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いつごろからでしょうか?『1945年8月17日、インドネシア独立宣言時の国旗掲揚には日本兵が加わっていた』という風説をWeb(特にBlog)でよく目にするようになりました。また『現在のインドネシア独立記念日の式典には男女2人に日本兵の格好をした3人で国旗を掲揚する』という説もあるようです。
実に興味深い風説です。手元の資料及びWeb上で参照できる資料を基に、この風説を検証してみることにしました。
今後も継続的して情報を漁ってみるつもりですが、現時点で調べたことを下記の通り、纏めておきます。
スカルノの自伝によれば、国旗の掲揚を行ったのはPETA(祖国防衛義勇軍)の兵士であったAbdul Latief Hendraningratであると解説されています。
ソース:"SUKARNO An Autobiography As to told CINDY ADAMS"(THE BOBBS-MERRILL COMPANY, INC. 1965)
なお、PETAの制服は旧日本陸軍のそれに極めて似ていたそうです。(もしくはほとんど同じ?)
インドネシア歴史教科書の次の記述を是非ご覧ください。
PETAの魅力についての説明
(
インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」
)
また、次のブログの記事(インドネシア語)によれば、Latief隊長の他に男女2名が国旗掲揚を補佐したとあります。
Mengenang Detik-detik Proklamasi (3)
(国旗掲揚に関する要旨:和訳)
1945年8月17日10時(*1)に始まった式典で、独立宣言(*2)に続きインドネシア国旗の掲揚が行われた。最初、国旗の掲揚を依頼されたTrimurti(独立宣言文をタイプしたSayuti Melikの妻)は、それを兵士にお願いしたいと辞退。そこで、PETA(祖国防衛義勇軍)の兵士 Latief Hendraningrat が、他に男女2名の補助を受けて3人で国旗の掲揚を行った。
注:
*1:「1945年8月17日10時」。正確には「2605年8月17日10時」でした。日本占領下では、皇紀が使用されていました。また、当時のジャワ時間は日本時間と同じであり、この「10時」とは日本時間の10時です。つまり、今のインドネシア(ジャカルタ)時間に直すと2時間遅れの「8時」です。なお、独立宣言当時すでに日本の敗戦を迎えていましたが、連合国軍のインドネシア到着まで日本軍は現地の占領支配継続を義務付けられており、実態として皇紀や日本時間の使用が継続されていました。
*2:また、独立宣言を行うスカルノの写真に写っている兵士もLatief隊長です。
ソース:"SUKARNO An Autobiography As to told CINDY ADAMS"(THE BOBBS-MERRILL COMPANY, INC. 1965)
Latief Hendraningrat については、インドネシア版のWikipediaに「独立宣言の際に国旗掲揚を行った」という記述があります。
独立宣言当事者であるスカルノの説明により、国旗掲揚を行った兵士はPETAのLatief Hendraningratであるとしておきます。
なお、ブログやWikipediaについて、私はその内容を鵜呑みにはしないことにしてます。
ブログについては、他のページからのコピー&ペーストとしか思えない記述が多い。上で紹介したブログの記事は、おんなじ文面が他のインドネシア語ブログでも散見されました。いったいどこが本当の情報ソースなのか不明。
また、Wikipediaの記事については参考になると思いますが、「あらし」の問題もありますので、かならず別のソースも当たるようにしています。
昨年(2007年)の独立記念式典(8月17日)については、Youtubeにいくつか動画が投稿されています。いずれもTV録画のアップロードと思われます。
最初に紹介している録画時間が長い方の動画は、アナウンサー(とゲスト?)による解説(音声)が入っており、参考になります。国旗掲揚を行ったのは、学生さんのようですね。白の上下服(一応、軍服なんでしょうか?)に身を包んでいます。日本兵(もしくはPETA)の服装をした人物は見当たりません。
参考までに、式典の様子を報道したインドネシア紙の記事も紹介しておきます。
あちこちのインドネシア大使館でも、8月17日に式典を行っているようです。いくつかの大使館Webからその様子を撮影した写真を紹介しましょう。
服装はいずれも白の上下に黒い帽子。肩に階級章のようなものが付いているので軍服なんでしょうか。
まだ、他にもあると思いますが、ひとまず上の3箇所までとしておきます。国旗の掲揚は3名で行われていますが、「男性×2、女性×1」だけでなく「女性×3」とうケースもあるようです。また、服装は白の上下。PETA(祖国防衛義勇軍)や旧日本軍の格好ではありません。
昨年(2007年)の式典を見るかぎり、PETAや旧日本軍の制服を着用した掲揚隊は見当たらず。
政府主催独立記念式典で国旗掲揚の任にあたる青年たちはPASKIBRAKA(Pasukan Pengibar Bendera Pusakaの略:国旗掲揚隊)と呼ばれているそうです。全国各地から選抜され、この式典に参加している。
PASKIBRAKAについては、次のページを参照ください。
スカルノの時代はどういう風にしていたんでしょうね。継続調査とします。
日本軍占領期のインドネシアについては、次のサイトも合わせて読まれることをお勧めします。
このサイト内にある次のページも是非ご覧ください。
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