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子供の頃といっても昭和30年代後半のことであるが、自宅のある総武線新小岩駅から中川放水路の土手を自転車で下流に向
かって走っていると、京葉道路を越えて少し行った所に鉄道の車庫らしき廃屋と屋内に線路があるのを見つけた。帰宅後に父親
に尋ねたところ、私が生まれる以前にそこには城東電車という名前は上等でもボロい四輪単車が走っており、多分その車庫跡
だろうとのことであった。
また、今井には親戚がいて時々遊びに行っていた。新小岩から今井に行くには直通の都営バスがあったが、途中の松江から今井
までの区間は普通の都バスと都営トロリーバスが一緒の道路を走っており、特に終点の今井にはトロリーバスのUターン用の大きな
ループ架線と車庫があった珍しさから子供心に印象に強く残っている。
そして、トロリーバス101系統 上野公園〜今井 の前身が城東電車江戸川線(都電26系統)東荒川〜今井橋 であったことを知っ
たのは丁度鉄道写真を撮り始めた昭和43年6月、都内からトロリーバスや城東電車小松川線の流れを汲む都電25系統 西荒川
〜須田町が消えるたった3ケ月前であった。
<城東電車とトロリーバスの歩み>
明治43年 5月 6日 本所区錦糸町〜南葛飾郡瑞江村大字上今井 電車軌道敷設出願
明治44年 3月 7日 東京府と調整の上で内務省より特許(免許)下付
大正 2年 1月 城東電気軌道株式会社 創立
大正 6年12月30日 小松川線 錦糸堀〜小松川 3.38km 開通
大正10年 1月 1日 砂町洲崎線 水神森〜大島四丁目 1.0km 開通
大正13年 7月11日 砂町洲崎線 大島四丁目〜仙気稲荷(稲荷前) 開通
大正14年12月31日 江戸川線 東荒川〜今井橋 3.178km 開通
大正15年 2月 小松川(後に西荒川から)〜東荒川 に連絡バス運行開始 (当初は徒歩で小松川大橋を連絡)
大正15年 3月 1日 小松川線 小松川〜西荒川 0.2km 開通
昭和 2年 3月 8日 砂町洲崎線 仙気稲荷〜東陽公園前 開通
昭和 3年 6月 3日 砂町洲崎線 東陽公園前〜洲崎 開通
昭和12年 3月25日 東京乗合自動車株式会社と合併し、更に東京地下鉄道株式会社と合併
昭和17年 2月 1日 東京市に全線買収され市電に編入される
昭和18年 7月 1日 都制施行により都電と名を改める
昭和27年 5月19日 都電26系統 東荒川〜今井橋 廃止
昭和27年 5月20日 トロリーバス101系統 上野公園〜今井 開通
昭和43年 9月28日 都電25系統 西荒川〜須田町 廃止、トロリーバス101系統 上野公園〜今井 廃止
昭和47年11月11日 都電38系統 錦糸堀〜門前仲町 廃止 (現:荒川線を除いて都電全廃)
※城東電車江戸川線の名称については、今井線・一之江線と呼ばれる場合もあるが江戸川区史・江東区史の記述に則り江戸川
線と表記した。 (江戸川区史、江東区史、東京都交通局60年史、都電60年の生涯 等より作成)
昭和7年 江戸川区 1/8000地図 国土地理院 黄色は電停(西一之江電停はこの当時未開業)
川の左が小松川線、右が江戸川線。小松川線西荒川電停も江戸川線東荒川電停も、小松川橋からちょっと離れている。
また今井橋電停はトロリーバス時代より、もっと旧江戸川寄りにあったことが地図からうかがえる。
更に、小松川線小松川電停と新町電停の間に車庫が記載されている。(終戦前の空襲で消失)
因みに現在の位置関係は、小松川橋の位置は殆ど同じで、西荒川電停も東荒川電停も現在の首都高速7号小松川線の高架下。
左上 昭和6〜7年頃
城東電車時代
松江付近
後ろに後述の高圧線
鉄塔が見える
雑草の生い茂った
軌道がスゴイ
右上 昭和25〜27年頃
都電時代
一之江境川
左 東荒川
左の小さな社は
今も残る小野原稲荷
(江戸川区郷土資料室 蔵)
江戸川線では、都電になって
からは400型
401〜404の4両で
運行していた
所要時間は約15分
実際に何度も乗ったことのある
父の話だと、乗り心地はガタ電
と呼ばれる位にヒドかったという
左 昭和43年8月 今井車庫 昭和43年8月 今井終点
トロリーバス
のページにも管理人撮影の他の写真があります。また
路面電車
のページには、城東電車の名残を残す25系統
須田町〜西荒川、38系統 日本橋〜錦糸堀 もあります。是非ご覧になってください
江戸川区西小松川町の首都高7号線 首都高下の最初の交差点を右斜めに 狭い道を抜けると一部道が切れながら
高架下にある東荒川電停跡 ⇒ 軌道は入っていた ⇒ 小松川境川にぶつかる
左の小野原稲荷が目印 このあたりは道路が軌道跡である 親水公園となっているが以前はドブ川
であった
東小松川二丁目西児童遊園 船堀街道(平和橋通り)にぶつかる 奥に高圧線鉄塔が見える
もう少し進んで船堀街道に ⇒ 今井街道から南に2本目の道を入る ⇒ 軌道はこの道路ではなく、道路に沿った
ぶつかる手前が中之庭電停跡 左側の住宅部分を通っていた
高圧線鉄塔の脇を抜けると貞明
児童遊園 ここも公園が軌道跡
この先、住宅によって直進道路が
一旦消えるが、迂回した先には
一之江境川親水公園がある
ここには、城東電車のモニュメント
としてガーダー橋が掛かっている
平成8年4月にこの親水公園は出来た
ものであり、以前は橋台跡のみしか残っ
ておらずガーダー橋はあくまで後世の物
であり取り付け角度も異なっている
そばにある城東電車とトロリーバスの
模型
今井街道の歩道にはトロリーバスの
タイルが埋め込まれている
都営地下鉄新宿線一之江駅の辺りは 瑞江大橋を渡ると右手の都営住宅の下の 今井橋終点跡 浦安方面より望む
再開発で、また城東電車廃止後に ⇒ 都バス操車場がトロリーバスの車庫跡 ⇒ 新大橋通りが高架で今井橋につながり
新中川放水路が掘削され道路が変 トロリーバス時代の雰囲気が全く無くな
わってしまっている った
城東電車江戸川線が無くなってから54年、トロリーバスが消えてからも既に38年を経過しており、残念ながらマニア向けの
遺構は全く残っていなかった。 しかしながら、一之江境川親水公園にあるモニュメントやブロンズ模型により、昔々ここに城東
電車やトロリーバスが走っていたことを今の子供たちにも目に見える形で分かるようにしていることが嬉しい。
<参考文献:鉄道ピクトリアル1986.6〜1986.9号 懐かしい風景で振り返る東京都電 都電が走った昭和の東京>
左上 昭和43年7月 京葉道路 小松川付近
右上 昭和43年11月 亀戸付近 トロリー代替バス(左側)
左下 今井街道 西一之江 トロリーバスはここを走っていた
今井側から高圧線鉄塔を望む
1/5000地図の拡大で分かる世界
昭和3年 1/5000地図 国土地理院
左上 東荒川
地図には土手の脇まで2本の軌道が描かれている。
下の東荒川の写真では1本しか写っていないが、
架線柱は2本分の幅があり、昭和3年以降に軌道
が1本撤去され、401の右に写っている建物(駅舎
は401の左の建物の奥)が出来たと推測される。
また車庫の位置であるが、鉄道ピクトリアル1986.9
で高松吉太郎氏が写した東荒川車庫(C)は東荒川
電停から撮ったとすると位置関係が地図と合致する。
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