このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ここでは美鉄バス時代(1981〜)の大夕張営業所所管系統路線図を掲載します。80年代以降は炭砿事故や閉山のあおりを受けて暫時縮小傾向となり,1986(昭和61)年に休止中の常盤線・明石線の廃止,翌年の南部線廃止,1991(平成3)年の菊水町線廃止と続きます。その後シューパロダム建設に伴う大夕張(鹿島)地区住民移動に伴い,1996(平成8)年には札幌特急線が廃止となり,1997(平成9)年11月大夕張管内全線が廃止となりました。 なお大夕張管内の
時刻表
も併せてご覧ください。 −2012.5.2 新規公開− |
美鉄バス路線概念図 美鉄バス移管時 大夕張営業所管内 (1981.9)
→時刻表
美鉄バス移管時の路線概念図。路線系統そのものは70年代を通じて大きな変化はないが,大夕張砿業所(鹿島)閉山ののちは山内線(常盤線・明石線)は休止状態であることが多く,美鉄バス移管後も千年町〜中学校前,明石町駅前〜明石町間は休止扱いのまま1986(昭和61)年まで存続した。 |
美鉄バス路線図 昭和59年8月6日改正 大夕張営業所管内 (1984.8) この改正ダイヤは停留所名の変更が主なもので,大夕張営業所管内では5箇所が変更となった(以下一覧参照)。ただし「車庫前」は 1969(昭和44)年11月改正ダイヤ から,また「遠幌」は 1974(昭和49)年1月ダイヤ 以降,「吉ノ沢」(ないし「吉野沢」)は 1981(昭和56)年9月ダイヤ 以降の時刻表ですでに使われていることから,実際の停留所名変更と変更申請の時期が異なる可能性がある。大夕張駅前→大夕張の改称は 1981(昭和56)年12月改正ダイヤ 以前であるらしい。停留所名変更以外には南部線の保育所前系統(病院前〜保育所前〜大夕張間)が廃止されているが,これは1983(昭和58)年冬ダイヤの南部線減便時のものか。常盤線・明石線は休止路線のためか記載がない。
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美鉄バス路線図 昭和62年7月22日改正 大夕張営業所管内 (1987.7)
→時刻表
この改正ダイヤでは「岳見住宅前」バス停が新設されている。同地では1985(昭和60)年末に夕張市営改良住宅が建設され,住民より強い要請があったとのこと。申請書では「夕張鉄道(株)と協議の上」とあり,夕鉄路線と同時設置だったようである。ちなみに 1986(昭和61)年1月ダイヤ にある「岳見町」は夕鉄バスに同名の停留所があるが,美鉄バスでは設置された形跡がない。また前回改正となったはずの「遠幌」は路線図では旧名「遠幌駅前」のままになっているが,誤記(訂正を失念)と思われる。さらに「夕張神社」は旧名「夕張駅前」,「病院前」「診療所前」も旧来のままだが,誤記なのかこれより後の正式申請なのか不明である。ちなみに夕鉄バスでは1986(昭和61)年1月改正時刻表から「夕張神社前」表記に改められている( 各駅倉庫 サイト「夕鉄バス」項目を参照)。
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美鉄バス路線図 平成3年2月1日改正 大夕張営業所管内 (1991.2)
→時刻表
三菱南大夕張炭砿閉山に伴う初の大規模な改正で,南部〜菊水町間,車庫前〜大夕張間系統廃止に伴い菊水町,車庫前他7つの停留所が廃止となっている。 車庫前〜大夕張間は1956(昭和31)年山内バス運行以来の区間で,同区間の廃止により大夕張営業所開設以来の停留所は大夕張駅前,宝町,千年町の3つになった。営業所すぐ横にあった旧炭砿病院(診療所)の建物もこの頃には無くなっていたようである。 南部〜菊水町間は1969(昭和44)年に南大夕張炭砿採炭開始に先立って菊水・青葉住宅沿線の輸送のために開設されたが,同砿の盛衰と運命を共にし21年の歴史に幕を閉じた。
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美鉄バス路線図 平成7年12月1日改正 大夕張営業所管内 (1995.12)
→時刻表
前記の大幅ダイヤ改正後も停留所の改廃が続いている。「三菱南大夕張」の停名改称が閉山時でなく5年後のダイヤであったこと,また改名後の「シューパロダム」はまだ着工したばかりで未完成の施設名を冠しているという点でも注意を惹かれる。 「幌南中学校前」はもともと夕鉄バス南部線にのみ設置のあった停留所だが,「北菱」停留所廃止時にその代替として美鉄で新たに設置した模様。夕張北高の閉校は1994(平成6)年3月,市民健康広場については 夕張市体育施設設置条例 (平成6年7月1日条例第31号)に記載がある。北菱鹿島炭砿の閉山は1972(昭和47)年である。
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美鉄バス路線図 平成8年12月1日改正 大夕張営業所管内 (1996.12)
→時刻表
大夕張営業所最後の改正路線図は札幌特急線廃止時のもの。札幌線は1965(昭和40)年12月開設以来31年の歴史に幕を閉じることになったが,路線規模は 昭和37年10月改正ダイヤ とほぼ同じ規模となった。停留所名の変更はなし。上記の路線図すべてで「遠幌駅前」の記載のままだが昭和59年8月ダイヤから「遠幌」に正式改称されているのは上述の通りである。
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