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勿来軌道 4

〜川部へ〜

 

 

 

源助町の喧騒を後にした勿来軌道は、川部に向けて進む。

 

窪田の市街地から川部村の間は民家も少なく、旅客輸送には重きを置かれていなかったようだ。

 

勿来軌道開通以来、窪田と川部の村境には中小の炭鉱が現れては消えていった。

 

自前の炭鉱を所有しない勿来軌道の経営は炭鉱の出炭量に大きく左右された。

 

 

 

 

 

 

 

暫く進むとY字路が見えてきた。

 

右側に進む道は昔からこの地に通じていた街道である。本来はこちらの道に軌道を敷く予定であった。

 

左に別れる道は勿来軌道の専用軌道敷として作られた道(道床)を由来とする。

 

街道(県道)上に軌道を敷設することによって建設費の圧縮を図ったはずの勿来軌道であるが、当時の株主 中野喜三郎氏が村境で炭鉱開発を目論んでいた事や、元の街道上に軌道を敷設すると拡幅工事や崩落防止工事を行なわなければならない…等々の理由で専用の軌道敷が作られる事になったと言う。

 

 

 

 

常磐交通バス停「上り途」。

 

この付近に勿来軌道の「白米」(しろよね)停車場があったと言う。

 

信号機のあるY字交差点。左に分かれる道は県道10号 日立いわき線である。

直進するのは旧国道289号。勿来軌道である。

 

 

 

 

 

 

 

 

県道10号と別れた後の旧国道289号はめっきりと交通量が減った。

 

市街地を大きく外れた場所に作られた現在の国道289号勿来バイパスにほぼ全ての車は流れていった。

 

綺麗なカーブの手前で足を止め、馬が石炭を満載した貨車を牽いてくる様子を想像してみた。

 

 

 

 

 

 

 

 

HPを開設して以来、私は何度常磐自動車道の下をくぐった事だろう。

 

こうやって高架の下をくぐる度に、遥か昔に展開したであろう光景を想像する。

 

昔は馬車のラッパの音、今は舗装道路とタイヤのせめぎ合う音が一帯に響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

常磐自動車道をくぐり抜けた289号はこれまでの緩い上り坂から僅かに下りに転じる。

 

と同時にこれまでの2車線道路は一段階狭く絞りこまれる。

 

勿来軌道当時の風景を思い起こさせる光景が展開する期待が高まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「207」

 

国道289号線起点の新潟市より207kmと言う意味であろうか。

 

国道289号線は国道指定以来、「甲子峠」と「八十里越」と言う2つの難所により分断されていたが、平成20年9月にその一方を解消する「甲子トンネル」が開通した。

平成30年の開通が予定されている「八十里越トンネル」が開通すれば、晴れて勿来〜燕市新潟市が一本で繋がるのである。

 

 

 

 

 

 

僅かな下りも束の間、289号は再び上りに転じる。森林鉄道のような雰囲気になってきた。

 

道の両側が切り開かれている。鉄道由来と言われればなるほどそうかと思う程度の物ではあるが。

 

左側がコンクリで補強されている場所がある。

 

これは勿来軌道に2つ存在したとされる隧道の内の一つの跡であると思われる。

 

ここでは便宜上、「隧道1」と呼ぶ事にする。

 

 

 

 

 

隧道1は勿来軌道廃止後、暫くはそのままにされていたと思われる。

 

車道化の際に切り開かれたのだろう。

 

軌道時代はどのような隧道だったのだろうか。

 

坑門や扁額などは存在していたのだろうか。幅や高さはどれほどあったのだろうか。

 

浪江森林鉄道の大笹隧道 のようにワイルドなルックスだったのだろうか。

 

想像は尽きない。

 

 

 

道の脇には石を積み上げ、斜面を補強している場所が見受けられた。

 

隧道の坑口を守るための石垣だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズバッと切れ込む右ブラインドカーブ。

 

元々が鉄道敷だっただけあり、車が走るにはいささか不都合な線形に見える。

 

先が見通せないのだ。

 

地元の方の自動車は結構なスピードで突っ込んでくる。

 

 

 

 

 

 

 

常磐交通バス停「三沢」付近。

 

三沢町と呼ばれるこの一帯がかつて中小炭鉱が興亡した地区だと言う。

 

山一つ向こうには 大日本炭鉱新鉱 城炭鉱三松鉱業所 などの中堅、大手炭鉱も存在していた。

 

画像の中央辺り、右から合流する道は先ほど窪田町の外れで別れた元の街道である。

 

 

 

 

 

 

 

三沢地区を抜けると再び道は登りに転じる。

 

先ほど見た「隧道1」と同じ様な光景が見えた。

 

ここが勿来軌道2つ目の隧道、「隧道2」が存在した場所と考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道2が存在したと思われる場所の法面は一面のコンクリートによる補強工事が成されていた。

 

高さは20m程であろうか。

 

これだけの高さの山を切り開くわけには行かなかったのだろう。隧道を穿つほうが遥かに工費が安く上がる事は容易に想像がつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

道路脇の斜面には、隧道1と同じ様に石を積み上げて補強している場所が見られた。

 

石垣以外に隧道を想起させる痕跡は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道の2少し先には「馬頭観世音」が鎮座していた。

 

「大正八年」とだけ読み取れた。

 

大正8(1919)年と言えば、勿来軌道の絶頂期であり、旅客、貨物共開業以来最高の成績を残した年である。

 

川部村の人が建立したのであろうか。

 

 

 

 

 

 

軌道は川部村に向かって下っていく。

 

カーブの脇にはかつて「広部炭鉱」があったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川部村の中心部に入ったようだ。

 

画像中央の道路が軌道跡と思いきや、どうもそうではないらしい。

 

軌道は画像左側の民家の建っているあたりに敷設されていたものと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いわき川部郵便局」

 

郵便局の裏手あたりに勿来軌道の終点「小川停車場」があったと思われる。

 

周辺を見回ってみたが、軌道の痕跡らしき物は見られなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郵便局のすぐ先には四時川が流れていた。

 

勿来軌道が越えなかった四時川を現代土木はいとも簡単に克服し、国道289号四時大橋がその威容を川部の人々に見せ付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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