このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

玉島の西方に広がる地域・・浅口郡。そこはどんなところだったのでしょうか。今回は浅口郡に
スポットをあてて紹介していきましょう。現在浅口郡は船穂町・金光町・鴨方町・寄島町・里庄町
の5町から成り立っています。
この地域は古代から人類が生活を営んでいました。そこには喜びや悲しみ・苦しみなど私たちの
祖先の思いが数多く堆積されています。今私たちがこの地に立つときそのような思いがなんとなく
伝わってくるようなに感じられるのは私だけでしょうか。
このシリーズでは資料からの裏付けに立ったご紹介よりも、むしろ伝承や民話を元に、いにしえの
生活を大胆に空想し、自由な発想をもって展開してみることにしましょう。
さて、本シリーズの名称にもなっている、「吉備大島」ってそんな島があったかな?。実際そのような
島は現在存在していません。
しかし、いろんな文献から推測して昔々巨大な島が浅口の沖合に存在していたと思われるのです。
それはどこにあってどんな形をしていたのか、どのような人が暮らしていたのでしょうか。またそれは
いつ頃消滅したのでしょうか。それらを伝承や文献で確かめることにしましょう。といっても豊富な
データが有るわけでもありません。あくまでも想像の産物としてお読みください


浅口郡は蒼海中に点在した島にして、神代記に
イザナギ・イザナミ2尊の経営し給える大島は海中の
島なり・・・(中略)・・・平安時代の後期には平家の
荘園となり、応仁の乱以降は細川氏の荘園となる。

                     (浅口郡誌より)


第1回 幻の大島は何処にあった? 文献から探る吉備大島の姿とは?01/22
第2回 地名にまつわる伝承・伝説 大島周辺に残る地名の謂われを探る
第3回 源平時代の大島と周辺 平家と縁の深い浅口郡を検証する02/21
第4回 阿倍晴明と芦屋道満 平安時代の陰陽師、清明と道満伝説03/20(予定)
第5回 大島傘踊りと細川通董 戦国の世、この地で生き抜いた風雲の武将
第6回 浅口郡8郷の流転 荘園制度が崩れ、大名による領地化が進む04/20(予定)
第7回 大島水道の消滅 大島が終焉を迎えたのはいつ頃?

玉島歴史館     幻の大島は何処にあった?

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