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茨城無煙炭鉱㈱第二坑専用エンドレス軌道
〜市道7196線〜
○ 茨城無煙炭鉱㈱第二坑専用エンドレス軌道の基礎知識
開設 明治44(1911)年
廃止 大正6(1917)年2月
(当時)南
全長 2.35km
(画像は「国土画像観覧システム」より
○ 僅か7年、短命のエンドレス軌道
茨城無煙炭鉱㈱は南
開山に伴い運炭用の軌道を計画、建設した。
第二坑山元から同村大塚地区弦巻までをほぼ一直線に結ぶ(画像参照)エンドレス軌道を敷設し、
大塚地区鶴巻では先に開通していた山口炭鉱専用軌道(明治42年〜昭和20年)
(南
それが今回レポートする「茨城無煙炭鉱㈱第二坑専用エンドレス軌道」である。
しかし、茨城無煙炭鉱は大正6年、日棚地区に開山した第三坑のエンドレス軌道
(→常磐炭鉱㈱中郷鉱専用側線)に接続すべく、大北川橋梁と十石隧道を建設し
同年3月頃より新たなエンドレス軌道での運炭を開始した。
(2代目茨城無煙炭鉱第二坑専用エンドレス軌道→常磐炭鉱㈱中郷鉱第六坑専用エンドレス軌道)
2代目エンドレス軌道の開設により、初代エンドレス軌道は僅か7年でその歴史を閉じた。
(画像:エンドレス軌道始点)
県道 日立いわき線から西方を望むと低い山が見える。
そのちょっと小高い所に3軒の民家がある。山陰に隠れた一番左側の民家の前から市道7196線が始まる。
その市道7196線こそが、エンドレス軌道の跡なのだ。
起点と思われる場所をアップで撮影する。
民家のガレージの前で市道はすっぱりと終わっている。
かつては炭鉱の方にも道(もしくは軌道)があったと思われるが、今では痕跡は全く無い。
民家の方に邪魔にならないようギリギリまで始点まで近付いて撮影する。
民家の前は舗装されているようだが、すぐに砂利道に変わる。
民家を抜けると軌道跡は僅かに左カーブを切る。
両側は林になっており、植生密度は濃い。
軌道跡でなければちょっと訪れたくない雰囲気だ。
もっともこの市道を使うのは先ほどの民家に住んでいらっしゃる方と、民家を訪れる人のみだろう。
…何を探訪しているのだろう?
炭鉱鉄道の跡を探訪している筈だが、見える景色は森林鉄道と見紛うばかりだ。
両脇はかなり背の高い森に囲まれ森のトンネルと言うにふさわしい雰囲気である。
幸い先はかなり先まで見通せるので不安感はあまり感じない。
昔の人は山を切り開き、線路を敷き、石炭を運んだのだ。
ほぼ百年前の先人達の仕事は今でも小山を貫く一本の筋となって残っている。
素晴らしい事ではないだろうか。
ほぼまっすぐに見える軌道跡だが、山の中間辺りでごく僅かに右カーブを切っていた。
カーブの先はまた直線だった。
カーブから先、勾配はかなりきつい下りになる。
ここから炭車を転がせば、楽勝で合流地点まで無動力で行けるだろう。
「エンドレス軌道」と伝えられてはいるが、もしかしたら重力の力で上下する「インクライン」のような構造だったのかもしれない。
また、直線部分の所々には山を切り開いた、いわゆる「切り通し」になっている所があった。
切り通しの法面は特にこれといった補強はなされていない。
湿気が多いのだろう、法面には苔が繁茂していた。
いつの間にか砂利道は歩道に変わり、下には民家が見えてきた。勾配は相変わらずの下りっぷりだ。
遠くには雁ノ倉操車場(跡)も見えてきた。
このままエンドレス軌道は木皿橋の手前まで直進するのである。
往時の雰囲気が少しだけ体感できたような気がした。
流石に100年前の軌道跡は全部辿れない。
川に突き当たって市道は一旦途切れる。
その先は民家が建ち並んでいるが、軌道はそのまま直進していたと思われる。
専用側線の雁ノ倉操車場のところまで来た。
専用側線のレールが今も残るこの場所をエンドレス軌道は突っ切る。
画像中央あたりを進んでいたのだろうか?
左手に別れていく道がかつての山口炭鉱専用側線(昭和21年〜昭和33年)。右手に行く築堤は重内炭鉱専用側線(昭和20年〜昭和49年)。エンドレス軌道は重内炭鉱専用側線の築堤の辺りに敷設されていたのだろう。
中央の細道がエンドレス軌道を想起させるが、さすがにそれは違うだろう。
やがて軌道跡は木皿川に突き当たる。(画像は操車場方面を向いて撮影)
エンドレス軌道はここで山口炭鉱専用軌道と接続していた。
画面中央の右端辺りが合流地点だったのだろう。
ここから炭車は二車一組で馬に牽かれ、一路磯原駅を目指したのである
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