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更新日 2009/1/26

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美鉄バス時代1-1三菱鉱業色その1

1.三菱鉱業時代の新製車
(1981−1988)

新生「美鉄バス」が三菱鉱業バスから引き継いだ車輌のうち,三菱鉱業(株)時代に新製された車輌を紹介します。1966〜67年のふそうMAR470型4両と,1968〜69年のふそうB805M型10両の計14両で,全車前扉のロマンスシート車ですが,うち6両がのちに中ドア増設・三方改造工事が施されました。

美鉄バス NO.59 (札2う1659) 美鉄バス本社車庫(1984年頃)
当保存会の 保存車 であるNO.59号の現役時代。大夕張で特急・急行線車として活躍後,美唄に戻り貸切予備車として余生を送った。経年ロマンス車は美唄所属の市街線(三方改造)車と大夕張所属の長距離線車に大別されるが,59号を含むMAR型ロマンス車はすべて長距離線用だった模様。車輌中央の黄色いマークは三菱鉱業時代の名残(中央に赤い三菱社章が描かれていた)。屋根の3連マーカーも残っている。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バス NO.62 (札2う1692) 美唄駅前(1984年頃)
70年代以降は市街路線車の新規採用がなくなり,経年前扉ロマンスを三方改造,中ドアを増設し市街路線に転用する方法を採った。1968年度新製のロマンス車5両(NO.62〜NO.66)はすべて三方改造車となり,80年代中頃まで活躍した。車輌型式はふそうB805M(呉羽自工)で,1969年式と合わせて10両在籍した。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バス NO.63 (札2う1693) 美鉄バス本社車庫(1984年頃)
上のNO.62号と同型の三方改造車で,中ドア横には車掌台も設けられたワン・ツーマンである。美唄市内では1974(昭49)年に美唄炭山線が,1979(昭54)年に南美唄線がワンマン化されているが,それまでは同車でのツーマン運用も見ることが出来たのかも知れない。記録では中扉ツーマン車も1978(昭53)年頃まで在籍したことになっている。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バス NO.68 (札2う1729) 美鉄バス本社車庫(1984年頃)
上の2両の1年半後に採用された1969年式は同型式ながらHゴムの色など細部が異なる。同型5両(NO.68〜NO.72)だがNO.71号のみ三方改造,他の4両は大夕張営業所で特急・急行線用として活躍した。写真のNO.68号は59号と同様美唄に戻って来たようだが,方向幕に「貸切」,中央部に「前乗り」表記で流用車的な存在か。 三菱鉱業時代の黄色いマークは最後まで残っていたようである。
(写真提供:府川文彦様)


2.三菱鉱業セメント時代の新製車
(1981−1998)

三菱鉱業セメント(株)は,1973(昭48)年4月に三菱鉱業と三菱セメント,豊国セメントが合併して出来た会社で,三菱鉱業セメント時代とはこの年より美鉄バス(株)が分社化される1981(昭56)年9月までの時期です。この時期は合計9両の貸切新車が入り,全車美鉄バスへ移管されました。


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美鉄バス NO.75 (札22あ・892) 1990年頃? 大夕張車庫
5年ぶりに投入された貸切車はほぼ同形式(B805N)ながらリクライニングシートつきで,外観も前面庇(ひさし)のボデー一体化,側面窓幅の拡大など細部が異なる。写真の75号も美鉄時代は路線車となり前面・側面のワンマン灯,車外スピーカ,手持ち式運賃箱が装備されていることがわかるが,68号にあるような前面「前乗り」の表記はのちに撤去されたものか。次項76号,78号と共に,年式に比して車輌状態がよいようだ。
(撮影:坂井)

美鉄バス NO.76 (札22あ・889) 1987年7月 大夕張車庫
上のNO.75号と同時に導入された1974年式貸切車4両のうちの1両。前年末までに美唄炭山,大夕張砿業所(鹿島)が相次いで閉山し,厳しい環境の中5年ぶりの新車投入だった。当時はまだ「路線顔」と呼ばれる前面方向幕つきの観光車も珍しくなかった。76号は美鉄移行後も貸切時代(美唄)と路線時代(大夕張)の両方があった模様。僚車のうち最後まで生き残った車で,1992年頃に車齢18年余りで引退した。
(写真提供:奥山道紀様〜一部トリミング)


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美鉄バス NO.78 (札22あ・890) 1990年頃? 大夕張車庫
三菱(鉱)バス NO.78 号の美鉄時代。方向幕「清水沢」表記は急行・清水沢線であるが,本来は左側系統幕に「特急」「急行」などの種別表記がなされていた。公式側(上)写真,後方窓下にはスキー搬入用のガイドレールが見えるが,北海道ではなじみ深い仕様。非公式側(下)写真の背後にある社屋(車庫)の様子がわかる写真が少ないが,三菱バス時代は屋根上に社名看板があったらしい。かつては右奥に炭砿病院の建物が見えていたはずである。
(撮影:坂井)

美鉄バス NO.79 (札22あ1993) 1993年4月 大夕張車庫
1978年春に導入された,3両の貸切車のうちの1両。MS513系は305PSの高出力でリクライニングシート車,前面は拡大窓が採用されたが非冷房車。この頃はまだ多くの道内事業者で非冷房貸切車が導入されていた。写真は大夕張営業所転属後の姿であるが,路線車初期はベゼル中央の行灯に行き先を表示していたようである。
(撮影:今井)

美鉄バス NO.79 (札22あ1993) 1997年8月 大夕張車庫
79号大夕張時代晩年の姿。ドア横に「ワンマン出入口」の表記があり,路線車であることがわかる。末期はベゼル中央の行灯は「美鉄バス」で,行き先は向かって窓右上に表示された。 最終日に 大夕張さよなら車輌 として無料運行で走ったのもこの車で,当時の新聞などで鹿島地区の様子と共に報道された。
(写真提供:徳田潤様)

美鉄バス NO.80 (札22あ1994) 1990年代? 清水沢駅前
NO.79と同時に新製導入され,こちらも当初は貸切車であったが1985年頃に大夕張営業所へ転属,特急・急行用の路線車として活躍した。ホイールカバーが装着されていることから,路線転用直後(80年代)の撮影かも知れない。行き先表示「大夕張」では札幌特急線か夕張急行線か区別がつかない。南部線,清水沢急行線は「大夕張車庫」の表記だったはずであるが,駅前〜車庫間が廃止されている可能性もある。
(写真提供:府川文彦様)

美鉄バス NO.80 (札22あ1994) 1993年4月 新光町〜北菱間(推定)
NO.80号の特急・札幌線運行時の姿。先の NO.76 号とその僚車の廃車に伴い,90年代はNO.79〜81の3両と エルム観光移籍車(NO.73,84) が大夕張管内特急・急行線の主力となった。向かって窓右上に「ワンマン」表記が見えるが,行き先表示方法を変更した際に撤去されたものか。80号は大夕張閉所を待たず一足先に引退となったようである。
(撮影:今井)

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