このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
大日本炭鉱新鉱専用軌道 2
蛭田川(びんだがわ)を渡り、蛭田川橋梁が架かっていた場所の反対側に来た。
蛭田川の中には橋台などの痕跡は見られない。
この位置から対岸を見ると軌道が通じていたとは思えない景色だ。
川を背にすると、軌道跡は舗装された2車線の道路になっていた。
窪田地区から国道6号線に抜ける車が通るので交通量は意外に多い。
画像右手に見えるのはレジナス化成㈱いわき工場。エポキシ接着剤などを製造する工場だ。
「工場萌え」…というタイトルの本がある。ネット時代の趣味の多様化は私の想像の範囲を遥かに超えている。
目前に見える工場は「工場萌え」の貴兄を充分満足させるに違いない。
良い工場っぷりだろう。
工場の正体は㈱クレハ いわき事業所(いわき工場)であった。
勿来に住む人ならば説明不要だが、そうでない人の為に㈱クレハを説明してみる。
昭和9(1934)年 昭和人絹として創業。
昭和14(1939)年 呉羽紡績と合併。
昭和19(1944)年 呉羽化学工業㈱として独立。
平成17(2005)年 ㈱クレハに商号変更。
包装材「クレラップ」でお馴染みの身近な会社である。
肝心の専用軌道は…まっすぐ呉羽化学の正門に向かっていた。
そしてそのまま軌道跡は工場内に飲み込まれる。
あんまりといえばあんまりな展開。これでは手の出しようがない。
上場企業の敷地内に軌道跡があるとは思いもよらないだろう。
別の手で軌道跡を探ってみよう。
(別の手)
左の画像は昭和35(1960)年発行の「観光と産業 いわき案内」(いわき民報社)の中に掲載されている呉羽化学錦工場の
航空写真である。
昭和35年当時、既に新鉱専用軌道は廃止されていたが、画像左手に見える細い道がある。それこそが新鉱専用軌道跡なのである。
昭和9年の創設から昭和20年頃まで呉羽化学錦工場では、炭鉱から採掘された石炭を燃料用として使用していた。
画像中央左端あたりが石炭を納入する為の引き込み線があったあたりなのだろうか?
軌道跡は廃止後に呉羽化学錦工場内に取り込まれたようだ。
工場の敷地外周を沿うように迂回して軌道跡との再開を目論み自転車を走らせる。
工場の外を走る立派な4車線道路。
名前は「国道289号線」…
「289号」?
(余談)国道289号線
国道289号線は
しかし、ただの国道ではない。
この289号は「廃道」「酷道」マニア垂涎の国道なのだ。
雑誌「酷道をゆく」(イカロス出版)において堂々の表紙を飾る「登山道国道」の有様は必見だ。
相互リンク「 山さ行がねか 」内 道路レポート「 国道289号線甲子の旧国道と“廃”新道 」も是非ご覧頂きたい。
同じ289号線とは思えない光景が展開する。
「そりゃ白河までしか行けないよな…」と青看に突っ込みを入れる。
いつか「三条」「新潟」に書き換えられる日が来るのだろうか。
国道289号と交差するのは県道10号 日立いわき線だ。
「
常磐炭鉱中郷鉱専用側線
」「
重内、山口炭鉱専用側線
」でも登場するお馴染みの県道だ。
県道10号線を北に向かい、2〜300m程進むと左手にご覧のような景色が現れる。
この細い道が専用軌道跡なのだ。
「小柳ペイント」さんが目印だ。
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