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住友セメント架空索道 1
〜空中写真より架空索道を見る〜
○ 架空索道とは
一般的に言うロープウェイの事。
平成22年8月16日。午前11時。気温33度。立っているだけで意識を失いそうだ。
今回は体力を使わない(苦笑)架空索道のレポートをしてみよう。
ここは福島県いわき市上平窪(かみひらくぼ)大沢。県道41号線四倉小野線と国道399号線が合流する数百メートル手前の地点。
県道の左手にはこれでもかと繁った鬱蒼とした山林が見える。
しかし、山林の裾に一見して場違いなコンクリート製の建造物が確認できる。
あまりにも奇怪なこの建造物の正体は何であろうか?
「万石」…建造物の正体は万石(まんごく)であった。当HPでもお馴染みの積込施設だ。
いわき市内では
常磐炭鉱磐崎坑の万石
(いわき市常磐上湯長谷町)が現存するものとしては有名だ。
しかし、今回紹介する万石は石炭を積み出すための施設ではない。
セメントの原料としての「粘土」を積み出すための施設なのだ。
○ 粘土山を探せ!
セメントの原料として石灰石と粘土は欠かせない。
磐城セメント(後の住友セメント)も粘土を採掘できる山を確保するのに苦心していた。
神俣石材軌道
などで繋がりのある滝根町や大越町(現田村市)内に粘土を採掘できる山を探したのだが、いずれも地盤が軟弱などの理由により、採掘までには至らなかった。
昭和37年(1962)、いわき市上平窪に粘土山を確保した磐城セメントは当地(駒込粘土山と呼称)から磐越東線 小川郷駅まで架空索道を敷設し(およそ4Km)
併せて小川郷駅に巨大な積込施設を建設し、粘土の輸送を開始した。
架空索道による粘土輸送は昭和60年(1985)6月まで続けられた。
積込施設はいわき市内に存在していた石炭用の万石とデザイン上の相似点が見受けられる。
また、磐越東線
神俣駅そばに現存する石灰石の積込施設
ともよく似ている。
ただ一点、他の施設と異なる点といえば、ゴンドラに積み込む為のホッパーが側面に配置されている事だろう。
ここから滑り落ちる粘土がゴンドラに積み込まれ、索道によって小川郷駅まで運搬されるのだ。
県道からの眺めはさぞや壮観だったに違いない。
昭和50年(1975)の空中写真から駒込粘土山の全景を切り取ってみる。
相当に大きな建造物と思われた積込施設だが、粘土山本体の広大な敷地にあっては、ストラクチャーの一パーツに過ぎない。
積込施設付近には事務所棟などに使われたであろう建物が確認できる。
画像でも伺い知れるが、周囲を山に囲まれているこの立地条件では「架空索道」と言う搬出方法は理に叶っていると言えるだろう。
軌道やトラックではコストが掛かりすぎると試算されたのだろうか。
それにしてもこの粘土山の広大さはどうだろうか。長辺で1000mを軽く超えるのは間違いないだろう。
昭和37年から昭和60年まで23年に渡って粘土を供給し続けた巨大な山の全盛期の姿だ。
※ (粘土山が閉鎖された後の一時期、いわき市常磐白鳥町在住のAさんによると、ここをラジコン飛行場(!)として使っていたそうである。
…これだけの広大な敷地であれば何でも飛ばせたのでは無いだろうか。)
生い茂った植物に絡め取られ、正体不明の物体と化した電柱の様なもの。
これは索道を支持するための鉄柱か、それとも只の電柱なのか…
冬に再訪してみよう。
奥には事務所として使われていたであろう建物が見える。
しかし、今では建物の傍らにたどり着ける術は無い。
粘土山が人々の記憶から消え去るとき、建物も自然に還っていくのだろうか。
積込所から上空に引き上げられたゴンドラは、県道41号の頭上を越え、山を跨ぎ、夏井川のほとりへ一目散。
しかし、架空索道は廃止後、その施設一切が撤去され、消え失せたと言う。
昭和50年の空中写真。夏井川に近い田園の只中にくの字をした建造物が見えた。
この建物は索道の向きを変えるための施設だったのではないだろうか?
お分かりの方はご一報頂きたい。索道があった頃の画像をお持ちの方もご一報お願いいたします。
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