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国鉄特急 |
<本州〜九州>
あかつき〔AKATSUKI〕PC特急 ブルートレイン 2008年3月16日更新 2010年1月24日更新
<<特別企画>>の
大阪と九州を結ぶ、名門寝台特急、1965年10月1日に、新大阪〜西鹿児島、長崎間の20系による寝台特急として登場し、山陽新幹線が博多開業以前の1975年3月改正前までの約1年間は、あかつきの黄金時代で、実に7往復が運転されていました。あかつきはEF58(ヘッドマーク付)+20系の堂々たる編成もあり、当時の鉄道ファンを魅了しました。又運転区間も大阪、新大阪と西鹿児島、長崎、佐世保、熊本の九州各地を結んでいました。
下の写真は、こーちゃん様が撮影されて貴重な1968年頃の特急あかつきです。この頃の牽引機は、新大阪〜下関間が、EF65500番台でした。特急あかつきは、1965年10月に、関西地区では、初めての20系ブルートレインの寝台特急として登場しました。
大阪駅に到着する特急<あかつき>EF65502 1968年頃 こーちゃん様撮影
特急<あかつき>20系 大阪駅にて 1968年頃 こーちゃん様撮影
写真は、EF5860と並ぶ、山陽新幹線博多開業直前の黄金期の特急あかつきです。1975年3月に、デジアナ様が、撮影された貴重な写真を掲載しています。EF5860は、旧お召列車専用機で、塗装は、重厚なぶどう色2号、晩年は、一般列車を牽引していました。写真は前面窓が、Hゴム化前です。EF5831はEF58初期型のラストナンバーで、このEF58の並びは、壮観です。EF5860は、1983年に、EF5831は、1984年に、それぞれ廃止されました。
特急<あかつき>EF5831 大阪駅にて 1975年3月 デジアナ様撮影
下の写真は、1975年3月にデジアナ様が、撮影されたEF65 503牽引のあかつきです。この頃、運用の関係で、EF65 500番台やEF65 1000番台牽引のあかつきがたまに見られました。
特急<あかつき>EF65503 大阪駅にて 1975年3月 デジアナ様撮影
写真は向日町運転所内で待機するあかつきを牽引するEF58116、1974年9月に撮影。関西地区の寝台特急では1972年10月より往年の名機EF58が復活し、この頃、大阪、始発のブルートレインは全てEF58が牽引していました。
特急<あかつき>EF58116 向日町運転所にて 1974年9月撮影
下の写真は大阪駅に到着するあかつき、ヘッドマークはかなり傷んでいたが取付けられていました。このヘッドマークも1975年3月10日の改正時に取付けられなくなり、又同時に本数も3往復に半減、行先も長崎、佐世保に整理され、栄光も過去のものになってしまいました。
大阪駅に到着する特急<あかつき>EF5866 1974年10月撮影
写真はあかつき6号の20系の電源車カニ21、20系はこの時期、下り1、上り6号に使用され、電源車を含む、15両編成、あかつきの20系は1975年3月の改正で消滅し、14系と24系25型のみとなり、本数の削減、ヘッドマークの廃止、20系消滅により、魅力がなくなりました。又EF58の牽引も1979年6月末で引退し、EF65にバトンタッチされました。
特急<あかつき>20系カニ21 大阪駅にて 1974年10月撮影
大阪駅、10、11番ホームに並ぶ、EF58牽引のブルートレイン、手前はあかつき6号、EF58115+20系ナハネフ22、20系は国鉄時代の特急車両を代表する寝台客車で、それ以降の寝台客車では見なれない曲線美を有していました。
特急<あかつき>EF58+20系ナハネフ22 大阪駅1974年10月撮影
写真は20系編成のあかつき、独特の曲面のナハネフ22、向日町運転所にて、1974年9月撮影。
特急<あかつき>20系ナハネフ22 向日町運転所にて 1974年9月撮影
写真は24系のあかつき3号、電源車は新製されて間もないカニ24、大阪駅にて、1974年9月撮影。
特急<あかつき>カニ24 大阪駅にて 1974年10月撮影
写真は14系スハネフ14のあかつきです。大阪駅にて、1978年4月29日にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。この頃は、14系と24系の両方で3往復が運転されてました。
特急<あかつき>14系 大阪駅にて 1978年4月29日デジアナ様撮影。
写真は、DD51牽引ヘッドマーク付き門司駅に停車するあかつき3号です。1985年1月にCASA様が撮影された貴重な写真を掲載しています。1978年10月改正では、2往復の運転となったあかつきは、両列車共、長崎、佐世保への併結が行われ、この内、下り3号、上り2号の佐世保編成は、筑豊線経由となったため、佐世保編成は、門司〜佐世保間が、DD51牽引となりました。この筑豊本線経由の運転は、原田〜肥前山口間では同じ列車名が走り、西村京太郎のサスペンス小説にも登場しました。
特急<あかつき>DD51牽引ヘッドマーク付 門司にて 1985年1月CASA様撮影。
写真は14系15型スハネフ15のイラスト入りマークのあかつきです。摂津富田駅にて、1980年7月12日にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。この頃は、2往復とも、分散電源方式で、2段寝台の14系15型が、使用されていました。
特急<あかつき>14系15型 摂津富田駅にて 1980年7月12日デジアナ様撮影。
写真はEF65PF牽引ヘッドマーク付きのあかつきです。1985年3月にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。1984年2月1日からは、廃止されていたヘッドマークが復活しました。又2往復の内、1往復は、明星との併結運転になりました。更に、JR化直前の1986年11月改正では、新大阪〜長崎、佐世保間の1往復のみとなりました。
特急<あかつき>EF65PF牽引ヘッドマーク付 山崎にて 1985年3月14日デジアナ様撮影。
特急<あかつき>EF65PF牽引ヘッドマーク付 摂津富田駅にて 1985年3月24日デジアナ様撮影。
写真は明星との併結運転のあかつきです。写真の様な合体ヘッドマークが、初めて登場しました。デジアナ様が撮影されて貴重な写真を掲載しています。
特急<明星・あかつき>EF65PF牽引合体ヘッドマーク付 塚本駅にて デジアナ様撮影。
特急<明星・あかつき>EF65PF牽引合体ヘッドマーク付 山崎付近にて 1985年11月7日デジアナ様撮影。
あかつきはJR後、1往復のままの状態が続きましたが、2000年(平成12年)からは、 彗星 と併結され、佐世保行編成が廃止され京都−長崎間の1往復のみとなり、更に平成17年9月末で、彗星が廃止されたため、平成17年10月からは、 なは と併結され、かろうじて走り続けていました。
下の写真は、彗星との併結運転のあかつきです。運転区間は京都〜長崎間となりました。2005年にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
特急<彗星・あかつき>EF6647牽引 元町駅にて 2005年5月5日デジアナ様撮影。
特急<彗星・あかつき>EF6653牽引 塩屋付近にて 2005年6月26日デジアナ様撮影。
下の写真は、はなとの併結運転初日のあかつきです。2005年10月1日にデジアナ様が撮影された写真を掲載しています。
初日の特急<なは・あかつき> 元町駅にて 2005年10月1日デジアナ様撮影。
しかしながら、このなは・あかつきも終に乗客の減少により平成19年(2008年)3月15日で廃止される事が決定されました。
現在も走り続けるなは・あかつき大阪駅にて 2008年1月4日撮影
最後の冬、雪の中を走行するなは・あかつき、2008年1月27日、 おひろはん が撮影した写真を掲載しています。
雪の中を走行する特急<なは・あかつき>山崎にて 2008年1月27日おひろはん撮影。
そして、2008年3月15日、終に多くの鉄道ファンが見守る中、なは・あかつきは、最後の運転を行い、長い歴史にピリオドを打ちました。写真は最終日の上がりなは・あかつき、山崎にて撮影、終着の京都駅を目指し、最後の力走をするなは・あかつきです。最終のなは・あかつきは物悲しげな警笛を何度も鳴らし、目の前を通り過ぎて行きました。
最終日特急<なは・あかつき>山崎にて 2008年3月15日撮影。
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