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秘湯めぐりの旅(19)
<熊本県・佐賀県の4湯めぐり>
1999.2.11-13
インデックス
12/11金桁温泉 | 12/12嬉野温泉 | 12/12武雄温泉 | 12/12古湯温泉 |
*1999年2月11日(木) 宇土市街→三角半島→金桁温泉
・道を間違えながら、ひたすら走る
草枕温泉「てんすい」 入浴後は、有明海沿いにどんどん南下して、熊本港の近くを通っていった。しかし、道を間違え、緑川の河口付近に出てしまい、対岸に渡る橋がないことに気が付いた。仕方がないので、川沿いにかなり上流までさかのぼっていって、やっとのこと橋を見つけ、ずいぶん遠回りをして宇土市内へと入ってきた。いくら日没の遅い九州でも、6時近くなって日が傾いている。先を急いで、三角半島の南岸を先端に向かって車を走らせた。この一帯は、八代湾を望む風光明媚の地だが、ゆっくり眺めている余裕など無い。ひたすらに走り続けて、やっと6時半近くに金桁温泉を見つけた。
金桁温泉「みなとや旅館」の玄関 |
海岸線から少し入った、低い山に囲まれた一軒宿で、周りにはなにもない。玄関で、案内を乞うと、女将が出てきて、すぐに部屋に通された。静かな和室で、泊まり客も多くはなさそうだ。さっそく、着替えて浴場へと向かったが、既に数人は入っていた。どうやら、工事関係者のようで、こういう田舎の宿に泊まると、よく巡り会う。これらの人々に支えられて宿が成り立っているんだなあと思い起こされる。そんな人たちと言葉を交わしながら、今日の長旅の疲れを癒した。
・海の幸に舌鼓を打つ
部屋に戻って、しばらくくつろいでいると、夕食が運ばれてきたが、思いがけず豪華で、ワタリガニが一匹とチヌ鯛の尾頭付きと刺身など新鮮な海の幸が並べられ、舌鼓をうった。お酒を冷やで2合たのんで、ゆっくりと食べ始めたが、おいしくて満足した。食後は、明日の天気のことを考え、どのコースを辿るか思い悩んだが、阿蘇方面は雪との予報で近づけない。やむなく、天草を巡って、島原半島に出るコースを思い描いてみたが、まとまらないままに眠くなってしまった。
金桁温泉「みなとや旅館」の外観 | 金桁温泉「みなとや旅館」の源泉 |
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金桁温泉「みなとや旅館」の夕食 | 金桁温泉「みなとや旅館」の朝食 |
*1999年2月12日(金) 天草→島原半島→嬉野温泉→武雄温泉 →古湯温泉
天草四郎メモリアルホール |
・朝の散歩に出かける
朝7時前に起床し、恒例の散歩に出かけたが、なんとか天気は持ちそうだ。ぶらぶらと周辺を巡ってみると、低い山がみかん畑になっていることがわかる。その谷間にぽつんと宿は建っている。全く静かで、鳥が木々の間でさえずり合っているのが、よく聞こえてくる。小一時間で戻ってくると、宿の玄関の前に、屋根付きの井戸がある。どうやらそれが源泉のようで、底を除くと、褐色の水が湛えられている。側に柄の長い柄杓が備えられていて、飲用にしているようで、胃腸病に適すると表示がしてある。試しに、すくって、口に含んでみたが、炭酸ソーダのような感じがした。部屋に戻って、朝風呂に出かけ、上がってから朝食になった。天気予報では、東部の阿蘇方面は荒天で雪が降っているとのことで、やむなく西に進路をとることにして、8時半過ぎに宿を出た。
・天草四郎メモリアルホールに立ち寄る
三角半島の先端から、天草五橋を経て、島巡りをしようというわけだが、こちらも天気が良いというわけではなく、強い北西の季節風が吹いている。まず、大久野島の天草四郎メモリアルホールに立ち寄ってみた。丘の上の協会風の建物で、中に入って、ここがかの天草四郎の出身地だと知れた。江戸時代初期の一大事件「天草の乱」の首謀者、あのキリシタン弾圧の最大の悲劇はこの地方の農民たちによって引き起こされたのだ。幕府、大名による過酷な弾圧は、キリシタンたちを団結させ、一揆に立ち上がらせた。その時代に、神を最高のものとして、崇めることは異端であった。幕府側の徹底した反撃に、最後は島原半島の原城に拠っての長期の抵抗の末、全員虐殺された。しかし、それによってキリシタン信仰を根絶やしにすることは出来ず。陰に隠れ、連綿として受け継がれていくことになる。あの江戸時代の長きにわたって、信仰を守り通したことは、驚異といっても良い。そんな、思いを抱きながら、館内を見て回った。最後に、なんとも不思議な部屋「瞑想のホール」があって、音と光の中で、静かに回想できるのだ。床には、奇妙なクッションが置いてあって、座りながらしばらくくつろいでみたが、何とも言えない異空間を体験した。外に出たら、強風が吹いていて、キリシタン墓の向こうに天草の海が、波立っていた。そういえば、明治時代の終わり頃、与謝野寛(鉄幹)に率いられた、若き北原白秋、木下杢太郎、吉井勇、平野万里の計5名が、島原、天草、長崎、平戸などのキリシタン史遺跡を中心に訪ね、 紀行文『五足の靴』 を著していることを思い出した。
サンタマリア館 |
・パールラインからサンタマリア館へ
そこを出て再び、パールラインに復し、天草上島に渡った所にあるビジターセンターに立ち寄ってから、国道324号線を西に走った。途中、サンタマリア館(隠れキリシタン資料館)の案内板を見つけ、北に進路をそれた。海沿いの小道を進んだ所に、明るいチャペル風の建物があってそこが資料館となっていた。内部には、隠れキリシタンに関する資料がびっしりと展示されている。先に入館していたカップルと共に、館長から展示の説明を受けたが、実に巧妙に隠しながら、信仰を守り抜いたものだと感心させられる。何気ない、墓石や仏像の中に、キリシタン信仰を物語る印が刻まれている。いくら権力によって弾圧しても、民衆に根付いたものはそう簡単には消し去ることはできないのだ。そして、何百年後には、白日の下に照らし出されていく。それが、民衆の歴史の歩みなのだと深く思い起こされた。
・鬼池からフェリーで天草を離れる
その後は、再び国道に復し、西進を続け、瀬戸大橋を渡って、天草下島に入っていった。本渡市からは北上を続け、鬼池からフェリーに乗るつもりなのだが、出航の時間までにあまり余裕がなかったので、どんどん先を急いでいった。右手には、有明海が広がっているが、まだ、強風が続いている。はたして、フェリーは出向できるだろうかと不安を感じながらも、運転を続けた。それでも、なんとか出航に間に合って、荒海へと出ていった。これで、天草に別れをつげ、島原半島に渡ることになった。
島原半島へ向かうフェリー「あまくさ」 |
・島原半島へ上陸
船上は、強風が吹き荒れ、デッキに出るのもままならない。てすりを伝いながら、安全な位置に身を置いて、早崎瀬戸を眺めていたが、船の蹴立てる波頭の向こうに島原半島が近づいてくる。カメラを構えたら波しぶきに虹がかかった。しかし、長時間は立っていられなくて、船室に戻ったが、湾内に入って、波が収まってから、再びデッキに出てみた。海鳥がたくさん飛んできて、船に寄り添ってくるが、誰も餌を投げてやる人がいないので離れていってしまった。着岸が近づいてきたので、車に戻って上陸の準備を始めた。陸に上がってみると、雲仙岳の方は雲が懸かり、天気が荒れているようだ。ラジオの天気予報では、少しだが積雪があると報じているので、山道を敬遠して、海岸線を走ることにした。
・佐賀県へと至る
塩田川沿いの嬉野温泉街 |
それにしても、昼を過ぎ、腹が減ってきたので、食事場所を捜していたら、国道端に見つけ、休憩することにした。新鮮な魚料理を看板にする店で、焼魚定食を注文したが、なかなかおいしくて、飛び込みで入ったにしては得した気分になった。食後は、さらに国道を進んだが、まもなく小浜の温泉街が見えてきた、立ち寄って入浴もしていきたかったが、先がまだ長いのであきらめて、走り続けることにした。島原半島の西岸をどんどん北上し、諫早市内に入ってから、長崎自動車道に乗って、さらに先を急いだ。
嬉野インターチェンジで下りて、嬉野温泉街へと入ってきたが、目指した共同浴場「古湯」は建物老朽化につき、営業休止中で、再建のための資金カンパのお願いが貼られていた。とても古風な、造りでぜひ入ってみたかったのだが残念。仕方がないので、近くの商店で入浴させてくれそうな所を聞いたら、共同浴場「もとゆ温泉」を教えてくれたので、町中を歩いて入ってみることにした。結構近代的な建物で、浴場は綺麗で、大きな湯船があった。そこで、ゆっくりと湯に浸かり、はるばる海峡を越えてきた疲れを癒した。しかし、予想以上に立派で、歴史ある温泉街で、湯も高温で豊富に湧き出していて、ちょっと佐賀県の温泉を見直す気持ちになった。再び、町中をぶらつきながら車に戻って、次の武雄温泉へと向かった。
★嬉野温泉「もとゆ温泉」に入浴する。<入浴料 350円>
| *一般的適応症(浴用)
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閉鎖された嬉野温泉の共同浴場「古湯」 | 嬉野温泉「もとゆ温泉」の外観 |
嬉野温泉観光協会の公式ホームページへ |
国道を30分ほど走るともう温泉街の入り口で、都市の一角に旅館が建ち並んでいるという感じだ。そんな道を進んでいくと、前方に忽然として竜宮城のような建物が見えてきた。観光パンフレットには必ず登場するシンボル的な建物だ。その脇から駐車場に車を入れ、共同浴場の受付に行ったが、いくつもの浴場があり、入口や料金が違うので、どれに入るか迷ってしまった。係りの人に、一番古風な浴場を聞いたら「元湯だろう」と言うので、260円と料金も一番安かったので、そこに入ってみることにした。はたして、木造の古風な造りで、昔ながらの共同浴場の雰囲気が漂っている。室内は結構広くて、ゆったり、のんびり浸かっていれそうで、とても気に入った。地元のお年寄りが入浴していて、佐賀弁の会話があちこちから聞こえてくる。そんな雰囲気を楽しみながら、湯を楽しんだが、やわらかでとても入りやすい泉質だ。宿へ向かう時間が迫ってきたので、そこを出て、車で熊野川温泉を目指すことにした。
★武雄温泉「元湯」に入浴する。<入浴料 300円>
武雄温泉の楼門 | 武雄温泉「元湯」の外観 |
| *一般的適応症(浴用)
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武雄市観光協会の公式ホームページへ |
嘉瀬川の渓流 |
・熊野川温泉で断られる
ところが、予想外に時間がかかって、山間部にある温泉街に近づいたときには、日が暮れかかっていた。しかも、予約しておいた旅館が見つからず、何度も行ったり来たりする始末、さらにひどいことに、やっと見つけたところが玄関が閉まっていて中に入れない。勝手口から問うたら、「今日は不幸があって、皆出かけてしまい。留守番しか居なく、泊まれない。」との返事にほとほと困ってしまった。近所の旅館にも空きがないか聞いてもらったが、ダメとのことで、思案に暮れたが、これからが旅のベテランの腕の見せ所ととりあえず一つ先の古湯温泉まで行って、泊まれるところを探すことにした。
もう、暗くなった国道をこの先で宿が取れなかったらどうしようかと不安に思いながら、さらに嘉瀬川沿いに山中に向かって車を走らせていった。古湯温泉街に入って、とりあえずコンビニを見つけ電話をしてみることにした。まず、一番安そうな「民営国民宿舎 米屋」にかけてみたところ、幸い空いていて、今からでも夕食を用意してくれると言うことなので、そこに泊まることにした。全く、捨てる神あれば、拾う神ありといったところだ。すぐ近くの宿舎の前に車を駐め、玄関を入ったが、なかなか感じの良い応対でほっとした。もう7時近くなっていたが、とりあえず、部屋に荷物を置き、浴場に向かうことにした。それにしても、宿舎内は静かで、他の泊まり客の気配が感じられない。浴室も一人で、のんびりと一日の旅の疲れを癒したが、いろいろなことのあった行程だった。風呂から上がって、部屋でくつろいでいたが、なかなか夕食にならないので、腹も減り、督促してみたが、どうやら他は団体客でまだ到着しない様子で、食事の用意もできていないようだった。まあ、飛び込みの客なので仕方がないが、それでも私の夕食の準備を急いでくれて、ほどなくして、食堂で夕食にありつくことが出来た。1泊2食付7,290円(込込)というリーズナブルな料金の割には、品数も多く、鍋も付いていて、おいしくいただくことが出来た。お酒を冷やで2本たのんで、じっくりと味わいながら腹を充分に満たすことが出来て、満足したが、途中から団体客が入ってきて食堂の中は急ににぎやかになった。食後は、部屋に戻り、今日の旅程を振り返りながら、明日のコースを考えて、後はテレビを見ながら寝てしまった。
★古湯温泉「民営国民宿舎 米屋」に宿泊する。<1泊2食付 7,290円(込込)>
古湯温泉「民営国民宿舎 米屋」の外観 | 古湯温泉センター |
| *一般的適応症(浴用) 神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え症・病後回復期・疲労回復・健康増進
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古湯温泉「民営国民宿舎 米屋」の夕食 | 古湯温泉「民営国民宿舎 米屋」の朝食 |
古湯温泉旅館組合の公式ホームページへ |
*1999年2月13日(土)
古湯温泉街の斉藤茂吉歌碑 |
・朝の散歩へ出かける
朝6時過ぎに起床し、周辺の散歩に出かけた。山間の朝の空気は冷たいが、落ち着いた温泉街をぶらぶらと巡ってみた。「古湯温泉センター」という近代的な3階建ビルに入っている共同浴場もあったが、なにかこの温泉街の雰囲気にマッチしていない外観のようにも思えた。この近くに、斉藤茂吉の歌碑があると案内板に出ていたが、その方向に進んでいってもそれらしいものが、見あたらない。探すのをあきらめて、渓谷の流れを追って歩いてみた。ちようど温泉街をぐるりと、一周する形で戻ってきたら、再び斉藤茂吉歌碑の案内板が出ていたので、それに従ってみて、やっとある旅館の庭にその歌碑を発見した。ずいぶんわかりにくいところに建っているものだと思ったが、旅館が個人的に建てたものを後で、観光客みんなが見れるようにしたためなのだろう。それでも、見つからなかったものが見つかって、のどに刺さっていた棘が抜けたような感じだった。
・宿を立って東へ向かう
宿に戻って、朝風呂を浴び、上がってすぐ朝食となったが、散歩と風呂の後の食事は進み、ご飯をお代わりして美味しくいただいた。部屋に戻って、今日のコースを思案したが、東に向かって大分県・福岡県方面へ行ってみようと考えがまとまった。荷物をまとめて9時前に宿を立って、一端は嘉瀬川沿いに国道323号線を南下し、長崎自動車道を利用して東進することにした。
秘湯めぐりの旅(29)<大分県・福岡県の5湯めぐり>へ続く |
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