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四次増備問題考察

会社存続のみならず、大きな社会問題にまで発展した芸北高原鉄道第四次増備問題。

その経過と結末をレポートします。
















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発端はサハ111 

既にさまざまに取り沙汰されている芸北高原鉄道の悪名高い『第四次増備計画』。

なぜこんな問題が起こったのか、経過と結果をまとめまてみました。

 

利用客の爆発的増加が続き、開業から慢性的に抱える車輌不足が一層深刻化する一方で、陰陽連絡運行においては、これまで以上の速達性・快適性が求められるようになりました。

開業からわずか半年、出張ビジネスマン利用促進を推進する地元財界や行政が構成員となっている『芸北高原鉄道利用促進協議会』から、現状の快速本数や速達性に対し強く不満とする改善要望が芸北高原鉄道会社に伝えられると、この調停にあたる地元議員も会社側に対し相当のプレッシャーをかけたと言われています。

このような政官財からの圧力に対する会社側も全社一丸体制で乗り切る状況に無く、経営陣が二つに割れた社内派閥争いが無益な四次増備浪費に拍車をかける結果となったのでした。

 

四次増問題の兆候は、すでにその前の第三次増備であらわれていました。

三次増の主旨は『フリークエンシー確保と繁閑時効率運用のために有用な、単行または2両運行可能な車輌の増備』となっており、その主旨に沿い123形や105系などの導入が行われましたが、この時の購入車輌に『サハ111-7017』が含まれていました。明らかに三次増方針に反したこの車輌は、有力議員と関係の深いコンサルタントが購入を進めたと言われています。会社広報は当時「『試験的』に導入した。」と言い訳めいた苦しい公表をしていましたが、購入金額が他の車輌に比ベ高額なため、一部株主と労働組合が一時的に問題視していました。

このサハ111-7017はJR西アーバンネットワークからの余剰車ではあるものの、N40更新車特有の車内接客設備の快適性があるため、先のような要望を意識し議員や財界に対する点数稼ぎ的な導入だったと考えられていますが、首都機能移転による大物議員や大臣、皇室の移動用専用車輌として整備されるのでは無いか、といった憶測もとびかいました。しかし、三次増の時点では123形600番台の工事難航に世論の目が移ったため、サハ111-7017購入は大きな問題に発展しなかったようです。

 

揺らぐ四次増指針 

開業来、芸北高原鉄道基本指針は効率運行と経営体質強化を目的に、車輌をすべて4両以下編成とし、基幹駅以外の各施設などもこれに沿って整備されてきています(無論将来拡張が可能な設計になっています)。したがって当時、芸北高原鉄道保有の115系、113系は4両組成がほとんどを占めており、サハ増結の5両運用は不可能でした。

点数稼ぎ用に導入したサハが運用できない、ましてや高額な購入経費=無駄使いという批判を恐れたコンサルタントは反社長派の専務と結託し、クモハ−モハ−クハの3両組成の無断導入を画策しました。

一方、社長を中心とした良識派はクモハ123-601の工事遅れとそれに伴う工場現場の疲弊による故障車輌の修理遅れに頭を痛めており、四次増も三次増の延長としてフリークエント確保のため、①単行または2両までの編成車輌導入(クモハ123-5など)、②115系・113系の予備動力モハユニット導入、③105系の予備資材の購入の3つを骨子とする増備計画をもって予算認可に向けた申請と諸手続きを進める公表をおこないました。

 

混迷の車輌導入 

しかし、この指針公表は財界・議員の猛反発を引き起こしました。財界、議員はこぞって芸北高原鉄道会社を『速達・快適向上という民意を無視した計画』と徹底的に批判し、旧国鉄型車輌ばかりを導入する『自身の趣味的購入は大問題』と社長の発言力を奪うと共に、専務とコンサルタントを介して会社経営に口をはさむようになりました。

特に愛知県との遠交道州政策を進めてきた大物代議士と、岡山にコネクションの強い財界フィクサーは、それぞれの人脈を使いサハ111-7017運用のため会社や株主には勝手に購入交渉を進めたのです。このとき大量に購入契約された車輌群は、たとえばJR東海から身延線余剰のクモハ-モハ-クハ-クハ3両1編成(この編成は非冷房車であっため、冷房化のため更に工場現場を混乱させた)や、クモハ115単体、各資材などがありますが、ほとんどが運用や活用ができず芸北高原車輌基地に留置されるのみとなったのです。(素人購入のためか、各車輌とも状態が悪く即時運用が不可能だったと考えられます。)

問題の端緒となったサハ111-7017は、フィクサー人脈によりJR西日本岡山区から借り受ける事ができたクモハ-モハ-クハと編成を組み、Y01編成として半年間運用が行われました。このY01編成は、混乱の経緯に反しやはり快適性が高く人気の車体となったのは皮肉とも言えます。(この編成が入線して来ると、乗客はこぞってサハ111-7017の乗車位置に移動するというシーンが各駅で見られました。)

サハ111-7017の評判に勢いを得た反社長派は更にヒートアップし、『次は速達化の目標を着実に実現する』と、開業来の芸北高原鉄道指針を覆す『特急導入』を、会社、株主を無視し決定してしまうのでした。そして代議士の口ききによりJR東海から85系気動車特急の導入検討が、一方フィクサー側はJR西から485系・183系電車特急の導入推進が、水面下でそれぞれ画策されていたということが当時の新聞などで書かれています。

 

会社存続の危機的状況 

しかし、この特急導入計画は結果として反社長派閥を分裂させる事になりました。

85系導入検討派と485系・183系導入推進派に分かれ、お互いがそれぞれ相手の車輌のマイナス面や、守秘義務のある交渉状況、癒着や不正接待など連日マスコミにリークし世論をあおって足を引っ張りあう泥仕合を展開したのです。

更に両陣営は少しでも自陣を優位にしようと、不透明で不明瞭な計画や車輌購入を繰り返しました。代議士側による名鉄1000系スーパーパノラマカーを借り受けイベント列車運行というパフォーマンス(列車は人気を博したものの、その高額な招聘料、軌道やATCなど安全保安設備の統一化など大きな費用が大問題となりました。)や、フィクサー側の三段峡線区用へのキハ47・48の導入(電車特急を推進する見返りに非電化線区の住民へのプレゼントと銘打っていましたが、当時三段峡線は十分な輸送力であり住民側も公金の無駄使いと斬って捨てました。)など、まったくの乱脈浪費をおこなったのでした。

そのような中、特急導入計画は85系も485系・183系も移譲が3年先・8両以上と言う即時性に欠ける長編成・高額提示条件となったため、いずれも折り合いがつかず、交渉相手のJR各社側もリーク合戦による自社のイメージダウンを回避するためこれ以上の交渉は出来ないと通告し、計画そのものが完全に頓挫してしまいました。

こうした紆余曲折・支離滅裂な芸北高原鉄道の状況に対し、財務省は芸鉄の予算認可を一旦凍結する決定を下しました。また、購入されていた資材や開業以降運用されていない編成に対し会計検査院も適正な支出と認められないと指摘し、財務省・国土交通省は立ち入り検査を行うという事態にまで発展し、次年度中に運用に入れない資材類は差し押さえ転売する決定を行い、経営改善勧告という厳しい行政処分をおこないました。また株主オンブズマンもこれらに無駄な投資に対する起訴準備に入りました。

さらに検察も動き、四次増各車輌購入の交渉の過程で代議士・フィクサー両氏による不明瞭な資金運用などが明るみになり、専務・コンサルタントらも巻き込んで表舞台から消えていきました。

経営責任が問われると思われた社長は人柄の良さと社長報酬1年間1円という破格の反省と、社長を支援する現場や芸北高原鉄道ファンの署名運動あり、お咎め無しとなりました。

そして、社長と芸鉄を盛り立てようと工場現場は不眠不休の作業により工事が難航していたクモハ123-601を落成出場させたのを皮切りに、115系4編成分の工事完了、引き続きクモハ123-5の工事にかかるなど急ピッチでの作業を続けました。

こうして事態は収拾され、芸北高原鉄道は信頼回復にむけて全社をあげたステップを踏み出す事になりました。

 

『リカバリーチャレンジ1901ダイヤ改編』 

その後、「皆様から愛される芸北高原鉄道を目指して、私たちはチャレンジし続けます」のスローガンのもと『リカバリーチャレンジ』と称し、更なるサービスアップをはかることを目的に、さまざまな信頼回復プランをもって芸北高原鉄道は生まれ変わりました。

特にダイヤは、半年の運用によるデータ蓄積と分析により、これまでを大きく変革させる利便性に富んだ平成19年1月ダイヤ改編(1901改編)を公表しました。

・JR特急の乗り入れ

『会社方針はどうであれ特急運行は地元の要請』と重く受け止め、とは言っても現在の状況では特急の自前運用は困難な事から、JRのキハ187気動車特急の広島-芸北高原-浜田-益田間乗り入れを行います。1日1往復、広島を0700発(スーパーげいほく1号)、浜田を1945発(スーパーげいほく2号)のダイヤで、広島から山陰への日帰り出張族をサポートしています。

・快速のフリークエント向上

試験運用していた115系混成快速(一部座席指定の3000番台、一部自由席の3扉車)を増やすことによって快速の編成数を確保し、これまで1時間2本の快速を最大1時間4本に。(この混成は試験運用中は誤乗も多く不評でしたが、誤乗防止のための案内を強化するようです。)

また、この快速用車輌捻出のため、一部115系・113系の編成組み替えが行われます。

・普通電車を本線は南線・北線別運用に

これまでは、混在していた車輌群ですが南線と北線で運用を完全に分ける事に。北線は輸送密度に合わせ105系、119系、123形、115系550番台が運行を担当、南線はそれ以外となりました。

・三段峡線に観光列車計画

50系客車によるトロッコ号断念以来棚上げになっていた三段峡線に観光列車を運行させる計画が復活。現在、キハ47・48を仮運用し、将来的には瀬戸内マリンビュー(キハ47-7000番台)を入線させると言われています。

 

1901ダイヤ改編


 

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