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外環道千葉県内区間の近況
〜外環道レポート その3

2005年11月27日に三郷JCTから三郷南まで延伸された外環道。この先、湾岸道路高谷JCTまでの状況はどうなっているのでしょうか。
近況とはいいつつも、メインは昨夏の実走体験ですので、いささか旧聞に属している面があることはご容赦の程。
また整備中区間は具体的な工事に至っていないため、論評が中心です。

三郷南IC

※写真は2005年7月および12月撮影


外環道の開業当初からの終点であった三郷JCTから遂に南へ伸びる日が来ました。
2005年11月27日、埼玉県内最後のICとなる三郷南までの開業です。

この先はいよいよ江戸川を越えて千葉県に入り(江戸川手前でわずかに東京都葛飾区を通過する)、最終目的地となる湾岸道路高谷JCTを目指すことになります。
この日13年ぶりに南に伸びた外環道がそこまで伸びるのは今のところ2010年度といいますからまだまだ先です。

●三郷南まで新規開業区間を行く
新規区間のスタートは三郷JCT。しかし、JCTからは常磐道と首都高三郷線にと左右に分かれてしまい、新規区間にトレースされたR298方面に向かう流動がこれまで流出してきたのは手前の外環三郷西ICでした。
ここは出口付近の道路形状変更などで出口渋滞が恒常化していましたが、その太宗を占める松戸方面への通り抜け流動が三郷南経由に変わりました。このため、出口渋滞は一掃されたようです。

渋滞が消えた外環三郷西出口付近三郷JCTのランプ分岐

車線が収束し、JCTへのランプウェイに向かっていた部分が本線になり、4方向高速分岐型の三郷JCTの真ん中を進みます。おもしろいのは常磐道〜首都高やランプウェイが立体なのに対し、外環道の本線はJCT中心でいったん地平に降りるのです。
その後再び高架になり、常磐道、首都高からの車線と合流して三郷南に向かいますが、三郷−三郷南間だけの利用でも500円と言うのはちょっと厳しいです。

三郷JCT東入口三郷JCT中央

振り返ると本線部分にも仮設の料金所を置いていた外環三郷西ICの入口があります。
本線上の料金所は延伸とともに撤去される運命にありましたが、かわりにランプウェイ側のブースが増設されています。

外環三郷西IC。ブースが増設されている本線はこんな感じ(TX交差付近)

あとは防音壁に囲まれた外環らしい風景です。やがてつくばエクスプレスとの交差地点、これまでの区間では、鉄道との交差地点には各線の列車のイラスト入りで交差線路の名称が書かれた看板がありました。東武伊勢崎線は「スペーシア」ですが、東北本線が「北斗星」なのはご愛嬌と言うか遊び心充分です。ところがここはピクトグラムになってしまい、興がそがれます。

三郷南終点。右側の小看板に「鷹野出口」

程なく三郷南終点を告げる看板が見えてきます。まあ思ったより走った感じがするのも事実です。
ここで驚いたのは、「三郷南」の表示と並んで「鷹野出口」とあること。地元の町名ですが、だったら最初から「鷹野IC」にするとか、「三郷鷹野IC」にしておけばよかったのに。
誘導に従ってそのままランプを降りるとまず左から側道に合流、さらに右のR298に合流と左右挟撃という感じ。さらに古ヶ崎や八潮方面の県道54号方面に行こうとすると2車線の本線を跨いで右折車線に行く必要があり、厳しいデザインです。

R298へ合流R298から三郷南はこんな感じ


●千葉県内へ
2車線時代はいうに及ばず、4車線化されても意外と距離があった松戸までの道のりでしたが、三郷南を降りるとすぐ高洲、そして都県境の江戸川へのアプローチと拍子抜けするほど近かったです。
外環葛飾大橋も4車線化され、そのまま矢切ランプへ向かいますが、トラックの駐車などが問題になったのか、片側1車線に収斂する箇所が以前よりも手前になったようです。

この先でUターンしてR6へ正面の台地に矢切地区への構造物が

右カーブでUターンする区間、前方には矢切を経て市川へ向かう工事区間が見えますが、斜面に穿たれたトンネルがはっきりしてきました。
市川方面に向かう場合、矢切ランプから小山陸橋側道に向かい県道1号に回るか、松戸隧道入口でR464、西美野で回りこんで旧市川松戸有料と言うルートになるわけで、中矢切の県道1号までの区間だけでも開通すると相当違います。
ここについては、外環全線の開通が用地買収の遅れにより2010年代前半にならざるを得ないと言う見通しが出る一方で、一部区間ではR298区間のみ先行開通させて喫緊の課題である交通渋滞を改善させようとしています。
2005年8月12日の首都国道による発表によれば、県道1号までを2007年度に開通させ、南端の高谷と市川浦安バイパス(新行徳橋北詰)までの間は2008年度に開通させるとあります。中間の県道1号−国分交差点の間は生活道路になる側道(サービス道路)のみ2008〜2010年度にかけて整備するとありますが、残りの区間は2010年代前半の全線開通まで待つようです。

矢切ランプでR6に合流


●国分から総武線へ
次のチェックは国分地区です。
R464を大橋まで進み、北国分地区の台地の下を行く国分街道を行くと、矢切方面から来た外環予定地の空き地が寄り添います。
このあたりは北千葉JCTとなり、成田へ向かう北千葉道路が分岐することになりますが、千葉ニュータウンの基幹道路として整備されているR464の船取線以東の区間と違い、以西の北千葉道路は外環以上に計画がはっきりしません。R464の一般部併設も定かではないですが、資料によっては一般部のみ県道1号まで伸びると言う説もあります。

国分付近

国分交差点までは空き地の真ん中を走ったり、左右にそれたり、というか真っ直ぐ走る外環に対して国分街道が曲がっているだけです。
国分交差点あたりから外環は左前方、須和田から菅野方面に去っていきます。
国分街道は市川駅を基点として市川市北部から松戸市南部をカバーする京成バスのメインルートに当たっており、また沿道には大学や高校もあることから通勤通学の足として重要です。ところが国分街道の規格は非常に低く、センターラインはあるものの、歩道は無きに等しく、さらに電柱が車道にはみ出していることからバスの離合も困難という有り様で、外環(R298)開通による幹線流動の移行が強く望まれます。

京成線手前の国分街道

京成線の北側を市川から八幡方面に走る県道を越えると、京成線の踏切を渡ってR14にぶつかります。
現在R14はここから西側で4車線(東京方面行きは市川駅前まで片側1車線に絞ってある)ですが、外環開通時にはR298の交差点まで4車線化される予定であり、道路幅もそれに対応してゆったりとしています。
この県道を菅野方面に向かうと、ホームセンターユニディの隣に「外かん相談所」があり、平日ですと外環に関する相談や資料説明の対応をしていますが、地元用の施設でもあるのであまり興味本位では行かないほうがいいでしょう。私は市川在住時代に何回か訪問しましたが、道路用地にはかかってませんが、買収対象地と同じ町名のエリアに住んでおり、「住民」の一人として訪れています。

このあたりは外環予定地の中でも用地買収が進んでないエリアで、クロマツの林が美しいお屋敷街でもあるため反対も根強いようです。
また、(仮称)市川北IC、京成線から総武線のアンダーパスなど、構造物が比較的大規模になることも、対象となる地域を広くしており、対応に時間がかかっているようです。
もっとも、外環予定地として開発が出来ないことで、周辺のようにクロマツ林を伐採してマンションなどの開発ができなかったと言う皮肉な結果でもありますし、住宅や教育施設にしてもクロマツ林を伐採したからそこにあるわけで、常識的な解決が望まれます。

予定地隣接地には松林の中の細道しかなく、R14を八幡経由で大和田地区に向かいますが、外かん相談所のある京成線北側の道路から総武線を抜けるまでのエリアは、それこそ松林などの状態から無秩序に開発された格好で、昔からの細道のいくつかを何とか拡幅してバス通りにしたり、無理やりクルマを通している状態です。
このエリアの存在が、京成の「開かずの踏切」に拍車をかけている状態であり、市川市北部の新興住宅街あたりに住んでいると、ここがネックでバスの信頼性が全く無いといえるわけで、複数の主要道を改修するか、外環を一本整備して通過流動を集約するかと言う選択を迫られています。

R14沿いの建設予定地


●京葉道路、そして湾岸道路へ
市川駅の東側で総武線までのトンネルを抜けた外環は東南に向きを変えて八幡の大和田から、京葉道路市川ICに隣接する京葉JCTに向かいます。

R14から本八幡駅の西側で右折し、県道市川浦安線を大和田兜橋に向かいますが、TDKを過ぎると外環予定地が斜めに交差します。
その先すぐ、産業道路との交差点になりますが、外環はその産業道路とも斜めに交差しますが、専用部はともかく、一般部が両方とも平面交差になる模様で、現在全方向が渋滞気味の大和田兜橋の交差点近辺がどうなるのか気がかりです。

産業道路も市川ICの入口で激しく混むわけで、市川浦安線、市川インター線の2本の南北道路がR298に置き換わるのであればともかく、両道路とも外環では置き換えにくい流動を抱えている(前者は行徳方面、後者は市川大野及び行徳方面)だけに、斜めに交わるR298の存在は交通処理と言う意味では厄介です。

京葉JCTは市川IC、鬼高PAを含む大規模な構造物になるようで、予定地として空き地になっているエリアも厖大なものになっています。
この一面の原っぱ状態も圧巻ですが、完成後の状態もまた圧巻で、首都国道が出している「みどりの道」も、京葉JCTエリアを扱う時だけは、タブロイド版の冊子に掲載される地図をこの号だけ見開き構成にしていましたが、京葉道路、外環、R298、浦安バイパス(市川インター線)の相互の行き来がどうなるのか、複雑でクロスワードのような感じでした。

産業道路との交差付近

外環はこのあと江戸川放水路の左岸を進み、湾岸道路の高谷JCT(現在は東関道と首都高の分界点)で湾岸道路に合流します。
このあたりは工業用地と未利用地が多く、先行整備も頷けます。また、R357から市川市内方面へのアクセス道路として、高谷交差点の信号を無くす目的も兼ねて高谷JCTの構造物が一部完成しており、「将来の外環道」のランプウェイを走ることが出来ます。

●千葉県内の整備が遅れた理由
もともと埼玉県内区間のように高架の専用部、地平の一般部での整備が予定されていましたが、1970年前後の環境問題意識の高まりにのなかで松戸市、市川市ともに猛反対となり、議会が反対決議をしたことで事実上凍結状態になっていました。
その後松戸市は撤回しましたが、市川市は反対の姿勢を崩さず、1991年あたりの市議会選挙でも全会派、ほとんど全部の候補が選挙公報に「外環道路反対」と書くなど、長らく「一枚板」の反対を続けてきました。

ところが市内の交通状況があまりにも悪い中、誰が見ても有効な対策である外環に反対するという「一枚板」に疑義が生じてきたわけです。
そして市議会が1992年夏に市民対象のアンケートをとり、その結果は、賛成が反対を大きく上回るものとなっており、外環に反対することが民意に反することがはっきりしました。
そのため1993年に市川市議会は外環建設の受け入れを決議し、四半世紀にわたる反対運動は、自治体レベルでは終わりを告げたのです。

この時の「いちかわ市議会だより」(原紙は筆者所蔵)を下記に抜粋掲載します。


「いちかわ市議会だより」平成5年3月15 外環特集号 発行:市川市議会  編集:議会運営委員会(全4ページ)

1面の見出し: 外環道路「まちづくりに必要」
特別委“受け入れ”動議可決
2月12日、15日〜17日に集中審査 15項目の要望付す

「建設省再検討案(筆者注:昭和62年、幅員60m、掘割スリット式で提案)を基本とする東京外郭環状道路が本市にとって必要である」という決議は、構造、環境(環境対策、環境保全)、移転者対策、地域分断、抵触(筆者注:公園・緑地・遺跡との相隣関係)、交通(外環に接続する都市計画道路整備への配慮、既存国・県・市道の改良、JCTやICの計画前協議)、関連事業(京成線連立化、京成線と外環以外の主要道との立体化、江戸川左岸流域下水道の整備、外環地下空間への治水・ライフラインの収容)という7種15項目の実現に向けて最大限の努力を払うことを前提に可決されました。

2面、3面は各会派の質疑で、「要望を付し、推移見守る」「状況の変化捉え勇気持って決断」と見出しが入っています。なお、反対会派の社会党(当時)、共産党の反対討論が掲載されています(賛成討論は反対討論者以外の全員が提案者であるため行われず)。

4面にアンケート「市民意向調査最終報告書」と外環道路の概要、建設省(当時)の再検討案以降の審査経過等が掲載されています。

「有効な計画」20.5%「よいとは思えない」15.8% と見出しになっています。
調査は平成4年8月から10月にかけて実施され、満20歳以上の市民3000人を市内全域から無作為抽出。
回答はそのうち2046人、回収率は68.2%でした。

外環道路の周知度は、7割弱が知っていたと回答。焦点の設問9(この設問が円グラフ入りで紹介)「あなたはこの東京外郭環状道路の計画が、市川市のまちづくりにとってどのような計画だと思われますか。あなたのお考えに近いものに1つに○印をつけてください。」の回答は、

多くの問題を解決する有効な計画20.5%
もう少し改善すれば有効な計画17.0%
今の現状ではやむを得ない24.2%
よい計画とは思えない15.8%
わからない18.5%
不明4.0%

となっており、肯定的意見が合わせて37.5%となり否定的意見の15.8%を大きく上回っています。
(やむを得ないという消極的賛成を含めると61.7%に達する)

なお外環に対する意見として全体で20%を超えたもの(選択肢方式で複数回答可のようです)は、

沿線環境に配慮した構造を45.1%
立ち退き住民には十分補償を33.7%
都市整備上推進すべきだ27.3%
渋滞を解消するため必要21.8%

と推進もしくは建設を前提とした意見が占めています。

なお、反対の立場を取る意見としては、

南北道路の混雑は解消しない19.6%
健康に影響を及ぼす計画には反対14.7%
環境に悪い道路は必要ない13.1%
他道路に交通が集中し混雑が増す12.0%
市内に多くの車が流れ込むので反対9.7%

となっています。

また調査表の自由意見欄の集計は583件、うち肯定的意見が257件、否定的97件、どちらとも言えない意見が89件、その他の意見が93件、外環と関係ない意見が47件です。


アンケートの実施は1992年夏、外環埼玉区間の開通が1992年11月であり、まだ外環の革命的な威力を誰も知らなかった時点でのアンケートですから、埼玉区間の整備後に取ったらさらに格差は開くでしょう。

これを見ると、少なくとも国が外環の設計変更を決めた1987年の時点、いや、旧設計のままであっても住民のかなりの数が外環を望んでいたと推測せざるを得ず、少なくとも市川市が交渉のテーブルにすら着かずに時間を空費してきたのは、いったい誰のためであったのか、非常に疑問です。90年代初め、市川市に住んでいたときには、南北道路がろくに整備されておらず、家のそばの生活道路に通り抜けのクルマがあふれていた状況はなぜ出来たのか。民意に「反して」反対にこだわってきた市の責任もまた少なくないでしょう。

●今後の展望と課題
2010年代前半の開通を目指している反面、用地買収がまだ完了していないことも確かです。
一方で外環道は三郷南、R298はR6まで開通し、来年度には県道1号までつながります。
こうなると残る区間を松戸、市川両市の一般道でつながざるを得ないわけで、県道1号や国分街道が今以上に混みあう事が懸念されます。特にR14を通り抜ける交差点が乏しく、いったんR14を走って鍵の手状に南北を通り抜けるケースが多いことから、東西方向のR14の渋滞も懸念されます。

とはいえ全線一括開通を待っても状況が好転などしないわけで、結局は一日も早い全線開通を目指すしかなさそうです。
その前提として、暫定開通区間に関係する一般道の流動をよくする工夫が必要であり、外環三郷西の下りたところや、外環葛飾大橋〜旧葛飾橋のような通過流動イジメのような交通整理はしないでもらいたいものです。

首都圏の道路整備でも屈指の効果を挙げた外環。その千葉県内区間が全線開通したとき、今の苦労がウソのようになることは間違いないでしょう。しかし、埼玉区間がこの恩恵を受けてから20年以上遅れるのです。その失われた時はもう戻りません。

三郷JCTを望む








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その2・外環道最近の話題に戻る

その4・外環道千葉県内先行整備の状況に続く

その5・外環、いよいよ市川で開通に続く


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