このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

クレメ・ダンジェ〜「王様のティ」より〜
貴婦人気分になる為のお話。

ロココ・スタイル

ルイ14世朝までオランダ風のスタイルが主流だったフランスは、ルイ15世・ルイ16世時代にロココ・スタイルを開花。当時のヨーロッパの流行の中心となりました。
18世紀のフランスを代表する貴婦人の服装といえば、細い腰、大きく広がったスカート、高く結い上げた髪。白い肌には紅がはたかれ、その白さを強調する為に浮き出た血管を思わせるような青い線を書き込む事もありました。ルイ16世の王妃マリー・アントワネットに代表され、1780年くらいまで続きました。その後、華美に飽いた人々は簡素化されたイギリス風スタイルに注目し、フランス革命を迎えるのです。

■ローブ・ア・ラ・フランセーズ「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」とは「フランス風ローブ(ドレス)」のこと。
フランスの正式な宮廷衣装です。細い胴、広がったスカートが特徴で、ローブはガウンのように羽織る形でした。布地にはリボンやレース、刺繍などが施されました。袖はタイト・スリーブ、袖口にはアンガジャントをつけました。
靴は17世紀に現れたハイヒールを継続しています。ハイヒールはドレスの裾を汚さない為に考えられたといわれ、全体的に高めに作られていました。革命中、高いヒールは貴族の象徴として民衆から疎外され、踵が低いサポ(木靴)と呼ばれる靴が取り入れられました。

 
資料1 資料2
■コルセットその誕生はルネサンス期。しかしそれ以前にも貴婦人達は胴を細く見せる為に努力をしていたようです。コルセットには鉄、布など様々な素材があり、鯨髭などのはり骨を入れ、貴婦人個人の体格に合わせたものが男性の手によって作られていました。きつく締めたコルセットの為に、貧血で倒れる貴婦人の姿もありましたが、その「か弱さ」が彼らの理想でもあったのです。因みに過剰に締めすぎたが故に骨が折れ命を落とした貴婦人もいたのだとか。勿論、少女期から続く長年の着用は骨を変形させました。
因みにコルセットは貴婦人だけのものではありませんでした。美しい細い腰への憧れは男女共有のものだったのです。コルセットは前締め、後ろ締め、横締めなどのスタイルがありましたが、18世紀後半では後ろ締めが主流で、他人の手を借りて締められました。妊婦は横締めのコルセットを着用しました。
フランス革命後、コルセットはパニエと共に貴婦人から追放され、直線的なエンパイヤ・スタイルが主流となりましたが、再び復活する事になります。「コルセット」という呼び名は19世紀になってからのもので、この頃は「コール・バレネ」(鯨骨を使った胴着、の意)と呼ばれていました。

 資料3
■パニエ(フープ)■意味はフランス語で「とりかご」。ドレスの裾に広がりをもたせる為に使われた道具です。
パニエ全盛期、フランスでは貴族だけではなく身分が低い女性達の間にもパニエが広がっていたといいます。
イギリスから渡来したという説もあり、18世紀には麻や綿布に鯨髭などのはり骨を取り付けたものが主流となりました。
その原型は15世紀後半のスペインに現れた円錐形のヴェルデュガド(後のヴェルテュガダン、英語ではファージンゲール)とされています。その他にもフランス独自に開発された道具もありましたが、一時廃れ、パニエの登場以前はスカートを重ねたり、布を後ろでたくし上げる事によってふわりと見せていたようです。パニエは始め釣鐘形や円錐形でしたが、その後横広がりの楕円形となり、広がりと軽さを備え両サイドに分かれたパニエ・ドゥブル(サイド・フープ)が現れました。80年代になると横広がりのパニエは実用的な英国風ローブの影響を受け、縮小され後ろ側に移動していきます。これはキュ・ド・クラン(腰あて)と呼ばれました。
革命後、パニエが取り払われ、貴婦人達のウエストは胸元近くのハイウエストとなりました。
 
→資料4
■ピエス・デストマ(ストマッカー)ローブの袷(正面部分)を蔽う逆三角形の胸衣のこと。前明きのローブを着用の場合に必要で、共布を使った物や別布で豪奢な装飾がついた物などが作られました。
■ジュップ(ペチコート)ローブの下、パニエの上に着る下重ねのスカートです。
17世紀には3枚のスカートを重ね着し、内側が「スクレット」、その上が「フリポンヌ」、外側(一番上)が「モデスト」と呼ばれました。それぞれ「秘密」「軽薄」「上品」の意味があります。18世紀の形式でも一番外側にあたる部分はローブの間から見えることから、布選びには重要視されました。
■髪型フランスでパンが不足していた原因の一つが、貴族達の髪粉として小麦粉や澱粉などを使っていた事。男性も女性も髪を白く見せる為、巻き上げた髪のピンを隠す為、そして汚れをごまかす為に沢山ふりかけたものでした。これらの髪粉は専用の部屋で下僕によってふりかけられたといいます。
フランスの貴婦人達の髪が高く奇抜なものになっていったのは1760年代で、70年代に最大となりました。貴婦人達の結髪は大変で、専門の髪結い師がこれにあたり、一度結われると1〜2週間はその形を保たねばならなりませんでした。同時にこの時代に男女問わず流行したのが鬘の着用です。鬘は薄毛で悩むルイ13世が採用したのが始まりとされ、背丈が小さかったルイ14世もこれを奨励。以来約1世紀に渡り貴族達の身だしなみの一つとなりました。
ローブと共に髪型も変わっていったのですが、80年代になるとファッションは英国風になり、次第にこの髪も低くなっていきます。
■ムーシュ(パッチ)つけぼくろの事で「蝿」の意味。元々は古代ローマ時代の膏薬だったもの。
男女の関係なく使用され、コントラストにより肌の白さを強調させる為、天然痘などで痘痕になった部分を隠す為、またその装着位置で意味をなしたりと様々な用途がありました。素材はビロードや絹、サテン、タフタ、紙などで専用の箱に入れられ、使用する時は糊で顔面に貼りました。

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