平日午前中の人気番組「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」を番組開始当初から11年間担当してきた元中国放送アナウンサーの世良洋子が今年3月28日の放送をもって降板したことであった。最後の出演となった3月28日の放送では番組最後の30分(午前11時〜午前11時30分)についてエディオン広島本店本館(広島市中区紙屋町二丁目)の8階にあるエディオンスタジオ紙屋町での公開生放送とした。世良洋子を見ようと多くの観客が詰めかけていたのだが、この様子は中国新聞朝刊一面の左下にある「天風録」でも取り上げられたほどであった。
(コメント)
世良洋子が中国放送(注17)に入社したのは1966年(昭和41年)のことである。それから(他部署異動による中断期間はあったが)半世紀近く活躍してきたということになるわけであるが、転機になったのは1987年(昭和62年)春のことであった。当時の平日午後の自社制作のワイド番組「なんでもジョッキー」(1975〜2003年〔昭和50年〜平成15年〕放送)に、退職した女性アナウンサーの後釜として出演することになったのだが、そこでの上野隆紘アナウンサー(当時)とのコンビは絶大な人気を誇ったのである。いわゆる上野・世良コンビは1994年(平成6年)春まで7年間続いたのだが、その後「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」で上野・世良コンビが復活し、こちらは9年間続いたところに人気の高さがうかがえる。
最近はアナウンサー事情の変化により生まれにくくなっているのだが、大体の放送局には名物アナウンサーといえる存在がある。しかし、その名物アナウンサーとされるのは男性が圧倒的に多く、女性は少ない。若さを求める傾向が根強いことや勤続年数が短いことなどが主たる理由なのだが、そういう中で世良洋子は間違いなく数少ない女性の名物アナウンサーだったということができる。一時期他部署に異動したこともあったがアナウンサーとして返り咲けたのも、2004年(平成16年)春に中国放送を定年退職(注18)してからも番組に出演し続けられたのも視聴者・聴取者の多大な支持があったからこそと言えよう。
なお、世良洋子は完全に引退したわけではなく、毎年大晦日に中国放送ラジオで放送される「世良洋子の年忘れ紅白歌合戦」は今年も放送されることになっているし、本人が出演しているラジオの宣伝も流され続けていることを最後に付記しておきたい。
道路編
岡山県道397号寒河(そうご)・本庄・岡山線が認定以来44年かかって全線開通を果たす
(概要)
今年11月25日、岡山県道397号寒河・本庄・岡山線の起点(備前市日生〔ひなせ〕町寒河)付近にあった未開通区間(延長:約820m)が開通した。これにより岡山県道397号寒河・本庄・岡山線は認定(1970年〔昭和45年〕12月25日岡山県告示第1,040号による)以来43年11ヶ月にして全線開通にこぎ着けたことになった。岡山県道397号寒河・本庄・岡山線は観光道路としての性格と国道2号線のバイパスとしての性格を併せ持った道路であるが、全線開通により更に国道250号線のバイパスとしての性格も有するようになる。
(コメント)
「岡山県道397号寒河・本庄・岡山線」という路線名称を見てどの道路か分かる方はあまりいないかもしれない。むしろ岡山ブルーラインという愛称を記せば「ああ、あの道路ね」と思う方が多いのではないのだろうか。岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町〔ばんざんちょう〕。1971〜2006)が管理していた有料道路の一つである東備西播開発有料道路(愛称:岡山ブルーハイウェイ→岡山ブルーライン(注19))の受け皿道路として岡山県道397号寒河・本庄・岡山線は認定されたのだが、全線開通に至るまで紆余曲折(うよきょくせつ)があったことはあまり知られていない。それを挙げると次の通りになる。
・「東備西播開発有料道路」という名称からもうかがえるように岡山県南東部(令制国の備前国だった地域)と兵庫県南西部(令制国の播磨国だった地域)を結ぶ目的で計画されたが、山陽自動車道が赤穂市中心部に近いところを通ることになったことなどから備前市日生町寒河で計画は打ち切りになったこと。
・東備西播開発有料道路は結局備前市蕃山(しげやま)〜岡山市東区君津間しか建設されなかったこと。
・東備西播開発有料道路は観光道路としての性格と国道2号線のバイパスとしての性格を持った道路ではあるが、開通した時期は低成長時代に入っていたことや新幹線開業ブームは過ぎ去っていたこと、有料道路故に従来の国道2号線を通る車が少なくなかったこと、自動車専用道路である部分が多いにもかかわらず遠回りという印象があったこと、国道2号線または国道250号線からのアクセスが良くなかったことなどから利用が低迷したこと。
・備前市日生町寒河〜備前市蕃山間の建設が始まったのは平成時代に入ってからだったが、自動車専用道路ではなく一般道路として建設されたこと。
・蕃山インターチェンジ(備前市蕃山)から寒河峠(そうごたお)の西側までは岡山県道260号八木山・日生線のバイパスとして早い時期に建設されたが、起点から寒河峠を越えて岡山県道260号八木山・日生線との重用区間が始まるところ(備前市蕃山)までの建設はかなりの時間がかかったこと。
・岡山県道397号寒河・本庄・岡山線の全線開通を待たずして東備西播開発有料道路は2004年(平成16年)4月1日に無料開放されたこと。
紆余曲折の背景には社会情勢の激しい変化があるのだが、いくつもの紆余曲折を経て全線開通にこぎ着けたことについて東備西播開発有料道路、すなわち岡山県道397号寒河・本庄・岡山線の計画や建設に関わった方々はどのように感じているのだろうか。
(概要)でも書いた通り全線開通を果たした岡山県道397号寒河・本庄・岡山線は観光道路としての性格と国道2号線のバイパスとしての性格、そして国道250号線のバイパスとしての性格を併せ持った道路となったわけであるが、観光道路・幹線道路としての更なる飛躍が期待される一方で防犯対策や施設の老朽化対策、閉鎖されて久しい備前シーサイドプラザ跡地(瀬戸内市邑久町虫明)の活用などの課題も残されている。岡山県の財政事情は依然として厳しいが、どのような変化を見せていくのであろうか。
島根県道7年2ヶ月ぶりに異動発生
(概要)
今年11月1日、2014年(平成26年)10月31日島根県告示第602号に基づいて島根県道339号熱田インター線の島根県道339号浜田港インター線への改称が施行された。島根県道339号熱田インター線は山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジ(仮称。浜田市熱田町)と島根県道34号浜田・美都線や国道9号線現道を結ぶ路線として2005年(平成17年)4月8日島根県告示第494号により認定されたのだが、今年9月30日に熱田インターチェンジの正式名称が浜田港インターチェンジとなることが発表されたことを受けて路線名称を島根県道339号浜田港インター線に変更することになった。島根県では2007年(平成19年)8月31日島根県告示第715号により県道338号美保関・八束・松江線が認定され、同じ日の島根県告示第716号により県道338号八束・松江線が廃止されて以来ちょうど7年2ヶ月ぶりの県道路線の異動となった。
(コメント)
島根県における高速道路のインターチェンジを起終点とする県道路線の改称事例は島根県道339号熱田インター線の島根県道339号浜田港インター線への改称で3例目となる(注20)。なぜ仮称をそのまま正式名称にしなかったのかということになるのだが、次に挙げることが考えられる。
・「熱田」という地名は名古屋市にあるもの(熱田区、熱田神宮、JR東海道本線熱田駅など)が有名であり、遠く離れたところにあるものの混同する恐れがないとは言えないから(注21)。
・「熱田」という地名の知名度はそんなに高くはないから。
・山陰自動車道(国道9号線浜田・三隅道路)熱田インターチェンジ(仮称)は浜田港の最寄りのインターチェンジになるから。
・浜田市は港湾都市であることを強調したかったから。
浜田港に関係する県道路線としては既に島根県道33号浜田港線と島根県道240号浜田漁港線、島根県道241号浜田商港線があるので紛らわしくならないか気になるところであるが、こればかりは致し方ないところであろう。
ところで、
こちら
でも紹介しているのだが、島根県道の異動(認定・改称・廃止)は現行道路法による道路体系が発足した1958年(昭和33年)以降、2年連続でなかったことは何度かあった(注22)ものの3年以上なかったのは今回が初めてである。異動が必要な状況がなかったことや島根県の財政事情が厳しいことが主たる理由であろうが、恐らく次の異動はそんなに遠くない時期にあるのではないかと見ている。その最有力候補なのが出雲市中心部を通る国道9号線旧道の島根県への移管(県道路線の新規認定)なのだが、果たしていつのことになるのであろうか(注23)。
島根県道172号美都・匹見線が大幅な経路変更で通行不能を解消
(概要)
2014年(平成26年)2月21日島根県告示第99号で益田市美都町山本〜益田市匹見町落合間の島根県道172号美都・匹見線の区域が変更された。その概要は下表の通りである(2014年〔平成26年〕2月21日「島根県報」号外第14号を基に作成)。
種別 | 区間 | 敷地幅員(単位:m) | 延長(単位:m) | 備考 |
---|---|---|---|---|
変更前 | 益田市美都町山本イ1545番地の2地先〜 益田市匹見町落合イ315番地地先 | 0.60〜36.00 | 14,662.00 | |
変更後 | 益田市美都町山本イ1545番地の2地先〜 益田市匹見町落合イ315番地地先 | 2.70〜37.26 | 12,595.00 |
これまでの島根県道172号美都・匹見線は益田市美都地区中心部と益田市匹見地区中心部を益田市美都町都茂(つも)経由で結ぶ路線だったのだが、益田市美都地区中心部と益田市匹見地区中心部を結ぶには遠回りな経路をとっていたことや益田市美都町都茂〜益田市匹見町落合間に通行不能箇所を抱えていたことから有用な道にはなり得ていなかった。この区域変更では益田市美都町都茂経由の道を益田市に移管する代わりに島根県道314号美都・澄川線の一部区間と益田市道を島根県道172号美都・匹見線に編入することにしたのだが、これにより狭隘箇所はあるが島根県道172号美都・匹見線は認定(1958年〔昭和33年〕6月13日島根県告示第525号による)から半世紀以上経ってようやく全線が自動車で通れる道になった。
(コメント)
道路地図で国道路線や都道府県道路線の通行不能箇所のそばに自動車が通れそうな道があるのを見つけて、「なぜその道を国道または都道府県道に編入しないのだろうか」と思ったことがある方は少なくないと思う。いろいろな事情があって編入しないでいるようなのだが、実は通行不能箇所のそばにある自動車が通れそうな道を区域に編入して通行不能を解消する例がいくつか出ている。山口県熊毛郡上関町長島の山口県道23号光・上関線にあった通行不能箇所はその代表的な例である(注24)が、ならばなぜ島根県道172号美都・匹見線は通行不能箇所のそばにある自動車が通れそうな道を区域に編入して通行不能を解消することにしたのだろうか。私は平成の大合併が背景にあったのではないかと考えている。
島根県西部にある益田市は平成の大合併で美濃郡匹見・美都両町を編入した。益田市中心部と美濃郡匹見町中心部は国道9号線と国道488号線で、益田市中心部と美濃郡美都町中心部は国道191号線でそれぞれ結ばれているのだが、美濃郡匹見町中心部と美濃郡美都町中心部を結ぶ道はありはするが国道9号線や国道191号線、国道488号線ほど整備が進んでいない。別々の自治体だった時はそれでも良かったのだろうが、同じ自治体になるとそれが問題になってくる。「島根県道172号美都・匹見線を経路変更しないでそのまま改良すれば良いのではないか」という声もあるところではあるが(概要)でも触れたように美濃郡匹見町中心部と美濃郡美都町中心部を結ぶ道としては遠回りであるし、島根県の財政事情も厳しいので顧みられなかったのであろう。
だが、幸いだったのは1995年(平成7年)に益田市美都町山本と益田市匹見町澄川を結ぶ道が県道(島根県道314号美都・澄川線)に認定されたこととその道の途中で分岐し、益田市匹見町落合で島根県道172号美都・匹見線に合流する道があったことである。その道を島根県道172号美都・匹見線にすれば益田市美都地区中心部と益田市匹見地区中心部を最短距離で結ぶ道になるし、島根県によって整備してもらえる。そういう考えが出てきたとしても不思議ではない。こうして大幅な経路変更による通行不能解消が企図されたのであろう。
ただ、実は通行不能解消後島根県道172号美都・匹見線を通って益田市美都地区中心部と益田市匹見地区中心部を往来できたのはわずか4ヶ月程度に過ぎない。というのも今年4月9日から9月30日まで半年近く土砂崩れのために通行止めになっていたし、今年12月15日から来年3月16日まで冬期閉鎖されているからである。益田市美都地区中心部と益田市匹見地区中心部を結ぶ道として有用になるにはまだ時間がかかりそうである。
鳥取県の県道路線再編政策に新展開
(概要)
2014年(平成26年)3月31日鳥取県告示第231号で西伯郡南部町清水川と西伯郡南部町福成を結んでいた鳥取県道254号清水川・福成線が廃止され、西伯郡南部町に移管された。2006年(平成18年)に県道路線再編を打ち出してから廃止され、通過市町村に移管された県道路線はこれで4路線目(注25)になるのだが、これまでの3路線は駅と幹線道路を結ぶいわゆる停車場県道であり、ある地域とある地域を結ぶ路線の廃止は鳥取県道254号清水川・福成線が初めてになる。
(コメント)
鳥取県道254号清水川・福成線の認定目的としては次に挙げることが挙げられる。
・鳥取県道/島根県道1号溝口・伯太線と鳥取県道244号福成・戸上・米子線(1958〜2014)を結ぶこと。
・西伯郡南部町天津地区(注26)の中心部(福成)と南東部(清水川)を結ぶこと。
・西伯郡南部町天津地区の中心部と西伯郡南部町天津地区の代表駅である日ノ丸自動車電車部法勝寺鉄道天津駅(西伯郡南部町清水川(注27)。1924〜1967)を結ぶこと。
しかし、日ノ丸自動車電車部法勝寺鉄道の廃止(1967年〔昭和42年〕5月15日)や旧西伯郡西伯町内の小学校統合(1969年〔昭和44年〕)で認定目的の大半は路線認定(1958年〔昭和33年〕4月30日鳥取県告示第188号による)から10年ほどで失われてしまった。更に鳥取県道/島根県道1号溝口・伯太線と鳥取県道244号福成・戸上・米子線を結ぶ路線ではあったが広域的な利用は見込めたものではなく、交通量はあまりないという状況であった。このため整備はあまり行われず、積極的な案内もなされなかったのである。そういう状況を見て(私の考えではないことをお断りしておくのだが)県道であることの意味が感じられないとか通過自治体、すなわち西伯郡西伯町(1955〜2004)→西伯郡南部町に移管すべきといった思いを抱いた方も少なくないのではないのだろうか。
そういう状況で鳥取県が県道路線の整理を打ち出してきたことで鳥取県道254号清水川・福成線の先行きは怪しくなってきたのだが、私が鳥取県が鳥取県道254号清水川・福成線を整理対象にしていることを感じ取ったのは2011年(平成23年)8月5日に現地で案内標識に「254」の部分が取り外せるようになっている細工がしてあるのを見つけた時であった(下の写真参照)。
鳥取県道/島根県道1号溝口・伯太線伯太方面用案内標識(左)とその拡大写真(右)
鳥取県道/島根県道1号溝口・伯太線伯太方面用案内予告標識(左)とその拡大写真(右)
国道180号線南部バイパス米子方面用案内標識(左)とその拡大写真(右)
標識製作業者の不手際は否定できなかったことや確定事項でもないこと、沿線住民の感情を害する恐れがあることから長らくこの件の公表は差し控えてきたのだが、私はこの様子を見て鳥取県道254号清水川・福成線は国道180号線南部バイパスが全線開通と引き換えに廃止され、通過自治体である西伯郡南部町に移管することを確信したものであった。案の定そうなったわけであるが、県道路線を廃止したり一部区間を通過市町村に移管したりするのであればその県道路線の路線番号が書かれている箇所を板かシールで伏せれば良いだけであることを考えれば明らかに露骨な廃止(移管)予告だったと言えよう。「鳥取県としてもこの路線は要りません。整理対象としております」と言わんばかりの仕打ちだったわけであるが、果たしてこれで良かったのであろうか。
県道路線の路線番号が書かれている箇所を板やシールで伏せている例(いずれも通過自治体に移管したもの)
今後鳥取県がどのような態度をとっていくかは分からないが、鳥取県道254号清水川・福成線の廃止は今後ある地域とある地域を結ぶ路線も整理対象にしていくことを宣言したものだと受け止めている。山陰自動車道が国道9号線のバイパスとして建設され、県内区間が全線開通した時点で国道9号線を山陰自動車道に移そうとしていることや財政事情が厳しいこと、人口流出が止まらず、遂に60万人の大台を割ったこと(無論鳥取県は日本で最も人口が少ない都道府県である)、問題のある県道路線(注28)が少なくないことを考えれば今後も県道路線の整理は進められるのだろうが、私としては慎重に進めて欲しいと考えている(できればやらないことに越したことはないのだが)。沿線住民の感情を害する恐れがあることやたださえ財政事情が良好な市町村がほとんどないこと、通過市町村移管協議でかなりの時間をかけた過去があること(注29)がその理由であるが、果たしてどうなっていくのであろうか。今後も事態を静観していきたいと思う。
中国地方のラジオ・地理・歴史・道路に関する情報を広く伝える目的で今年から始めた「不定期刊・きょうのトピックス」であるが、今年は11本しか執筆できなかった。更に ブログ も10月から公開を止めたままにしている。執筆にはかなりの時間と手間がかかることや私自身の都合により執筆が進まなかったこともあるのだが、2年目となる来年はレポートものをいくつも企画するなど更に充実させていきたいと考えている。
注釈コーナー
注1:岩手県岩手郡滝沢村・埼玉県南埼玉郡白岡町・千葉県山武郡大網白里町・石川県石川郡野々市町・愛知県愛知郡長久手町の市制施行年月日と市制施行後の名称は下表の通りである。
町村名 | 市制施行年月日 | 市名 | 備考 |
---|---|---|---|
岩手県岩手郡滝沢村 | 2014年(平成26年)1月1日 | 滝沢市 | |
埼玉県南埼玉郡白岡町 | 2012年(平成24年)10月1日 | 白岡市 | |
千葉県山武郡大網白里町 | 2013年(平成25年)1月1日 | 大網白里市 | |
石川県石川郡野々市町 | 2011年(平成23年)11月11日 | 野々市市 | |
愛知県愛知郡長久手町 | 2012年(平成24年)1月4日 | 長久手市 |
注2:安芸郡府中町が広島市に取り囲まれるようになったのは1975年(昭和50年)3月20日に隣接する安芸郡船越町(1928〜1975)が広島市に編入された時からである。
注3:鞆の浦と走島を結ぶフェリーボートを運行している 走島汽船(福山市鞆町鞆)のサイト によると定期券の金額は小学生用が6,840円、通学者用が13,680円となっている( 走島汽船のサイト には有効期間が記されていないが運賃〔大人…570円、小人…290円〕から考えて1ヶ月間ではないかと思われる)。また、走島側の便の始発は午前7時、鞆の浦側の便の終発は午後6時になっており(所要時間は25分)、走島側の始発便に乗り遅れると学校に遅刻する、クラブ活動に入れないなどの支障が出ることも考えられる。
注4: 広島県公式サイト によると福山市の市立小学校・中学校の耐震化率は今年4月1日現在56.0%(=220/393)となっており、広島県の市町では山県郡安芸太田町に次いで低い。福山市によると市立小学校・中学校の耐震化が完了するのは2020年度(平成32年度)になるとのことであるが、福山市では兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災。1995年〔平成7年〕1月17日)や鳥取県西部地震(2000年〔平成12年〕10月6日)、芸予地震(2001年〔平成13年〕3月24日)などで大きな揺れを観測したことを考えると危機感が薄いのでは…と考えたくなる(財政事情もあるのだろうが…)。
注5:福山市の小学校区単位で開催され、他地域でも知られている年中行事としては服部(はっとり)学区や山野学区におけるほたる祭り(6月)や東村学区におけるかかし祭り(12月第一日曜日)がある。
注6:小学校・中学校とも一つに集約された井原市芳井町(旧:後月〔しつき〕郡芳井町〔1924〜2005〕)では町内を南北に貫き、沿線に三つの廃校になった小学校(井原市立川相小学校〔井原市芳井町川相〕・井原市立共和小学校〔井原市芳井町下鴫〕・芳井町立三原小学校〔井原市芳井町西三原〕。井原市立川相小学校は2007年〔平成19年〕、井原市立共和小学校は2008年〔平成20年〕、芳井町立三原小学校は1998年〔平成10年〕にそれぞれ廃校になった)がある岡山県道/広島県道9号芳井・油木線の改良が進められているが、現在建設中の天神峡トンネル(仮称。延長:907m)に歩道を設置するように川相地区の住民が訴え、署名活動を行った。天神峡トンネルに歩道がないと人気がない小田川沿いの旧道を児童または生徒は通らざるを得ず、犯罪被害に遭う恐れがあるからなのだが、岡山県としては歩道設置は考えていないとのことである。今年2月22日に開通した岡山県道33号新見・川上線の正田(しょうでん)トンネル(延長:943m)も歩道は設置されておらず、新見市内の学校に通う子供は旧道を通らざるを得なくなっているのだが、いくら財政事情が厳しいとはいえ歩行者の安全を考えない岡山県の姿勢はどうなのだろうか。
※芳井町立三原小学校は後月郡芳井町在りし時に廃校になったので井原市立三原小学校と表記するのは誤りである。現に校門にある校名板には「芳井町立三原小学校」と記されている。
天神峡トンネルの坑口予定地(左:芳井側/右:油木側)
井原市立川相小学校の校門と校舎
井原市立共和小学校の校門と校舎
芳井町立三原小学校の校門と校舎
芳井町立三原小学校の校門に取り付けられている校名板。後月郡芳井町在りし時に廃校になったことがうかがえる。
注7:わざわざ「広島県府中市」と表記したのは東京都にも府中市があるからである。
注8:府中市阿字町・木野山町・斗升町・行縢(むかばき)町を指す。
※府中市協和地区にあった学校が全てなくなったことについては
こちら
でも記しているので興味のある方は併せてご覧頂きたい。
注9:福山市・下関市とも平成の大合併を経験しているのだが、福山市と下関市で対応が異なったことの一つに学校の名称の混同回避がある。福山市の場合は福山市と芦品(あしな)郡新市町(1907〜2003)に中央中学校が、下関市の場合は下関市と豊浦郡豊北(ほうほく)町(1955〜2005)に神田小学校がそれぞれあったのだが、福山市の場合は新市町の中央中学校を新市中央中学校に改称したのに対し下関市の場合はどちらの神田小学校も改称せず、結果下関市内に二つの神田小学校が存在することになった。下関市としては下関市の神田小学校(下関市西神田町)を「神田(下関)小学校」または「神田(南)小学校」と、豊北町の神田小学校(下関市豊北町神田)を「神田(豊北)小学校」と呼び分けているようなのだが、将来の統廃合を見越してあえて改称しなかったのではないかと思うのは私だけであろうか。
※福山市・芦品郡新市町双方に中央中学校が存在する事態になったのは福山市と周辺自治体との合併問題が浮上していた1974年(昭和49年)のことである。合併対象に入れていた芦品郡新市町に中央中学校、すなわち当時の新市町立中央中学校(現:福山市立新市中央中学校〔福山市新市町新市〕)があることを知りながら福山市立城北中学校(福山市木之庄町四丁目)と福山市立東中学校(福山市三吉町南二丁目)の生徒増加対策として開校させた中学校の名称を福山市立中央中学校(福山市西深津町五丁目)としたのである。福山市としては芦品郡新市町の中央中学校は福山市編入後改称すべきであるという考えを持っていたのではないかと思われるのだが、この上から目線な姿勢が合併論議に大きな影響を与えたことは否めないであろう。
注10:深安郡神辺(かんなべ)町(1929〜2006。現:福山市神辺町)では1960年代中期に町内に三つあった中学校を一つに統合することになったが福山市立神辺東中学校(福山市神辺町下竹田)の開校20周年記念誌「安那の里」によるとこの統合を巡って反対運動が起きたという。地域の象徴がなくなることや深安郡神辺町が福山市のベッドタウンとして発展する可能性があったことが反対の主たる理由であるが、結局統合は実施されてしまった。統合の十数年後に中学校分離を行わざるを得なくなったから深安郡神辺町の考え方は先見の明がなかったということになるのだが、こういうことは他にも芦品郡駅家町(1947〜1975。現:福山市駅家町)でも起きており、長期的視野で物事を考えることの大切さを思い知らされる。
※芦品郡駅家町の場合は小学校なのだが、深安郡神辺町と異なるのは小学校分離は福山市編入後に実施されたことである。芦品郡駅家町が福山市との合併を早いうちに決めた理由の一つは財政事情が厳しいために小学校分離が行えなかったことがあるからではないのかと勘繰りたくなるのだが、果たしてどうなのだろうか。
注11:沼隈郡内海(うつみ)町(1955〜2003。現:福山市内海町)では1970年代前半に町内にある小学校と中学校をいずれも一つに統合することになった。統合小学校は横島に、統合中学校は田島にそれぞれ設置することにしたのだが、沼隈郡内海町東部にある福山市立内浦小学校(福山市内海町)の学区では統合小学校まで遠くなることや道路整備が十分ではないことを理由に統合に反対する運動が起き、結局当面存続させるということになった。
注12:挙げられるものとしては次のようなものがある。
・入学する学生に偏りがある。
・2年間では時間が足りず、十分な教育を施せない。
・就職活動で不利になる。
・地元の高校生が見向きもしない。
・クラブ(サークル)活動や学園祭の開催に支障をきたす。
注13:今年12月31日現在の中国放送ラジオのradiko.jpプレミアム配信時間は次の通りである。
・月曜日・金曜日…午前7時〜午前0時
・火曜日・水曜日・木曜日…午前7時〜午後7時
・土曜日…午前7時〜午後4時
・日曜日…午前9時〜午後3時
中国放送ラジオの一週間の放送時間は通常164時間30分(月曜日午前5時〜翌週月曜日午前1時30分)なので半分を少し超えた85時間まで増えたということになるが、それでも対象になっていない番組は少なくない。
注14:中国放送は開局5日目の1952年(昭和27年)10月5日に早くも広島東洋カープ(当時の名称は広島カープ。現在の名称になったのは1967年〔昭和42年〕暮れのことである)の公式戦中継を放送しており、以後ほとんどの公式戦を中継している(但し1990年代末期〜2010年代初頭の長期低迷期には試合途中から中継を始めたり全く中継しなかったりしたこともある)。
注15:民間中波放送局については こちら 、日本放送協会については こちら でそれぞれ触れているのだが、中波放送局でエフエム電波を用いた中継局を設置しているところは下表の通りである(NHK松江放送局を除く)。
種別 | 放送局名・略称・所在地 | 放送区域 | 状況 |
---|---|---|---|
民間中波放送局 | 北日本放送 (KNB、富山市牛島町) | 富山県 | 砺波・新川両中継局で使用。 |
ラジオ沖縄 (ROK、那覇市西一丁目) | 沖縄県 | 那覇本局以外の中継局で使用。 | |
琉球放送 (RBC、那覇市久茂地二丁目) | 沖縄県 | 那覇本局以外の中継局で使用。 | |
日本放送協会 | 首都圏放送センター (渋谷区神南二丁目) | 東京都 | ラジオ第一放送・ラジオ第二放送の父島・母島両中継局で使用。 |
鹿児島放送局 (鹿児島市本港新町) | 鹿児島県 | ラジオ第一放送の奄美宇検・奄美住用・奄美大和・喜界各中継局で使用。 | |
沖縄放送局 (那覇市おもろまち二丁目) | 沖縄県 | ラジオ第一放送の祖納・南大東・与那国各中継局とラジオ第二放送の祖納・与那国両中継局で使用。 |
注16:島に中継局を設置しているところとしては山陰放送ラジオ浜田中継局(浜田市瀬戸ヶ島町の馬島)が、川のそばに中継局を設置しているところとしては中国放送ラジオの東城中継局(庄原市東城町川西)と三原中継局(三原市明神三丁目)、三次中継局(三次市南畑敷町)がそれぞれ挙げられる。
注17:1966年(昭和41年)当時の社名はラジオ中国だった。現在の中国放送に改称したのは1967年(昭和42年)4月1日のことである。
注18:中国放送は60歳の誕生日を迎えた後の3月末または9月末を定年退職日としているが、定年退職までアナウンサーとして勤務し続けた女性職員は世良洋子が初めてである。
注19:岡山ブルーハイウェイが岡山ブルーラインに愛称を変更したのは1994年(平成6年)のことである。理由としては高速道路と思って通り、速度超過で摘発される方が多かったこと(岡山ブルーラインの制限速度は自動車専用道路ではあるが60km/h)や並行して建設されていた山陽自動車道の岡山県内分が1993年(平成5年)12月に全線開通したことがある。
注20:過去の例は次の通りである。
・島根県道332号三刀屋インター線の島根県道332号三刀屋木次インター線への改称(2002年〔平成14年〕5月10日島根県告示第502号による)。
・島根県道330号嘉久志インター線の島根県道330号江津インター線への改称(2003年〔平成15年〕9月19日島根県告示第788号による)。
注21:同じことは山陰自動車道(国道9号線仁摩・温泉津〔ゆのつ〕道路)石見福光インターチェンジ(大田市温泉津町今浦)にも言える。石見福光インターチェンジの仮称は福光インターチェンジだったのだが、富山県南砺(なんと)市内の東海北陸自動車道に同名のインターチェンジがあるためか正式名称は石見福光インターチェンジとなった。
注22:現行道路法による道路体系が発足した1958年(昭和33年)以降島根県道について異動(認定・改称・廃止)がなかったのは次に挙げる年である。
・1961〜1962年(昭和36〜37年)
・1964〜1965年(昭和39〜40年)
・1967〜1968年(昭和42〜43年)
・1971年(昭和46年)
・1975〜1976年(昭和50〜51年)
・1978〜1979年(昭和53〜54年)
・1981年(昭和56年)
・1985年(昭和60年)
・1987年(昭和62年)
・1989〜1990年(昭和64年/平成元年〜平成2年)
・1992年(平成4年)
・2008〜2013年(平成20〜25年)
2年連続で異動がなかったことは何度かあったが、6年連続は史上初である。
(参考資料:島根県以外の中国地方各県の県道路線の異動がなかった年の一覧)
※対象範囲は現行道路法による道路体系が発足した年(鳥取県・山口県…1958年〔昭和33年〕、岡山県・広島県…1960年〔昭和35年〕)以降とする。
県名 | 異動がなかった年 |
---|---|
鳥取県 | 1961年(昭和36年)、1970年(昭和45年)、1978年(昭和53年)、1981年(昭和56年)、1986〜1987年(昭和61〜62年)、1989〜1990年(昭和64年/平成元年〜平成2年)、1996年(平成8年)、1998〜1999年(平成10〜11年)、2004〜2005年(平成16〜17年)、2007〜2008年(平成19〜20年)、2010年(平成22年) |
岡山県 | 1961年(昭和36年)、1964年(昭和39年)、1969年(昭和44年)、1981年(昭和56年)、1984〜1987年(昭和59〜62年)、1989年(昭和64年/平成元年)、1991〜1992年(平成3〜4年)、1997〜2001年(平成9〜13年)、2003〜2005年(平成15〜17年)、2007年(平成19年)〜 |
広島県 | 1961〜1964年(昭和36〜39年)、1984〜1985年(昭和59〜60年)、1988〜1989年(昭和63年〜昭和64年/平成元年)、1992年(平成4年)、1995年(平成7年)、2002〜2003年(平成14〜15年)、2007〜2008年(平成19〜20年)、2011年(平成23年)〜 |
山口県 | 1961〜1962年(昭和36〜37年)、1964年(昭和39年)、1967年(昭和42年)、1981〜1982年(昭和56〜57年)、1985〜1989年(昭和60年〜昭和64年/平成元年)、1996年(平成8年)、1999年(平成11年)、2004〜2005年(平成16〜17年)、2007年(平成19年)、2010年(平成22年)、2013年(平成25年)〜 ※2014年度(平成26年度)11月定例会で県道路線の変更に関する議案が出され、可決されたため2015年(平成27年)中に県道路線の異動が発生する可能性が高い。但しその内容は今のところ明らかになっていない。 |
注23:島根県内の国道9号線はバイパス開通後も複数の経路が残されていることが多いのが特徴である。理由としてはバイパスが自動車専用道路であることや市街地を国道9号線が通過しなくなることで不利益が生じる恐れがあることが考えられる。1966年(昭和41年)に現在の経路になってから大規模な旧道処分が行われたのは大田市波根町〜大田市久手町刺鹿(さつか)間しかない(1971年〔昭和46年〕9月16日に大田バイパスが全線開通したことに伴い1972年〔昭和47年〕3月21日島根県告示第208号により島根県道285号波根・久手線に再編された)。大田市波根町〜大田市久手町刺鹿間について旧道処分が行えたのは大田市郊外であることや旧道を起終点とする県道路線がなかったことが考えられる。
注24:2012年(平成24年)3月27日山口県告示第98号による。
注25:鳥取県の県道路線再編政策により廃止され、通過市町村に移管された路線は下表の通りである。
路線名称 | 廃止年月日/ 告示番号 | 移管先 | 備考 |
---|---|---|---|
鳥取県道180号伯耆溝口停車場線 | 2009年(平成21年)12月1日 鳥取県告示第712号 | 西伯郡伯耆町 | |
鳥取県道222号岸本停車場線 | 2009年(平成21年)12月1日 鳥取県告示第712号 | 西伯郡伯耆町 | |
鳥取県道254号清水川・福成線 | 2014年(平成26年)3月31日 鳥取県告示第231号 | 西伯郡南部町 | |
鳥取県道272号智頭停車場線 | 2012年(平成24年)7月10日 鳥取県告示第499号 | 八頭郡智頭町 |
注26:西伯郡南部町のうちの阿賀・境(さかえ)・清水川・福成で構成される地区。会見郡天津村(1889〜1896)→西伯郡天津村(1896〜1955)だった地区である。
注27:当然のことながら日ノ丸自動車電車部法勝寺鉄道天津駅は西伯郡西伯町在りし時に廃止され、西伯郡南部町時代には存在しないのだが、どこにあったのかを示すためにあえて現在の地名を記している。
注28:通行不能箇所を抱えていること(鳥取県道33号三朝〔みささ〕・中線など)や他県に通じる路線として認定したのに相手の県が認定を見送っていること(岡山県道X号・鳥取県道303号大高下・口波多線)、認定こそしたが区域決定に至っていないこと(鳥取県道290号八橋〔やばせ〕・宮木線など)を指す。
注29:国鉄(日本国有鉄道)の経営再建の一環として1985年(昭和60年)4月1日に廃止された国鉄倉吉線の駅を起終点とする県道路線(鳥取県道26号打吹停車場線〔1972〜1994〕→鳥取県道152号打吹停車場線〔1994〜1995〕と鳥取県道177号西倉吉停車場線〔1958〜1995〕、鳥取県道218号小鴨停車場線〔1958〜1995〕、鳥取県道219号関金停車場線〔1958〜1995〕、鳥取県道309号大柿・上小鴨停車場線〔1976〜1995〕を指す)について廃止→通過市町村への移管に10年近い時間がかかったことを指す。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |