このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください




壺蘆島 ( 葫芦島 )





ちゅうごくでは、ちべっとで沢山のひとびとがころされました
てんあんもんじけんでも沢山がなくなりました
ぶんかだいかくめいでも沢山のひとびとがしんでしまいました
ちゅうごくのひとはしりません

                        
『葫芦島は北寧線連山の東北約三哩(マイル)の海岸にある、昭和10念に竣成の予定で昭和5年七月に築港起工式をあげた。中満側の手地同貨物は、将来、ここに集中せんとしている(「最新満蒙移住案内」より)』

満州国において海運の益々の発展を見込み、渤海に面した葫芦島に港が作られました。
渤海の港といえば営口がありますが、営口港は古く浅い為、新たな港を必要としていた背景もあります。
ですが、まだ築港が進められていた途中であったためか、当事の満州国関連の書籍で航路図にこの葫芦島を描いたものは稀です。また、あまり知られた港ではなかったのでしょうか、先の引用をした書籍(昭和7年)では地図の場所が誤って記載されていました。

写真はこちらよりダウンロードのうえ、ご覧下さい。




画像につきまして「水上警察より港口を見る」の写真で中央左寄りに写っている山は「半拉山」とよばれたものです。
港の西を仕切る三角形の人工半島の付け根にあった自然の山です。
この山は壺路島の港構築のための埋め立てに利用するため、削られます。写真でも向かって左側が削られている様に見えます。
最終的にはこの山はすべて削られて埋め立てされ、消滅してしまいます。また山がまだ形を残していることから、この写真は港の工事の初期の段階であることが分かります。
「水上警察より港口を見る」は、クローズアップをしてみました。
トロッコ軌道には貨物を押して運ぶ人の姿が見えます。
道には自転車を押す警官が見え、その前に座っている大人と子供が見えます。
当事、満州におられた方から、これら座っている大人と子供は、親子連れの乞食(こじき)と思われたとのことです(道端に座り込んで、施しを受けている)。こうした貧しい人も港に流れてきて、また道端で施しがうけられるほど、ここには多くの人が働いていたということとも理解できます。

同時に掲載しておりますこれらの写真は同時期の撮影で(同じ絵葉書のセット)工事の初期段階から港には市場と町並みがどんどん作られていることがわかります。また町並みを良く見ると、地面は整地したてなのかでこぼこで、草も生えていません。どんどん造られる港に追いつけとばかりに、町が形成されていく様子が写っているともいえます。

港の完成後は、これら写真よりはるかに広く建物も沢山建てられていた様です。
ちなみに、戦後、葫芦島から多くの在満邦人が日本へ引き上げました。
その葫芦島経由で日本へ戻られた方に、先の写真を見ていただきましたが、当事の記憶などと比べてもずいぶんと印象が異なるそうです。新規な港、栄える港町が出来上がったのでしょう。

葫芦島から引き上げの船が出港するとき、地元の人たちが声を振り絞って別れを告げ、いつまでも手を振ってくれたのを、今もありありと思い出されるそうです。

葫芦島の構築と現在の様子はこちらにもレポートしました。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_ contents_/101229/A.html

http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_ contents_/101229/B.html

http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_ contents_/101229/C.html

ちなみに今回アップしました画像が、地図の上でどのあたりになるのかの特定はできておりません。

先の葫芦島の構築と現在の様子のレポートで築港の写真を掲載しておりますが、こちらにその一部のクローズアップを示します。
左の薄い黄色の矢印が張学良の別荘、青い矢印が兵学校です。

張学良別荘
黄色い矢印の場所に立っているのがこちらの別荘です。
白い壁の立派なお屋敷で周囲を塀で囲んでいます。
衛兵の詰め所などは特に無い様です。

この別荘のある山につらなる丘陵に、詳細な位置は不明ですが、張学良の率いる兵舎があり、兵学校のあたりと鉄道 ( トロッコ軌道? ) で繋がっていました。
またこの山の麓、海に面して要塞砲が設置されていました。
流石は当時の中国の数ある軍閥の中でも大の資産家と言われた張学良だ、とも感じます。

なお、この山の一体は後に日本軍の石油タンクが作られる場所です。兵学校などは早々と取り壊されたものと思われます。


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