名古の展望
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  八丈島の見所スポット林道探索の書 〜今日もどこかで林道ざんまい〜 
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     1名古の展望
     2 洞輪沢港
     3 汐間海岸
     4 八丈島灯台
     5 尾越の水汲場
     6 丹娜婆の墓
     7 ポットホール

名古の展望台とレストハウス

八丈島のダイナミックな海岸美が味わえる洞輪沢の上にある展望台です。晴天の時は、はるか南方洋上に青ヶ島を望むことができ、ここからの眺めは八丈八景の一つ名古秋月に選定されています。名古と呼ばれたこの場所は月の観賞に最適だったらしく、秋の夜空に浮かぶ月が唄われたのが名古秋月です。

都道沿いの駐車場から海岸方向に進むと断崖に面した展望台が現れて、そこに廃墟じみたレストハウスの建物がありました。この場所は以前は島内を回る定期観光バスのコースに組み込まれていたそうですが、現在は定期観光バスそのものが廃止されてありません。ボロボロなレストハウスは観光客で賑わった頃の名残りですね。

時代の流れで観光客は減少、的観光バスも廃止されて久しいですが、しかし、ここから眺める景色の素晴らしさは今も変わりません。島内巡りの観光客のほとんどのが訪れる人気のビュースポットです。






八丈八景の一つ「名古秋月」の案内板が立つ

名古秋月(なこしゅうげつ)
末吉の洞輪沢一帯を名古と呼ぶ。洞輪沢は小さな漁港に過ぎないが、
汐間温泉が湧出し、名古の滝があり、
人家の周辺を清水が取り巻いていて、まさに仙境とも言うべき所である。
八丈路小間の最南端に位置し、名月観賞の最適の場所として八丈八景に選ばれている。

思ふどち いざ見に行かん 洞輪沢 波間を照らす 秋の夜の月
菊池 武真






八丈島にも特攻という戦争の悲惨な過去が・・・

                  碑文
ここ、 展望台の真下、 八丈町洞輪沢と石積みの地は、 太平洋戦争が風雲急を告げる昭和20(1945)年3月、 八丈島防衛に備え、 海軍の特攻兵機震洋艇50隻と、 祖国の礎たらんと自ら志願した部隊長吉田義彦大尉以下189名の隊員が、 民家に分宿し、末吉区民及び海陸軍部隊の熱烈な支援を受けながら、 一艇一艦体当たりの肉弾攻撃敢行を決意し、日夜猛訓練に励み過ごした第16震洋特別攻撃隊の基地跡である。

第16震洋特別攻撃隊は、 昭和19 (1944) 年9月横須賀海軍水雷学校において編成され、搭乗員53名は、 海軍兵学校、 兵科予備学生、 特攻術准士官、 飛行予科練習生(若干17〜18歳)、 出身の精鋭であり、 整備隊員、 基地隊員には歴戦のベテラン隊員36名が配された部隊である。

震洋艇とは、 長さ5メートルの木製モーターボートの艇首に250キロの炸薬を搭載し、敵艦船に高速で体当りし、 搭乗員自らも爆死するという特攻兵機であり、 当時の海軍は、この震洋特別攻撃隊に限りなき期待を寄せていた。

昭和19(1944)年11月第16震洋特別攻撃隊に、小笠原諸島母島への出撃命令が下り、基地準備隊員は直ちに出発したが、輸送船寿山丸は父島沖で敵潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没、先発隊員57名が戦死した。

部隊再編成のあと、こんどは硫黄島への出撃命令が下ったが、同島は敵上陸作戦中の大激戦地であり出撃中止となった。 そして昭和20 (1945) 年3月本土決戦最初の砦と言われた八丈島に布陣したのである。

しかし、 昭和20(1945)年8月15日終戦の詔勅が下り、 ここに、 熱い、長い、太平洋戦争が終結したのである。 あれから数えて41年の歳月が流れた、 日本はいま驚異的な経済成長を遂げ、自由と平和の民主国家として栄えている。

赤道より、フイリッピン、台湾、日本の太平洋岸を経て、この展望台眼下を通り、アメリカにまで流れている海の中の川・黒潮、その黒潮に思いを馳せる時、かつて祖国に殉じた多数の兵士が、戦争の犠牲者が彷彿として偲ばれるのである。当時の戦歴を刻み、戦死した友の霊を奉祭し、心から悠久の平和を祈願するものである。

         昭和61(1986)年10月 震洋八丈会建之






建物の中にはテーブルと椅子があるだけ・・・

展望台前のレストハウスに入ってみます。時代がかったテーブルが2卓と緑とオレンジの椅子あり、壁にはポスターと写真が、部屋の隅には牛の角やらがショーケースに入れられているだけでした。

ガランとしてなにもありませんが、画像には写っていませんが、電源の入った自販機が1台置かれていたことから、建物は休憩所として解放されているらしく、ここは廃墟というわけでもないみたいです。






以前は観光客相手に軽食も出していたのでしょうか?

もう一部屋あったので覗いてみました。こちらは一段と廃墟っぽい雰囲気ですが、奥に厨房がありました。レストハウスとして営業していた時に、ここで観光客相手にラーメンとかカレーライスとか出していたのでしょうか?

一応、自由に腰掛けて休めるようですが、さすがにここでお弁当を広げて休憩する気にはちょっとなれないな。やたら埃っぽくて廃墟の一歩手前状態でした。






 ツボはカラッポでした・・・残念!

レストハウスの正面入口に脇にはこんな物がありました。蛇口の取り付けられた島酒のツボです。以前は立ち寄った観光客に無料でツボから焼酎が振る舞われていたとか。

なんともおおらかで気前のよいことですが、もちろん今はカラッポ。蛇口をひねっても酒はも出てきません。焼酎の入っていたツボには「嶋酎 情け嶋 優しく押し一盃受けてくれ! 笑いながら呑めば甚だ益あり。」と記されていました。






レストハウスの先には見晴らしの良さそうな展望台が!

レストハウスの建物からさらに続く小径を進むと展望台がありました。シュロの樹木に囲まれた開放的な木造の展望です。レストハウスの前からでも景色は望めますが、ここからならば、さらに素晴らしい景色が眺められそうです!






太平洋に面した洞輪沢港の澄んだ海が最高にきれい!

おお、これは素晴らしい! 展望台から左手には洞輪沢(ぼらわさわ)の港と、その先に続く汐間海岸、そしてその先には八丈島で最南端に位置する小岩戸ヶ鼻の半島がバッチリ見えています。晴れていれば吹き渡る海風が最高に清々しいですよ。

紺碧に輝く海に面した洞輪沢の小さな港の景観はとても美しく、必ずや見とれてしまうことでしょう。八丈島ではぜひとも訪れておきたいュースポットです。






展望台からは八丈島最南端の岬の様子がダイナミックに!

八丈島最南端の小岩戸ヶ鼻方向をさらに眺めてみます。手前の海岸沿いに道の続く辺りが汐間海岸で、沖合にポツンと頭和田して白波立っているのがウロウ根の岩礁。そして半島の先端部が小岩戸ヶ鼻で、その沖には小さく白波立つ沖の根も確認できました。

太平洋に大きく突き出た半島の高さは実に200mにも及びますが、 そこには八丈島の林道探索では絶対に見逃せないダートの 東山林道 が延びているんですね。






果てしなく広い海の前ではちっぽけに見えてしまう八丈島灯台

おお、あれは八丈島灯台じゃないですか! 展望台から右方向を眺めると、海に突き出た石積ヶ鼻にある灯台の白い塔が見えていました。紺碧に広がる大海原の水平線と、緑に覆われた石積ヶ鼻、そして白い灯台の建物のコントラストがとてもきれい!

なお、 眺めている水平線の正面遥か先は、 本州から1800kmも離れた日本最東端の南鳥島(マーカス島)が位置する方向。そしてその先には島もないまま南米大陸までひたすら広大な海が広がっているだけだと思うと、海の広さに身震いする思い! 海の景色の美しさもさることながら、太平洋の広大無比な広さをも実感できることでしょう。

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