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住友セメント玉山鉄道 2
自転車道は忠実に線路跡をトレースして進んでいく。
民家の軒先をかすめるように石灰石を積んだホッパー車が通っていたのだ。
玉山駅から石灰石を満載し工場に向かう列車と、四倉工場から空の貨車を率い玉山駅に向かう列車は電話連絡によってほぼ同時に出発して、この画像の地点で交換する。
ここが「榎坊停車場(交換所)」のあった場所である。
川と鉄道跡の間に複線を思わせる土地がある。
最盛期には1日24回、すなわち1時間に1回同じ光景が展開された。
交換所を過ぎてしばらく進むと交差する道が見える。
県道35号 いわき浪江線である。
県道との交差部分から
ここから「
大野林用軌道
」との交差部分まで30分、
「
浪江森林鉄道
」との交差部分までは50分と言ったところだろうか。
機会があればそちらも訪れてもらいたい。
鉄道が現役の時はこの地点には踏切があった。
県道を横断した鉄道跡はこれといった転用はされていないものの、はっきりと痕跡を残している。
まずは手前のコンクリート橋を見てみよう。
白岩川に架かるコンクリート橋を上から見る。
これだけ見ると何処にでもある橋である。欄干の類が無いのが普通の車道用橋と違う所か。
私も実際に車で乗り入れてみたのだが、橋はビクともしなかった。
石灰石を満載した貨車を通していたのだから当然ではあろうが。
コンクリート橋を渡ると、鉄道跡はほぼそのままレールだけを剥がされた状態のようになっていた。
足元に伝わる感触はフワフワして頼りない。恐らくバラストがそのままになっているのだろう。
道幅は見ての通り鉄道時代そのままだ。4輪車ではバラストに埋まってしまい通行は不可能だろう。
バラストの上を歩いて行くと鉄橋が現れた。
長さは数メートルくらいだろう。
リベットが随所に打たれており強度は申し分ないだろう。
先程の橋がコンクリート橋だったのに対し、こちらの橋が鉄橋というのはちょっと解せない気もするが、僅かな距離で2種類の鉄道橋が観察できるので良しとしよう。
鉄橋の両側の築堤はこのように強固な補強が施されている。
廃止後25年以上経つが、補強にほころびは無い。
手前側にも同様の補強が施されているが、画像の山側が石積みなのに対し、手前側はコンクリート打込みで作られている。
鉄橋の下に広がる田圃の畦道から鉄橋全体を撮影する。
I型鋼で作られたオーソドックスな鉄橋であることが分かる。
鉄橋の下にあるのは小川ではなく、ごく小規模な堤のようだ。
鉄橋を過ぎた後も築堤はそのままの状態でしばらく続く。
こちらは鉄橋の手前側と違い、薄く雑草が生えているのでいくらか通りやすい。
上の画像にも写っているが、これは何であろうか?
恐らくは信号機が設置されていたのではないかと思われる。
前後を県道、つまり踏切に挟まれたこの築堤では、踏切事故の際に信号機が直ちに「赤」を現示したのだろう。
先に進むと、今度はキロポストらしき物を発見した。
起点(四倉工場)からの距離からすると4k位だろう。
残念な事に文字らしきものは発見できなかった。
その代わりといっては何だが、怪しい石板が立て掛けられていた。
石板には梵字のようなものが刻まれている。解読はできなかった。
築堤区間は終わりを告げ、県道41号小野四倉線と鉄道跡は交差する。
こちらにも踏切が設置されていたものと思われる。
県道の向こうにも鉄道跡は残っているが、2件の立派な民家に阻まれ一旦途切れる。
鉄道跡が再度姿を現すのは小学校の裏である。
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