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東海十二景(その3)
これが最後の東海十二景めぐりです。
今回は、国道245号をひたちなか市との境界まで進み、そちらか戻ってくることにした。
この辺りに残りの5箇所の十二景がある。しかし、何箇所かは、十二景の碑の所在地が東海村観光協会のHPでも分かりにくく、電話で確認して出かけた。
10.如意輪寺秋月
ひたちなか市に繋がる台地の245号の海側にある。かなり大きな寺で、門前にスダジイ(ブナ科)タブノキ(クス科)などの常緑照葉樹がある。これらの木の北限らしい。
寺をはさむ道の反対側に碑があった。碑の横には2020年に開けようと言うことで当時の小学生が作ったタイムカプセルが埋めてあった。他の碑にも同様なものがあるところがあった。
真言宗豊山派の寺で、寺伝では、坂之上田村麻呂が蝦夷征伐に当たり、その守護仏の如意輪観音を祭ったと言う。
如意輪寺山門 正門
本堂と経堂? 大きなタブノキ(坂上田村麻呂が植えた?)
十二景の碑とタイムカプセル
11.真崎浦夕照
ここから、少し戻って左折すると一体は田園地帯で道路の横に十二景の碑がある。碑の背面側が西となり、夕日がきれいであろう。
ここの少し北の岬状に田の中に出ばった台地の先端に、戦国時代は真崎城という城があり、佐竹の配下となって、この地方の水運や製塩などを取り仕切っていたようです。
常陸の海岸は、江戸時代まで各所で製塩が行われており、内陸部との交易品になっていました。松林が多いのもそのためでしょうか。
真崎浦付近の水田風景 十二景の碑
9.村松晴嵐
また戻って、右折すると、ここは、有名な村松の虚空蔵尊があり、その後ろに「水戸八景」の村松晴嵐の碑もある所。虚空蔵尊と並んで、村松大神宮がありその前に十二景の碑が立っている。
村松大神宮は、白方公園にある豊受大神宮と同じく和銅元年に平磯(今のひたちなか市)の巨岩が白光を発し、このあたりを照らしたと言い、それが伊勢神宮からと言うことで神社が作られたという。
その後、大同年間、平城天皇から「村松五所大明神」の称号を受け、後に源頼義、義家親子が奥州征伐で戦傷を祈願して神社を建立したとのこと。
「東のお伊勢さん」とも呼ばれていた。中々、立派な社殿であり、二の鳥居の所には、何を根拠としているのか「茨城一の宮」と言う石柱が立っている。(裏面には、梶山精六の署名がー)
この辺は何回も来ているので詳細は
「水戸八景」
や
「自転車で東海村を」
を見てほしい。
虚空蔵尊仁王門 本堂
大神宮鳥居(横に茨城一の宮と書いてある石柱) 拝殿
十二景の碑
8.細浦青畝
また、245号線に戻ると、虚空蔵尊の駐車場があり、ここを下っていくと、あずま屋の前に十二景の碑がある。
ここからも、一面の田の面が見え、稲の生長の四季が良く分かる。とは言え、色々なところで同じような風景を見かける。
細浦付近の水田 十二景の碑
9.阿漕が浦夜桜
さらに245号線を少し戻り、右に入ると、阿漕が浦公園である。この公園は野球場などもあり、かなり広い。
十二景の碑は、入ってすぐの駐車場の裏にあるが、木が生い茂っていて、阿漕が浦は見えない。公園の反対側から見た池の姿は中々、美しいがこちらには桜はない。
公園の中は桜が植えられて、ライトアップされた姿は綺麗だろう。
阿漕が浦公園(この右に碑が) 阿漕が浦
十二景の碑
東海十二景は2000年に東海村発足35周年を記念して、村民が投票で決めたと言う。
何箇所かの碑の横には、2020年に開くと言うタイムカプセルが埋められている。
さて、この時に、村の姿はどうなっているであろうか?
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4.願船寺晩鐘 3.石神城春草 5.久慈川河口緑波
6.白方溜蛍影 12.住吉社寒霜 1.稲荷社杉風 2.冨士社晩霞
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