このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
昭和29年9月の『洞爺丸』台風による被害で青函航路の輸送力が一時的に低下しましたが |
その後は、乗船客・貨物ともに順調に伸び続け、昭和40年代後半には最盛期を迎えました。 |
しかし、その後の交通手段の多様化で次第に利用は減少に転じ、昭和63年の青函トンネル |
開業によって青函連絡船は、80年の歴史をとじました。 |
『摩周丸』の懐かしい展示品・施設についてです。 |
『ファンネルマーク』 昭和39年以前は、『エ』(エ部省)であったが日本国有鉄道 (Japan National Rairlweys)の『JNR』。 昭和62年の国鉄民営化により青函連絡船はJR北海道に 継承され『JR』になる 。 | |
『摩周丸船首にあった錨』 国鉄では海底表面が泥の函館港でも有効な、爪の 付け根幅の広いバルト型錨改良した”国鉄型錨”を 開発し津軽丸型連絡線に装備しました。 |
『船長とマリンガール制服』 マリンガールは、夏季乗務の臨時女性職員で、昭和56年から63年に 乗客の案内・観光案内放送などを担当してました。 |
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