大分県大分市古国府にある平安時代後期(11世紀中頃)の磨崖仏であり、
大分元町石仏
と同じく凝灰岩質のもので、元町石仏から約600m程の距離にあります。 元々は両者ともに圓寿寺(岩屋寺)の敷地内に位置し、ほぼ同年代に造られたものと考えられています。
元町石仏の保存状態に比べ、こちらの石仏は風化が激しく、原型を留めていないものが殆どです。 最も保存状態が良いのは、右端の十一面観音菩薩立像ですが、それ以外は頭の形がわずかに残るのみといった 像が少なくありません。
磨崖仏から向かって右手には、かつて小仏像を収めていた千仏龕(せんぶつがん)が残っています。 これにはかつて粘土製の小仏像が収められていたと推測されています。