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今年○周年を迎えるもの(2017年〔平成29年〕1月1日公開)

 皆様明けましておめでとうございます。本年も本サイトをよろしくお願いいたします。
 さて、今年初めての「不定期刊・きょうのトピックス」は例のごとく今年中国地方で○周年(○には5で割り切れる自然数が入る。なお、上限は125とする)を迎えるもの(本サイトが対象としている道路・市区郡町村・ラジオに限ります)を紹介します。どうぞご覧下さい。

道路編

○周年を迎える重要な告示または政令

周年告示番号または政令番号概要
65周年1952年(昭和27年)12月4日
政令第477号
即日施行の一級国道路線指定の告示。中国地方では2号・9号・29号・30号・31号の5路線が発足した。
55周年1962年(昭和37年)5月1日
政令第184号
1963年(昭和38年)4月1日施行の一級国道路線・二級国道路線指定の告示。中国地方では二級国道179号岡山・鳥取線が一級国道53号線に、二級国道182号広島・松江線が一級国道54号線にそれぞれ移行し、二級国道179号姫路・倉吉線と二級国道182号新見・福山線、二級国道261号広島・江津線、二級国道262号萩・防府線が発足した。
35周年1982年(昭和57年)4月1日
建設省第935号
1982年(昭和57年)4月1日実施の国道再編を受けて新たな主要地方道路線を指定した告示。中国地方ではこの時226路線(再指定138路線・経路変更1路線・新規指定87路線)が指定された(異動の内容は こちら を参照のこと)。
25周年1992年(平成4年)4月3日
政令第104号
1993年(平成5年)4月1日実施の国道再編の告示。中国地方では国道482号線及び国道484〜491号線が発足し、国道184号線と国道188号線、国道313号線、国道314号線、国道429号線の5路線の経路変更が実施された。
10周年2007年(平成19年)10月25日
広島県告示第1,057号
三次市で完結する一般県道20路線の管理者が2007年(平成19年)10月26日から広島県から三次市に変更された。

発足○周年を迎える国道路線(原則として一級国道・二級国道の一般国道への移行と既存路線の経路・起終点変更を除く)

周年路線名称発足年月日備考
65周年国道2号線
国道9号線
国道29号線
国道30号線
国道31号線
1952年(昭和27年)12月4日いずれも当時は一級国道路線。一般国道になったのは1965年(昭和40年)4月1日からである。
35周年国道429号線
国道430号線
国道431号線
国道432号線
国道433号線
国道434号線
国道435号線
国道437号線
1982年(昭和57年)4月1日

認定○周年を迎える県道路線(現存するもののみ掲載)

県名周年路線名称発足年月日備考
鳥取県55周年県道207号皆生・西原線
県道262号日吉津・伯耆大山停車場線
1962年(昭和37年)1月23日
50周年県道265号湯山・鳥取線
県道268号赤碕港線
県道269号松河原・名和線
県道270号徳丸・富枝線
1967年(昭和42年)11月4日
45周年県道263号倉吉停車場線1972年(昭和47年)3月24日
県道7号智頭・勝田線
県道31号鳥取・国府・岩美線
県道32号郡家・鹿野・気高線
県道33号三朝・中線
県道34号倉吉・赤碕・中山線
県道278号下市・赤碕停車場線
県道287号河原・郡家線
1972年(昭和47年)3月28日県道7号智頭・勝田線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
県道297号上大立・大栄線
県道299号赤松・淀江線
県道301号境外港線
1972年(昭和47年)11月17日
県道283号大谷・曹源寺線1972年(昭和47年)12月22日
40周年県道312号倉吉環状線1977年(昭和52年)4月26日
県道6号津山・智頭・八東線
県道8号新見・日南線
県道11号新見・多里線
県道15号横田・多里線
県道36号名和・岸本線
県道38号倉吉・福本線
県道153号才代・船岡線
1977年(昭和52年)6月10日
35周年県道501号倉吉・東郷自転車道線1982年(昭和57年)5月18日
県道39号郡家・国府線
県道41号鳥取港線
県道42号鳥取・河原線
県道44号東伯・野添線
県道45号倉吉・江府・溝口線
県道46号日野・溝口線
県道47号米子・境港線
県道48号阿毘縁・菅沢線
県道315号如来原・御机線
県道316号米子・岸本線
県道317号両三柳・西福原線
1982年(昭和57年)9月10日
20周年県道298号袋河原・八坂線1997年(平成9年)3月21日
15周年県道170号海田・倉吉停車場線
県道324号河原インター線
2002年(平成14年)11月29日
鳥取県
島根県
35周年県道1号溝口・伯太線1982年(昭和57年)9月10日
島根県45周年県道21号松江・島根線
県道26号出雲・三刀屋線
県道223号石見横田停車場線
県道248号神魂神社線
県道255号蟠竜湖線
県道285号波根・久手線
県道312号須川谷・日原線
1972年(昭和47年)3月21日
県道200号仁万停車場線
県道235号仁万港線
県道256号蟠竜湖・高津線
県道263号浜乃木・湯町線
県道318号日ノ津・崎港線
1972年(昭和47年)8月1日
県道321号久利・静間線1972年(昭和47年)12月26日
40周年県道15号横田・多里線
県道38号掛合・上阿井線
県道39号湖陵・掛合線
県道40号川本・波多線
県道41号桜江・金城線
県道279号外園・高松線
県道325号佐田・八神線
県道326号頓原・八神線
1977年(昭和52年)3月11日
35周年県道23号斐川・一畑・大社線
県道37号松江・鹿島・美保関線
県道44号西郷・都万・五箇線
県道45号安来・木次線
県道46号大田・桜江線
県道47号西郷・布施線
県道175号御津・東生馬線
1982年(昭和57年)9月10日
20周年県道331号石見空港・飯田線1997年(平成9年)3月25日
15周年県道332号三刀屋木次インター線2002年(平成14年)5月10日
10周年県道338号美保関・八束・松江線2007年(平成19年)8月31日
岡山県55周年県道22号倉敷・玉野線
県道83号飯井・宿線
県道381号牛文・香登本線
県道382号本庄・玉島線
1962年(昭和37年)5月1日県道83号飯井・宿線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
50周年県道160号三和・西菅野線1967年(昭和42年)4月21日
県道393号鷲羽山公園線1967年(昭和42年)12月19日
45周年県道30号落合・建部線
県道39号備前・牛窓線
県道45号岡山・玉野線
県道46号和気・笹目・作東線
県道47号倉敷・長浜・笠岡線
県道49号高梁・旭線
県道50号北房・井倉・哲西線
県道51号美作・奈義線
県道53号御津・佐伯線
県道55号湯原・美甘線
県道399号金甲山線
県道400号後楽園線
県道401号美作土居停車場線
県道402号原尾島・番町線
県道403号町苅田・熊山線
県道404号都留岐・吉永停車場線
県道405号山田・槌ヶ原線
県道406号寄島・笠岡線
県道407号野上・矢掛線
県道408号東水砂・矢掛線
県道409号大野部・哲多線
県道411号垂水・追分線
県道412号福井・美作大崎停車場線
県道413号安井・津山線
県道414号福本・和気線
県道415号工門・勝央線
1972年(昭和47年)3月21日
県道7号智頭・勝田線1972年(昭和47年)3月31日県道7号智頭・勝田線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
35周年県道27号岡山・吉井線
県道28号岡山・牛窓線
県道32号新見・勝山線
県道33号新見・川上線
県道35号倉敷・成羽線
県道41号新倉敷停車場線
県道48号笠岡・美星線
県道54号倉敷・美袋線
県道56号湯原・奥津線
県道57号総社・賀陽線
県道61号妹尾・御津線
県道62号玉野・福田線
県道65号久世・中和線
県道66号落合・加茂川線
県道68号津山・加茂線
県道69号西大寺・備前線
県道70号久米・建部線
県道71号建部・大井線
県道72号岡山・賀陽線
県道237号日応寺・栢谷線
県道238号上芳賀・岡山線
県道268号白尾・塩生線
県道271号総社・足守線
県道274号福田・老松線
1982年(昭和57年)9月24日県道72号岡山・賀陽線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
岡山県
広島県
45周年県道3号井原・福山港線
県道108号大野部・東城線
1972年(昭和47年)3月21日
県道102号下御領・井原線1972年(昭和47年)11月24日
広島県45周年県道4号甲田・作木線
県道26号新市・七曲・西城線
県道28号吉舎・豊栄線
県道33号瀬野川・福富・本郷線
県道34号矢野・安浦線
県道40号安佐・豊平・芸北線
県道42号大竹・湯来線
県道274号瀬野・船越線
県道293号本多田・佐伯線
県道366号西浦・三庄・田熊線
県道377号向島循環線
県道399号金丸・府中線
県道420号木頃・井永線
県道444号油木・小奴可線
県道447号始終・森線
県道467号庄原・新市線
1972年(昭和47年)3月21日県道467号庄原・新市線は発足当時は主要地方道(1982年〔昭和57年〕一般県道降格)。
県道85号下瀬野・海田線
県道247号廿日市港線
県道256号比婆山県民の森線
県道286号中大迫・清田線
県道304号中筒賀・下線
県道338号吉川・大多田線
県道365号戸崎・下組線
県道400号藤尾・井関線
県道402号金丸・市場線
県道428号宇賀・安田線
県道434号和知・三次線
1972年(昭和47年)11月24日県道85号下瀬野・海田線は発足当時は一般県道(1994年〔平成6年〕主要地方道昇格)。
40周年県道463号津之郷・山守線1977年(昭和52年)2月22日
35周年県道385号内浦・箱崎港線
県道386号田島循環線
県道387号横島循環線
県道404号小谷・宇津戸線
1982年(昭和57年)3月23日
県道53号沼隈・横田港線
県道54号福山・尾道線
県道55号尾道・三原線
県道58号西城・比和線
県道63号三次・三和線
県道64号三次・美土里線
県道66号呉環状線
1982年(昭和57年)8月12日県道53号沼隈・横田港線と県道54号福山・尾道線、県道55号尾道・三原線、県道58号西城・比和線、県道63号三次・三和線、県道64号三次・美土里線、県道66号呉環状線は発足当時は一般県道(いずれも1982年〔昭和57年〕12月6日主要地方道昇格)。
県道27号吉舎・油木線
県道30号廿日市・佐伯線
県道37号広島・三次線
県道39号三次・高野線
県道41号五日市・筒賀線
県道61号三次・庄原線
県道62号庄原・作木線
県道69号千代田・八千代線
県道70号広島・中島線
県道71号広島・湯来線
県道212号吉田口停車場線
県道468号河内停車場線
1982年(昭和57年)12月6日
20周年県道472号広島東インター線
県道473号府中・仁保線
1997年(平成9年)2月27日
山口県45周年県道8号徳山・光線
県道31号美東・秋芳・西寺線
県道240号湯ノ口・美祢線
1972年(昭和47年)3月21日
県道10号山口・福栄・須佐線
県道303号福田下・惣郷線
県道309号佐々並・町絵・美東線
1972年(昭和47年)3月28日
県道104号飯山公園線
県道114号新岩国停車場線
県道169号湯野・山畑線
県道197号仁保中郷・奈美線
県道201号宮野上・山口停車場線
県道219号西岐波・吉見線
県道235号豊田前・東厚保線
県道266号日野・吉田線
県道286号日置上・油谷線
県道302号福田下・宇田線
県道317号高佐下・阿東線
1972年(昭和47年)4月1日
40周年県道342号琴芝・際波線1977年(昭和52年)2月12日
県道26号山口・鹿野線
県道54号防府停車場線
1977年(昭和52年)3月8日
県道241号秋吉台・絵堂線
県道344号吉部下・篠目線
1977年(昭和52年)4月1日
25周年県道366号徳山・下松線1992年(平成4年)3月21日
20周年県道503号佐波川自転車道線1997年(平成9年)1月28日
15周年県道259号新下関停車場・稗田線2002年(平成14年)3月1日
5周年県道110号岩国錦帯橋空港線2012年(平成24年)3月30日

開通○周年を迎える主要な道路

県名周年路線名称開通年月日コメント
鳥取県25周年国道9号線
鳥取バイパス
1992年(平成4年)4月18日鳥取市中心部の北方を東西に貫くバイパスで、鳥取市福部町湯山(起点)〜鳥取市覚寺間が開通して全線開通した。鳥取バイパス全線開通以前の国道9号線は地理的な問題から鳥取市中心部には入らず、鳥取市中心部の北方を通っていたのでなぜバイパスが必要なのか疑問に思う方がいるかもしれないのだが、鳥取市の発展により市街地が北方・西方に拡大したことや沿線に郊外型店舗が多数建ち並ぶようになったこと、湖山地区など民家が密集した地域を通ること、沿線に国立鳥取大学(鳥取市湖山町南四丁目)や鳥取空港(愛称:鳥取砂丘コナン空港。鳥取市湖山町西四丁目)などの主要施設や鳥取砂丘などの名所があることなどにより交通量が増大し、現道ではさばき切れなくなったことが考えられる。山間部(鳥取市覚寺以東)は自動車専用道路には指定されていないが立体交差方式で建設されたのに対し平野部(鳥取市覚寺以西)は(立体交差にしている交差点もあるが)平面交差が多いなど山間部と平野部で道路の様子がかなり異なってくることが特徴と言える。現在では起点の鳥取市福部町湯山で鳥取・豊岡・宮津自動車道(山陰・近畿自動車道とも称する)の一部を構成している国道9号線駟馳山(しちやま)バイパスと直接接続しており、今後は鳥取市と近畿(関西)地方の日本海沿岸地域を結ぶ幹線道路としての役割も期待されている。
20周年国道373号線
志戸坂峠道路
(鳥取自動車道)
1997年(平成9年)4月16日八頭郡智頭(ちづ)町駒帰〜尾見ランプ(現:智頭南インターチェンジ〔八頭郡智頭町尾見〕)間が開通。開通区間の起点は国道373号線志戸坂峠道路の一般道路と自動車専用道路の切り替え点であり、この時の開通区間は実質的に鳥取県側の中国横断自動車道姫路・鳥取線(鳥取自動車道)として初の開通区間になったことになる。通行料がかからないこともあって開通当初は国道373号線のバイパスとして通行する車は少なくなかったが、この開通区間が鳥取自動車道の一部として本格的に機能するようになるには尾見ランプ改め智頭南インターチェンジ以遠への延伸が実現するまで10年以上待たなければならなかった。
10周年国道313号線
北条・倉吉道路
2007年(平成19年)3月10日国道313号線北条・倉吉道路は倉吉市を経由して山陰自動車道と米子自動車道を結ぶ地域高規格道路北条・湯原道路の一部を構成する道路で、北条ジャンクション・インターチェンジ(東伯郡北栄町弓原)〜倉吉インターチェンジ(倉吉市和田)間が開通。途中には2箇所の出入口(北栄インターチェンジ〔東伯郡北栄町弓原〕・北栄南インターチェンジ〔東伯郡北栄町米里〕)がある。未改良箇所の多かった倉吉市〜東伯郡北栄町間の国道313号線の改良も建設目的の一つであり、旧道は北条・倉吉道路開通から約1年後の2008年(平成20年)3月31日に区域から外されている(2008年〔平成20年〕3月31日鳥取県告示第206号による)。鳥取県にある市で唯一高速道路の計画のなかった倉吉市にとっては初めての自動車専用道路となったのだが、北条ジャンクション・インターチェンジ付近の山陰自動車道はようやく建設が始まったところであり、一方で米子自動車道方面は未着手の箇所があるためまだ自動車専用道路としては孤立した状態にある。なお、国道313号線は本来は東伯郡北栄町弓原が終点(起点は福山市入船町一丁目)なのだが、なぜ湯原・北条道路とか倉吉・北条道路にしなかったのか、はっきりしたことは分からない。
鳥取県
島根県
45周年境水道大橋1972年(昭和47年)7月22日鳥取県と島根県、言い換えれば境港市と松江市美保関地区を隔てる境水道にかかる橋で全長は709m。境港側は平地、美保関側は高台にそれぞれ橋の起点があることから左右非対称のトラス橋になっていることと、開通当初は日本道路公団が経営する有料道路だったことが特色である(2002年〔平成14年〕7月22日無料開放)。また、通っている道路も島根県道1号/鳥取県道18号松江・境線(1955〜1982。名称は廃止当時のものを記載)→国道431号線(1982〜)と変遷しているが、主要地方道→国道と出世しているところを見るとその重要性がうかがえる。無論現在も境港市と松江市美保関地区を往来する車などが多く行き交っているが、高速道路までが遠いこと(このことは次の「米子自動車道」の欄で触れる)や境水道大橋開通後境水道に設定されていた渡し船は全て廃業し、自転車や歩行者が境港市と松江市美保関地区を往来するのに困難が生じていること(注1)が問題である。
鳥取県
岡山県
25周年米子自動車道1992年(平成4年)12月18日落合ジャンクション(真庭市中河内)〜江府インターチェンジ(鳥取県日野郡江府町佐川)間が開通。途中には3箇所の出入口(久世インターチェンジ〔真庭市中原〕・湯原インターチェンジ〔真庭市社〕・蒜山〔ひるぜん〕インターチェンジ〔真庭市蒜山西茅部〕)と2箇所の休憩所(上野パーキングエリア〔真庭市樫西〕・蒜山高原サービスエリア〔真庭市蒜山西茅部〕)がある。上野パーキングエリア〜湯原インターチェンジ間にある摺鉢山トンネルは4kmを超える長大トンネルであり、開通当時は中国地方最長の道路トンネルだったことで知られる(注2)。落合ジャンクション〜江府インターチェンジ間の開通により米子自動車道は落合ジャンクション〜米子インターチェンジ(米子市赤井手)間が一本の道に繋がり、京阪神地方と山陰地方中央部を結ぶ幹線道路として有用な存在になった。当時米子自動車道はこれで全線開通したというような報道がなされていたが、実は米子自動車道(正式名称は中国横断自動車道岡山・米子線)の終点は米子市ではなく境港市であり、厳密に言えば米子自動車道は未だに全線開通していない。米子インターチェンジ以北への延伸は米子インターチェンジ〜米子北インターチェンジ(仮称。詳細な場所は不明だが皆生〔かいけ〕温泉の近くになるものと思われる)間が新直轄方式で建設されることが決まっただけでそれも当面建設しないことになっている。その必要性は こちら で記した通りだが、境港市まで米子自動車道が延びるのはいつのことになるのだろうか。なお、湯原インターチェンジ〜蒜山インターチェンジ間の経路は起工式こそ開催されたが全く着手されないまま白紙撤回された国鉄南勝線(注3)が通るはずだった経路に沿っているのだが、その関係は明らかではない。
20周年国道313号線
犬挟峠道路
1997年(平成9年)10月22日国道313号線犬挟(いぬばさり)峠道路は国道313号線の鳥取・岡山県境にある難所・犬挟峠を快適に通れるようにすることを目的に企図された道路であり、地域高規格道路北条・湯原道路の一部でもある。犬挟峠の東方に建設された犬挟トンネル(全長:2,626m)は鳥取・岡山県境にある道路トンネルとしては最長である。途中には道の駅犬挟(倉吉市関金町山口)があり、そこで休憩する人も多い。なお、旧道の一部区間(倉吉市関金町山口〜倉吉市関金町関金宿間の約3.2km)はなぜか国道313号線犬挟峠道路の東方を通っている岡山県道/鳥取県道115号常藤・関金線の区域に編入された(1999年〔平成11年〕3月31日鳥取県告示第232号による)のだが、いかなる目的があってそうしたのだろうか。
島根県45周年宍道湖大橋有料道路1972年(昭和47年)7月1日松江市中心部を南北に分ける大橋川に架かる橋はかつては松江大橋(県道261号母衣町・雑賀町〔ほろまち・さいかまち〕線が通過。全長:134m)と新大橋(県道21号松江・島根線が通過。全長:140.6m)の二つしかなく、渋滞が頻発するなど不便が生じていた。そこで松江大橋の西方、宍道(しんじ)湖の東端部に県道261号母衣町・雑賀町線のバイパスとして建設されたのが宍道湖大橋(全長:310m)である。国道9号線(国道54号線重用)出雲・雲南方面と島根県庁(松江市殿町)・松江市役所(松江市末次町)・松江城跡(松江市殿町)を短絡する道路として有用になるはずだったのだが、島根県の財政事情が厳しいからか有料道路として開通したため不評を買う結果になった。結局開通9年後の1981年(昭和56年)7月1日に無料開放されるのだが、現在では上下4車線化され、松江市中心部を往来する道路として、山陰自動車道・国道9号線(国道54号線重用)出雲・雲南方面と島根県庁・松江市役所・松江城跡を結ぶ道として重要な役割を果たしている。なお、宍道湖大橋が通る道は1982年(昭和57年)に県道261号母衣町・雑賀町線から県道37号松江・鹿島・美保関線に変更されている。
40周年国道261号線
川下・桜江バイパス
1977年(昭和52年)4月16日邑智郡川本町川下(かわくだり)〜江津市桜江町谷住郷間の江の川右岸に建設されたバイパス。元々邑智郡川本町から江津市桜江地区にかけての国道261号線は江の川左岸を通っていた(注4)のだが、川岸近くまで急峻な山が迫っているところが多い上に並行してJR三江線が通っているため拡幅は困難であった。そこで江の川右岸を通る県道294号川下・桜江線(1966〜1980)を活用して建設したのがこの国道261号線川下・桜江バイパスであった。江の川右岸も江の川左岸と同じく川岸近くまで急峻な山が迫っているところが多く、建設は困難を極めたのだが、建設省直轄事業に指定されたことで着工から7年ほどで全線開通に漕ぎ着けた。人家や集落の少ないところを通ることもあり、ほとんど止まらずに走ることはできるのだが中国地方随一の大河である江の川の流れや自動販売機が多く置かれていることで知られるコインレストランかわもと(邑智郡川本町川下。但し終夜営業はしていない)、深夜・早朝には全方向が赤信号の点滅運用になる(注5)川下橋西詰交差点(邑智郡川本町川下。交差点名標なし)といった見所のある路線でもある。
25周年国道314号線
三井野原道路
1992年(平成4年)4月23日道が狭く、勾配もきつく、急な屈曲も多かった国道314号線最大の難所を解消すべく企図された道路。この道路の最大の見所は何と言っても奥出雲おろちループと称される二つのループ橋である。大ループの途中に小ループがあるという珍しい構造をしているが、二つもループ橋を作らざるを得なかったところに三井野原道路が建設されたところの地形の厳しさを感じ取ることができる(並行して通るJR木次〔きすき〕線はスイッチバックを入れているし…)。現在は途中に道の駅奥出雲おろちループ(仁多郡奥出雲町八川)が設置されており、そこで休憩する人も少なくない。
10周年国道9号線
出雲バイパス
2007年(平成19年)12月2日出雲市中心部を通る国道9号線の渋滞を解消すべく出雲市斐川(ひかわ)町富村(とびむら)〜出雲市芦渡(あしわた)町間に計画されたバイパス(現道拡幅区間や現道橋梁架け替え区間を含む)で、出雲市斐川町併川(起点)〜出雲市中野美保南三丁目間と出雲市渡橋町〜出雲市芦渡町(終点)間が開通して全線開通した。島根県内の国道9号線のバイパスは山陰自動車道の一部に組み入れられることが多いがこの出雲バイパスにはその計画はないこと(注6)や都市部のバイパスであるが故に側道が設けられていること、立体交差化されている交差点があることが主たる特徴である。また、途中には「中野美保」なる人名のような名称の交差点があることも注目の的となっている。出雲バイパス開通後の国道9号線現道、すなわち国道9号線出雲旧道は長らく国道9号線のまま存続していたが、2016年(平成28年)4月1日に出雲市渡橋町/渡橋中央交差点を境に東側は国道184号線、西側は県道28号出雲・大社線にそれぞれ再編されたのは記憶に新しいところである。
5周年松江自動車道2012年(平成24年)3月24日吉田掛合(よしだかけや)インターチェンジ(雲南市吉田町吉田)〜三刀屋木次(みとやきすき)インターチェンジ(雲南市三刀屋町三刀屋)間が開通。三刀屋木次インターチェンジ以南の松江自動車道は新直轄方式で建設されたのだが、その新直轄方式で建設された区間としては初の開通となった。吉田掛合インターチェンジと国道54号線の間の距離が少しあるのが難点だが、無料で通行できるとあって国道54号線のバイパスとして利用する車は少なくなかった。ただ、広域的な幹線道路として機能するには約1年後の三次東ジャンクション・インターチェンジ(三次市四拾貫町)〜吉田掛合インターチェンジ間の開通、すなわち松江自動車道の全線開通と中国自動車道との接続(2013年〔平成25年〕3月30日)を待たなければならなかった。
県道336号吉田掛合インター線2012年(平成24年)3月24日松江自動車道吉田掛合インターチェンジと県道38号掛合・上阿井線を結ぶ県道路線で松江自動車道吉田掛合インターチェンジ〜三刀屋木次インターチェンジ間開通と同時に開通した。路線の半分程度が龍宮トンネル(全長:777m)になっていることと他の一般道路とは立体交差になっていることが特徴である。松江自動車道三次東ジャンクション・インターチェンジ〜吉田掛合インターチェンジ間が開通していなかった頃は国道54号線のバイパスとして通る車も少なくはなかったが、現在は松江自動車道と雲南市掛合・吉田両地区を結ぶアクセス道路としての性格が濃くなっている。
国道485号線
松江だんだん道路
2012年(平成24年)3月24日西尾インターチェンジ(松江市西尾町)〜松江ジャンクション(松江市東津田町)間が開通。途中には津田インターチェンジ(松江市東津田町。西尾インターチェンジ方面との出入のみ可能)がある。松江市中心部を南北に分ける大橋川には橋は少なく、くにびき大橋〜中海大橋間(直線距離で約6km)には全く橋がなかったことや松江市中心部の大橋川に架かる橋(宍道湖大橋・松江大橋・新大橋・くにびき大橋)はいずれも交通量が多く、渋滞が頻発していたことから企図された道路である。全線が自動車専用道路に指定されているのだが、途中の大橋川に架かる縁結び大橋(全長:609.5m(注7))には歩道が併設されており、西尾インターチェンジの近くにある松江市立女子高等学校(松江市西尾町)に通学する生徒などが通っている。なお、道路の名称にある「だんだん」とは島根県東部の方言(出雲弁)で「ありがとう」を意味する単語であり、2008〜2009年(平成20〜21年)に放送されたNHK朝の連続テレビ小説の題名になったことでも知られている。
岡山県40周年岡山ブルーハイウェイ1977年(昭和52年)7月1日正式名称は東備西播開発有料道路であり、岡山県南東部と兵庫県南西部を結ぶ目的で企図された道路であることがうかがえるが、諸事情(注8)で兵庫県が計画から降り、岡山県で完結する計画になった。更に1970年(昭和45年)には受け皿道路として県道397号寒河(そうご)・本庄・岡山線が認定されたのだがなぜか備前市日生町寒河〜備前市蕃山(しげやま)間の建設は先送りされた(注9)。きちんと建設された区間のうちの蕃山インターチェンジ(備前市蕃山)〜西大寺インターチェンジ(岡山市東区西大寺五明)間が今年開通40周年を迎える区間である。蕃山インターチェンジ〜西大寺インターチェンジ間が開通した時点で既に西大寺インターチェンジ〜君津インターチェンジ(岡山市東区金田)間が開通していたため蕃山インターチェンジ〜君津インターチェンジ間が一本の道に繋がった。観光道路としての性格と国道2号線のバイパスとしての性格を兼ね備えた道路であり、自動車専用道路に指定されていることやいくつか休憩所を設けていることが主たる特徴である。その後愛称の変更(1994年〔平成6年〕に岡山ブルーラインに改称)や無料開放(2004年〔平成16年〕4月1日)、一般道路として建設された備前市日生町寒河〜備前市蕃山間の開通による県道397号寒河・本庄・岡山線の全線開通(2014年〔平成26年〕11月25日)を経て国道2号線や国道250号線のバイパスとして、観光道路として、そして沿線住民の生活道路として有用な存在になっている。今後の課題としては交通量増加対策(平地部への追い越し車線の設置や山間部への登坂車線の設置など)、有料道路時代存在した休憩所のうち唯一閉鎖されたままになっている備前シーサイドプラザ(瀬戸内市邑久町虫明)の跡地の活用、防犯対策、施設の老朽化対策が挙げられよう。
水玉ハイウェイ1977年(昭和52年)7月21日正式名称は水島・玉島産業有料道路であり、倉敷市南部の水島地区と倉敷市西部の玉島地区の臨海部を国道2号線(現:国道429号線)を経由しないで結ぶ産業道路として企図されたことがうかがえる。途中には高梁川に架かる水島大橋(全長:1,198m)と玉島港に架かる玉島大橋(全長:456m)という二つの大きな橋があることと有料区間が水島大橋の前後と玉島大橋の前後の二つに分かれていること(そのため道路地図上では有料道路になっていても無料で通れる箇所もあった)、そのために倉敷市連島(つらじま)町鶴新田と倉敷市玉島柏島に料金所が設けられたことが主たる特徴である。ただ、開通当時起点側(倉敷市水島川崎通一丁目)・終点側(倉敷市玉島勇崎)ともT字路であり、起点側から東方に延びる道や終点側から西方に延びる道がなかなか整備されなかったこと(注10)で使い勝手の悪さが残る結果になった。その後愛称の変更(1994年〔平成6年〕に水玉ブリッジラインに改称)や起点側から東方に延びる道路の開通(2002年〔平成14年〕頃。道路の真ん中に緑地帯のある道路〔県道428号倉敷西環状線〕に繋がった)、無料開放(2006年〔平成16年〕4月1日)を経て倉敷市南部の幹線道路として、そして沿線住民の生活道路として有用な存在になっている。今後の課題としては終点側と国道2号線玉島・笠岡道路を結ぶ都市計画道路勇崎・大谷線の建設や交通量増加対策が挙げられよう。
35周年山陽自動車道1982年(昭和57年)3月30日龍野西インターチェンジ・サービスエリア(たつの市揖西町土師〔いっさいちょうはぜ〕)〜備前インターチェンジ(備前市八木山)間が開通。兵庫県から山口県にかけての瀬戸内海沿岸の都市を結ぶ山陽自動車道としては記念すべき初開通となった。なぜ兵庫・岡山県境の大きな都市もないところが山陽自動車道として初めて開通したところになったのかはっきりしたことは分からないのだが、龍野西インターチェンジ・サービスエリア以東及び備前インターチェンジ以西に自動車専用道路がある(注11)がそこだけ途切れていることや沿線の国道250号線の高取峠(相生市と赤穂市の境にある峠で標高は約100m)や国道2号線の船坂峠(兵庫県〔赤穂郡上郡町〕と岡山県〔備前市〕の境にある峠で標高は約150m)などの難所があったことなどが考えられる。ただ、龍野西インターチェンジ・サービスエリア〜備前インターチェンジ間は25kmほどしかなく、そこだけわざわざ高速道路を通るという車はあまりなかったものと思われる。もっと有用な道路になるためには龍野西インターチェンジ・サービスエリア以東及び備前インターチェンジ以西への延伸が望まれたのだが、前記の通り並行して自動車専用道路が通っていたことなどから計画は遅々として進まず、結局龍野西インターチェンジ・サービスエリア以東及び備前インターチェンジ以西に延びたのは1990年代、言い換えれば平成時代に入ってからであった(注12)。なお、本文では「龍野西インターチェンジ・サービスエリア」と表記したがこの表記になったのは2003年(平成15年)3月29日からであること(それまでは竜野西インターチェンジ・サービスエリアという表記だった)と龍野西インターチェンジ・サービスエリア供用開始時点で竜野西サービスエリア改め龍野西サービスエリアはまだ営業していなかったこと(1990年〔平成2年〕7月31日営業開始)をお断りしておきたい。
25周年岡南大橋有料道路1992年(平成4年)9月30日岡山市中区江並〜岡山市南区築港元町間に建設された県道45号岡山・玉野線の支線で、途中の旭川に架かっているのが有料道路の名称となった岡南(こうなん)大橋(全長:821m)である。岡山市中心部を流れている旭川には橋が少なく、往来に支障をきたしていたことから企図された道路であるが、有料道路として開通したことや後に岡山環状道路の一部に位置付けられたもののなかなかその前後の区間の整備が進まなかったことから使い勝手の悪さが残る結果になった。岡山県道路公社(岡山市北区蕃山町。1971〜2006)の解散により2006年(平成18年)4月1日に無料開放されるのだが、無料化により交通量は増大したものの未だに中途半端さは否めない状況になっている。幹線道路として十分機能を発揮するためには岡山環状道路のうちの国道2号線岡山バイパス〜国道30号線間(言い換えれば岡山市東区政津〜岡山市南区藤田間)の整備が望まれるところであるが、それはいつのことになるのだろうか。
20周年岡山自動車道1997年(平成9年)3月15日岡山総社インターチェンジ(岡山市北区高松田中)〜北房ジャンクション(真庭市山田)間が開通。途中には二つの出入口(賀陽インターチェンジ〔加賀郡吉備中央町西〕・有漢インターチェンジ〔高梁市有漢町有漢〕)と二つの休憩所(総社パーキングエリア〔総社市福井〕・高梁サービスエリア〔高梁市巨瀬〈こせ〉町〕)がある。この区間の開通により岡山自動車道は全線開通を果たしたが、同時に日本海沿岸にある米子市と太平洋沿岸にある南国(なんこく)市を高速道路だけで往来できるようになった。また、岡山県南部と岡山県北部を往来するのにも有用な道路になっている。開通区間のハイライトは県道57号総社・賀陽線と槙谷川を跨ぐ見延橋(総社市見延。全長:703m)で、開通当時は日本で最も高い橋脚(86m)を持つ橋として知られていた(注13)。ただ、交通量は多いとは言えず、2010〜2011年(平成22〜23年)には高速道路無料化実験の対象路線になっているし、高梁サービスエリアの給油所は一時休業していたこともあった(現在は営業は再開されているが終夜営業ではない)。
15周年国道2号線
玉島バイパス高架部
2002年(平成14年)7月27日国道2号線玉島バイパスは1994年(平成6年)3月17日に倉敷市玉島道越〜倉敷市玉島阿賀崎間が開通して全線開通したが、倉敷市船穂(ふなお)町船穂〜倉敷市玉島八島間については側道を用いており、暫定的な全線開通と言えるものであった。側道部分は当然のことながら信号機のある交差点が多く、円滑に走れないことが少なくなかったため全線開通後倉敷市船穂町船穂〜倉敷市玉島八島間への高架橋建設が企図された。そのうちの最後まで残った高梁川大橋西側〜船穂ジャンクション(倉敷市船穂町船穂)間の高架橋が開通したのが2002年(平成14年)7月27日だったというわけであるが、これにより玉島バイパスは下り線(西行き)は倉敷市玉島阿賀崎の終点近くまで、上り線(東行き)は高梁川大橋(全長:630m)の手前までそれぞれ円滑に走れるようになった。2019年度(平成31年度)には船穂ジャンクション以東の上下4車線化が完成し、上り線の高梁川大橋付近の渋滞が解消される見込みになっている。
10周年県道21号岡山・児島線
興除バイパス
2007年(平成19年)3月24日岡山市南区妹尾〜岡山市南区植松間に計画されたバイパスで、岡山市南区妹尾〜岡山市南区内尾間が開通して全線開通した。国道430号線や県道62号玉野・福田線とともに岡山市中心部と倉敷市水島地区を結ぶ幹線道路の一部を構成しており、上下4車線化するための用地は確保してあるが現在は大半の区間で上下2車線で供用している(中には道路中央部だけ供用している箇所も…。もし上下4車線化する時はどうするのだろうか)。興除バイパスの全線開通により県道21号岡山・児島線は岡山市南区米倉〜岡山市南区内尾間で経路が複数化されたが、これは恐らく旧道も主要地方道のままにしておけば整備や維持管理のための費用の一部を国から補助してもらえるためではないかと思われる(注14)。ただ、興除バイパスはたださえ交通量の多い国道2号線岡山バイパスと接続しているため起点で接続する県道151号妹尾・吉備線(JR山陽本線庭瀬駅〔岡山市北区平野〕付近が狭く、大型車は通れない)を整備するなどして岡山市中心部〜岡山市南区興除地区間の経路を複数化させ、国道2号線岡山バイパスの負担を軽減することが望まれよう。
広島県50周年国道2号線
本郷バイパス
1967年(昭和42年)7月13日中心部でほぼ直角に折れることから渋滞が頻発していた三原市本郷地区の国道2号線の直線化を目的として企図されたバイパス。三原市中心部方面から走ってくると最初は上下2車線なのだが、途中から上下4車線になり、そのままバイパスの終点に至るのが特徴である。距離が短いことなどから知名度は低いし意識されることもあまりないが、終点にある交差点の名称が「本郷バイパス西」となっていることで辛うじてその存在を知ることができる。沿線には工場がいくつか進出しており、道路整備が工場進出の契機になったことを感じさせている。
45周年国道2号線
尾道バイパス
1972年(昭和47年)4月27日尾道市栗原町(国道184号線交点)〜尾道市正徳町(終点)間が開通。尾道バイパスは( こちら でも書いたが)中国地方初の国道路線の自動車専用バイパスで、これにより全線開通を果たした。尾道市中心部の迂回路としての機能ばかりが注目されるが、桜の名所として知られる千光寺公園(尾道市東土堂町)に自動車で行きやすくなったことや沿線の都市化が進展したこと、大規模な宅地開発が行われたことなどの効果をもたらしていることも知っておいて頂きたいことである。一方でどうかと思うのはその前後のバイパス計画が沿線住民の強硬な反対や国家財政の悪化などが原因で進まず、福山方面については平成時代初頭に改善された(注15)ものの三原方面については未だにメドが立たないということである。尾道バイパスと三原バイパスを繋ぐ木原道路が開通すれば福山市赤坂町早戸〜三原市新倉二丁目間は一切停車せずに走り抜けられるようになり、尾道バイパスの存在価値は更に高まるのだが、それはいつのことになるのだろうか(恐らく2020年代初頭になるのではないかと見ているのだが…)。
40周年国道2号線
海田高架橋
1977年(昭和52年)5月19日国道2号線と国道31号線、県道164号広島・海田線が交差し、渋滞が頻発する大正交差点(安芸郡海田町南昭和町(注16))を避け、国道2号線広島市中心部方面と国道31号線呉方面を短絡することを目的として建設された高架橋だが、実は東広島バイパス(東広島市西条地区〜安芸郡海田町間に計画されている国道2号線のバイパスの総称。東側から西条バイパス・安芸バイパス・東広島バイパスと名称は分かれているが連続したバイパスであることや西広島バイパスがあることなどから本サイトでは東広島バイパスと表記するものとする)の一部として建設されたものであり、それ故国道2号線に属することになった。つまり、この時は国道2号線広島市中心部方面と国道31号線呉方面を短絡するランプウェイだけが開通したということである。一方で東広島バイパスの計画は沿線住民の強硬な反対や国家財政の悪化などが原因で遅々として進まず、ようやく国道31号線とJR呉線を跨ぐ高架橋が開通し、側道となる県道276号矢野・海田線との接続を果たしたのは海田高架橋が完成してから20年以上が経過した1998年(平成10年)9月30日のことであった。現在では側道を介するものの瀬野西インターチェンジ(広島市安芸区瀬野南町)以西については開通しているのだが、東広島バイパスが全線開通する時期、すなわち東広島市西条地区〜安芸郡海田町間が一本の道に繋がる時期は依然として確定していない(早くて2020年代初頭だろう)。
国道185号線
仁方バイパス
1977年(昭和52年)9月28日JR呉線が近接して通るために踏切付近での渋滞が頻発していた呉市仁方本町二丁目〜呉市仁方大歳町間に建設されたバイパスで、途中には仁方第二トンネル(全長:470m)がある。このバイパスの開通により呉市仁方地区は円滑に走れるようになったが、その後の呉市川尻・安浦地区のベッドタウン化の進展や安芸灘大橋の開通などにより朝夕に渋滞が頻発するようになったため更なるバイパスの建設が考えられるようになっている(現在のところ詳細は決まっていない)。
30周年県道83号志和インター線
冠バイパス
1987年(昭和62年)1月14日山陽自動車道志和インターチェンジ(東広島市志和町冠)への接続道路として企図されたバイパスで、志和インターチェンジの供用開始2ヶ月半前に開通した。開通当時は広島市安佐北区小河原町と東広島市志和町七条椛坂(しちじょうかぶさか)を結ぶ県道176号小河原・志和線だったが、1993年(平成5年)5月11日建設省告示第1,270号により東広島市志和町別府〜東広島市志和町七条椛坂間が主要地方道志和インター線に移行することになり、1994年(平成6年)4月1日から県道83号志和インター線になっている(県道176号小河原・志和線は広島市安佐北区小河原町と東広島市志和町別府を結ぶ路線として存続)。将来は県道83号志和インター線支線(国道2号線東広島バイパス三原方面と志和インターチェンジを結ぶ道路で2005年〔平成17年〕4月27日開通)との直接接続が計画されている。
山陽自動車道1987年(昭和62年)2月26日山陽自動車道の五日市インターチェンジ(広島市佐伯区五日市町石内)〜廿日市(はつかいち)ジャンクション(廿日市市宮内)間と、広島・岩国道路の廿日市インターチェンジ(廿日市市地御前北一丁目)〜廿日市ジャンクション間が開通。今なお基本計画のままの山陽自動車道廿日市ジャンクション〜大竹ジャンクション(仮称。大竹市小方二丁目)間の代替路線となる広島・岩国道路としては記念すべき初開通となった(もっともこの時開通したのは廿日市ジャンクションと国道2号線西広島バイパスを繋ぐランプウェイと位置付けられる部分だけであるが)。山陽自動車道五日市インターチェンジ〜廿日市インターチェンジ間の途中には宮島サービスエリア(廿日市市上平良〔かみへら〕)が設置されたが、この宮島サービスエリアは山陽自動車道で初めて営業を開始したサービスエリアになった。また、宮島サービスエリアは廿日市市(注17)としては国道2号線西広島バイパス佐方(さがた)サービスエリア(廿日市市佐方)に続く二つ目のサービスエリアにもなっている(注18)。なお、広島・岩国道路廿日市インターチェンジ〜廿日市ジャンクション間は将来は広島南道路として東方に延伸され、広島高速3号線や国道2号線東広島バイパスと直結する計画があるが、そのメドは今なお立っていない。
広島・岩国道路
山陽自動車道1987年(昭和62年)3月24日志和インターチェンジ〜広島東インターチェンジ(広島市東区福田三丁目)間が開通。広島ジャンクション(広島市安佐南区伴東町)以東の広島県内の山陽自動車道としては初めての開通となった。国道2号線や県道176号小河原・志和線の有料バイパス的存在とも言えるのだが、そもそも東広島市志和地区と広島市安佐北区高陽地区・広島市東区安芸地区との交流は盛んとは言えなかったことや有料道路であること、国道2号線のバイパスとしては遠回りになること、他の高速道路網とは孤立していたことから交通量は低迷した。この区間が有用な存在になるには広島インターチェンジ(広島市安佐南区川内二丁目)〜広島ジャンクション間が開通して広島都市圏(東広島市・広島市・廿日市市)の山陽自動車道が一本に繋がった1988年(昭和63年)暮れまでしばらく待たなければならなかった。なお、この区間の途中にある志和トンネルは広島県内の山陽自動車道では最長のトンネルである(下り線…2,190m、上り線…2,240m)。
国道183号線
十日市バイパス
1987年(昭和62年)4月2日右左折を繰り返していた上に十分な道幅がなかった三次(みよし)市十日市地区の国道183号線(国道184号線重用)を直線化することを目的として企図されたバイパスで、最東端の部分(三次市南畑敷町)が開通して全線開通した。バイパスの沿線には商業施設や郊外型店舗などが建ち並んでおり、道路整備が沿線の発展に大きく寄与していることを感じさせる。全線開通当時はJR芸備線・三江線三次駅(三次市十日市南一丁目)の前を境に東側は上下4車線、西側は上下2車線に分かれていたが、現在バイパスの起点となる三次市十日市中二丁目/京蘭寺交差点までの上下4車線化が進められている(完成時期は未定。恐らく2020年代になるものと思われる)。
尾道大橋有料道路1987年(昭和62年)5月9日尾道市中心部の北方を通る国道2号線松永道路・尾道バイパスから尾道大橋(全長:386m)を利用しやすくするために企図された道路で尾道大橋延伸道路とも称する。当初は1986年度(昭和61年度)末の開通を予定していたのだが、尾道大橋有料道路の通行料金が値上げされることに利用者が反発したことから開通が1987年度(昭和62年度)にずれ込んだのである(そのことは こちら でも触れている)。また、開通当時は国道2号線松永道路・尾道バイパスとの接続には尾道市道を介する必要があったため使い勝手の良くない道路であった。しかし、本州・四国連絡橋尾道・今治ルートの建設の過程で大きくその姿を変えることになった。この道路は西瀬戸尾道インターチェンジ(尾道市高須町)の尾道市道とのランプウェイと西瀬戸自動車道(愛称:瀬戸内しまなみ海道)の本線、尾道大橋出入口(尾道市山波町)のランプウェイに改造され、更に西瀬戸尾道インターチェンジのランプウェイを介して国道2号線松永道路・尾道バイパスに接続できるようになったのである。これによりようやく山陽自動車道や国道2号線と向島を往来するのに有用な道路になった。尾道大橋の無料開放(2013年〔平成25年〕4月1日)に当たっては西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間は引き続き通行料金を徴収するという話もあったが、結局西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間を通って尾道大橋を通る車の通行料金は徴収しないということで決着し、利用者を安心させた(注19)。開通前から何度も微妙な立場に置かれ続けた道路であるが、裏を返せば道路運営者がある考えに固執せず、どのようにすれば良いのかもう少し考えていればこういうことにはならなかったのではないかと思うのは私だけではないであろう。
広島・岩国道路1987年(昭和62年)12月10日廿日市ジャンクション〜大野インターチェンジ(廿日市市大野)間が開通。山陽自動車道の代替路線と位置付けられている広島・岩国道路としては初めての本線部分の開通となった。しかし接続する県道289号栗谷・大野線が未改良のままで開通したことや国道2号線に出るには大きく迂回しなければならなかったことから使い勝手は良くなかった。大野インターチェンジの利便性を向上させるためには大野インターチェンジと廿日市市役所大野支所(廿日市市大野一丁目)の近くを通る国道2号線を結ぶ都市計画道路大国・滝ノ下線(県道289号栗谷・大野線バイパス)の整備が必要不可欠だったのだが、その整備が終わったのは大野インターチェンジ供用開始から19年近く経った2006年(平成18年)11月1日のことであった。大野インターチェンジ以西の広島・岩国道路が開通したのは1990年(平成2年)11月27日のことだったので大野インターチェンジが終点だったのは3年間だけだったのだが、当時大野インターチェンジを利用していた方はこの使い勝手の悪さをどのように感じていたのだろうか。なお、大野インターチェンジのすぐ近くには雄滝と雌滝の二つの滝からなる妹背の滝(廿日市市大野)があり、大野インターチェンジが住宅地と山間部の境目にあることを感じさせている(注20)
15周年国道185号線
休山新道
2002年(平成14年)3月21日呉市中心部と呉市東部を隔てる休山山系に掘られた休山トンネル(全長:1,706m)を中心としたバイパス。呉市中心部と呉市東部を結ぶ道路トンネルは何と第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)に初めて企図され、工事もなされたものの戦争の激化により中断され、呉越峠(標高:約80m)の交通量増加によって渋滞が頻発するようになった1972年(昭和47年)に再度計画が浮上したが結局沙汰やみになったという歴史を持つ。60年越しの悲願実現となったわけであるが、休山新道の前後の国道185号線は上下4車線以上になっているのに休山新道は上り線(西行き)のみ供用の暫定上下2車線で開通したことや休山新道は竹原方面からは右左折を経ずに入れるのに対し呉市中心部方面からは右折を経なければならないこと、歩道も併設されているので自転車や歩行者も通れるのだが自動車の排気ガスに苛(さいな)まれながら通らざるを得なくなったこと(注21)、国道31号線のバイパスとして建設された広島・呉道路との連携が考慮されていないことなどの課題を残す格好となった。現在2017年度(平成29年度)の開通を目指して下り線(東行き)トンネルが建設されているのだが、どのように変貌するのかが今後注目されるところである。
10周年県道50号本郷・久井線
仏通寺バイパス
2007年(平成19年)9月23日三原市高坂町真良(しんら)〜三原市久井町坂井原間に建設されたバイパスで一部区間(三原市高坂町真良〜三原市久井町土取間)は県道344号大草・三原線と重用している。県道50号本郷・久井線はその前身の県道50号本郷・御調(みつぎ)線時代(1960〜1993(注22)。名称は廃止当時のものを記載)から三原市高坂町真良を過ぎると狭隘箇所が多くなり、特に紅葉の名所として知られる仏通寺(ぶっつうじ。三原市高坂町許山〔もとやま〕)の北側から終点(三原市久井町坂井原)までは高い崖の上を通っているのに安全施設も十分ではないこと(注23)から三原市北西部の環状道路としての役割も国道2号線と三原市久井地区や尾道市御調地区、府中市、世羅郡世羅町を結ぶ道路としての役割も担えないでいた。そこで企図されたのがこの道路というわけであるが、地形的な問題から大きく西方に迂回させる経路を採ったことや県道344号大草・三原線の経路に沿って建設し、県道344号大草・三原線の改良も同時に進めたこと、県道344号大草・三原線との重用区間が終わる辺りからは山陽自動車道の側道を利用したことが主たる特徴である。山陽自動車道との側道区間では山陽自動車道の最高地点を示す標識(標高:375m)が見られるのでどれだけ高いところにあるのかが感じられるが、同時に三原市北西部の地形の厳しさを感じ取ることもできる。ところでこのバイパスの全線開通により旧道となった仏通寺境内を通り抜ける道は現在も県道50号本郷・久井線のままになっているが、これは恐らく旧道も主要地方道のままにしておけば整備や維持管理のための費用の一部を国から補助してもらえるためではないかと思われる(注14)。ただ、仏通寺境内の手前までは改良が進められているのに対し仏通寺境内の先の高い崖の上を通る区間は積極的な整備はなされないままになっており、現在は2015年(平成27年)7月15日からずっと道路損壊を理由に閉鎖されている(注24)
東広島・呉自動車道2007年(平成19年)11月3日上三永インターチェンジ(東広島市西条町上三永)〜馬木インターチェンジ(東広島市西条町馬木)間が開通。途中には下三永福本インターチェンジ(東広島市西条町福本)がある。山陽自動車道と呉市を結ぶ目的で企図された東広島・呉自動車道としては記念すべき初めての供用開始となった。記すまでもなくこの時点では山陽自動車道とは接続しておらず、国道2号線三原方面と国道375号線呉方面を短絡する道路としての機能しかなかったが、無料で通れることや東広島市中心部を通らずに三原方面と呉方面を往来できるようになったことは大きかったと言えよう。しかし、山陽自動車道にも呉市内にも達していなかったことから交通量は多かったとは言えず、有用な道路になるには数年間待たざるを得なかった。
5周年国道2号線
西広島バイパス
廿日市高架橋
2012年(平成24年)3月1日廿日市市平良(へら)一丁目で終点となっていた国道2号線西広島バイパスの自動車専用区間を広島・岩国道路廿日市インターチェンジまで延伸することや廿日市インターチェンジまでに存在する幹線道路(注25)との平面交差を解消することを目的に企図された高架橋。まず2012年(平成24年)3月1日に暫定上下2車線で開通し、その25日後の2012年(平成24年)3月26日に上下4車線化した。この高架橋の完成により広島市西区から信号停車することなく山口方面への高速道路に入れるようになった他、廿日市市中心部西部の主たる交差点で頻発した渋滞も解消された。
国道486号線
市バイパス
2012年(平成24年)3月25日尾道市御調町貝ヶ原〜尾道市御調町大田間に企図されたバイパスで、尾道市御調地区の国道184号線の渋滞の一因となっていた国道184号線と国道486号線の重用を解消することや国道486号線を直線化させて沿線の利便性を向上させることを主たる建設目的としている。府中市中心部と山陽自動車道三原久井インターチェンジ(三原市八幡町垣内〔やはたちょうかいち〕)、尾道自動車道尾道北インターチェンジ(尾道市御調町大町)と道の駅クロスロードみつぎ(尾道市御調町大田)などを往来するのに便利にはなったのだが、起点部に急な屈曲を入れたことや起点部に信号機を設置しなかったこと、御調川を新花尻橋で渡った後、尾道市御調町大田/大田交差点まで明らかに上下4車線で整備しようとした痕跡があること(注26)がどうかと思う点として残っている。
国道2号線
三原バイパス
2012年(平成24年)3月31日最後まで残った糸崎(いとさき)ランプ(三原市糸崎八丁目)〜時広ランプ(三原市糸崎町)間が開通して全線開通。途中には是国ランプ(三原市糸崎六丁目。尾道方面との出入のみ可能)や(是国ランプ〔尾道方面〕または時広ランプ〔東広島方面〕から三原市道を介しないと行けないのだが)道の駅みはら神明の里(三原市糸崎四丁目)がある。三原市中心部の国道2号線は地形的な問題からそこに交通が集中するため渋滞が頻発し、迂回する道路が必要とされていたが、沿線住民の強硬な反対や構造物の多さ、国家財政の悪化などが原因で遅々として進まず、全線開通が2010年代までずれ込んだ。広島県南東部にある他の国道2号線のバイパス(赤坂・松永・尾道)と比べるとトンネルが多く、建設に長い年月と多額の費用がかかったことが通っていても感じられる。一方で計画立案当初に尾道バイパスとの直接接続を全く考えなかったことも問題であり、上り方向(東行き)は三原バイパスから現道に戻るのに渋滞に巻き込まれる場合がよくあることや台風襲来時の高波で国道2号線が通行止めになる時は東広島方面から来た場合は来た道を引き返さざるを得なくなること(注27)が課題として残った(三原バイパス全線開通前から尾道バイパスと三原バイパスを繋ぐ木原道路が建設され始めたがいつ開通するかはまだ分かっていない。恐らく2020年代初頭になるものと思われる)。最後に開通した区間は高台に作られていることから眺めが良いところがあるのが特徴で、瀬戸内海やそこに浮かぶ島々、因島(いんのしま)大橋(全長:1,270m)が見える箇所がある。また、道の駅みはら神明の里も眺めの良い高台に設置されていることから立ち寄る方も多い。
東広島・呉自動車道2012年(平成24年)4月1日黒瀬インターチェンジ(東広島市黒瀬町津江)〜阿賀インターチェンジ(呉市広横路一丁目)間が開通。東広島・呉自動車道はそれまで東広島市側での開通が続いていたが、今回初めて呉市側からの開通となった。途中には郷原インターチェンジ(呉市郷原町)がある。無料で通れることに加え、阿賀インターチェンジからは音戸方面に通じる道路(途中には阿賀マリノ大橋〔全長:710m〕がある)ができたこともあり、呉市中心部・東部方面だけでなく音戸方面からの利便性も向上している(但し音戸大橋までの県道66号呉環状線には異常気象時通行規制箇所や狭隘箇所がある)。しかし、この時点では馬木インターチェンジ〜黒瀬インターチェンジ間が開通しておらず、その区間については国道375号線→県道34号矢野・安浦線を経由せざるを得なくなったこと(注28)や急勾配を入れざるを得なくなった箇所があること、高いところを通っているために冬には凍結や積雪の心配があることが課題として残った。なお、郷原インターチェンジはトランペット型インターチェンジであるが、地形上の問題から東広島方面からの出口だけ本体から少し離れたところに設置されているという珍しい形をしている。
県道52号世羅・甲田線
小国バイパス
2012年(平成24年)8月5日今は亡き世羅郡世羅西町(1955〜2004)の中心部だった世羅郡世羅町小国の県道52号世羅・甲田線の狭隘箇所を解消すべく企図されたバイパスで、未開通のまま残っていた県道28号吉舎(きさ)・豊栄(とよさか)線との重用部分(世羅郡世羅町小国)が開通して全線開通した。これにより県道28号吉舎・豊栄線と県道52号世羅・甲田線は旧世羅郡世羅西町中心部を円滑に通れるようになった。県道52号世羅・甲田線は毎年11月に開催される中国実業団対抗駅伝競走大会(注29)の経路になっていること(注30)で知られているが、このバイパスが全線開通した後も走者は旧道を走っている。
願橋2012年(平成24年)8月11日三次市内の馬洗川に架かる橋で全長は181m。外観は広島県内では多く見られる斜張橋のように見えるが広島県公式サイトによると広島県初のエクストラドーズド橋とのことである。また、名称は橋の北側にある三次市三次町の小字(願万地)にちなんでいる(注31)。この橋の開通をもって三次市西河内町と三次市十日市東五丁目を結ぶ予定で1996年(平成8年)に認定されながら全く区域決定がなされないでいた県道433号穴笠・三次線(注32)が一部区間ながら初の区域決定に至るのでは…と期待されたが残念ながらこの時は見送られている(注33)。2013年(平成25年)春の中国自動車道・尾道自動車道・松江自動車道三次東ジャンクション・インターチェンジ供用開始、2014年(平成26年)秋の国道375号線十日市東拡幅の完成を経て現在は三次東ジャンクション・インターチェンジと三次市中心部を結ぶ道路として、三次市三次町の馬洗川右岸地域と三次市中心部を結ぶ橋として確固たる地位を築いている。
広島県
山口県
30周年県道116号大竹・美和線
弥栄ダム付け替え道路
1987年(昭和62年)3月27日広島・山口県境を流れる小瀬川に建設された弥栄(やさか)ダム(大竹市小方町小方/岩国市小瀬)により湖底に沈むことになった広島県道/山口県道116号大竹・美和線のうちの大竹市後飯谷(起点)〜岩国市美和町滑(なめら)間に建設された道路。弥栄ダムのダム湖である弥栄湖を二度渡るのだが、中でも起点からすぐのところにある弥栄大橋(全長:560m)は日本で初めて山間に作られた大規模な斜張橋(広島県公式サイトによる)であり、地域のランドマークにもなっている。
山口県45周年欽明路有料道路1972年(昭和47年)4月1日岩国市錦見(にしみ)六丁目〜岩国市玖珂町間に建設された、今は亡き県道110号岩国・周東線(1958〜1994)のバイパス道路。岩国市中心部〜岩国市玖珂地区間には国道2号線もあるのだが大きく西に迂回していたことやその国道2号線には異常気象時通行規制区間があること、国道2号線の迂回路的存在になり得る県道110号岩国・周東線の整備が遅れていたことなどから企図され、建設費を通行料で賄う有料道路として開通した。有料道路と言っても大半の部分が無料で通れ、結果的に欽明路隧道(全長:1,136m)付近だけが有料道路であった(岩国市玖珂町に唯一の料金所があったため)。大回りする国道2号線を迂回する幹線道路ということで開通当初から通る車は多く、開通から15年3ヶ月後の1987年(昭和62年)7月1日に償還が完了して無料開放された。起点側・終点側とも国道2号線に接続していたことや並行する高速道路がなかったこと、国道2号線が遠回りな経路をとっていたことなどが多くの通行量をもたらしたと言える(つまり、状況さえ整えば有料道路も有用な道路になり得るということ。その視点が欠けた道路が多かったのではないかと思うのだがどうであろうか)。1994年(平成6年)には主要地方道に昇格し、県道15号岩国・玖珂線に改称するのだが、並行して山陽自動車道が開通した今もその重要性は全く変わっていない。
40周年国道191号線
大刈バイパス
1977年(昭和52年)3月25日阿武郡阿武町惣郷〜萩市須佐間に存在した難所・大刈峠(標高:178m)を迂回することを目的として企図された道路。現道の南方の山間部を通るバイパスで、途中には惣郷・小刈・大刈・須佐と四つのトンネルが掘られている。このバイパスの開通により国道191号線の発足当時の区間、すなわち下関市〜益田市間(注34)の改良は完成し、北長門コバルトラインという愛称で親しまれることになった。なお、大刈峠を経由する旧道は阿武郡阿武町や萩市に移管されたわけではなく、大刈バイパス開通の約1年後の1978年(昭和53年)4月1日山口県告示第308号により県道343号宇田・須佐線になり、建設省(現:国土交通省)から山口県に管轄が変更されている。
30周年山陽自動車道1987年(昭和62年)12月4日防府東インターチェンジ(防府市下右田)〜山口ジャンクション(山口市黒川)間が開通。途中に二つの出入口(防府西インターチェンジ〔防府市大崎〕・山口南インターチェンジ〔山口市鋳銭司〈すぜんじ〉〕)と一つの休憩所(佐波川サービスエリア〔防府市佐野〕)がある。この区間の開通により山口県内の山陽自動車道は中国自動車道と接続し、周南市西部と山口市・下関市・北九州市方面との往来が楽にできるようになったのだが、防府東インターチェンジと山口南インターチェンジは広島方面との出入しか、防府西インターチェンジは下関方面との出入しかそれぞれできないハーフインターチェンジとして供用を開始したことや山口ジャンクションは山陽自動車道防府方面と中国自動車道鹿野方面を結ぶランプウェイが設置されなかったこと、佐波川サービスエリアは宮島サービスエリアに次いで山陽自動車道で二番目に営業を開始したサービスエリアにはなったものの中国自動車道美東サービスエリア(美祢市美東町真名)が近いからかレストランの設置が見送られたことなど課題を多く残した中での供用開始となった(注35)。この区間が開通する少し前に山陽自動車道の終点が山口市から下関市に変更されたのだがこの区間のどこかに建設されるはずだったジャンクションから宇部ジャンクション(宇部市東岐波)にかけての区間の建設は当面の間見送りになっている(注36)。周南方面と下関方面を往来する場合、急勾配と急な屈曲が多く、交通事故も多く発生している中国自動車道を経由せざるを得ないことや山陽自動車道宇部インターチェンジ(宇部市川上)は宇部市中心部までまっすぐ行ける国道490号線に接続しているのに使い勝手が悪いことなどを考えれば建設を考えても良いと私は思うのだが…。
25周年周防大橋1992年(平成4年)3月21日県道25号防府・佐山線(1976〜1994)の河川寸断区間(山口市秋穂二島〔あいおふたじま〕〜山口市深溝間)に建設された斜張橋で全長は1,040m。山口盆地や小郡平野を流れている椹野(ふしの)川の河口にある橋でもある。県道25号防府・佐山線は前身の県道210号秋穂・佐山線(1958〜1976。路線名称は廃止当時のものを記載)時代から河川寸断区間を抱えており、費用対効果などの問題から河川寸断区間の解消は見送られてきたのだが、県道25号防府・佐山線と県道338号大海・秋穂二島線、県道363号山中・阿知須線(1983〜1992)→県道363号山中・佐山線(1992〜1994)を国道2号線以南の小郡平野の東西交通を担う道路として整備することを決め、その一環として建設されたものである(注37)。その後県道25号防府・佐山線と県道363号山中・阿知須線改め県道363号山中・佐山線は統合して県道25号宇部・防府線に発展的解消を遂げ、知名度は高いとは言えないが山口県中部の幹線道路として確固たる地位を築いている。
萩有料道路1992年(平成4年)3月27日萩市椿〜萩市明木(あきらぎ)間に建設された県道329号明木・萩線(1979〜1994)→県道32号萩・秋芳線のバイパス有料道路。江戸時代萩と山口・三田尻(防府)を結んでいた萩往還に沿っている。萩市椿〜萩市明木間への道路建設計画は古くからあり、1970年代の道路地図には国道262号線のバイパス予定線がその部分に記載されているが、なぜか国道262号線のバイパスとしては実現しなかった。しかし、萩市中心部方面・山口方面とも国道262号線からはまっすぐ入れるようになっており、結果的に国道262号線のバイパスにもなり得る道路であった(まっすぐ進んだところ有料道路だったというような苦言がある全国紙の西部本社版朝刊の投稿欄に掲載されたこともあった)。1993年(平成5年)には料金所のそばに道の駅萩往還公園(現:道の駅萩往還〔萩市椿〕)が開業したこともあり、地方の有料道路ながら比較的交通量は多かったが、山口県での国民体育大会開催が近付いた2010年(平成22年)3月20日をもって償還期限(2022年〔平成34年〕3月26日)を待たずに無料開放された。一方で1994年(平成6年)には主要地方道に昇格し、2011年(平成23年)には山陰自動車道(国道191号線萩・三隅道路)との接続を果たすなど萩市中心部に通じる幹線道路としての役割は高まっている。
山陽自動車道1992年(平成4年)6月25日岩国インターチェンジ(岩国市多田)〜熊毛インターチェンジ(周南市安田)間が開通。途中には玖珂パーキングエリア(岩国市玖珂町)と玖珂インターチェンジ(岩国市玖珂町)がある。この区間の開通により旧計画(山口ジャンクションを終点としていた1987年〔昭和62年〕以前の計画)の山口県内の山陽自動車道は全線開通し、河内インターチェンジ(東広島市河内町入野)〜山口ジャンクション間が広島・岩国道路を挟む格好にはなるが一本の道に繋がった。中国自動車道三次方面に本線が直通する広島自動車道と接続する広島ジャンクションと、山陽自動車道が中国自動車道に合流する山口ジャンクションの間の山陽自動車道が(広島・岩国道路を介する形ではあるが)繋がったことでもあり、少なくとも広島ジャンクション〜山口ジャンクション間において中国自動車道と山陽自動車道の立場が逆転する契機にもなっている。2005年(平成17年)9月には台風14号の影響で岩国市廿木(はたき)の路面が崩落し(注38)、岩国インターチェンジ〜玖珂インターチェンジ間が3ヶ月近く通行止めになるという出来事もあったが、今日では山陽地方の大動脈として多くの車が行き交う幹線道路に成長している。
20周年県道71号小野田・山陽線
杣尻バイパス
1997年(平成9年)2月7日山陽小野田市郡の県道71号小野田・山陽線に計画されたバイパス。その辺りの県道71号小野田・山陽線は整備自体は終わっていたのだが線形が良くなかったことやJR山陽本線がすぐ西側を通っていたため国道2号線(国道9号線重用)厚狭(あさ)バイパスとの接続が困難だったこと(注39)が建設の動機である。厚狭バイパス杣尻(そまじり)ランプ(山陽小野田市郡)を境に南側は上下4車線、北側は上下2車線で建設されていることが主たる特徴であり、山陽小野田市小野田地区方面の交通量の増加を見越した整備であることがうかがえる。開通当時は全線が県道71号小野田・山陽線に属していたが、2008年(平成20年)1月25日山口県告示第30号により杣尻ランプを境に北側は国道316号線、南側は県道71号小野田・山陽線にそれぞれ再編された(つまり国道316号線は路線を延伸し、反対に県道71号小野田・山陽線は路線を短縮したということ。記すまでもないが厚狭バイパス全線開通とそれに伴う国道2号線〔国道9号線重用〕の旧道処分を念頭に置いた再編である(注40))。
県道59号岩国・錦線
美郷トンネル
1997年(平成9年)4月15日岩国市多田と岩国市錦町宇佐郷を結んでいる県道59号岩国・錦線に二つある通行不能箇所(注41)のうちの岩国市美和町下畑〜岩国市本郷町波野(はの)間の通行不能箇所(注42)を解消すべく建設されたトンネルで全長は833m。「交流ふれあいトンネル・橋梁整備事業」の指定を受けて建設されている。このトンネルは岩国市美和地区と岩国市本郷地区が楽に往来できることを目的に建設されたものであるが、既に岩国市美和地区までは岩国市中心部から改良された道路(国道2号線→国道187号線→県道2号岩国・佐伯線)が延びてきていたため結果的に岩国市中心部と岩国市本郷地区が楽に往来できるようになるものともなった。しかし、このトンネルの開通が市制町村制施行時(山口県では1889年〔明治22年〕4月1日)以来独立を保ってきた玖珂郡本郷村(1889〜2006)が岩国市への合併(注43)に至る一因になったことは否めないことや玖珂郡本郷村改め岩国市本郷地区の過疎化は今なお進んでいること、結果的に岩国市縦貫道路という形になった県道59号岩国・錦線は整備がほとんど進んでいないことといった現状は考える必要があるのではないのだろうか。
県道34号下関・長門線
深川バイパス
1997年(平成9年)8月7日長門市中心部の南方を通るバイパス。1970年(昭和45年)以降長門市深川湯本を終点としていた県道34号下関・長門線(注44)を充てることにしたのは国道316号線は既に改良が完成していたことや主要地方道ならば整備や維持管理のための費用の一部を国から補助してもらえること(注45)が理由ではないかと思われる。このバイパスの完成により長門市中心部を通らずに萩・青海島方面と美祢・下関方面を往来することができるようになった。現在県道34号下関・長門線の難所・大寧寺峠(標高:約220m)を迂回する目的で建設されている山陰自動車道(国道491号線長門・俵山道路(注46))が開通すると三隅インターチェンジ(長門市三隅中)〜湯本インターチェンジ(仮称。長門市深川湯本)間の建設のメドが立っていない山陰自動車道の代わりを務める道路として更に有用な存在になることが期待されている。
15周年県道36号秋芳・三隅線
大水峠バイパス
2002年(平成14年)3月22日県道36号秋芳・三隅線の難所・大平峠(標高:約270m)を回避すべく美祢市秋芳町嘉万(かま)〜長門市三隅中間に建設されたバイパスで、途中には大水峠(おおみずだお)トンネル(全長:1,175m)がある。大平峠を経由していた旧道は東に大きく迂回しており、道路事情も芳しくなかったために美祢市秋芳地区と長門市三隅地区との往来には時間がかかっていたがこのバイパスの開通により大幅に短縮された。なお、バイパスやトンネルの名称になっている大水峠はトンネルの東方にある標高360mほどの峠であるが、車は通れない。
10周年国道262号線
萩バイパス
2007年(平成19年)3月24日萩市土原(ひじわら)〜萩市椿間に建設された上下4車線のバイパス。旧道も上下2車線化されており、バイパスを建設する必要はないように感じられるのだが、旧道は民家の間を通り抜けていたことやJR山陰本線東萩駅(萩市椿東〔ちんとう〕。「東萩駅」ではあるが萩市の代表駅になっている。但し現在東萩駅を通る優等列車は存在しない(注47))や国道191号線益田方面、山陰自動車道(国道191号線萩・三隅道路)萩インターチェンジ(萩市椿)、萩有料道路をまっすぐ結ぶ道路が必要だったことが建設動機だったものと思われる。なお、バイパス開通により旧道は県道64号萩・三隅線や県道293号萩・長門峡線に再編されている。
5周年県道118号南岩国・尾津線2012年(平成24年)3月30日県道118号南岩国・尾津線は岩国市中心部の西南にある愛宕(あたご)山開発事業(愛宕山〔標高:120m〕を削ってアメリカ軍岩国基地〔岩国市三角町一丁目〕の沖合移設のための埋め立て用土砂を運び出し、その跡地を宅地として開発する事業)の支援のために山口県が2001年(平成13年)に認定しながら愛宕山開発事業の中止により全く供用されることのないまま廃止された県道118号牛野谷・尾津線(2001〜2009)の後継路線である(注48)。認定当初から起点はどの国道路線・県道路線とも接続しない(注49)という珍しい路線なのだが、それでも岩国市ではなく山口県が引き続き管理することを考えると山口県にとって重要な道路であることや山口県の岩国市に対する何らかの見返りがあることが想像される。沿線には高校や短期大学、総合病院、高齢者介護施設が立地しており、これらの施設への大切なアクセス道路となっている。路線は高台から平地に下る道路だが、坂道の途中からはJR山陽本線の向こうに見えるレンコン畑(岩国市はレンコンの産地で名物の岩国寿司にも使われている)や瀬戸内海、アメリカ軍岩国基地が眺められるのが嬉しいところである。
国道376号線
須々万バイパス
2012年(平成24年)7月24日周南市須々万(すすま)本郷〜周南市須々万奥間に建設されたバイパス。山口市と岩国市を内陸部経由で結んでいる国道376号線で最後まで残った未改良箇所(周南市長穂〜周南市須々万奥間)を迂回する目的で建設されたバイパスである。現道に沿うのではなく先に改良が完成していた国道315号線との重用(周南市長穂〜周南市須々万本郷間)を利用し、短い距離の道路新設で改良を成し遂げた点が注目されるところである。このバイパスの開通により山口市〜岩国市間を内陸部経由で結ぶ国道376号線は更に有用な存在になった。

市区郡町村編

発足○周年を迎える市区町村(現存するもののみ掲載)

県名周年市区町村名発足年月日備考
鳥取県90周年米子市1927年(昭和2年)4月1日西伯郡米子町が市制施行して発足。
島根県90周年邑智郡川本町1927年(昭和2年)4月1日邑智郡川本村が町制施行して発足。
65周年益田市1952年(昭和27年)8月1日美濃郡益田町及び小野・北仙道・高城・豊川・豊田・中西・安田各村が統合して発足。
60周年隠岐郡西ノ島町1957年(昭和32年)2月11日知夫郡浦郷町及び黒木村が統合して発足。
岡山県65周年笠岡市1952年(昭和27年)4月1日小田郡笠岡・金浦両町が統合して発足。
苫田郡鏡野町1952年(昭和27年)11月10日苫田郡大野・小田・香々美北・香々美南・中谷・芳野各村が統合して発足。
広島県115周年呉市1902年(明治35年)10月1日安芸郡二川・和庄両町及び荘山田・宮原各村が統合して発足。
80周年安芸郡府中町1937年(昭和12年)1月1日安芸郡府中村が町制施行して発足。
山口県115周年下関市1902年(明治35年)6月1日赤間関市が改称して発足。
85周年萩市1932年(昭和7年)7月1日阿武郡萩町が市制施行して発足。

ラジオ編

開局(本放送開始)○周年を迎える放送局(現存するもののみ掲載)

周年放送局名/所在地開局年月日コメント
85周年NHK松江放送局
(松江市灘町)
1932年(昭和7年)3月7日現在の日本放送協会としては中国地方では広島放送局(広島市中区大手町二丁目)・岡山放送局(岡山市北区駅元町)に次いで開局した放送局。記すまでもないがテレビ・ラジオとも島根県を放送区域としている(テレビ・ラジオとも唯一の存在)。
65周年中国放送
(広島市中区基町)
1952年(昭和27年)10月1日中国地方初の民間放送局。主力番組としては開局5日目から始めている広島東洋カープの公式戦中継や40年以上続いている平日朝の情報番組「おはようラジオ」、平日午前中のワイド番組「平成ラヂオバラエティ ごぜん様さま」、平日夜の若年者向け番組「ラジプリズム」などがあり、聴取率は高い。中国地方の民間放送局で初めて終夜放送に移行したりradikoに中国地方で初めて参加したり(山口放送ラジオ〔KRY、周南市徳山〕よりは取り組みはいくらか遅れているが)エフエム補完放送に積極的だったりするなど先進的な一面も見せている。
35周年広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)
1982年(昭和57年)12月5日中国地方初の都道府県域エフエム放送局。中継局の数は13箇所と都道府県域民間エフエム放送局では最も多いこと(そのことは一切宣伝していないし注目されることもないが周波数告知は頻繁に流れている)と、自社制作番組の喋り手の年齢層が20〜70代と幅広いこと、自社制作番組が多く、中には広島東洋カープやサンフレッチェ広島を取り扱った番組もあること、中国地方にある都道府県域民間エフエム放送局で唯一radikoに参加していること、中国地方の都道府県域民間ラジオ放送局で最も放送終了が遅いこと(注50)が主たる特徴である。
20周年岡山シティエフエム
(岡山市北区中山下二丁目)
1997年(平成9年)1月1日エフエムくらしき(倉敷市白楽町)の開局のわずか8日後に開局した、岡山県で2番目のコミュニティ放送局で愛称はRadio momo。岡山シティエフエム・エフエムくらしき双方が受信できる地域が多いため両者の関係は深いが、それ故に住み分けを図っている点(注51)も注目されるところである。
15周年エフエムきらら
(宇部市新天町一丁目)
2002年(平成14年)7月14日エフエム萩(愛称:FM NANAKO。萩市江向)・コミュニティエフエム下関(愛称:COME ON!FM。下関市上田中町二丁目)に次いで開局した、山口県3番目のコミュニティ放送局。前身は2001年(平成13年)夏に山口市阿知須で開催された山口きらら博の会場で放送を流していたイヴェント放送局であり、放送局の名称にそれが反映されている。流している番組は全て自社制作であることや終夜放送には一切手を出していないことが主たる特徴である。
5周年FM山陽小野田
(山陽小野田市小野田)
2012年(平成24年)2月3日現在のところ中国地方で最も新しいコミュニティ放送局で愛称はFMサンサンきらら。愛称からもうかがえるように東隣の宇部市にあるコミュニティ放送局・エフエムきららとは姉妹放送局の関係にある。そういうこともあってエフエムきららと共通の番組を流すことが多い(無論独自の番組を流す時間帯もある)。

注釈コーナー

注1:境水道に設定されていた渡し船の全廃により元々境港市大正町〜松江市美保関町森山間が河川寸断区間になっていた鳥取県道/島根県道2号境・美保関線は完全に寸断状態になっている。
※境水道は斐伊川本流の一部に当たるため河川寸断区間と記している。

注2:現在は松江自動車道高野インターチェンジ(庄原市高野町下門田〔しもんで〕)〜雲南吉田インターチェンジ(雲南市吉田町吉田)間にある大万木(おおよろぎ)トンネル(延長:4,878m)が中国地方最長になっている。

注3:南勝線は国鉄倉吉線関金駅(倉吉市関金町大鳥居。1941〜1985)とJR姫新線中国勝山駅(真庭市勝山)を結ぶ目的で計画された路線なのだが岡山県側(真庭市側)の経路は真庭市湯原地区中心部で旭川や国道313号線からそれて西進し、真庭市湯原地区西部(二川地区とも称する)や真庭市川上地区東部(茅部地区とも称する)、真庭市八束地区中心部を経由することになっていた。真庭市中心部と倉吉市中心部を結ぶ交通路を考えた時、旭川に沿って設定したほうが最短経路になるし建設も容易になるのだが、そのようにしなかったのは次に挙げる事情があったからではないかと思われる。
・真庭市湯原地区中心部以北の旭川流域は人口の多い集落があまりないから。
・真庭市を代表する観光地の一つである蒜山高原を通したほうが利用客が増えるから。
最短経路を放棄して人口の多い集落や観光地を通して利用を増やそうという作戦は中国地方では他にJR三江線の浜原〜潮(うしお)間で見られること(三江線は基本的に江の川に沿っているのだが、そこだけ江の川を外れて東方に大きく迂回している。途中には沢谷駅〔邑智郡美郷町石原〕があり、集客目的の迂回であることは明らかである)なのだが、何としてでも鉄道を建設したい、鉄道を完成させたい、そして多くの人に利用して欲しいと思った日本鉄道建設公団(1964〜2003)の苦肉の策と受け取れる。結局南勝線は建設されずじまいになるわけであるが、まさかそれに沿って米子自動車道が計画されることになろうとは夢にも思わなかったのではないのだろうか。
※鉄道マニアの方から「南勝線は倉吉線山守駅(倉吉市関金町堀。1958〜1985)と中国勝山駅を結ぶ目的で計画された路線ではないのか」という指摘を受けるかもしれないのだが、私が「南勝線は関金駅と中国勝山駅を結ぶ目的で計画された路線」と書いたのには根拠がある。その根拠は次の通りである。
・関金駅があるところは倉吉市関金町大鳥居であるが、そこは1953年(昭和28年)までは東伯郡南谷村(1889〜1953。現在は倉吉市関金町のうちの安歩〔あぶ〕・大鳥居・泰久寺・松河原になっている)だったこと。つまり、南勝線は東伯郡南谷村と真庭郡勝山町(1896〜2005)を結ぶ路線という意味で南谷村・勝山町双方から頭文字一つをとって命名されたということになる(この点からも計画は遅くとも1953年〔昭和28年〕には動き出していたということになる)。
・1958年(昭和33年)4月25日鳥取県告示第177号(土地収用法による立ち入り・測量・調査)に「南勝線」という単語が出てくること。その告示では南勝線関金〜山守間建設のために東伯郡関金町の一部地域に土地収用法第11条第1項に基づいて日本国有鉄道の職員が立ち入って測量や調査を行うことを日本国有鉄道大阪工事局局長から通知を受けたと記されているのだが、この告示から関金〜山守間の計画路線名は南勝線だったことが明らかになる。
・関金〜山守間が開業したのは1958年(昭和33年)12月20日のことであるが、当時既に山守駅があった辺りは東伯郡関金町(1953〜2005)になっていたこと。もし南勝線の計画が山守駅を起点としているのなら金勝線とか関勝線など別の路線名称になっていたはずである。
よって、私は南勝線は関金〜中国勝山間に遅くとも1953年(昭和28年)までに計画された鉄道路線であるが日の目を見たのは関金〜山守間だけだったと解釈している。

注4:国道261号線は江津市桜江地区以西については江の川右岸に移っている。発足当初の国道261号線が江津市桜江地区を境に江の川の左岸から右岸に移る経路をとっていた理由ははっきりしない。ただ、江津市桜江地区以東で江の川右岸を通っていた県道294号川下・桜江線と江津市桜江地区以西で江の川左岸を通っている県道112号三次・江津線のどちらにも自動車通行不能箇所があること(県道294号川下・桜江線の自動車通行不能箇所は国道261号線川下・桜江バイパスに発展的解消したことをもって解消したが県道112号三次・江津線の自動車通行不能箇所は現在も解消されていない。2018年〔平成30年〕4月1日に並行して通るJR三江線が廃止された後何らかの動きが出る可能性はあるが果たしてどうだろうか)を考えると地形的な問題で自動車の通れる道があるほうを選択したのではないかという推論が成り立つ。

注5:邑智郡川本町には少なくとも2箇所全方向の信号機が深夜・早朝について赤信号の点滅になる交差点がある。本文で触れた川下橋西詰交差点と、中心部にある川本郵便局前交差点(邑智郡川本町川本。交差点名標なし)である。いずれもそこに進入する道路は全て国道路線か主要地方道路線であることがそのような運用を行っている理由ではないかと思われる(下表参照)。

交差点名方向路線名称及び方向備考
川本郵便局前交差点県道31号仁摩・邑南線大田・美郷方面県道40号川本・波多線重用。
南東県道31号仁摩・邑南線邑南方面県道291号別府・川本線重用。
南西県道40号川本・波多線江津方面県道291号別府・川本線重用。
川下橋西詰交差点北北東県道40号川本・波多線美郷方面
東南東国道261号線邑南方面
南南西国道261号線江津方面
西北西県道32号温泉津・川本線温泉津方面

注6:出雲市内の山陰自動車道は出雲市中心部の南方を通っている。但し有料区間の終点となる出雲インターチェンジ(出雲市知井宮町)から西の区間は国道9号線のバイパスとして建設されている。

注7:縁結び大橋は厳密には大橋川橋梁(全長:372m)と朝酌川橋梁(全長:237.5m)の二つの橋梁で構成されている。

注8:山陽自動車道が国道250号線や岡山県道/兵庫県道96号岡山・赤穂線に沿って建設されることになったことが兵庫県側が計画から降りた理由だとされている。

注9:そのため蕃山インターチェンジは岡山方面のランプウェイしか使用されず、赤穂方面への本線やランプウェイは長い間放置されていた。その様子は蕃山インターチェンジのすぐ北を通る山陽新幹線を通る列車からも見ることができた。

注10:終点側から西方に延びる道路は当初水玉ハイウェイと同じく岡山県道路公社が運営することになっていた玉島・笠岡有料道路として計画され、1975年(昭和50年)にはその受け皿道路として県道458号勇崎・入江線(1975〜2002)が認定された。しかし、並行して計画されていた山陽自動車道の計画が早く進んだことや沿線住民の強硬な反対があったこと、岡山県道路公社の経営状況が芳しくなかったこと、岡山県の財政事情が厳しくなったことなどから着工に至らず、計画は長い間休止状態になっていた。結局並行して国道2号線玉島・笠岡道路が企図されたこともあって2001年(平成13年)秋に計画は白紙撤回されている。

注11:龍野西インターチェンジ以東にある自動車専用道路としては国道2号線太子・竜野バイパス(神戸市須磨区から続く国道2号線の自動車専用道路の最西端にある道路だが龍野西インターチェンジ・サービスエリア〜備前インターチェンジ間開通当時は建設中。開通したのは1985年〔昭和60年〕12月3日)が、備前インターチェンジ以西にある自動車専用道路としては岡山ブルーラインがある。いずれも山陽自動車道のインターチェンジのランプウェイとは直接接続しておらず、一般道路を数km走らないと入れなかった。

注12:龍野西インターチェンジ・サービスエリア以東の区間が開通したのは1990年(平成2年)7月31日(山陽姫路西インターチェンジ〔姫路市石倉〕まで)、備前インターチェンジ以西の区間が開通したのは1993年(平成5年)12月16日(岡山インターチェンジ〔岡山市北区富原〕まで)のことである。

注13:現在は東海・北陸自動車道の鷲見橋(郡上市高鷲町鷲見。全長:436m。橋脚高:118m)に抜かれている。

注14:他には岡山県道64号矢掛・寄島線のうちの浅口市鴨方町本庄(ほんじょ)〜浅口市鴨方町地頭上間がある(この件については こちら で触れている)。

注15:尾道バイパスと松永道路が繋がったのは1987年(昭和62年)6月27日のことであるが、松永道路は西藤インターチェンジ(尾道市西藤町)以西が開通したに過ぎず、更に国道2号線松永・尾道旧道と松永道路西藤インターチェンジを結ぶ県道54号福山・尾道線には狭隘箇所があったため当時は有用な存在にはならなかった(当時大型車は松永道路には入らないように誘導する標識が設置されていた)。松永道路が有用な存在になったのは1990年(平成2年)12月15日に全線開通した時からであり、それ故ここでは「福山方面については平成時代初頭に改善された」と記している。

注16:大正交差点は北から時計回りに大正町・南昭和町・南堀川町・堀川町に跨っているが、ここでは本サイトの地名表記の規則( こちら で説明しているので併せてご覧頂きたい)に基づいて所在地を安芸郡海田町南昭和町と記している。

注17:山陽自動車道五日市インターチェンジ〜廿日市インターチェンジ間及び広島・岩国道路廿日市インターチェンジ〜廿日市ジャンクション間が開通した当時はまだ廿日市市は存在せず、佐伯(さえき)郡廿日市町(1889〜1988)だった。1988年(昭和63年)4月1日に市制施行して廿日市市が発足するのだが、広島県では第二次世界大戦後唯一の町村合併を経ない市の発足となっている(人口が5万人を超えている安芸郡府中町が市制施行すれば二つ目の町村合併を経ない市の発足になるが果たしてどうなるのだろうか)。

注18:更に2003年(平成15年)3月1日には廿日市市が佐伯(さえき)郡佐伯(さいき)町(1955〜2003)と佐伯郡吉和村(1889〜2003)を編入したことにより中国自動車道吉和サービスエリア(廿日市市吉和)も廿日市市にあるサービスエリアとなり、廿日市市はサービスエリアが三つもある、全国的に珍しい都市になっている。
※佐伯郡佐伯町は発足当時は「さえきぐんさきちょう」と読んでいたが、1982年(昭和57年)4月1日に「さえきぐんさきちょう」に読み方を変更している。

注19:記すまでもないが西瀬戸尾道インターチェンジ〜尾道大橋出入口間が無料開放されたわけではないし、西瀬戸自動車道の通行料金計算の起点が尾道大橋出入口になったわけでもないし、西瀬戸尾道インターチェンジと向島インターチェンジ(尾道市向島町)以遠の西瀬戸自動車道のインターチェンジとの間の通行料金が値下げされたわけでもない。この点を誤解している方が多いのでその点は留意して頂きたい。

注20:県道289号栗谷・大野線は上り方向(西行き)に走った場合、大野インターチェンジを過ぎるとすぐに未改良道路になり、異常気象時通行規制区間に入る。この点からも大野インターチェンジが住宅地と山間部の境目にあることがうかがえる。

注21:そのため歩道と車道の間には後に透明な仕切り板が設けられた。

注22:県道50号本郷・御調線は発足当初は一般県道だったが、1976年(昭和51年)4月1日建設省告示第694号により主要地方道に昇格することになり、1976年(昭和51年)12月21日に県道155号本郷・御調線から県道50号本郷・御調線に改称している。

注23:三原市高坂町許山〜三原市久井町坂井原間の県道50号本郷・久井線仏通寺旧道には幅員規制(2m)や重量規制(路肩不良による。かつては4トンまでだったがその後2トンまでになり、厳しくなった)、異常気象時通行規制がかけられている。また、軽自動車でも一度では曲がり切れない急な屈曲も何箇所かあるし、待避所もあまりない。

注24:「 ひろしま道路ナビ 」によると今年1月1日現在規制解除の時期は「未定」となっている。自動車では走りにくいことや通行中に災害(落石・土砂崩落・路肩崩落など)に巻き込まれる恐れがあること、転落事故を起こす恐れがあること、すれ違いで難渋する恐れがあること、不法投棄や死体遺棄の現場になる恐れがあることなどを考えれば規制を解除するに足る理由は見当たらず、故に当分の間閉鎖としているのだろう。

注25:国道2号線廿日市高架橋建設部分にある、国道2号線西広島バイパスと平面交差していた幹線道路(国道・県道)は下表の通りである。

交差点名所在地方向接続道路備考
速谷廿日市市平良二丁目左折県道294号虫道・廿日市線右折は県道294号虫道・廿日市線旧道(廿日市市道)。廿日市市上平良/上平良(西)交差点で現道(国道433号線・国道488号線重用)と合流する(速谷交差点〜上平良(西)交差点間の県道294号虫道・廿日市線は国道2号線→国道433号線と重用)。国道2号線佐伯旧道と廿日市市北部を結ぶ道ではあるが並行して県道247号廿日市港線や国道433号線(国道488号線及び県道294号虫道・廿日市線重用)が整備されたことにより交通量は少ない。
上平良廿日市市平良二丁目右折国道433号線
国道488号線
県道294号虫道・廿日市線
国道488号線と県道294号虫道・廿日市線は国道433号線と重用(国道433号線と国道488号線との重用は広島市佐伯区湯来〔ゆき〕町和田まで、国道433号線と県道294号虫道・廿日市線との重用は廿日市市原までそれぞれ続く)。
現在のところ国道433号線(国道488号線重用)は廿日市市原〜広島市佐伯区湯来町葛原(つづらはら)間が未改良のままであることや県道294号虫道・廿日市線は泉水峠の前後の区間(廿日市市原〜廿日市市玖島間)が通行不能になっていることからいずれも有用な道にはなり得ていない。
左折県道247号廿日市港線廿日市市役所(廿日市市下平良一丁目)や廿日市港に至る道で改良済。更に広島湾に沿って広島市中心部方面に行くこともできる。
宮内廿日市市串戸六丁目右折県道30号廿日市・佐伯線県道30号廿日市・佐伯線はいずれも主要地方道だった県道18号広瀬・廿日市線(1954〜1965)→県道2号徳山・廿日市線(1965〜1982)→県道4号益田・廿日市線(1972〜1993)の流れを汲んだ路線で改良済(路線番号はいずれも広島県側のもので廃止当時のものを記載)。廿日市市中心部と廿日市市佐伯・吉和両地区を結ぶ唯一の幹線として有用な存在になっている。
なお、左折後の道は県道30号廿日市・佐伯線の旧道ではなく、国道2号線西広島バイパスに並行して北東方向に延びている廿日市市道である。

注26:その様子がうかがえるのが下の写真である。

注27:国道2号線の三原市木原一丁目〜三原市糸崎八丁目間と国道185号線の三原市糸崎八丁目〜三原市糸崎九丁目間は異常気象時通行規制区間(高波の時通行止め)に指定されている。三原バイパスを尾道バイパスと直接接続させるべき理由の一つはそこにあったのだが、なぜ最近まで全く考えられなかったのだろうか。
※国道2号線の三原市木原一丁目〜三原市糸崎八丁目間と国道185号線の異常気象時通行規制区間と三原市糸崎八丁目〜三原市糸崎九丁目間の異常気象時通行規制区間は連続しているのだが、路線が分かれたのは2016年(平成28年)4月1日に国道2号線三原旧道が国土交通省から広島県に移管され、そのうちの三原市糸崎八丁目/糸崎8丁目交差点〜三原市皆実四丁目/三原警察署入口交差点間は国道185号線に再編されたことによる。路線再編で異常気象時規制区間が複数の路線に跨るようになった例は広島県内にもある(府中市荒谷町の県道417号小畠・荒谷線と県道388号木野山・府中線に跨る異常気象時通行規制区間。かつては県道183号小畠・府中線〔1960〜1998〕のものだった)が、路線再編により管理者が区間の途中で変わる異常気象時通行規制区間は珍しいのではないのだろうか。

注28:馬木インターチェンジ〜黒瀬インターチェンジ間の東広島・呉自動車道が開通したのは2015年(平成27年)3月15日のことである。これにより東広島・呉自動車道は全線開通し、山陽自動車道と呉市が結ばれた。

注29:この駅伝競走大会で4位以内に入ったチームは元日に群馬県で開催される全日本実業団対抗駅伝競走大会(愛称:ニューイヤー駅伝)への出場権を得られる。言い換えれば中国実業団対抗駅伝競走大会は全日本実業団対抗駅伝競走大会中国地区予選会ということになるのだが、上位4チームは広島県内の企業が占めることが多い。

注30:旧道を含めて県道52号世羅・甲田線が走路になっているのは世羅郡世羅町青水〜世羅郡世羅町黒川(世羅郡世羅町・三次市境の手前)間である。中国実業団対抗駅伝競走大会はせら文化センター(世羅郡世羅町寺町)と世羅郡世羅町・三次市境の手前を2往復すること(7区間82.8km)になっているので走路のそばに住んでいる方は4回走者を見ることができる。

注31:橋名を公募したところ「願橋」が圧倒的に多かったこと(広島県公式サイトによる)や三次市中心部には漢字一文字の名称の橋がいくつもあることから「願橋」になったという。
※三次市中心部にある漢字一文字の橋は下表の通りである。

橋名読み方全長
(単位:m)
通過路線名備考
旭橋あさひ141県道434号和知・三次線
祝橋いわい210県道112号三次・江津線現在の国道54号線で使用されていた太田川橋(1921年〔大正10年〕完成)を移設したもの。
現在は老朽化により重量制限(8トンまで)がかけられている。
巴橋ともえ171国道375号線
県道39号三次・高野線
県道39号三次・高野線は国道375号線と重用。
広島県を放送区域とするテレビ局の中には三次市の象徴としてこの橋の現在の様子を映すところがある。
願橋ねがい181県道433号穴笠・三次線

注32:路線名称からすれば三次市穴笠町と三次市中心部を結ぶ路線になるのだが、恐らく三次市西河内町が起点になるものと思われる。そのように考える理由は次の通りである。
・三次市穴笠町には県道路線は全く通っていないが、三次市穴笠町とは西城川を挟んで対岸になる三次市西河内町には県道186号新市・三次線が通っているから。
・三次市西河内町付近の県道186号新市・三次線は改良が終わっているのでわざわざ西城川を渡って三次市穴笠町を通るバイパスを建設する必要性は全くないから。
・三次市君田町東入君を起点とする可能性はあるが、そこには三次市君田地区中心部に通じる県道435号木呂田・本郷線の起点があるため県道433号穴笠・三次線と県道435号木呂田・本郷線を統合して一本の県道路線に再編すべきだという声が上がる恐れがあるから(一本化すれば三次市君田地区中心部と三次市中心部を結ぶ路線になるのに県道186号新市・三次線を挟んで別々の県道路線にしたのは認定目的が異なるからだと思われる)。
県道433号穴笠・三次線は三次市穴笠町と三次市中心部を短絡することや三次市君田町東入君〜三次市西河内町間に異常気象時通行規制区間がある県道186号新市・三次線の迂回路を確保する必要があることが認定された理由だったのではないかと思うのだが、広島県・三次市とも財政事情が厳しいことなどから現在のところ県道186号新市・三次線〜県道434号和知・三次線間の建設については全くメドが立っていない。

注33:願橋開通時点で三次市三次町/願万地交差点〜三次市十日市東五丁目/上原(かんばら)交差点間の県道433号穴笠・三次線の区域決定がなされなかったのは三次市十日市東五丁目/上原北交差点〜三次市十日市東五丁目/上原交差点間で実施されていた国道375号線の拡幅工事(国道375号線十日市東拡幅)が終わっていなかったからである。三次市内で完結する一般県道路線の管理を三次市がするようになったとしてもやはり財政規模の小さい地方都市だったので国や広島県の補助が受けられるうちは国道のままにしておいたほうが得策だと考えたのであろう。無論国道375号線十日市東拡幅が完成した時その部分は国道375号線から外され、ようやく県道433号穴笠・三次線は日の目を見ることになったのである。
※県道433号穴笠・三次線は三次市が管理しているためどの時点で区域決定がなされたかは「広島県報」には記されておらず、詳細な時期は不明である。しかし、私はそれは2014年(平成26年)11月5日のことだったのではないかと考えている。その根拠は次の通りである。
・2014年(平成26年)11月4日広島県告示第692号で2014年(平成26年)11月5日から三次市中心部の国道375号線の経路が変更されたこと。中国自動車道三次インターチェンジ(三次市西酒屋町)方面から北上してきた場合、それまでの国道375号線は三次市十日市東四丁目/上原北交差点と三次市十日市東一丁目/上新町交差点で左折し、三次市十日市東一丁目/三次消防署(南)交差点で右折して巴橋方面に進んでいたが、2014年(平成26年)11月5日以降は三次市十日市南一丁目/上原交差点で左折し、三次市十日市南四丁目/三次駅前交差点で右折し、三次市十日市中二丁目/三次消防署(南)交差点で左折して巴橋方面に進むようになった(経路により交差点の所在地が異なるのは注16でも触れているが本サイトの地名表記の規則〔 こちら で説明しているので併せてご覧頂きたい〕に基づいているからである)。上原交差点〜上原北交差点〜上新町交差点〜三次消防署(南)交差点間の国道375号線の処遇については記されていないが、他の広島県が管理する国道路線または県道路線の区域に編入されたという告示はないことから三次市が管理することになったことがうかがえる。
・広島県公式サイトで閲覧できる「国道・県道一覧表」(過去3年分のみ閲覧可能)の県道433号穴笠・三次線の項を見ると2014年(平成26年)4月1日現在のデータは実延長・面積ともに記載がなく、備考欄に「区域決定未了」と記されているのに対し、2015年(平成27年)4月1日現在のデータは実延長939m、面積21,094平方メートルと記されており、備考欄には「一部区域決定未了」と記されている。2014年(平成26年)4月1日〜2015年(平成27年)4月1日の1年間のどこかで三次市によって区域が決定されたことがこのことからうかがえる。
なお、県道433号穴笠・三次線は三次市が管理するようになってから区域が決定した路線であるためか今のところ路線識別手段は全く設置されていない。

注34:国道191号線が下関市と広島市中区を長門市・萩市・益田市経由で結ぶようになったのは1970年(昭和45年)4月1日からである。本文で書いた通り1953年(昭和28年)5月18日に二級国道191号下関・益田線として発足した当初は文字通り下関市と益田市を日本海に沿って結ぶ路線だったのだが、別に益田市〜広島市中区間の国道路線を設定してもおかしくなかったのになぜ下関市と益田市を日本海に沿って結ぶ路線を益田市から見れば中国山地の向こうにある広島市中区まで延長したのか、はっきりしたことは分からない。

注35:山口南インターチェンジの下関方面との出入は2001年(平成13年)6月27日から、山口ジャンクションにおける防府方面と鹿野方面の往来は2008年(平成20年)11月11日からそれぞれ可能になっている。

注36:私の案については こちらの注釈9 で書いているので併せてご覧頂きたい。

注37:県道338号大海・秋穂二島線が入ってくるのは県道25号防府・佐山線→県道25号宇部・防府線が山口市秋穂地区中心部を経由する遠回りな経路をたどっているのに対して県道338号大海・秋穂二島線は県道25号防府・佐山線改め県道25号宇部・防府線の迂回区間を短絡する経路を採っているからである。周防大橋開通後の主要地方道再編で県道338号大海・秋穂二島線を県道25号宇部・防府線の一部にしたらどうかという声もあったのだろうが、いくら遠回りな道でも未改良箇所が多くても吉敷(よしき)郡秋穂町(1940〜2005)にとってみれば県道25号防府・佐山線改め県道25号宇部・防府線は重要な幹線道路であり、吉敷郡秋穂町中心部改め山口市秋穂地区中心部を蔑(ないがし)ろにするような経路に変更することは認められないという考えがあったのであろう。

注38:この崩落では山陽自動車道のすぐ下にあった民家2軒が巻き込まれ、3人の犠牲者を出している。痛ましい災害ではあるがそのことがあまり知られていないのがどうかと思うところである。

注39:県道71号小野田・山陽線杣尻バイパスが建設されなかった場合、国道2号線(国道9号線重用)厚狭バイパス杣尻ランプは次に記すようになったのではないかと思われる。
・国道2号線(国道9号線重用)防府・山口方面との出入しかできない。
・国道2号線(国道9号線重用)北九州・下関方面との出入もできるように東側にインターチェンジを建設する。
「国道2号線(国道9号線重用)防府・山口方面との出入しかできない」というのでは国道2号線(国道9号線重用)北九州・下関方面との往来ができないことで不満を抱く方が出てくることが考えられるし、「国道2号線(国道9号線重用)北九州・下関方面との出入もできるように東側にインターチェンジを建設する」というのではその用地確保で費用が更にかかるしランプウェイで急な屈曲を入れなければならない。更に厚狭バイパスは自動車専用道路ではない。そこで厚狭バイパスと接続するためのバイパスが企図されたのではないかと考えられる。

注40:厚狭バイパスは2008年(平成20年)1月26日に宇部市船木〜山陽小野田市郡(杣尻ランプ)間が開通して全線開通した。厚狭バイパスの全線開通により旧道となった部分(宇部市船木〜山陽小野田市津布田間)は2008年(平成20年)3月31日山口県告示第157号により県道225号船木・津布田線に再編され、管理者が国土交通省から山口県に変更された。ただ、途中の山陽小野田市山野井で県道65号山陽・豊田線が旧道から分岐するにもかかわらず何の配慮もしなかったことが問題である(同じことは こちら でも書いているのだが国道188号線下松バイパス開通後の旧道処分でも行われている)。

注41:もう一箇所は岩国市美和町渋前(しぶくま)〜岩国市美和町生見(いきみ)間にある。

注42:岩国市美和町下畑〜岩国市本郷町波野間の通行不能箇所の迂回路としては通行不能箇所の南側を通る林道と通行不能箇所の北側を通る県道130号本郷・周東線があった。しかしどちらも狭い道であり、岩国市美和地区と岩国市本郷地区を往来するのには有用な存在にはなり得ていなかった。
※県道59号岩国・錦線のもう一つの通行不能箇所である
岩国市美和町渋前〜岩国市美和町生見間にも迂回路として林道がある。

注43:現在の岩国市は2006年(平成18年)3月20日に旧岩国市と玖珂郡玖珂・周東・錦・美川・美和・由宇各町及び本郷村が統合して発足したものである。玖珂郡本郷村は山口県で最後まで残った自治体としての村であり、この統合をもって山口県からは自治体としての村は消滅した。
※玖珂郡本郷村の村域は市制町村制施行当時と消滅直前では異なっている。というのも1911年(明治44年)7月1日に玖珂郡河波村波野を編入しているからである(玖珂郡河波村〔1889〜1911〕の残り部分は波野地区分離と同時に玖珂郡河山村〔1911〜1955〕と改称している。ちなみに玖珂郡河山村だった区域は現在岩国市美川町小川〔こがわ〕・四馬神〔しめだに〕・添谷になっている)。よって独立は保ち続けたが一度も行政区域が変わらなかったというわけではない。

注44:県道34号下関・長門線はそれまでは長門市東深川を終点としていたが、国道316号線の発足により長門市深川湯本〜長門市東深川間が国道316号線に移行したため終点が長門市深川湯本になったものである。

注45:その背景にあったのが山口県が1994〜1995年(平成6〜7年)に鉄道駅を起点とする県道路線の大量廃止(=通過自治体への移管)を進めたことである。いかなる理由があってそのようにしたのかは分からないが、財政事情が人口減少やバブル景気の終焉の後訪れた不況の影響で芳しくなくなったことが考えられる。

注46:国道491号線は本来は下関市長府才川一丁目と長門市油谷河原(ゆやかわら)を結ぶ路線であり、長門市中心部とは全く関係はないのだが、なぜ県道34号下関・長門線の難所・大寧寺峠を迂回する道路の受け皿道路に選ばれたのか、考えられる理由は次の通りである。
・山陰自動車道は鳥取市と美祢市を結ぶ計画の高速道路であり、それなら国道316号線を選べば良いのだが、その後中国自動車道との接続点は下関市小月地区に設置されることになったため美祢市は通るが下関市は通らない国道316号線を選ぶことには不都合が生じるようになったこと。
・反対に国道491号線は下関市は通るが美祢市は通らないこと。
・下関市と長門市を結ぶ国道路線としては国道191号線もあるがずっと日本海・響灘に沿って延びる路線であるため内陸部を通る道路の受け皿には適していないこと。
・国道491号線の終点があるところは国道491号線が発足した1993年(平成5年)4月1日時点では大津郡油谷町だったが、2005年(平成17年)3月22日に長門市と大津郡日置(へき)・三隅・油谷各町が統合して改めて長門市が発足したことにより国道491号線は長門市を終点とする国道路線になったこと。
結果的に国道路線のバイパスとして建設されるところが大半を占める山陰自動車道は国道9号線と国道191号線、国道491号線の3路線に跨ることになるわけであるが、一つの路線であることを示すためにも( こちら で書いたことがあるのだが)高速道路にも国道番号を付けてはどうであろうか(今そういう話は出ているようだが並行して通る既存の国道路線の番号を元に付けるというのは私は感心しない。やはり別系統の番号を付けてこそ意味があると思うからである)。

注47:東萩駅を通る優等列車は2005年(平成17年)3月1日実施のJRグループのダイヤ改正で益田〜小倉間を一日1往復していた特急「いそかぜ」号が廃止されたことをもってなくなっている。

注48:県道118号牛野谷・尾津線が廃止されたのは2009年(平成21年)3月27日のこと(2009年〔平成21年〕3月27日山口県告示第140号による)であり、県道118号南岩国・尾津線が認定されたのは2009年(平成21年)8月28日のこと(2009年〔平成21年〕8月28日山口県告示第347号による)なので県道118号牛野谷・尾津線廃止から県道118号南岩国・尾津線認定までは5ヶ月ほど空いている。前身路線の廃止と後継路線の認定は同時に行われることを考えると珍しい例と言えるが、山口県で検討した結果一部区間だけは県道としようという考えになったのだろうか。

注49:県道118号牛野谷・尾津線は県道15号岩国・玖珂線から分岐することになっていたが、その後継の県道118号南岩国・尾津線は県道15号岩国・玖珂線は当然のこと、少し北側を並行して通る県道113号南岩国停車場・磯崎線とも接点を持たない。更に途中で交差する国道188号線岩国南バイパスとも接続しない(国道188号線岩国南バイパスは県道118号南岩国・尾津線の下を愛宕山トンネル〔全長:668m〕で抜けている)。認定当初からこういう状態の都道府県道路線は珍しいと言える(もしかしたら他にも多数あるかもしれないが…)。

注50:今年1月1日現在の中国地方の日曜日深夜(月曜日早朝)の都道府県域民間ラジオ放送局の放送終了時間は下表の通りである。

時間放送局名備考
午前0時山陰放送ラジオ
(BSS、米子市西福原一丁目)
経営環境が厳しいこともあり中国地方の都道府県域民間ラジオ放送局では唯一日曜日早朝にも放送休止を設けている(日曜日午前3時〜午前5時)。
午前0時30分エフエム山陰
(愛称:V-air。松江市殿町)
エフエム山口
(FMY、山口市緑町)
放送終了後試験放送と称して月曜日午前5時の放送開始まで音楽を流しており、実質的に放送休止はない(機器調整のため試験放送を行わない場合がある)。
午前1時山陽放送ラジオ
(RSK、岡山市北区丸の内二丁目)
中国放送ラジオ
(RCC、広島市中区基町)
山口放送ラジオ
(KRY、周南市徳山)
午前2時広島エフエム放送
(HFM、広島市南区皆実町一丁目)

反対に月曜日朝の放送開始は山陽放送ラジオと山口放送ラジオが午前4時、その他の放送局が午前5時となっている。但し中国放送ラジオはニッポン放送(LF、東京都千代田区有楽町一丁目)制作の「中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ」を放送する日は午前3時に放送開始を繰り上げている。

注51:例えば岡山シティエフエムとエフエムくらしきはどちらもJ-WAVEの再送信を実施していたが現在はエフエムくらしきだけになっていることが挙げられる。

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