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常磐炭鉱中郷鉱専用側線 1

〜驚異の直線鉄道〜

 

北茨城市には北から大津港(おおつこう)磯原(いそはら)南中郷(みなみなかごう)と常磐線に3つの駅が存在している。

 

当HPでは磯原駅から出ていた 重内、山口炭鉱専用側線 もレポートしている。そちらも見て頂けると今回のレポートも楽しめるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平成19年11月25日。私は北茨城市の南中郷(みなみなかごう)駅東口にいた。

 

私は初めて南中郷駅駅舎を見たのだが、これほどまでにレトロな雰囲気の駅だとは思わなかった。

 

磯原駅駅舎のモダーンな佇まいを見ているだけに、同じ北茨城市内のこの駅舎の落差に軽くショックを感じた。

 

無人駅と決め付け(←失礼)中を覗くと、窓口には係員がいらっしゃった。業務委託駅なのだろうか?

 

専用側線は西口から出ているので、廻り込んで西口に向かう。

 

 

 

 

 

西口に廻ると広大な空間が広がっていた。今私が立っている場所から中は常磐興産㈱の管理区域なので進入するのは慎んだ。

 

以前この敷地には常磐炭鉱㈱マセック煉炭製造所(→常磐化成工業㈱)の専用線(昭和24年〜昭和59年)が敷かれていた。

 

巨大なクレーン上屋が車窓を彩っていたのだが、かなり以前に解体されてしまった。

 

奥に見える細長い工場は煉炭製造所の名残だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

丁度いいタイミングでスーパーひたちが通過していった。

 

磯原駅と大津港駅にはスーパー(フレッシュ)ひたちの停車が設定されているが、南中郷駅には無い。

 

南中郷駅の開業も他の2駅より12年ほど遅い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敷地の境界辺りで2m程の幅でススキが生えている場所を見つけた。

 

その部分以外にはススキなどの背の高い植物は生えていない。

 

そのススキの場所から反対側を見て疑問が解けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは良い廃線跡。

 

両脇を草木に囲まれながら一本の砂利道が伸びている。

 

↑の画像のススキの生えている場所は廃線跡と考えて良いだろう。

 

航空写真とだいたい位置も合っているのでこの道で正解だろう。

 

 

 

 

 

 

 

専用側線跡は僅かに左カーブを切りながら進んでいく。

 

専用側線跡は周囲よりやや高くなっていて、築堤状になっている。

 

気温13度。心地良い初冬の中を自転車で走る。

 

先が開けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

砂利道は舗装路に変わり、側線跡は真っ直ぐ伸びていた。

 

道路右側には電柱と街路灯が並んでいる。

 

路面は平滑で色も濃い。近年に舗装が改修されたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うわっー!(謎)

日曜午後、田園の真ん中で声を上げそうになった。

 

直線である。清々しいほどの直線である。

 

直線は遥か彼方まで続き、ついには一つの点になっている。

 

 

 

 

 

 

舗装は数十mほど先で左にそれているが、側線跡はかまわずに直進している。

 

航空写真でもその直進振りが伺えるが、実際にこの地に立つと廃線後32年経ってもなおその側線跡が明確に残っている事に驚かされる。

 

側線跡は舗装路と分かれた後で一台の重機によって遮られている。ちょっと嫌な感じだ。

 

とりあえずもうちょっと進んで様子を見てみよう。

 

 

 

 

 

 

 

側線跡は明確な築堤となって直進しているが、重機の先からはススキの枯れ草で藪になっている。

 

築堤上を進んでいけば行けない事も無いのだろうが、住宅も建ち並んでいるので(←回避する理由付け)

迂回することにした。

 

幸い舗装路が続いているのでそちらの方を通る事にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

この地点から見ると築堤であることが更に分かりやすいと思う。

 

築堤上は見たところ枯れススキに覆われている。眺めるだけにしておいて正解だろう。

 

「常磐地方の鉱山鉄道」では、築堤上から撮影した写真がいくつかあるので、たまに刈り払いが成されているのかも知れない。

 

画面中央には鉄橋…鉄橋? 忘れていた…そういえばあるんだっけ。

 

20m程引き返す。

 

 

 

 

 

田んぼの畦道から鉄橋を横から撮影する。実はこの鉄橋を是非築堤上から撮影したかったのだが、どうにも人の目が気になって撮影できなかった。(←ヘタレ)

 

この鉄橋も 重内炭鉱専用側線 に今も存在する「木皿鉄橋」「重内鉄橋」と同じように何処からか廃線になった(廃線にさせた)鉄道から持ってきたのだろうか?

 

上部から見るとこの鉄橋は特異な形(平行四辺形のような)をしている。この鉄橋は中郷鉱専用側線のオリジナルかも知れない。

 

私の撮影した方向からでは銘板の類は見えなかったように思う。

 

 

 

 

 

鉄橋の山側(山元)には鉄橋の橋台として石垣が組まれており、今でも崩れる事も無くその存在を示している。

 

築堤の末端部を石垣で囲い強度を上げ、実際に鉄橋が据え付けられる場所はコンクリートで通過する列車の重量に耐えられる様に作られている。

 

先述の「木皿鉄橋」とほぼ同じ作りだ。「突貫工事」で専用側線は敷設されたが、安全面での抜かりは全く無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

鉄橋の先も枯れススキに覆われた築堤が続く。

 

築堤は迷うことなく北北西に進んでいる。

 

築堤が小さく見える先に橋の様なものが見受けられる。

 

行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

小さな川を跨ぐようにコンクリート橋が架かっていた。

 

橋の上にも枯れススキがある。橋自体の手入れはされていないようだ。

 

鉄橋を架設しても良さそうな川幅だが何故コンクリート橋にしたのだろうか?

 

もしかしたら「この川に合うサイズの鉄橋が無かった」のかも知れない。

 

そうそう都合よく廃線から持ってきた鉄橋がフィットする訳は無いだろう。

 

 

 

 

 

駅側の橋台は藪に没して様子が分からないが、山元(炭鉱)側の橋台は植物等も無く様子が良く分かる。

 

川面から規則的に石垣が積まれている。先ほどの鉄橋の橋台を更に強固にした感じだ。

 

専用側線は恐らく昭和20(1945)年に入ってから敷設工事が始まったと思うが、日本人の働き手が戦争に赴き人員が払底する中でこれ程の緻密な施工が出来た事に驚嘆する。

 

(側線建設には外国人捕虜や朝鮮人が駆り出された事実も忘れてはいけない。)

 

 

 

 

 

 

橋の直線上に立ち、南中郷駅方面を撮影する。

 

これは駄目だ。

 

横から見る以上に植物が生えていて通行できそうに無い。

 

築堤の通行にこだわるのは諦めて中郷鉱に向かうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

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