瀧廉太郎は、1879年東京に生まれます。 彼の代表作である「荒城の月」の曲を構想したのが、当時彼が住んでいた大分県竹田市の
岡城址
である(と共に富山県富山市富山城でもある)ことから、 『瀧廉太郎⇒岡城址⇒竹田市』という結びつきしか思い浮かばなかったのですが、 肺結核を発病した廉太郎が人生の最後を過ごしたのは、ここ大分市稲荷町(現:府内町)だったのです。 また、彼の墓所は大分市金池町の万寿寺です。
瀧家の先祖が大分県日出町出身であり、廉太郎の父も明治に上京するまで日出で暮らしていた事から、 大分県は父の故郷としてゆかりが深かった様です。
府内(大分市)に日本最初の洋式病院を建てた医師アルメイダは、ザビエルが去った3年後の1555年(弘治元年)には 府内に来ていました。 当時日本は戦乱が続き、国民の中には貧窮の余り嬰児を殺す風習があり、 これを知ったアルメイダは自費で育児院を建て、これらの嬰児を収容し、乳母と牝牛を置いて牛乳で育てました。 これは近世に於ける福祉事業の先駆けです。
(育児院と牛乳の記念碑より抜粋)