このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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真夏のある日、寝台と急行を乗り継いで、高知県の窪川町に着いてのは昼前でした。預けてあったフレームザックを郵便局に取りに行き、ここからがスタートとなります。 よくみるとフレームザックの塗装面が禿げています。けっこう強くぶつけないと、こんな禿かたはしないなあと、郵便局の取扱いを残念と思いました。 小雨が降る中を、最初は国道を歩きましたが、これではつまらないので対岸にある道を選びました。じきに国道とぶつかるのですが・・ 沈下橋を初めて見たのは、国道とぶつかる橋の上からでした。おそらくこの橋は使われておらず、こういった橋も多いのかと思い知らされました。 国道を歩いていると、すぐ脇に水が流れていて、よく見ると小さな魚が泳いでいます。じっとはしていなくて直ぐに隠れてしまいます。こういった所にも魚がいるものなのかと四万十川の豊かさなのかなと感心してしまいます。 夏休みシーズンなのに、人力旅行者に会うことがないのは残念だなあと思った。今時はそういう旅行は流行らないのだろうか。 午後の4時頃になると、疲れがピークになる。これといって歩く練習もしないで来たツケかもしれません。雨も降ったりやんだり、気分も滅入ってきたので電車を使っての旅にしようと思いました。 国道から少し入ったところに(少しといっても歩きでは、ちと遠い感覚)、菊地川駅があり、この駅を選びました。時間も30分位待たなくてはなりませんでした。 電車に乗る時は後方からで、その時にキップを受け取り、帰りにお金と一緒に払うシステムです。電車からの風景は、歩いていればあそこの道を歩いていたんだなあと、自分の幻影と重ね合わせた風景でした。 西土佐村で下り、ここでの宿泊となりました。 この村には、家をそのまま貸す施設がありました。たしか1軒、4、5千円だったと思いますが。長逗留するのであれば、このような施設を借りるのもいいかなあと思います。途中、そのような家がありましたが、誰も利用していないようでした。 | ||||
翌日は一転して、快晴となった。台風が四国を避けて遠ざかったためだ。 晴れてくれたのは、とてもありがたいことなのだが、今度は暑くてたまりません。水分も大分取り入れなくてはならないので、自動販売機のたびに休憩するという感じになった。 ただし、道は国道を離れたせいか、牧歌的な風景となる。対岸だけを見れば、この風景は何百年と変わらぬ風景なのだと思う。 所々に、沈下橋があり、そのたびにその橋を見学した。台風の雨でだいぶ増量した水は濁りがすごくて、とても泳げる気分にはならなかった。夏に四万十川を選んだ理由は、泳ぐためというのがあったため、泳げないというのはとても残念だ。 足もだいぶ重くなった。10m歩くのでさえ容易ではなくなった。少し早めであったが、口屋内の民宿に泊まることにした。暑さのためテント泊する気分にもならなかった。 | ||||
翌日は、いよいよ歩く気分にならなかったので、荷物は宅配便で送り、レンタサイクルで四万十川を下ることにした。民宿のあばさんが、20㎞も走るなんて大変ねえと言われたが、一般の人には20㎞の自転車はけっこう大変なことなのかもしれない。 なんて自転車は楽なのだろう。荷物もないし、20㎞の行程なんてなんでもない。沈下橋では、ガキたちが飛び下りて泳いでいた。 いくつかの沈下橋を巡り、昼頃には中村市に到着してしまった。正直、味気ない。やはり、歩くべきだったかなあと自問自答。 何十年カ後、この旅はいい旅と思えるだろうか。楽をすると思い出は消えて行く。また行けばいいか!
歩きの旅を振り返ると、なんであんなに苦しかったのであろうかと思う。今、思えば不思議な感覚である。だからこそまた行ってしまうのでしょうが・・
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