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関本炭鉱、常磐炭鉱神ノ山鉱専用側線
○ 関本炭鉱専用側線の基礎知識
開設 昭和21(1946)年4月1日
廃止 昭和47(1972)年11月20日(撤去承認日)
※ 関本炭鉱の閉山は昭和44(1969)年8月
大津港(関本)駅〜
全長 3.34km(大津港駅から)
○ 常磐炭鉱神ノ山鉱専用側線の基礎知識
開設 昭和21(1946)年1月25日
廃止 昭和47(1972)年11月20日(撤去承認日)
※ 神ノ山鉱の閉山は昭和46(1971)年11月
大津港(関本)駅〜
全長 4.22km(大津港駅から)
1.58km(分岐点から)
(参考)大津港駅の基礎知識
開設 明治30(1897)年2月25日 関本駅として開設
改称 昭和25(1950)年5月10日 関本駅から大津港駅に変更
○ 石炭開発の遅かった関本地区
明治の昔より石炭採掘の歴史の始まった常磐炭田ではあるが、茨城県の関本村(現
昭和13(1938)年、富士ヶ岡地区に磐城炭鉱山神坑が開削されたのを皮切りに
昭和14(1939)年には関本炭鉱㈱が林崎地区で、昭和18(1943)年には神ノ山炭鉱㈱が八反地区で操業を開始した。
○ 関本地区の石炭輸送
開発の手が遅れた分、石炭輸送の為の打つ手は早かった。が…
昭和15(1940)年、関本炭鉱㈱は関本駅から山元まで専用軌道の開設(762mmの軽便規格?)に取り掛かったが
資材不足により中止した。(道床工事は大津港駅から「分岐点」(上部画像参照)まで完成)
昭和18(1943)年には神ノ山炭鉱㈱と関本炭鉱㈱は共同で「専用軌道」の申請をする。(結果不明)
昭和19(1944)年5月10日 常磐炭鉱㈱神ノ山鉱(神ノ山炭鉱㈱を吸収)と関本炭鉱㈱は連名で「専用鉄道」の免許申請
昭和20(1945)年11月30日 「専用鉄道」の免許申請を取り下げ、「専用側線」として申請。
(専用鉄道免許申請取下げ→専用側線申請の流れは形式的なものであったかもしれない。
「国策上緊急を要する敷設路線」:常磐炭田内の専用側線(
鹿島
、
中郷
、
重内山口
、高萩)と共に「関本、神ノ山」も含まれている。他の四線と同様の工事が成されたと思われる。)
敷設着手から足掛け7年、紆余曲折の末に関本、常磐炭鉱神ノ山鉱専用側線は開通したのである。
○ 両鉱の閉山
専用側線の開通した関本地区の両鉱は戦後復興の一翼を担い、昭和30年代の閉山ラッシュをくぐり抜け、昭和40年代まで採炭を続けた。
関本炭鉱は昭和44(1969)年、常磐炭鉱神ノ山鉱は昭和46(1971)年に閉山した。
(参考資料)常磐地方の鉱山鉄道 おやけ こういち氏著
(参考サイト) 国土画像観覧システム 昭和50年 航空写真
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